まきるは歩く、どこまでも!
どこまでも続く緑の平原をまきるは歩く。てくてくと、健やかな音を立てながら。
「へいへいほー」
楽しげな声が遠くに広がる。草をはむ馬が耳をぴくりと動かした。
「お待ちなさい、お嬢さん」
歩き続けるまきるの前に、それはそれは綺麗な金髪の女の人が立っている。
「私の名前はリズ・クライス・フラムベイン。このフラムベイン帝国の第三皇女だ。見たところ、この国の者では無いようだけれど、一体こんな所で何をしてるんだい?」
まきるはリズの紅い瞳をしげしげと見詰めた後、思い出したように言った。
「何をしている、って言われても、歩いてるとしか言えないよっ」
「では、どこへ歩いているんだい?」
「うーん、今は少し喉が渇いてるから、水のある方かなっ」
「そうか。ではあちらへ行くと良い。森の奥にある泉は、一度飲んだら一生忘れられない程の美味しさだから」
ありがとー、とまきるはリズに礼を言って、指された方向へと足を向ける。
てくてく。
森の小道をまきるは歩く。空は晴れ。小さな葉っぱも太陽に照らされて嬉しそうだ。
「へいへいほー」
楽しげな声が木々の隙間を抜けていく。枝の小鳥が首を傾げる。
「やあ、お嬢さん」
赤い首輪をつけた黒猫が前足を上げて、道の横から話しかける。
「私はニアという猫だが、こんな人里離れた森の奥まで何をしに来たんだ?」
「うんとね、この先にある、とっても美味しい水を飲みに来たんだよっ」
「そうかそうか、あの泉の水を飲みに来たか。では先に進むといい。ただし、その隣にある岩に触れてはいけないぞ。その岩には仕掛けがあって、触れた者を空に飛ばしてしまうんだ」
「分かったよー」
ありがとー、とまきるは猫に両手をぶんぶん振って、てくてくと歩く。猫は尻尾を揺らして見送った。
しばらく歩くと泉が見える。底の小石を数えられるほど澄んだ泉。
「うわー。綺麗な泉だー」
まきるはほとりによいしょと座って、懐から水筒を取り出す。
ごくごく。
「ぷはーっ。本当に美味しかったー」
綺麗な泉を見ながら飲む水は格別だが、どこかで誰かが首を傾げる。
些細なことには気付かない。まきるは周りを見渡した。見つけたのは、お昼寝に丁度良さそうな平べったい岩。
猫の忠告はどこへやら。まきるはごろんと寝転がる。
「うわっ」
岩の仕掛けはバネ仕掛け。まきるは空高く飛ばされた。
ひゅうう。
空の中には雲がある。雲の上には雲は無い。
雲一つ無い空の中、白い綿菓子のような雲の上をまきるはてくてくと歩く。
「へいへいほー」
空が吸い込み消える声。少し歩みが遅いのは、お昼寝が出来なかったせいだ。
「おい、ここで何をしている」
地鳴りのような低い声。姿の見えない男の声に、まきるはくるくる周りを見渡す。
「どこにいるのー?」
「質問に答えろ」
まきるはうーんと唸って答える。
「降りる場所を探して歩いてるの」
「降りる場所など無い」
「じゃあ、お昼寝が出来る所。ちょっと歩き疲れちゃった」
「そのような場所も無い。ここは空の上。およそ人の住むべき物は何一つ無い」
まきるは手をかざして白い地平線に目を凝らす。見渡す限りの白、白、白。木の一本も生えてない。
「ほんとだ。うーん、どうしよう」
「娘、取引をしないか?」
男の声は地鳴りのように響き、どこから聞こえてくるか分からない。
「取引?」
「お前が俺の妻になるならば、お前をそこから降ろしてやろう。ただし、この先俺の傍を離れることは一生出来ぬ」
まきるはうんうん唸って答える。
「あたしは十六歳だから結婚出来ないし、姿も見せない人と結婚なんて出来ないよ」
それだけ言って、まきるは雲に寝転がる。思ったよりは硬いけど、思ったよりは暖かい。
疲れていたのか、くうくうとすぐに寝息が聞こえ始める。
「そうか」
男の声が小さく弱く雲を揺らしても、まきるは夢から出てこない。
ぼすっ。
雲から突然大きな右手が突き抜ける。
その右手がくうくうと眠るまきるを掴み、また雲の中に引っ込んだ。
「叶わない恋など、するものではないな」
