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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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呼吸の先に灯る光

 石の床に落ちた汗が、朝日に白く光っていた。


 訓練場に差し込む光はまだ柔らかい。だが鉄心の額からは、すでに汗が顎を伝って落ちている。修練二日目——昨日の暴走が残した教訓を、体が覚えていた。


「掴む前に、まず聴けってのは、わかった」


 鉄心は両拳を腰の横に構え、目を閉じた。体内を流れる何か——あの微かなエネルギーの気配を探る。昨日は感知した瞬間に引き出そうとして壁を吹き飛ばした。セレナに「制御が大事」と怒鳴られた声が、まだ耳に残っている。


 吸う。止める。吐く。


 単純な呼吸を繰り返す。だが何かが違う。力の流れに呼吸が噛み合わない。川の流れに手を突っ込んでいるだけで、水を掬えていない感覚。


「くそ……どうすりゃいいんだ」


 低く呟いて、目を開ける。訓練場の隅に置かれた巨岩が、昨日の暴発で半分ほど欠けたまま朝日を浴びていた。



  ◇



「また力で引っ張り出そうとしていますね」


 セレナが訓練場の柱に背を預け、手帳を開いたまま言った。目の下に薄い隈がある。昨夜、古代文字の解読に没頭していたのだろう。


「引っ張ってるつもりはないんすけど……」


「つもりがなくても、あなたの筋肉が勝手にやっているんです。筋収縮の瞬間にエネルギーを掴みにいっている。それでは制御になりません」


 鉄心は首を傾げた。筋肉が勝手に。そう言われると、確かにそうかもしれない。力を入れた瞬間に、体の奥の何かが反応する。反射みたいに。


「……反射、か」


 その言葉が引き金になった。記憶の底から、前世の体育館の光景が浮かび上がる。


 体操の授業。鉄棒で逆上がりができない生徒に、何度も何度も教えた。力の入れ方じゃない。呼吸のタイミングだ。吸って体幹を固めて、止めて力を集中させて、吐きながら絞り込む——。


「吸って、止めて、絞る」


 口に出した瞬間、体が動いた。


 深く吸い込む。横隔膜が下がり、腹圧が高まる。ここで止める。体幹の筋肉が内側から外側へ張り詰める。そして——吐きながら、全身の筋繊維をゆっくりと絞り込んでいく。


 大胸筋から三角筋へ。三角筋から上腕二頭筋へ。力ではなく、意識の波を順番に通していく。


「……筋トレと同じだ」


 声が掠れた。これは知っている。ベンチプレスで重量を上げるとき、バーベルを押す瞬間に息を吐きながら筋肉を絞る。あの感覚。ただし今、絞っているのは重量ではなく——体の中を流れるエネルギーそのものだ。


「セレナ先生」


 リリアーナの声が、静かに訓練場に響いた。彼女は訓練場の入り口近くに立ち、片手で石柱を掴んでいた。その指先が、白くなるほど力を込めている。


「見えますか。あれは——」


「……ええ。見えています」


 セレナの目が見開かれ、視線が光の流れを追っていた。



  ◇



 鉄心の体が、光っていた。


 目を焼くような輝きではない。筋繊維の一本一本が、内側から淡く発光している。呼吸に合わせて明滅を繰り返しながら、光は肩から腕へ、腕から拳へと流れていく。川の流れのように。いや——血液の循環のように。


 そして、光の流れが胸を通過した瞬間、鉄心の体に刻まれた雷の紋様が反応した。


 エリオットの「裁きの雷」が灼きつけた紋様。右胸から右腕にかけて走る稲妻状の傷痕が、黄金の光を帯びて浮かび上がる。光の流れが紋様に沿って加速し、乱流だったエネルギーが一本の筋道を得たように安定していく。


 リリアーナが息を呑んだ。言葉が出なかった。目が見開かれ、碧い瞳に鉄心の光が映り込んでいる。


 セレナは目を細め、光の軌跡を追うように視線を走らせた。指先が無意識に柱の表面をなぞり、光の流れる経路を辿っている。


「雷の紋様が……経絡のような役割を果たしている。エネルギーの流れを誘導し、安定させる導管になっている」


 指が止まる。セレナは自分の手を見下ろし、信じられないという顔で鉄心を見た。


「まさか、エリオットとの戦いが——練筋術の素地を作っていたなんて」


 鉄心本人は、目を閉じたまま呼吸を続けている。周囲の驚愕など聞こえていないかのように。いや、実際に聞こえていなかった。意識の全てが、体内の流れに向けられている。


 吸って。止めて。絞る。


 光が拳に集まっていく。右手の拳甲が熱を帯び、金属の内側で何かが目覚めるように震えた。体の中で何かが噛み合い、回り出す感覚。歯車が初めて正しく組み合わさったような——。


 鉄心の目が開いた。


「……来た」


 一言だけ呟いて、体が動いた。



  ◇



 巨岩に向かって踏み込む。


 訓練場の石畳が鉄心の足裏の圧力で砕け、破片が弾け飛ぶ。光を纏った右拳が、昨日の暴発で半壊した巨岩の残骸に叩き込まれた。


 音はなかった。


 正確には、音が遅れてきた。拳が岩に触れた瞬間、光が炸裂し、巨岩が内側から砕け散る。粉塵が訓練場を覆い、数秒遅れて轟音が壁に反響した。


 ドゴォォン——!


