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野井琅世のコメディー短編置き場

丑の刻参り、お疲れ様です!

作者: 野井琅世
掲載日:2026/08/25



 俺は疲れていた。

 日付も変わろうかという時間帯。それでも終わらない仕事。その上、仕事は上司の承認印が無いと進まない。

 承認印をもらう為だけに、こんな時間帯に上司の家を訪ねるところだった。

 だからだろう。俺は、この上なく判断力が鈍っていた。

 そんなだから、これも仕方がない事なのだと自分に言い訳してみる。


「お疲れ様です!」


 路上で知らない女性にそう言って頭を下げた俺は悪くないと思う。

 たとえ、その女性が、白装束を身に纏(まと)い、頭にガスコンロの五徳(ごとく)を乗せ、その五徳に三本の蝋燭(ろうそく)を乗せていたとしてもだ。

 たとえ、その手に藁(わら)人形を握りしめていたとしてもだ!


「あっ……、はい……」


 女性がこの上なく困惑した声を上げる。

 気持ちは分かる。

 俺も困惑している。

 俺は、何故、丑の刻参りコーディネートを着こなした女性に頭を下げているのだ?

 分からないが、とっさに出た言葉がこれだったので仕方がない。

 恐る恐る顔を上げると、女性は、声だけでなく、その表情も困惑に満ちていた。


 ………………


 どうしたものか?

 何か言った方が良いのかもしれないが、何を言ったら良いのか分からない。


「………………」


 女性も沈黙している。

 このまま、すれ違ってしまおうか?

 そうも思うが、何か言った方が良い気がして決心がつかない。

 そんな状況の中、どうにか口を開く。

 そして、咄嗟に出た言葉が……


「まだ、十二時くらいですから、丑の刻は一時間くらい先ですよ」


 これだった。

 絶対に何かを間違えている。

 何故、俺が丑の刻参りのレクチャーなどしなければならんのだ。


「えっと……、御親切にどうも?」


 女性が、言葉を探る様に返してくる。


 ですよね。


 そういう反応になりますよね。

 俺だって、逆の立場ならそんな反応になる。

 俺自身、何を言っているのかと思うのだから、相手からしたら対応に困るだろう。


「えっと……、じゃあ、俺はこれで……」


 もう、会話を打ち切る事にした。

 さよなら。知らない人。もう、会う事が無いように祈ります。

 そう思いながら女性とすれ違う。

 強引かもしれないが、別に良いだろう。

 話す事もないし。

 そんな事を考えていたら、背後から声が掛かる。


「待ってください!」


 ………………


 何故、呼び止めるのですか……?

 お互いの為にも、これ以上、関わらない方が幸せだと思いますよ?


「私の姿を見て、何とも思わないんですか⁉」


 いや……、そんな事言われても……。


「五寸釘と金槌(かなづち)が無いなぁ……、とか?」


 それ位しか言う事が無い。

 時間を間違えているのは指摘済みだしなぁ……。


「他にも! ほら! もっと驚くとか! 怖がるとか!」

「ああ……」


 なるほど。そういう反応が一般的か。

 しかし、正直、今の俺には仕事の納期の方が恐ろしいからなぁ……。

 だから、そんな事言われても……


「そっすね」

「軽っ⁉」


 この程度の反応が精一杯です。


「軽すぎません⁉ 丑の刻参りに出くわしたんですよ!」

「いや……、承認印貰う為の上司宅参りの方が恐ろしいんで……」

「承認印⁉ もしかして、これから承認印を貰いに行くんですか⁉」

「まあ……」

「貰ってどうするんですか⁉ どうせ、この時間じゃ何もできないでしょ⁉」

「いや、会社に戻って仕事しますよ。承認印を貰わずに仕事を進めると、上司が因縁つけてきて、仕事をやり直しさせられるんで」

「黒っ! 貴方の会社、真っ黒じゃないですか!」

「はい。まあ、そうですね……」


 本当にブラックだと思う。

 しかし、他に仕事のあてもないからなぁ……。


「そういう貴女は……?」


 とりあえず聞いておく。

 聞きたくないが、まあ、こうなったら仕方がない。


「いや……、上司が……」

「上司が?」

「その……、パワハラとセクハラの常習犯で……」


 ……なるほど。それで丑の刻参りなんぞしているのか。

 納得と言えば納得の理由だった。

 しかし、その納得を否定するかのような言葉が女性の口から続けられる。


「それで、ストレス発散に、丑の刻参りコーデで徘徊を……」


 ………………


 何をやってらっしゃるの?

 丑の刻参りではなく、丑の刻参りコーデで徘徊するだけ?