大きな目。大きな鼻。大きな顔。
雲を支えていた大男はまきるの寝顔をじろりと見て、静かに優しく地面に降ろす。
「俺の名前は周防晃。もう会うことも無いだろう」
どしんどしんと音を立て、晃は山の向こうに消えていった。
くうくう。
へいへいほー。
「へいへいほー」
自分の木霊に返事して、てくてくとまきるは歩く。眠ったおかげで体力は万全だ。
へいへいほー。
深い谷からまた木霊が返る。ここは山と崖の道。足場は悪いが元気に歩く。
「待て」
狭い崖の道の先、男が行き先を塞いでいる。
「俺の名前はエイジ・タカミヤ。悪いがここで死んでもらう!」
まきるはきょとんと聞き返す。
「どうしてあたしに死んで欲しいの?」
「今日の内にお前を殺さないと俺が死ぬ。東の魔女に呪いを受けた」
まきるはポケットから木の実を取り出す。
「これを食べたら良くなるかもっ」
「そんな物では治らない。魔女の呪いは強力なんだ」
どうしよう、と悩んでいると、空から滴が落ちてくる。
「とりあえず雨宿りしようよ」
「仕方ない」
まきるとエイジはてくてく歩く。崖の先には川があり、川を下ると道に出た。
雨はぱらぱら降り注ぐ。
煙がもくもく動いている。
「お前らどうした?」
煙を吐き出す車が止まり、窓が開いて子供が言った。
「雨宿りの場所を探してるの」
「ふうん。じゃあ、こいつに乗れよ。ついでに行きたいとこに連れて行ってやる」
まきるはぽんと手を鳴らす。
「じゃあ、東の魔女の所まで」
「あいよ」
まきるとエイジが乗り込むと、その金髪の子供はアクセルをぐいっと踏み込んだ。
「あたしは翔子。運び屋翔子だ。飛ばすぜ!」
煙と土を巻き上げて、車は東へ走り出す。あまりの速さにまきるの体は一回転した。
魔女の根城は大きなお城。不気味い黒い鳥が飛ぶ。
「ここが魔女の住処だ。あたしは次の街の行く」
うん、とまきるは頷いて城の門へと歩き出す。エイジも後ろをついていく。煙はもくもく遠ざかった。
てくてく。
「止まれ。ここは東の魔女の根城だ。通す訳にはいかない」
足下から聞こえるしゃがれ声。まきるはしゃがんで指で突く。
「わー、カエルが喋ってるよー」
「うるさいっ! つ、突っつくな! 僕はここの門番だ。通りたければ金貨を寄越せっ」
カエルはぴょんぴょん跳ね回る。
まきるの代わりにエイジは話す。
「金貨は無いが、これならどうだ」
懐から出したのは金ぴかの本。開けもしない物語。
「うーん、これなら良いだろう。通してやる。ただし、東の魔女には逆らうな。逆らえば僕のようにカエルにされてしまう」
ぶるると緑の体を震わせて、カエルは城への扉を開ける。
「ありがとー」
まきるはてくてく入っていった。
城の中身は寂しい灯り。ぽつんと広がる影の支配下。
「へいへいほー」
「へいへいほー」
まきるとエイジは怖さを押しのけ、奥へ奥へと突き進む。
はっ、とエイジは気付いて話す。
「俺は何をやっているんだ。おまえを殺しに来たのに」
まきるは歩く。へいへいほー。
「まあまあ。あたしが魔女に頼んでみるから、それでダメだったら」
「ダメだったら?」
まきるは首を捻り、腕を組む。それからたっぷり考えて言った。
「まあ、その時考えるよっ」
明日の風は明日吹く。一先ず二人は魔女の元へ。
「ようこそ、魔女の部屋へ」
「私達が東の魔女です」
着いた部屋には二人の女性。しかし二人は同じ顔。
「私は綾音」
「私は琴音」
「「二人で一人の東の魔女」」
右を見て、左を見て、まきるは驚き大声を出した。
「すごい似てる!」
「誰と誰が似てる、だ!」
「誰と誰が似てる、ですか!」
双子の東の魔女達は、肩を震わせて怒る。
それはさておき、まきるはエイジを指差した。
「ねえねえ。呪いを解いてあげて。可哀想だよっ」
魔女達はにやりと同じく笑う。
「やだね。私は面白い物が好きなんだ。その男の苦悩は大層面白い」
「嫌です。私はあなたが嫌いですから。あなたのその気ままさが憎い」
まきるとエイジは驚いた。まさかそんな理由だったなんて!