 リリアーナが咄嗟に袖で口元を覆った。粉塵が沈降し、視界が晴れた先に見えたのは、跡形もなく粉砕された巨岩と——膝をついた鉄心の姿だった。


「がっ……」


 鉄心の口から、搾り出すような声が漏れた。全身の筋繊維が焼けるように熱い。立とうとして、膝が砕けた。両腕の感覚が遠く、指先が自分のものではないようだった。


「うおっ……全身バキバキだ……」


 歯を食いしばりながら、鉄心は片膝を立てようとする。だが体が言うことを聞かない。前世で経験した最悪の筋肉痛——初めてフルマラソンを走った翌日の比ではなかった。筋繊維の一本一本が悲鳴を上げている。ヴァルターの警告が脳裏をよぎる。制御できぬまま覚醒させれば——。


「動かないでください!」


 セレナが駆け寄り、鉄心の腕を取った。脈を診ようとして、触れた腕の熱さに指を引っ込める。体温が異常に高い。筋肉が内部で発熱しているのだ。


「制御しきれていません。エネルギーの流れは掴めたようですが、出力の調整が……」


「先生、でも威力は——」


 リリアーナが巨岩の残骸を見つめていた。昨日の暴発では壁の一部が崩れた程度だった。だが今回は、人の背丈ほどもあった巨岩が粉塵に還っている。通常の数倍どころの話ではない。


「ああ、威力はありました。ありすぎたんです」


 セレナの声に苦さが混じる。気筋一体——練筋術の第一段。その入り口に、鉄心は確かに立った。だが入り口に立っただけで体がこの有様では。


「はは……情けねえ。岩は砕けたのに、自分の体も砕けそうだ」


 鉄心が笑おうとして、顔を歪めた。笑う筋肉すら痛い。


「笑い事ではありませんわ!」


 リリアーナが鉄心の前にしゃがみ込んだ。声は叱責の形をしていたが、その手には遺跡の水場で冷やしてきた布が握られていた。熱を持った鉄心の腕に、そっと巻きつけていく。


「……いつからそんな準備してたんだ?」


「あなたの担当が私だとわかった日からですわ。必要になると思いましたの」


 言わなかった言葉が、丁寧な手つきに滲んでいた。鉄心には読み取れなかったが、セレナには見えていた。魔法の使えないこの枯死域で、この少女が鉄心のために物理的な手当の方法を調べていたことが。


 冷えた布が鉄心の筋肉を包む。痛みが和らいでいく。だが完全には癒えない。これは肉体の限界を超えた反動だ。魔法が効く場所であっても、治癒魔法では届かない類の損傷かもしれない。


「ありがとな、リリアーナ」


「……礼を言うくらいなら、もう少し体を労わりなさいな」


 視線を逸らしたリリアーナの指先が、無意識に何かの図形をなぞっていた。魔法陣の構造と、今見た光の流れを重ね合わせるように。



  ◇



 日が傾き始めた頃、鉄心はようやく立ち上がれるようになっていた。


 訓練場の壁に背を預け、自分の右手を開いたり閉じたりしている。握力はまだ戻りきっていない。だが体の中を流れるエネルギーの道筋は、今も感じ取れた。呼吸に合わせて微かに脈打つ、血流とは違うもうひとつの循環。


「セレナ先生」


 リリアーナが訓練場の反対側で、腕を組んで巨岩の粉塵を見つめていた。その目に、鉄心が見たことのない色が宿っている。


「あの光——魔法とは異なる法則で動いていましたわ」


「ええ。マナの流れとは根本的に違う。筋収縮による生体エネルギーの増幅と循環。理論上は……」


「でも、確かに力がある」


 リリアーナが遮った。セレナが目を瞬く。


「もしこれと魔法を組み合わせることができたら——」


 リリアーナの声が途切れた。自分の言葉に、自分で驚いたように。魔法至上主義の名門アルカディア家の令嬢が、魔法以外の力との融合を口にしている。半年前の自分が聞いたら、正気を疑うだろう。


 だが彼女の脳裏には、枯死域で自分の筋力だけで岩壁を登った記憶があった。あの時から、指の握り方が変わった。石を掴む感触が、体に染みついている。恥じるどころか——。


「リリアーナ?」


 鉄心が壁際から声をかけた。


「なんでもありませんわ。独り言ですの」


 早口で言って、リリアーナは背を向けた。だが足取りは軽かった。頭の中で、魔法陣と筋繊維の構造図が重なり合い、まだ形にならない何かが渦巻いている。


 セレナだけが、その背中を見て目を細めた。融合術式の着想——この少女の中で、何かが芽吹き始めている。


 夕闘の風が訓練場を吹き抜け、粉塵の残りを攫っていく。鉄心は壁から背を離し、もう一度自分の右手を見下ろした。


 光は消えていた。


 拳を握っても、あの黄金の輝きは戻らない。制御はまだ遠い。だが——。


 鉄心は右胸に手を当てた。エリオットの雷が刻んだ紋様の上に。


 光は消えているはずだった。


 なのに、指先に触れた紋様が——ほんの微かに、温かい。服の上からでもわかるほどの熱を帯びている。鉄心は襟元を開いて見下ろした。


 雷の紋様が、淡く光り続けていた。


 呼吸を止めても。力を抜いても。紋様の光だけが、心臓の鼓動に合わせて明滅している。まるで体の一部になったかのように。


「……おい、セレナ先生」


「何で——」


 セレナの言葉が凍った。手帳が地面に落ちる乾いた音が、静まった訓練場に響いた。


「その紋様……消えていない。鉄心さん、あなたの体が——」


 変わり始めている。


 その言葉を、セレナは飲み込んだ。だが全員がわかっていた。もう、昨日までの体には戻れないのだと。


 鉄心は光る紋様を見下ろしたまま、右手を握り締めた。大いなる喰らい手の警告が、遠い地下から這い上がってくるように思い出された。


 拳の中で、紋様の光が脈打っている。

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