第一話 業視の魔眼
数人の黒服によるアサルトライフルの掃射が狭い通路にばら撒かれる。
その標的となったのはカエデ・ツツミ――中背痩躯の日本人。
三点バーストの規則的な銃撃音が響く中、バリケードも何もない状態で彼は両手を広げて黒服達に詰め寄った。
「……開け、闇の翼」
言葉と同時にカエデの背中から黒い翼が生えだし、それはすぐに体全体を包み込み、黒い障壁を形成した。
そして銃弾全てが翼に飲み込まれるように消えていき、残ったのは弾切れしたアサルトライフルを抱える黒服達。
「マイガッ、こんなモンスター相手なんて聞いてねえぞ!!」
「俺だってそうだ。くそ、あの豚野郎、戦争屋の武器持たせてくるから何かと思ったが、こんな危ないのに目をつけられてたってのか」
ゆっくりと近づいてくる銃の効かない翼を生やした男――その姿はまさに映画や小説の中に存在する悪魔そのもの。
恐怖に駆られた黒服達は銃創が空になった銃を捨てて一目散に逃げ出す。
「逃がられると思うな」
カエデの意思に呼応するように、その背の翼は形状を変え、触手のように伸びて逃げ出した黒服達を捕まえる。
「ひいい、何だこりゃ!?」
「離れねえ、どうなってんだ」
「……黙れ、俺の質問にだけ答えろ。そうすれば命だけは取らない」
捕まえた黒服達を宙づりにしたカエデは、生命の剥奪権が誰にあるのかその一言で伝えて黙らせた。
「お前たちのボスは何処にいる?」
「こ、この階から【三階上の東奥の部屋】だ」
黒服の一人があっさりと答えた。
しかし次の瞬間、カエデの翼によってその男は潰され、ただの肉塊となって床をその血で汚す。
「お、おい、奴は答えたのに何で殺した!?」
「嘘を言ったからだ、お前たちも命が惜しかったら本当の事だけ言うんだな……俺に嘘は通じない。この目は決して偽りを見逃さない」
カエデの鋭い眼光に、黒服達は唾を飲み込む。
その末路は、床に落ちた無残な死体という結果だと目の前で見せられたから。
そして少なからず闇の世界に生きる黒服達には、人を殺す事に躊躇しない人間が目の前にいるというのも感じ取れていた。
「こ、このすぐ上の階の通路をまっすぐ行った突き当りの部屋だ。ほ、本当なんだ、信じてくれ」
「……なるほど、今度は本当らしいな」
カエデがそう言うと、黒服達から安堵の息が漏れる。
だが、無情にもまた一人肉塊となった。
「なん……ブシュッ」
また一人、次々と床に転がる肉塊が増えていく。
カエデには最初から黒服達を見逃すつもりは毛頭なかった。
「や、止めてくれ。俺には妻も子供もいるんだ」
「あ?」
ピクリとカエデの眉尻が歪む。
最後に残った黒服の命乞いが癪に障ったから。
「お前らが今までやってきた事は何だ? 恐喝、強姦、薬、そして殺し。何人もの人間の人生を狂わせて殺して、自分の番になるとそれは嫌だとごねるのか?」
「ち、違うんだ……【俺も組織に脅されて】、それで……ぐギャ」
もう言葉は聞く必要はないと、カエデは黒服の最後の一人もあっさりと殺した。
「見えてるんだよ悪人共、お前たちの積んできた悪行――負の業は全てな……」
血だまりが出来た通路を進み、カエデは標的のいる場所を目指す。
既にそのビル内には両手と足の指を足しても足りないほど、死体が積みあがっていた。
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カエデは今回の標的を前にして嘆息する。
みっともなく丸々と太り、脂ぎった剃頭に血管を浮き出して銃を向けてくるその男が、長年街の裏社会のトップに君臨してきたギャングのボス。
「もう少しキリッとした老人を期待していたが、お前みたいなのがファミリーのボスとはな……豚野郎とはお似合いの雑言だ」
「て、てめえが噂の殺し屋か、誰に雇われた?」
「誰にも雇われていない、俺は俺の意思でここいる。もちろん、お前を殺すのも俺の意思だ」
カエデの背から翼が伸びる。
同時にギャングのボスが数発銃を撃つが、闇の翼によって全て叩き落とされた。
そしてその太った体を捕まえて締め上げていく。
「痛い、やめろ……やめてくれ、金ならいくらでも払う!!」
「そんなものはいらない」
「ならば女か? とびっきりの上玉を用意してやる、俺がその気になりゃブロードウェイのトップ女優だって思いのままだぞ」
「そいつは悪くない……と思ったが、最近女で失敗する事が多いんだ。だから別にいらない」
「ぎああああああ! やめてくれ!!」
締め付ける力が徐々に強くなり、悲鳴の声も大きくなっていく。
カエデの趣味として、相手が悪人であればあるほど、長く苦しませるためにすぐには殺さないようにしていた。
「俺にできる事なら何でもする!! どうかお願いだ!!」
「そういう命乞いは、ここに来るまでに何度も聞いてもう飽きた…………だがまあ、そこまで言うなら少しだけ試してやるか。今後の参考にもなる事だしな」
そう言ってカエデは締め付ける翼の力を少し緩め、顔を近づけた。
良く眼が見えるように。
「う……」
ギャングのボスが悲鳴を飲み込むようにして目を丸くする。
真っ黒な強膜に赤い虹彩が三つもある瞳、カエデの右目が異形そのもの出る事に気付いたのだ。
「これは『業視の魔眼』、この眼の前では誰もその本性を隠す事は出来ない。積んできた善行も悪行も全てを見通し、偽ることは決してできない」
カエデが悪神との契約によって手に入れた力の一つ。
これがあるからこそ、躊躇なく悪人を裁くことが出来る。
「何でもすると言った言葉に嘘は無いか?」
「な、無い。本当だ」
「ならば、そうだな……全財産を寄付して、南米のボランティア活動にでも残りの人生を捧げてもらおうか。あんたの落ちるとこまで落ちた負のカルマでは、それぐらいしないと足りないからな」
「あ、ああ、解った、約束しよう」
「……本当に守れるか?」
「もちろんだ【必ず守る】」
「……」
業視の魔眼の前では、何者も偽ることはできない。
その嘘は、カエデの瞳にしっかりと映っていた。
「試せて良かったよ、あんたのような奴には更生の余地が無い事が解ったからな。俺が負のカルマを積んでまでやってきた事は、無駄じゃないってよく解った」
悪をもって悪を滅す。
それがカエデ・ツツミの掲げる信条。
「ま、待ってくれ……」
「何も変わらないのなら、待つ意味は無い。地獄でその業によって苦しめた者達に、せいぜい詫び続けろ」
闇の翼がギャングのボスを覆い、そして一気に収縮する。
破裂するような音と液体が噴き出す音が響き、カエデの業がまた一段、負に傾くのだった。