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覚悟と決意

自サイト10万Hitsのお礼小説。「待ち人」で影の薄かった天野氏救済企画と呼んでました(笑)。



ふと、意識が浮上する。

それは水中から水面へ近づいたときに感じる浮遊感に似ていた。ゆっくりと、しかし自分以外の力に引っ張られる感覚。

ぼんやりとした視界は暗い部屋を映し出す。瞳だけを動かし、之路は自分がどこにいるのかを知った。

「……あれ?」

もう数え切れないほど訪れた天野の寝室に鎮座する、セミダブルのベッドで横になっている。見遣れば之路用と与えられたパジャマをしっかり着込んでいた。


之路がこの部屋を訪れるのは基本的に週末のみ。

今日から冬期休暇とはいえ、天野は仕事を抱える身である。そのため、そのペースを崩すつもりはなかったのだが。

「……なんで?」

横になった覚えもなければここに来た覚えもない。

どうしてだろう。まだどこかすっきりしない頭で考えてみる。

「昨日は……」

蒼の働くbromistaに行き、そこで一人の女性と出会った。

之路を待ち構えていた彼女は、高宮グループ会長の孫娘とのこと。将来は天野の上司になるかもしれないと聞いて、本気で驚いた。

しかも之路とは一つしか年齢差がないのに、人を圧する力は大人顔負けである。

その彼女がわざわざ之路に会いに来たという。

対面した時間は一時間にも満たないだろう。だが、その間に告げられたことは濃密といってもいい。


『貴方はどれだけの覚悟で彼の傍にいるの?』


覚悟なんて、していなかった。

他人から見た構図というのを想像したことがないといえば嘘になる。だが、自分たちさえよければそれでいいのだと思っていた。

傍にいるだけで天野の人生を変えてしまう。その覚悟が必要だと認識するほど、之路は社会を知らないでいたから。

天野が好きだから傍にいる。

それがまかり通らない社会だと知ってはいても、完全に理解してはいなかった。突如向けられた問いは、之路を容易に不安へと陥らせる。


一人分だけ空いたスペースに手を伸ばした。ずいぶん前に抜け出したのか、シーツはひんやりとした冷たさを伝える。この調子だと、彼はとっくに会社へと向かっているだろう。

「……起こして行けよな」

眠れるうちに寝ておけというのが彼の心情らしく、何度言っても、彼は之路の眠りを妨げようとはしない。

社会人の彼と受験を終えたばかりの之路では生活時間が違う。

だが、彼の厚意は時に無情だ。

ベッドに一人残されて迎える朝が寂しいことを、彼は知らない。

彼は常に残される者ではなく、残していく立場だろうから。

朝一番に彼の顔を見て安心したいと願うのは贅沢な話だろうか。

「……ばぁか」

いつもなら「またか」で流せてしまうのに、今日ばかりはそんな余裕もない。

彼女―――高宮亜湊に会ったことが、之路の心を揺さぶり続けている。

リネンに染み付いた彼の匂いに包まれたくて、シーツに顔を埋めた。


尚貴とは違う、大人の男の匂い。

之路の心を簡単に奪ってしまった雄の匂い。

いつの間にか馴染んでしまったそれに、之路は泣きたくなった。

「―――………っ」

天野と、離れたくない。

役立つこともなく、おまけに未成年の足手まといでしかないけれど。

どんな状況になったとしても、彼は之路の手を取り続けてくれるだろうか。

きつくシーツを握り締め、泣くものかと深く息を吸い込む。


だが、之路の涙を止めたのは自身の行為の結果ではなかった。

できるだけ静かにと注意深く開けられたのだろう、微かな扉の音が之路の意識を奪う。

之路しか居ないはずのこの家で、寝ているだろう之路を気遣う人物は一人しかいない。

ゆっくりと近づいてくる足音に躰を強張らせ、立ち止まった気配にゆっくりと顔を上げる。視線が合うのと彼がベッドに腰を下ろすのはほぼ同時だった。

伸ばされた指が之路の髪をゆっくりと梳いていく。


「起こしたか?」

鼓膜を擽る低い声音に、之路はいつの間にか詰めていた息を吐き出した。躰からも余分な力を抜く。

「どうした?」

言葉で答える代わりに、之路はゆっくりと天野の傍に腹這いで近づいた。上半身を軽く持ち上げ、目の前にある太腿に頭を預ける。衣服越しの温もりにそっと目を閉じた。

「会社……」

「ん?」

「会社に、行ったんだと思ってた……」

よかった、と小さく呟けば、彼の大きな掌が宥めるように之路の頭を撫でた。

「さすがの俺も夜中から行く気はないぞ」

「……夜中?」

「ああ。おまえを店から連れ帰って、まだ一時間かそこらだな」

「俺、店で寝たの?」

「覚えてないのか? 苦手なくせに人のウィスキーを一気飲みするからだぞ」

「……覚えてない」

だろうな、と低く笑う声が耳に心地いい。髪を梳く指遣いに自ら頭を押しつけ、彼の笑う気配に安堵の息を吐いた。

いつになく甘えていると思う。

一度根付いてしまった不安が之路を臆病にさせているのかもしれない。彼に触れることで、触れられることで安心できるような気がしていた。

目を瞑っていると、ややあって天野の声が落ちてくる。

「亜湊さんのことだが」

天野の言う人物が浮かばないほど寝ぼけてはいない。逆に一瞬で意識が覚醒する。