 理解しがたい。

 理解しがたいのが、もしかして……。


「出会った人が怯(おび)えるの見て楽しんでたんですか?」


 そうとしか考えられなかった。

 そして、その考えが正しい事を裏付ける様に女性が気まずげに視線を逸らし……


「……はい」


 小さな声で自白した。


「何やってんすか⁉ 普通に迷惑極まりないですよ!」

「すみません!」

「迷惑なの分かってるんですよね⁉」

「すみません! 分かってます!」

「だったら、何で……⁉」

「他人が怯える顔を見るのが好きなんです!」

「っ! Sじゃないですか! 紛う事なきSの所業ですよ!」

「すみません!」


 とんでもない女性だ。

 会社での鬱憤(うっぷん)の晴らし方が最低極まりなかった。

 かなり責め立てたが、まだ足りない。

 尚も責め立てようと口を開く。

 その時だった。

 不意に明かりが照らされた。

 俺と女性に向かって、何らかのライトが当てられている。


「何をやっている⁉」


 続けて声がかけられた。

 声の方を見てみれば、懐中電灯を此方に向けた警官が立っている。


 ………………


 どうやら、通報されたらしい。

 それは、まあ、夜中にこれだけ騒いでいれば当たり前だった。

 当たり前だが、返答に困る。

 巻き込まれただけだと分かってもらえると助かるのだが……。


「丑の刻参りです!」


 背後から声が上がった。

 振り向けば、女性が元気いっぱいに答えている。


 そんな元気いっぱいの丑の刻参りがあるか!


 そう思うが、よく見れば、女性の挙動が怪しい。

 どう見てもテンパっていた。

 どうやら、テンパった末の奇行の様だった。


「丑の刻参りって……。釘とかハンマーは?」

「危ないので持っていません! 御所望なら、家からネイルガンを持ってきます!」


 呪いの儀式に近代工具を取り入れるなよ……。

 呆れて声も出ない。

 そして、それは俺だけではない様で、聞いた警官も呆れた表情を浮かべていた。


「そっちの君は?」

「俺は、上司の家に仕事の承認印を貰いに来たら、この人に遭遇しただけです」

「承認印? こんな時間に?」


 俺の言葉に警官が訝(いぶか)し気な表情を浮かべる。

 まあ、そうだよな。

 深夜に承認印を貰いに来たとか、普通ならあり得ない。

 事実なのでどうしようもないのだが、どう言ったら納得してもらえるだろうか?

 そんな事を考えていたら、再び女性の声が上がる。


「その人の会社はブラック企業らしいです!」


 ………………


 ……いや、まあ、その通りなのだが、この人が説明する意味が分からない。

 そして、不審者でしかない彼女に説明されても嘘臭くなるので止めてほしい。


「……そうなの?」

「……まあ、そうですね」

「よく見ると、顔色が悪いね。ちゃんと寝てる?」

「いや……、そういえば、最後に寝たの何時だ……?」


 記憶が定かでない。

 仕事で駆け回っていた記憶しかない。


「食事は?」

「それも……、ちょっと覚えてないですね」


 俺の言葉に、警官が目に見えて引いている。

 女性も顔が引き攣(つ)っていた。


「君……。その会社、辞めた方が良いと思うよ」

「私もそう思います!」


 そんな事言われても……。


「完全に過重労働だよ。……私の知り合いの弁護士を紹介するから、本当に辞めな」


 本来、警官はこういう事を言わないだろう。

 と、すると、俺の今の状況は本当にヤバいのかもしれない。


「死んだら元も子も無いですよ」


 女性も言ってくる。

 そこまでヤバいか?

 そうも思うが、二人の目は真剣そのものだった。


「私の奇行に巻き込まれたせいにして良いですから、休みましょう」

「……事情聴取って事で、一度連れて行くから、そこで休みな」

「でも……、仕事が……」


「「仕事は良いから!」」


 警官と女性の声が重なる。

 中々の気迫だった。


「本当に私のせいにして良いですから、帰って休みましょう」

「これで解雇とかになったら、それこそ弁護士が介入しやすくなるだけだから」


 そう……、だろうか?


「お疲れ様。休んで良いんですよ」

「そうだよ。帰って良いんだよ」


 労いの言葉が心に染みる。


「相手してくれて嬉しかったです。ありがとうございました」


 ありがとう。

 その言葉が、妙に心地よい。


「……俺、休むわ!」


 決心する。

 決心したら、身体が軽くなった気持ちだった。

 まるで天に上る様な心地だ。

 心なしか、視線も高くなっている気がする。

 空に手が届きそうな気さえした。

 穏やかな気持ちで二人を見下ろす。


 ………………


 ん?

 見下ろす?


「「「は?」」」


 俺を含めた三人の声が重なる。


 天に上る様な心地ではない。

 マジで上っている。

 何が起こった⁉


 何が起こっているのか考える。

 何があったか思い起こす。

 そして、全てを思い出した。



 ヤベッ! 俺、とっくに死んでんじゃん!



 十年ほど前に、シンプルに過労死していた。

 そして、それに気づかずに仕事をしているつもりだった。

 しかも、俺が出没するせいで、会社なんてとっくに倒産している。

 腐れ上司は、俺が毎晩承認印を貰いに行くせいで家庭崩壊していた。

 上司本人は、この近くの神社に助けを求めて神社から出てこない。


 ………………


 意図せずに報復も完了してんじゃん!

 会社の幹部連中も借金を背負って大変らしいしな。


 じゃあ、まあ、なんだ……。


「成仏しま~す」


 そうとだけ言って、天に上るに任せる。

 この流れに身を任せれば大丈夫な事は何となく分かった。

 ふと、地面を見下ろす。

 そこには、俺を呆然と見上げる二人。


 ありがとう。

 お疲れ様。

 帰っていいよ。

 休みな。


 俺の欲しかった言葉を掛けてくれた二人。

 そんな二人に感謝しながら、俺は夜の空に消えていく。

 そして、俺が完全に空に溶けて消える寸前に……


「「ぎゃぁぁぁぁっ!」」


 二人の絶叫がハッキリと聞こえた。


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