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マイナスカルマ  作者: 石座木
一章 黄金の夜明け団
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第十二話 魔竜アジ・ダハーカ

 『聖十字新教団』とは、とある宗教から分派した新興宗教である。

 信者の数もその規模も、表の世界では注目される程ではないが、裏の世界では昨今注目を集めている理由がある。

 それは信者の一部が行っている宗教活動――世界に存在する多くの魔術が、信仰する神が望まない悪しき力であるとして、団体や個人を問わずに粛清の対象としている事。

 カエデの前に現れたクリスノこそ、その筆頭。

今までに多くの魔術結社を一人で潰してきた事で、敵対者からは『狂信者』と呼ばれている。


(くそ、厄介な奴が現れた……)

 

 カエデの中にかつてクリスノに苦汁を飲まされた記憶が蘇る。

 悪神と契約し、その力の一部を行使できるカエデだが、クリスノとの最初の邂逅時全く歯が立たなかった。

 その時はなんとか運よく逃げ延びることが出来たが、今回は喫茶店の店内という閉所での遭遇であり、二度目の幸運を望むのは難しいかもしれない。


「ここは貴方の居ていい場所ではありません、すぐに審判の地へご案内いたしましょう」


 クリスノがそう言うと、虚空からまた多数の十字架が現れ床に突き刺さる。

 店内のどよめきがいっそう高まるが、すぐにそれはカエデの耳から遠のいて行った。

 

空間が揺らぎ、クリスノの力が世界に侵食する。

 

 床に突き刺さった十字架とクリスノは、霊光をとめどなく上らせ、空間を構成していった。

 以前にイースーチーという老人が見せた『結界魔術』に近い『空間事象変化』。

 それこそがクリスノが使う神の奇跡である。


「……相変わらずでたらめな奴だ」


 がらりと変わる景色。

 先程まで喫茶店の店内にいたはずだったが、カエデの視界にはいつの間にか広大な砂地が広がっている。


「貴方は特別です堤楓ツツミ・カエデ、前回のように逃がさぬ事の無いよう、神の膝元にて審判を始めさせて頂きます」


 涼しい顔をしたクリスノの目は、目の前のカエデすら見えぬように、どこか遠くに存在する何かを見据えている。


「……待て」


 その少女に言葉は届かない。

 それは過去の経験からカエデにも解っていたが、どうしても言わねばならない事があった。


「悪神と契約する俺をお前が狙うのはまだ解る……だがエリザは関係ないだろ」


 どういう訳かカエデと共に、この空間にはエリザも一緒に送られていた。

 彼女の背中から胸へと突き刺さった十字架――霊的な物質で存在する物らしく、物理的には触れられず、外傷と呼べるものは無い。

しかし他の喫茶店の客にクリスノが危害を加えなかったのに対し、明らかにそれはエリザを狙った物である。


「うう……」


 気を失っているエリザは苦しげにうめき声をあげている。

 先程まで普通に話していた少女がそんな状態になっているのは、当然何らかの力が、刺さっている十字架に作用しているから。


「お前は……お前の神とやらは罪の無い人間にまで手を下すのか?」


 あえてクリスノの教義を煽るような言い回しにしたのは、カエデは何としてもエリザだけは無事に逃げ延びらせたかったから。

 もしも自分と一緒に居たからという理由だけでクリスノに狙われたのなら、自分にはそうする責任がある。


「罪の無い? 何を言っているのです? その少女も貴方と同じ悪しき存在でしょう?」

「……は?」


 クリスノ言ってる事がカエデには解らなかった、今までも理解していたとは言い難いが、それでもここまで道理から外れた言葉を聞いたのは初めてだった。

 少しズレた所はあるにしても、負の業も負っていないエリザに対して、悪しき存在だというクリスノ。

 道理に合わない事を言われ混乱するカエデだが、その疑問に答えるようにクリスノは続けた。


「彼女は悪魔憑きです……まさか知らないわけでもないでしょう? その胸元の刻印がその証明です」

「何!?」


 見ると、確かにエリザの胸元……ちょうど十字架の刺さっているあたりに痣のようなものが浮き出ており、苦しむ声に合わせて蠢いていた。


「遺伝による家系的なものか、それとも後天的なものかは知りませんが、彼女は悪魔と魂を共にする紛れもない悪魔憑き。私の天啓は貴方を封印する事ですが、そのような悪しき者を前にして見過ごすは神使の名折れ。共に浄化して差し上げましょう」


 エリザ・オーデュボンが悪魔憑き。

 知らなかった事実がクリスノの口から明かされ、カエデは不意に業視の魔眼でエリザの本質部分を見てしまう。


(……悪魔憑き)


 それは家系的なものだった。

 エリザの生まれた家はイギリスのとある貴族を先祖に持っており、その貴族は魔術に深い関心をもっていた。

 そしてある時、儀式の失敗によってその先祖に悪魔が憑りつき、以来家系の女性にはその悪魔が母子を通じて憑き続いている。

 

「それが何だ……そんな事が何だ!」

「何だ、とは?」


 首を傾げるクリスノに、悪魔憑きの事実を知りながらも、カエデは道理を説く。


「こいつは何も悪い事をしていない……それどころか過去に迫害すら受けている。誰に危害を加えたわけでもない、誰を殺したわけでもない、何の罪もない無害な奴だ」


 そうエリザは何も悪くない。

 生まれた家が悪かっただけ。

 カエデがたった今業視の魔眼で知ったエリザの本質。

 彼女がスリーシックスの下で黒魔術を学んでいたのは、自分の家系に憑りついた悪魔を退治する為。

 高名な悪魔祓いエクソシストですら匙を投げたそれを成し遂げる為、悪魔が憑りついた原因でもある魔術から、自分なりの解決を得ようとしていたのだ。


「お前の言う浄化とやらでエリザが救われるのなら文句は無い……だが、こいつは今苦しんでいる、体内の悪魔が十字架の聖気にあてられているからだ。これが続けばどうなる?」

