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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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粛清の牙、目覚めの光

 枯死域の境界を示す灰色の地面が、砂利混じりの土に変わる。踏みしめるたびに乾いた音が響き、風が運ぶ空気にはまだマナの薄い匂いが混じっていた。


 生きた草の匂いがする。境界の向こうに戻ったのだ——と鉄心が息を吸い込んだ、その瞬間。


「止まれ」


 低く、よく通る声だった。


 岩場の陰から、銀の鎧が姿を現す。一人、二人——数えるまでもない。左右の崖上にも、背後の木立の中にも。鉄心の鼻先を、金属と油の匂いが掠めた。


 二十。


 完全に囲まれていた。


「粛清騎士団第一小隊、団長ヴァレンス・グレイオーク」


 中央に立つ長身の男が名乗る。鋭角的な顎に、鉄灰色の瞳。全身を覆う対魔法装甲が、夕暮れの光を鈍く反射していた。


「筋肉の英雄を秘密裏に始末せよ——ドラクロワ枢機卿直々の命令だ」


 背後で、リリアーナの息を呑む音が聞こえた。


 鉄心は首を回した。ゴキ、と骨が鳴る。


「粛清騎士団か。噂には聞いてたけど、本当にいたんだな」


「……はぁ。噂じゃなくて、以前グランドールに提出された報告書で警告されていた組織です」


 セレナが疲れた声で言った。だが、その目は鋭く敵の装備を観察している。


「全員、俺の後ろに下がれ」


 鉄心が一歩前に出た。拳を握った。


 ヴァレンスの口元が微かに歪んだ。


「来るか、英雄。——待っていたぞ」



  ◇



 鉄心の右拳が、先頭の騎士を捉えた——はずだった。


 ドゴォン、と空気を震わせる衝撃音。だが、拳が届いたのは騎士の顔面ではなく、その寸前に展開された半透明の膜だった。


 拘束結界。


 拳甲を通して伝わるのは、岩を殴った時とも魔法障壁を砕いた時とも違う、ぬるりとした弾力。力が吸い込まれ、分散される感覚。


「——なっ」


 鉄心の目が見開かれた。


 殴った。壊れない。


 もう一発。さらに一発。拳が唸りを上げ、衝撃波が砂利を巻き上げる。だが結界は歪みもしない。


「殴っても壊れねえ……?」


 二十年鍛え続けた拳が、初めて空を切った感覚だった。胃の底が冷たくなる。


 だが——ムスケラで掴んだものがある。力の流れを感じ取る感覚。今はそれを途切れさせないことだ。仲間を守る態勢を整えろ。


「カイル! あの装備、見覚えがある!」


 セレナが叫んだ。岩陰で術式の分析を試みていたカイルが、蒼白な顔で振り返る。


「あれは——学院の禁術研究から流出した技術だ! 第七研究室で凍結されたはずの対筋力拘束兵器! どうして至純派がそんなものを……!」


「学院内部に協力者がいるってことじゃ」


 ガルドが星鉄鋼のハンマーを構えながら吐き捨てた。


 ヴァレンスは腕を組んだまま、微動だにしない。


「分析は正しい。だが遅い。——展開」


 号令と同時に、二十の騎士が一斉に動いた。両手から放たれる蒼白い光の鎖が、蛇のように鉄心へと殺到する。


 鉄心は反射的に身を翻した。一本、二本は躱せる。だが三本目が右足首に絡みつき、筋肉を締め上げた。


 痛みではない。力が抜ける。


 まるで全身の筋繊維を一本ずつ引き抜かれるような、おぞましい感覚だった。



  ◇



「リリアーナ様、無理はなさらないで!」


 カイルの制止を振り切って、リリアーナが両手を掲げた。銀髪が風に舞い、指先に淡い光が集まる。


 だが、それは本来の彼女の魔力には程遠かった。


「……っ」


 氷の矢が三本、騎士に向かって放たれる。枯死域の影響が残る境界付近では、魔力の回復が追いついていない。矢は騎士の鎧に当たって砕け散り、かすり傷すら与えられなかった。


「魔法使いどもは放っておけ。この領域ではまともに戦えまい」


 ヴァレンスの言葉は、残酷なほど正確だった。


 セレナが歯を食いしばりながら防御結界を展開するが、紙のように薄い。通常の十分の一の出力もない。


「くっ……理論的にわかっていても、この無力感は……」


「セレナ先生!」


 ガルドが割り込んだ。星鉄鋼のハンマーを大上段に振りかぶり、最も近い騎士の拘束結界に叩きつける。


 バキィッ!


 星鉄鋼と拘束結界が衝突し、火花が散った。結界に初めて罅が入る——だが、隣の騎士が即座に結界を重ね張りし、修復されてしまう。


「一人ずつなら壊せるが、連携されると追いつかんぞい!」


 ガルドの額に脂汗が浮かぶ。一人を崩しても残りの十九人が穴を埋める。数の暴力に、個の力では抗えない。


 鉄心は歯を食いしばり、考えた。ムスケラで掴んだ感覚——力の流れを感じ取り、導く術。あの修練で感知はできた。問題は、この拘束結界に力を奪われながら、その感覚を維持できるかだ。