亜湊と何を話したのか、之路は天野に詳細を告げていない。ただ、彼女が会いに来たことを認めただけだ。

閉ざしていた視界を広げ、天野の膝から頭を起こす。顔をあわせると、真剣な表情の天野がいた。

「おまえがあの人に何を言われたのかは想像がつく。大方、俺の仕事絡みのことだろう? だが、何があろうと俺が決めたことであって、おまえが悩むことじゃない」

「……それは、俺に関係ないってこと?」

確かに、仕事に絡む話になれば之路は門外漢だろう。

だが、彼女が口にしたのは彼の進退である。

天野が決めたことであっても、その一因に之路がいる事を知っている。気づいていることを見て見ぬ振りで過ごせというのか。

「天野さんの将来を俺のせいでだめにしたとしても?」

之路の存在が彼の未来を不利にする。そんなことが罷り通っていいはずがない。

例えそれが社会の仕組みだとしても、之路には納得がいかない―――することができない。

「そんなので傍に居られても……嬉しくない」

足手纏いにはなるくらいなら、いっそ離れてしまったほうが天野の役に立てるかもしれない。

「俺は……」



「之路」

悲壮感を漂わせ俯きかけた之路の顎を、天野の指が捉える。何の感情も浮かべていない彼の目を直視できず、之路は視線を床へと向ける。

「視線を逸らすな。俺を見ろ」

天野の強い口調に之路の躰が反応した。

恐る恐る視線を戻すと、真摯な眼差しとぶつかる。

「それは、あの人が言ったんだな?」

「…………」

「之路?」

逆らうことを許さない、強い意志が篭められた呼びかけに、之路はひとつ深い呼吸をする。

ここで誤魔化したとしても無駄なことだと知っていた。

「……俺次第で、天野さんの仕事に支障が出るって言われた」

「それから?」

「……天野さんの傍にいる、か、覚悟があるのかどうかも―――」

「――――なるほどな」

呆れたような声音に見え隠れする強い意志が、彼の怒りを表わしていた。それが自分に向けられているようで、之路は熱くなってきた瞳をそっと伏せる。

顎を拘束していた指が離れ、即座に背中を抱きしめられた。痛いくらいの抱擁は、之路の強張っていた身体から余分な力を逃がす。

温かい体温を布越しに感じ、之路は堪えていたものが零れ落ちていくのを感じた。

「悪かったな」

じんわりと天野の衣服に染みが広がっていくのをぼんやり眺めていると、天野の謝罪が耳に届いた。顔を向けると、逞しい指が涙の跡を優しく辿っていく。

「あの人もおまえを追い詰めるつもりで聞いたわけじゃないんだ。許してやってくれるか?」

「……何で、あの人のことをそんな言い方で庇うの?」

まるで悪さをした子供を謝りつつ庇う親のようだ。

之路が指摘すると、天野は苦い笑みを浮かべた。どうやら自覚があるらしい。

「長い付き合いだから仕方がないな」

「……どのくらい?」

「そうだな……十年は越してるか」

少し遠い目で視線を彷徨わせた天野の顔には、懐かしく、少し翳りのある表情が浮かんでいた。それに気づき、之路の胸を刺すような痛みが襲う。

十年。

それは大人にしても長い期間だ。しかも彼女が之路とそう年齢差がないことを考えれば、かなり幼い頃からの付き合いということになる。

之路よりも遥かに強いつながりを持つ二人は、一体どんな関係なのだろう。

気にならないと言えば嘘になる。天野も聞けば答えてくれるだろうこともわかっている。

だが、之路はそうしなかった。

その代わりに違う答えを求めて天野の名を呼ぶ。ようやく視線を戻した天野にほっとしつつ、之路は問い掛けた。


「あの人が俺の事を『初めて傍においた特定の人間』だって言ってたんだ。それって本当?」

「………………また余計なことを」

「余計?」

小さく呟かれた言葉を之路の耳が拾い、鸚鵡返しをする。意図せず視線も強くなっていたのか、それを受けた天野が微苦笑を浮かべた。

腕の中の之路を抱き直し、額と額をぶつけ合う。

「覚悟なんてしなくていい」

「…………天野、さん?」

「俺はおまえに何かをして欲しいわけじゃない。之路が之路らしくいてくれれば、それでいい」

「……俺の存在自体が足を引っ張るかもしれないんだろ?」

「そんな可能性論で揺さぶられるほど俺の足元は弱くないぞ。おまえの名前を出した瞬間に倍返しするだけの準備もあるしな」

之路の『覚悟』を之路だけの重石にしないようにと彼は言葉を紡ぐ。

「だから誰に何を言われようと、胸を張っていてくれ。倒れそうになったときは俺を支えに立ち続けろ」

「天野さん……」

「俺には、お前の存在自体が必要なんだ」

「―――――うん」

頷くと同時に唇が重ねられる。儀式めいたそれは互いの温もりを伝えるだけで離れていこうとする。之路は両腕を彼の首に回すことで阻止した。

吐息を洩らし、唇を擦りつけ、誘うように隙間を作る。キスが深くなるのに時間はかからなった。

「…………ない」


離れてなんかやらない。


唇が角度を返る瞬間に小さく呟くと、応えるように背中に回された腕が力強く抱きしめてくる。

それに負けないように、之路もまた彼を自分に引き寄せた。



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