スポーツクラブ
保は薫を得意先の上川のいる輪の中に連れて行った
「上川さん、先日はどうも」
「ああ、ええと・・・石橋さん」
「そこで、芦田に会いまして、挨拶にきました」
「ああ、わざわざすみません、良かったら飲んで行って下さい、一度、一緒に飲んでみたかったんですよ」
「ええ、僕もそう思って、失礼します」
薫はそういうと、上川の座っているビニールシートに靴を脱いで座る。
どこからか缶ビールが回ってきて、薫は缶のプルトップを開けた。
一口飲んで周囲を見回すと保が輪から外れたところに座っているのが見えた。
隣は女性で・・・先ほど保が買った缶ジュースの蓋を開けて飲んでいる
ベージュのワンピースに薄いピンクのカーディガン
肩の辺りで切りそろえられた髪
整っているが幼げな顔立ち、生真面目な印象・・・かな?
あいつらしい好みだ、でも・・・見たことある顔だな
視線に気づいたのか彼女がこちらをむいた。
目が合ったのはわかったが自然に見えるように目をそらした。
「芦田さんとは年齢が近そうですね、同期か何かですか」
薫が保のほうを見ていたのにつられたのだろう、上川がそちらを見ながら薫に質問する。
「ええ、大学も同じだったんですよ、知り合い程度だったんですが、僕は自宅通学で彼は学生寮にすんでいてね、帰りが遅くて終電を過がした時は、よく彼の友人と彼の部屋におしかけて泊めてもらってたんですよ」
「なんか学生らしい話だな」
「当時の芦田の部屋はあまりものが置いてなかったから広々していたし、鍵が空いてることも多かったから、何人かで彼がいない間に勝手に入って寝てたりして、帰ってきた彼をびっくりさせたりもしてましたね」
「へえ」
おかしそうに上川は笑う
親しげな雰囲気になった上川の様子をみて、彼もそういうことをするタイプだったんだろう、と薫は思う。
人付き合いが好きそうな人だし、営業向きなのだろう、うちの上司にも気に入られてる。今回の大規模なプロジェクトの責任者ということは仕事もそこそこできるほうなんだろう。
薫も顔は広い、何もしなくても自然と人が集まるからということもあるが、多少は気を使っていてる部分もある。
薫は、再び桜の木の根元に座る二人のほうをちらっと見る。
ちょうど、保が隣の彼女の髪に落ちてきた桜の花びらをそっとつまんでいた。
薫はためいきをつく。
もう馬鹿なことはしない。
花見の翌日、仕事を終えた後、朱里はスポーツクラブに行くことにした。
会社と自宅の中間に位置するこのクラブに、彼女は週に2,3度は行くように心がけている。
昼間仕事で頭を使った分、ランニングマシンとエアロバイクで体を動かしていると、頭と体のバランスが良くなるのか、気持ちはすっきりするし、体の疲れも心地よくなる。
体を鍛えるという理由ではなく、そういう状態になるのが好きで朱里は通っていた。
ただ、今日は、昨日の出来事にうまく気持ちの整理ができなくて、気分転換のためにスポーツクラブに来た。
昨日、芦田と会話したせいだ。
話してる内容は他愛のないもので、誰とでも交わせる内容だったと思う。
でも、なんというか、昨日の彼といた時の雰囲気が他の人といる時と違っていたように感じたのだ。
彼の朱里に対する態度は丁寧に扱ってくれている感じもあるが、親しみがあって・・・
昨日、朱里は彼と一緒にいると、ドキドキするのに、ホッという奇妙な感覚を持っていた。
もしかしたら、と思うのは私の勘違いなのか、それともそうでないのか・・・
どちらにせよ、芦田は今日から中国だ
何か起こるにしても、それは2週間後だ
それまではあまり考えないようにしよう、朱里は思った。
マシンの置いてあるスペースはいつもより遅めに来たせいか、なじみの会員の姿はなく、ちょっとよそよそしい感じがした。
遅い時間は仕事終わりの会社員の率が高い、朱里がいつもいる早い時間にもいないこともないが、いつもは若い女の子や一線を退いた年代の人が多くて、明るくほんわかとした雰囲気だ。
こういうのも新鮮だな、と朱里は思いながらエアロバイクをこぐ。
彼女の前方で同じくエアロバイクをこいでいる青いTシャツに半パン姿の男性もいつもは見かけない。
その男性が時間が来たのかマシンをストップさせて降りた。
朱里はその横顔を見てびっくりして目がそらせず、振り返った彼と目が合ってしまう。
少し間が空く
「昨日はどうも」
朱里が、おずおずと声をかけると「・・・ああ」といって、薫は頭を小さく下げると、すっと彼女の横を通り過ぎていった。
あまりにそっけない・・・花見の席で遠くから見た感じでは愛想のいい人だと思ったけどそうでもないんだな、と朱里は思う。
それとも、昨日は私に気がつかなかったのかも・・・あの花見の席では、挨拶したわけではなかったのだから、彼は目を引く存在だけど、私はそういう訳でもないし・・・