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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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認めぬ者、認められし者

 ヴァルターの声が、闘技場の空気を塗り替えた。


「この決勝戦の結果を——無効とする」


 砂塵の匂いが鼻腔に残っている。汗と焦げた石の混じった、戦いの残り香。闘技場の石畳はひび割れ、古代紋様の輝きはとうに消え、黄昏の陽が斜めに差し込んでいた。


 数千人の観客が、言葉を失った。


 鉄心は片膝をついたまま、顔を上げた。体中に焼きついた雷の紋様が、心臓の鼓動に合わせてまだ微かに明滅している。拳甲は罅割れ、肩の傷口からは血が滲んでいる。だが、聞こえた。確かに聞こえた。


「魔法を一切使用しない勝利は、武闘大会の趣旨に反する」


 ヴァルターの声は低く、重く、闘技場の隅々にまで染み渡った。貴賓席に立つその姿は、白髪が夕陽に透けて燃えるように見える。


 一拍の、凍りついた静寂。


 そして——観客席のあちこちで、椅子が蹴倒される音が響いた。


「ふざけるんじゃねえ!」


 ガルドの声だった。観客席から身を乗り出し、顔を真っ赤にして叫んでいる。太い腕が手すりを叩き、木材が悲鳴を上げた。


「あの勝負を見とらんかったのか! 正々堂々の一騎打ちだぞい!」


 ノーマジック区画から、子供の泣き声が上がった。小さな手で目をこすりながら、必死に声を絞り出す。


「おっちゃんが勝ったのに……なんで……」


 カイルが拳を握りしめ、歯を食いしばっていた。唇が白い。


「こんなの、理不尽だ……!」


 声は観客席のあちこちから湧き上がった。ブーイングが波のように広がり、足踏みが闘技場を揺らす。ヴァルターの計算外だった。市民の怒りは、想定を遥かに超えていた。


 貴賓席の一角で、魔力至純派の議員たちが満足げに頷いている。だがその隣で、リリアーナが唇を震わせた。


「学院長、それは……」


 言いかけて、飲み込んだ。銀髪が揺れ、碧い瞳に浮かんだのは怒りだった。握りしめた手の甲に、爪の跡が白く残る。


 ヴァルターは微動だにしない。


「認めん」


 低い声が繰り返された。


「——断じて認めんぞ。筋力ごときが魔法を超えるなど」


 その瞬間、セレナだけが見ていた。ヴァルターの右手が——微かに震えていることを。怒りではない。恐れでもない。もっと複雑な何かが、老人の指先を揺らしていた。


 セレナの脳裏に、かつての授業での言葉がよぎった。公式には、魔力なしで学んだ記録は一つもない——あのとき含みを持たせた声の意味が、今になって繋がる。鉄心の勝利もまた、「公式には」存在を許されないのだ。



  ◇



 怒号と嘆きが渦巻く闘技場の中央で、鉄心はゆっくりと立ち上がった。


 全身が軋んだ。雷に焼かれた筋肉が悲鳴を上げ、罅割れた拳甲の破片が砂の上にぱらぱらと落ちる。体中に刻まれた紋様が、夕陽の下で赤黒く浮かんでいる。


 砂埃を、ぱんぱんと払った。


 その動作があまりにも普通で、観客席の怒号が一瞬途切れた。


「まあいいよ」


 鉄心が言った。笑っていた。いつもの、あの屈託のない笑顔だった。


「楽しかったし」


 声は大きくなかった。だが不思議と、闘技場の空気を静かに塗り替えた。怒りに満ちていた数千人の呼吸が、ふっと止まる。


 ガルドが口を開けたまま固まった。カイルの拳が、緩んだ。リリアーナの息が、知らず止まっていた。


 鉄心は闘技場の壁際に目を向けた。意識を失ったエリオットが、医療班に囲まれて横たわっている。蒼い髪が砂にまみれ、整った顔は蒼白だった。


 鉄心は歩き出した。一歩ごとに体が重い。雷で焼かれた足が震える。だが一歩、また一歩。


 エリオットの傍らにしゃがみ込み、砂だらけの手を差し出した。


「お前との試合、最高だった」


 エリオットの瞼が、微かに震えた。意識はまだ戻らない。だが鉄心はそのまま手を差し出し続けた。まるで、いつか必ず握り返されると知っているかのように。


 ふと、視界の端にノーマジック区画の子供たちが映った。泣きじゃくっていた子供たちが、真っ赤な目で鉄心を見つめている。その眼差しに、鉄心の胸の奥が不意に疼いた。


 ——前世で、体育教師だった頃。


 運動会のリレーで転んだ生徒が、泣きながらこっちを見ていた。あのとき自分は何と言った? そうだ。「立てるか」と手を差し出して、「走れるなら最後まで走れ。俺が見てるから」と言ったのだ。あの子は泣きながらゴールまで走り切って、翌日から毎朝グラウンドを走るようになった。