「死ぬでしょうね、少女の体が封印の負荷に耐えられるとも思いませんし、どうあっても避けられないでしょう」


 当然のように言い放つクリスノ。

 

「ふざけるな! お前の神とやらは宗教は殺人も簡単に許容するのか? そんなもの、俺が契約した悪神と何が違う」

「確かに、殺人は十戒によって禁じられています。しかし、悪魔憑きは人ではありませんよ。その少女の寿命は悪魔に憑かれた時点で尽きたのです」


 人ではない、だから殺す。

 罪は無くても、存在が危険だから駆除する。

 クリスノの言う理屈は傲慢で、それこそ人という存在が古来より積み上げてきたそのもののように、カエデには感じられた。


「そんな理屈で、こいつを殺すのか? お前の信じる神とやらも俺の知ってるのと同じで、碌でもない……結局何も救えない、紛い物だ」

「主への侮辱は許しませんよ。貴方は救えないと言いますが、広く見れば救われる者は多いでしょう。信仰とは、狭い視野でするべきものではないのです」


 頭がおかしくなりそうだった。

 言い切ったクリスノの背負う業は、輝かしいばかりの正。

 それだけ多くの者に信じられ、正しいと思われる事をしてきたのだろう。

 だがカエデには、何一つとして正しいと思える事が無かった。


「所詮、悪しき者には解らないでしょう? 正しい事を正しくないと思ってしまうのがその証明です」

「……」


 返す言葉も無い。

 悪神の力を借りて負の業を背負ったカエデには、本当に正しいと思うものを信じる事は出来ない。

 だが、だからこそ、クリスノの行為を認めるわけにはいかなかった。

 

闇の翼アンラ・ゲ・ヴィム


 カエデはアンラ・マンユの翼を開く。

 クリスノを殺す気で、負の力を行使する。

 その身体を貫こうと、翼から触手を伸ばした。


十字架の戒めホーリークロス・バインド


 だが天から降る十字架に、触手も翼も杭を打たれる。


「ぐ……」

「静粛に、ここは神前です」


 そしてカエデの体にも同様に、いくつもの十字架が突き刺さった。

 触る事が出来ず、抜けない戒め。

 クリスノが操る聖気によって、カエデの体には熱した鉄棒を押し当てられるような痛みが広がる。

 悪神から借り受けた不死の体は、そうした聖なる力にめっぽう弱い。

 

(動けよ……俺の体)

「さあ、審判の時です」

 

 クリスノは宿す聖気を更に高め、新たに十字架を召喚する。

 彼女にとって信仰とは矛そのもの。

 神を絶対であると信じているからこそ、その加護を受ける自分は、誰が相手でも完全無欠であると信じている。

 その意思の強さこそが、常識では計れない戦いにおいて勝敗を分ける要因となる。


(……ここまでか)

 

 呼吸すら困難になり、カエデの視界は歪んでいく。

 そして徐々に絶望が迫る。


(人間に片足突っ込んでいられるのも、ここまでか……)

 

 歪んだ視界の端、そこには一匹のトカゲの姿があった。

 

<小僧よ、よくもまあこれほど不運な出会いを引き続けられるものじゃ……それでこそ我が見込んだ契約者という所以でもあるが>


 いつの間にか現れた……いや、どこにでも現れる悪神アンラ・マンユは、どこか嬉しそうにカエデの体を這い上る。


(下らない話をする余裕はない……この場所なら遠慮なくやれるだろ?)


 カエデはアンラに対して言いながら、自分の中にある絶望を意識する。

 負の業マイナス・カルマ、それは悪神と契約する者の力の拠り所。

 クリスノが信仰によって力を得るのなら、カエデは悪徳によってその力を得る。


<して、贄は何とする? エリザという小娘でよいのか?>


(馬鹿を言え、こいつの為に俺は全力を出すんだ……他のとこからお前の望むまま捧げてやるよ)


<ほう、言いおったな>


 それがどれだけ絶望的な選択か、カエデはよく解っている。

 しかしどうあっても、自分の先には希望が無い事もよく解っている。

 

(いいからさっさと力を引き出せ、悪神アンラ・マンユ)


<よかろう、契約者カエデ・ツツミよ。我が許そう、存分に暴れるがよい>


 そのアンラの一声に呼応するように、カエデの体から深淵の魔力が広がった。



++++++++++++++



(……これは、封印指定では済みませんね)


 常に澄ませた表情であったミサ・クリスノの眉が、少しだけ中央に寄る。

 今居る空間は、彼女が神の加護を最大限に受けられる、『神域事象』と呼ぶ特別な場所。

 呼び込んだ敵の力を確実に弱体させ、自分の力を最大限に発揮させられる場所……な、筈であった。


(甘く見ていましたか、悪神アンラ・マンユを……いえ、その契約者を、ですか)


 大きく開いた翼。

 鋭い牙をむき出しにする裂けた咢。

 全身を覆う硬質な鱗。

 見上げなければ全容を覗けない巨躯と、それを支える四肢。

 そして全てを覗き見るような六つに分かれた魔眼。


 それが、アンラ・マンユの配下の者が変貌すると言い伝えられる、古の怪物。

 その名も、『魔竜アジ・ダハーカ』。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオウ!!」


 禍々しき魔力を纏った竜は、その身に刺さった十字架を朽ちさせながら、大きく雄たけびを上げた。



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