 ガルドに迫る鎖を弾き、セレナの前に立ちふさがり、リリアーナを背中に隠す。守るたびに自分の体に鎖が絡みつくと知りながら、それでも陣形を崩さない。


 右足首。左膝。腰。胸。右腕。


 一本ずつ、光の鎖が鉄心を雁字搦めにしていく。


「……っ、ぐ——」


 膝が折れた。


 石畳に拳を突き、なんとか倒れまいとする。だが体中の筋肉から力が抜けていく。かつて天圧石を担いだ時とは違う。あれは重さに抗う戦いだった。これは——体の内側から筋力そのものを奪い取られる感覚だ。


 ムスケラの修練場では、力の流れを一瞬だけ感じ取ることができた。だがこの拘束兵器は、その流れそのものを外から吸い出してくる——感知した端から奪われていく。


「英雄の最期だ」


 ヴァレンスが歩み寄ってくる。手には蒼白い光を纏った長剣。鉄心の首筋に、冷たい金属の感触が当たった。


「枢機卿閣下の命令は『秘密裏に始末せよ』だ。遺体は枯死域に捨てる。魔力の残らぬ場所では、追跡もできまい」


 鉄心は歯を食いしばった。全身の筋繊維が悲鳴を上げている。視界の端が暗くなり始める。


 ——ここで、終わるのか?


 まだ約束を果たしていない。あの封印の向こうにいる奴と、もう一度戦うと言ったのに。


 ガルドが設計図を描いた新しい拳甲も、まだ完成していない。


 セレナのノートに残された「E・G」の謎も、解けていない。


 リリアーナが見つけた「魔法と練筋術の融合」も——


「——この人に、手を出さないでくださいまし!」


 銀色の影が、鉄心とヴァレンスの間に割り込んだ。


 リリアーナだった。


 両腕を広げ、背中で鉄心を庇う。華奢な体が微かに震えている。魔力はほとんど残っていない。それでも——いや、だからこそ、その碧い瞳には一片の迷いもなかった。


「アルカディア家の名において、容赦しませんわ!」


「……リリアーナ・フォン・アルカディア」


 ヴァレンスの目が細まった。


「名門の令嬢が筋肉の蛮族を庇うか。枢機卿閣下は貴殿の処遇についても言及されていたが——」


「ならば私ごと斬りなさい」


 リリアーナの声は、震えてなどいなかった。鉄心はその背中を見上げた。細い肩。風に揺れる銀髪。そこに、かつて「野蛮人」と自分を蔑んだ少女の面影はなかった。


「……リリアーナ」


「黙っていなさい、筋肉馬鹿」


 振り返りもしない。だが、その声は泣きそうだった。


「あなたがここで倒れたら——誰があの封印の化け物を倒しますの。誰がノーマジックの人たちを守りますの。あなたがいなければ——」


 言葉が途切れた。


 リリアーナは唇を噛み、拳を握りしめた。


「——あなたがいなければ、この世界は終わりますのよ」


 ヴァレンスの剣が振り上げられた。


 蒼白い光が、夕暮れの空を裂く。


 鉄心の体の奥で——何かが、弾けた。



  ◇



 最初に気づいたのは、ヴァレンスだった。


 剣を振り下ろす手が、止まった。止めたのではない。止められたのだ。


 鉄心の体から溢れ出す光の圧力に。


 黄金の光が、鎖を内側から照らしていた。筋繊維の一本一本が、脈動するように明滅する。エリオットの雷が刻んだ紋様が導線となり、光が全身を駆け巡る——ムスケラの修練場で掴みかけた感覚。あの時は一瞬触れただけで途切れた。


 だが今は違う。


 守るために使う——その一念が、途切れかけた流れを繋ぎ止めている。


 鉄心の意識の奥で、ムスケラの古代文字が蘇る。第三段——「筋聖覚醒」。まだ辿り着いていない領域。だが、体が知っている。筋肉が覚えている。


 拘束の鎖が、軋んだ。


 ヴァレンスが三歩後退した。鉄灰色の瞳に、初めて動揺が走る。


「まさか——」


 その声は、団長の威厳を失っていた。


「あの力が……復活するとは——」


 鉄心はゆっくりと顔を上げた。


 光に照らされた瞳が、真っ直ぐにヴァレンスを射抜く。拳甲の古代紋様が呼応し、星鉄鋼そのものが低く振動していた。


 拘束の鎖が、一本、また一本と砕け散っていく。


 力で引きちぎるのではない。体内のエネルギーが循環し、鎖の回路そのものを焼き切っている。


 リリアーナが振り返った。碧い瞳が限界まで見開かれ、唇が何かを形作ろうとして——声にならなかった。


 セレナのノートを持つ手が震えた。ガルドの目が見開かれ、カイルは声も出せずに立ち尽くす。


 鉄心は立ち上がった。


 全身から眩い光が溢れ出す。夕暮れの境界地を、真昼のように照らす黄金の輝き。


 だが——光が満ちるのと引き換えに、世界の輪郭が薄れていく。仲間たちの顔が霞み、風の音が遠い水底から響くように変わった。色彩が褪せ、匂いが消える。前世の記憶が砂のように指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚。


 ムスケラでは一瞬で弾けた力が、今は途切れることなく流れ続けている。だがその代わりに、自分という存在の輪郭が溶けていく——持続の代償が、もっと深い場所から差し出されている。


 拳を開き、閉じた。


 ——ああ。


 わかった。


 ずっと体の中にあったのに、掴めなかったもの。ムスケラで約束した時から、ずっと応えようとしていたもの。


 仲間を守りたいと思った瞬間に、初めて手が届いた。


 鉄心の唇が、静かに動いた。


「……ああ、わかった。こういう時に使うんだな、これは」


 ヴァレンスの剣を持つ手が、震えていた。

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