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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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拳の王と闇の預言

 石の扉は冷たかった。


 指先が触れた瞬間、骨の芯まで染みるような冷気が這い上がる。だが鉄心は手を引かなかった。地下遺跡の空気は湿って重く、天井から滴る水滴の音だけが暗闘に反響している。


「鉄心、無闇に触るのは——」


 セレナの制止が終わる前に、拳甲が震えた。


 微かな振動ではない。鉄心の腕を伝い、肩を抜け、背骨を揺らすほどの共鳴。拳甲に刻まれた紋様が淡い光を帯び、石の扉に彫られた同じ文様と呼応するように輝く。


「おお……光ってるぞ、これ」


 鉄心が目を丸くして拳甲を見つめた。ガルドが打ってくれた星鉄鋼の拳甲は、まるで生き物のように熱を持っている。


 扉が動いた。


 重い石が軋む音が地下に響き渡る。数千年の封印が解かれるように、扉は左右にゆっくりと開いていく。隙間から吹き出す風は、土と鉄と——かすかに血の匂いを含んでいた。


「……もう、いちいち驚く気力もありませんよ」


「いや、今回は触っただけだぞ?」


「ええ。触っただけで数千年の封印を解くんですから、余計に性質が悪いんです」


 セレナは溜息をつきながら、松明を掲げて扉の向こうを照らそうとした。と、その時——杖の先端が微かに明滅した。


「——魔法が使える?」


 セレナが目を見開いた。枯死域に入ってから完全に沈黙していた杖が、遺跡の内部で息を吹き返している。壁面に刻まれた古代の紋様が、うっすらと光を帯びていた。


「壁の紋様が……マナを保持しているのか。古代の封印技術で、この空間だけ枯渇を免れている」


 セレナは杖の先に魔法光を灯した。青白い光が扉の向こうを照らし出す。


 鉄心は息を呑んだ。



  ◇



 広大な地下空間が、眼前に広がっていた。


 天井は見上げても闇に消えるほど高く、壁面全体が一枚の巨大な壁画で覆われている。セレナの魔法光だけでは全容を捉えきれない。だが、照らされた部分だけでも、鉄心の足を止めるには十分だった。


 鎧を纏わない男たちが描かれている。


 素手で。素足で。巨大な獣と相対する戦士たちの姿。ある者は獣の顎を素手でこじ開け、ある者は跳躍して爪を掴み、ある者は拳ひとつで大地を砕いている。


「——これ」


 鉄心の声が掠れた。


「ノーマジック区画で見た、あの壁画と——」


「同じ様式ですね。ですが規模が桁違いです」


 セレナが壁画に近づき、指で表面をなぞった。石に直接彫り込まれた線は、数千年の時を経てなお鮮明だった。彩色に使われた顔料は鉱物由来のものらしく、魔法光に照らされて微かに輝いている。


「あの壁画は断片でした。おそらく、ここが本来の——」


「本拠地ってやつか」


 鉄心は壁画の前に立ち尽くしていた。


 描かれた戦士たちの体格は、鉄心と似ていた。太い腕、厚い胸板、大地を踏みしめる脚。魔法使いの華奢な体とは対極にある、鍛え抜かれた肉体。


 前世で体育教師をしていた頃、筋肉は当たり前のものだった。この世界に来てから、ずっと「異常」と呼ばれ続けてきた。


 だが、ここには——同じ体を持つ者たちがいた。


 胸の奥が、じわりと熱くなる。


「……なんだろうな。初めて来た場所なのに」


 拳甲を嵌めた右手を、壁画の戦士に重ねるように持ち上げた。


「懐かしい気がする」


 その時、足元が震えた。


 低い地鳴りが空間全体を揺るがし、天井から砂と小石がぱらぱらと降ってくる。壁画の戦士たちが、振動に合わせて揺れているように見えた。


「——退がって!」


 セレナが叫んだ。鉄心は咄嗟にセレナの肩を掴み、落石から庇うように背を向けた。拳大の石が鉄心の背中に当たり、弾ける。


 数秒で揺れは収まった。


「大丈夫か、セレナ先生」


「……ええ。ですが、この遺跡は安定していません。数千年の封印が解かれた影響でしょう。急ぎましょう」


 鉄心は頷き、埃を払って奥へ進んだ。



  ◇



 奥に進むと、石のテーブルが現れた。


 埃と時間の堆積に覆われた台座の上に、数枚の石板と、驚くほど保存状態の良い羊皮紙が並んでいる。セレナは石板に刻まれた文字を見た瞬間、足を速めた。


「古代エルドラ文字……これは、学院の禁書庫にあるものよりさらに古い」


「読めるのか?」


「完全にとは言えませんが。この文字体系は教務主任時代に研究していました」


 セレナの目が、学者のそれに変わっていた。普段の疲れた表情が消え、食い入るように石板を読み解いていく。鉄心はその横に立ち、黙って待った。セレナがこういう顔をする時は、邪魔をしてはいけない。それくらいの空気は、さすがの鉄心にも読める。