「あたしの気ままさが憎いのは何で?」
「それは私がここから出れないから」
「俺の苦悩が面白いのは何でだ」
「それは私が退屈だから。退屈を紛らわすのは悪戯が一番だ」
魔女は互いに答えたが、まきるは納得出来ない。十歳の子供だって、そんなワガママで人を困らせないのに。
「そんなの、おーぼーだよ!」
「だったら私の憎しみを取り除いて下さい」
「理不尽だ!」
「だったら、私の退屈を紛らわせてくれ。そしたら呪いを解いてやろう」
二人の答えに二人は悩んだ。
悩んで悩んで悩んだ先に、きっと答えは見付かるはず。そう思って、また悩む。だけども答えは見付からない。
「ほらほらどうした。時間が無いぞ」
「もうすぐ日が落ちる時間です。そしたら男は命を落とします」
魔女達はワインを飲みながら話しかける。夕食の時間だ。
びびっ、とまきるは閃いた。
「じゃあじゃあ、私達もここに住むっ!」
思いもよらないまきるの言葉に、魔女とエイジはびっくりした。まきるはうんうん頷いた。
「それなら気ままじゃ無くなるし、退屈だってしないよっ!」
魔女の一人がふふんと笑う。
「駄目です。そんなのじゃてんで駄目。私の憎しみはそんなのじゃ……」
だけど片方の魔女はからから笑った。
「はははっ! いいだろう、呪いを解こう。確かに退屈は無くなりそうだ!」
「姉さん!?」
違う表情の同じ顔。片方が手を上げて、細い光が飛んでいく。
「ほら、これで呪いは解けた。魔女の呪いは二人で一つ。一人が止めれば効果は消える」
エイジは喜ぶ。魔女は叫ぶ。
「姉さん! 私は納得してないんです! そう、姉さんはいつも私に何も言わずに決めて……」
「琴音。見苦しいぞ」
「もう、知りませんっ! 後から後悔しても……!」
魔女達の喧嘩は魔力に乗って、世界の空を駆け巡る。空気の流れはどこまでも。
リズの頭上を過ぎ、ニアの鼻先を掠め、晃の足元で戯れて進む。
そして翔子の髪を抜け、流れはかえるにたどり着く。
ぽんっ。
「や、やった。ついに元の姿に戻れた!」
元の姿に戻った杉村道隆は、うん、と背伸びして家に帰った。
魔女の喧嘩は止まらない。まきるはそうっと手を上げる。
「ねえねえ。食べ物はどこ?」
「ああもうっ! あなた達はどこかに言って下さい! 邪魔です!」
魔女はいつでも一方的だ。
まあいっか、とまきるは城から出て、言った。
「じゃあ、ここまでだね」
エイジは頷き礼を言う。
「ありがとう。おかげで呪いが解けた。礼と言ってはあれだけど、この先には草原がある。そこは天気が良いから、うんと光を浴びるといい」
ありがとー、と言ってまきるは歩く。
少し歩くと光が空から差してくる。地面はだんだん緑の道に。
「へいへいほー」
まきるは歩く。そこが道。暖かい風の吹く草原。
少し騒がしかったけど、過ぎれば楽しかった時間になる。まきるは元気に歩いていく。
まきるは歩く。
ふと、止まって振り向いた。
そうしてまた、まきるは歩く。へいへいほーと、てくてくと。
今度はどこを歩くだろう。小鳥が高く空を飛んだ。
まきるは歩く、どこまでも! 了