 数分が経った。地下の静寂の中で、セレナの呼吸だけが聞こえる。


「——『魔力循環の理』」


 セレナが呟くように言った。石板から目を離さないまま、その指が次の行へ滑っていく。


「何だそれ?」


「この石板の題名です。ここにはこう書かれています——『世界のマナは天体から供給される有限の資源であり、過剰な消費は枯渇を招く』」


 鉄心は首を傾げた。難しい話は苦手だ。だが——。


「つまり……魔法を使いすぎると、いつかなくなるってことか?」


「……ええ。端的に言えば、その通りです」


 セレナの声に、普段の皮肉が混じっていなかった。それが、この発見の重大さを物語っている。


 辺境で見た魔法インフラの劣化。マナ枯死域の拡大。月の異変。すべてが、この石板の警告と符合する。


「数千年前の文明が、すでにこの事実を知っていた……」


 セレナが次の羊皮紙を広げた。革の匂いが鼻腔を刺す。古いが、腐敗はしていない。何らかの保存処理が施されていたのだろう。


「『肉体練成の書』——これは技法書です」


「技法?」


「体内の微量マナを、筋繊維を通じて増幅する古代の修練法。名前は——」


 セレナが一度言葉を切り、鉄心を見た。


「——『練筋術』」


 その名を口にした瞬間、鉄心の体が反応した。


 全身の筋繊維が一斉に震え、皮膚の下を光の筋が走る。武闘大会の決勝で無意識に発動した、あの現象と同じだ。だが今回は、比較にならないほど強い。


「うおっ——!」


 鉄心が驚いて自分の腕を見下ろした。血管に沿うように淡い金色の光が流れ、遺跡の空気そのものが鉄心の体を包み込んでいる。壁画の戦士たちが描かれた石壁からも同じ波動が返ってくる。


「セレナ先生、これ——」


「動かないで。記録します」


 セレナが杖を構え、鉄心の体から発せられるマナの波形を記録し始めた。手帳を広げる手が、はっきりと震えている。


「闘技場の地下で感知した古代紋様の反応と同一パターン。ですが出力が桁違い……教科書にあった古代魔法陣の模様、拳甲の紋様、そしてこの遺跡——全てが同じ技術体系に属している」


 セレナの声が早くなっていた。


「古代の技術は、魔法と筋力を分離していなかった。両方を包含する、統一された体系だったんです。魔法至上主義が失わせたのは、その半分——肉体の技術だった」


 鉄心には理論は分からない。だが、体が覚えている。この光も、この熱も、限界まで追い込んだ時の感覚に似ていた。


 筋肉の一本一本が歓んでいる。そうとしか表現できなかった。


「……なあ、セレナ先生」


「何ですか」


「俺がこの世界に来たのって、たぶん——」


 言いかけて、今度は止めなかった。


 枯死域の村で見た、子供たちの不安そうな目。水汲みも、薪割りも、魔法なしではどうにもならない大人たちの無力。あの時、自分が井戸の水を汲んで薪を割っただけで、村の空気が変わった。ただ力があるだけで——誰かの一日が救われた。


「……俺、筋肉バカだからさ。難しいことは分かんねえ。でも」


 壁画の戦士たちを見上げた。彼らは獣と戦っていた。だがその背中の向こうに——守るべき人々がいたはずだ。


「この力が誰かの役に立つなら、それでいいかなって。昔いた場所じゃ、子供たちに体の動かし方とか教えてたんだ。大したことじゃねえけど、できなかったことができた時のあいつらの顔は——覚えてる」


 拳甲を握り締めた。金色の光が、拳の形に沿って脈打っている。


「ここにも、教えられることがあるかもしんねえ。筋トレの仕方とか、重い物の持ち方とか——魔法がなくても生きていける方法ってやつを」


 セレナは鉄心を見つめた。何かを飲み込むように、一度だけ瞬きをした。


「……あなたが真面目なことを言うと、調子が狂いますね」


 だがその声は、いつもより柔らかかった。



  ◇



 光が収まった後、セレナは石板の解読を続けた。


 鉄心は壁画の前に座り込み、描かれた戦士たちを見上げていた。拳甲の温もりが、まだ残っている。長老が語った「地の底の民」——忽然と姿を消し、代わりに魔法の時代が始まったという伝承。あの壁画の巨人たちと、ここに描かれた戦士たち。


 すべてが繋がり始めている。


「鉄心」


 セレナの声に、鋭い緊張が混じっていた。


 振り返ると、セレナは石板の最後の行を指差していた。顔色が変わっている。魔法光に照らされた横顔は青白く、唇が一度、音もなく動いてから——声になった。


「石板の最後の一行です。読み上げます」


 遺跡の壁面を走る紋様が、微かに明滅した。まるで古い記憶が呼び覚まされるように、光の波紋が石の扉のほうへゆっくりと伝っていく。


「——『されど大いなる喰らい手が目覚めし時、星の力は尽き果て、拳の王のみが闇に抗う』」


 鉄心は立ち上がった。壁画の戦士たちが、光の残滓に照らされて揺れている。


「……拳の王」


 その言葉を、噛み締めるように繰り返した。


 拳甲が——応えるように、一度だけ熱を帯びた。

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