 あの頃は、ただ強いだけじゃ足りないと知っていた。大事なのは、見せることだ。立ち上がる姿を。走り続ける背中を。それが誰かの足を動かす。


 ——なんだ。思い出したら、簡単なことだったな。


 鉄心はゆっくりと立ち上がり、ノーマジック区画の子供たちに向かって、拳を突き上げた。ボロボロの腕で、それでもまっすぐに。


「——おう。泣くな」


 声は掠れていたが、届いた。


「転んでも立ちゃあいい。立てる足があんなら、立て」


 子供たちの涙が止まったわけではなかった。だが何人かが、小さな拳を握りしめていた。


 静寂が、破れた。


 最初は一人だった。ノーマジック区画の、泣いていた子供が叫んだ。


「てっしんー!」


 次に隣の大人が続いた。そして波が広がった。


「「「鉄心! 鉄心! 鉄心!」」」


 拍手が、足踏みが、名を呼ぶ声が、闘技場を震わせた。結果は無効とされた。だが数千人の記憶から、あの戦いを消すことは誰にもできない。


 鉄心は照れくさそうに頭を掻いた。


「いやあ、そんな大げさな……」


 ガルドが観客席から飛び降り、カイルと共に駆け寄った。


「この大馬鹿者が! 体ボロボロじゃねえか!」


 ガルドが鉄心の腕を肩に担ぎ、カイルが反対側を支えた。鉄心は二人に寄りかかりながら、なおも笑っている。


「ガルドさん、拳甲壊しちまった。悪い」


「馬鹿言え。直してやるから黙って歩くんじゃ」


 三人がゆっくりと退場口へ向かう。その背中を、リリアーナが胸を押さえたまま見送っていた。言葉が出ない。ただ胸の奥が熱くて、苦しくて——でも不思議と、嫌な熱さではなかった。


 セレナが静かに立っていた。腕を組み、目を細め、退場していく三人の背中を見つめている。その視線には、計算も分析もなかった。純粋な敬意だけが、そこにあった。


 貴賓席で、ヴァルターは椅子に座り直していた。その表情は複雑だった。怒りでも安堵でもなく——遠い昔を思い出しているような、そんな顔をしていた。視線の先で、鉄心の広い背中が退場口の闇に消えていった。



  ◇



 数日が過ぎた。


 王都の酒場には、新しい話題が転がり込んでいた。


「聞いたか? 武闘大会の決勝で、魔法を一切使わずに勝った男がいるらしい」


「ああ、拳一つで最上位雷魔法を耐え抜いたとか。嘘だろ、そんなの」


「嘘じゃねえよ。俺の知り合いが見てた。闘技場の壁が吹っ飛んだらしい」


 市場では、八百屋の親父が客に語り、客が隣の露店で繰り返した。


「筋肉の英雄、って呼ばれてるそうだ」


「学院長が結果を取り消したんだろ? それがまた反感買ってよ」


「ノーマジックの子供たちの間じゃ、もう英雄扱いだとさ」


 噂は風のように広がった。尾ひれがつき、鉄心が闘技場を素手で破壊しただの、雷を掴んで投げ返しただの、荒唐無稽な話も混じっている。だが核心は変わらない——魔力ゼロの男が、魔法の頂点に立つ者と互角以上に戦った。


 そしてその結果を、権力が握り潰した。


 民衆の記憶は、権力よりしぶとい。


 学院もまた、穏やかではなかった。鉄心には三日間の謹慎処分が正式に通達され、訓練場の使用を禁じられた。廊下ですれ違う生徒の視線は二種類に分かれていた——敬意を込めて頷く者と、露骨に顔を背ける者。学院は静かに、しかし確実に、亀裂を深めていた。



  ◇



 深夜。


 学院長棟の書斎に、蝋燭の灯りが揺れていた。古い羊皮紙と埃の匂いが、重い空気に溶けている。


 ヴァルターの机の上に、砕けた拳甲の欠片があった。決勝戦の夜に回収させて以来、ずっとそこに置いてある。数日の間に何度手に取ったか知れない。だが今夜、ヴァルターはそれに触れなかった。


 代わりに、古い禁書を開いた。革の表紙は擦り切れ、頁は黄ばんでいる。『肉体練成者の記録』——三千年前に封印された文献。


「あの光は……」


 ヴァルターの声が震えた。頁をめくる指が止まる。


「練筋の光は、制御できぬまま覚醒させれば世界を滅ぼしかねん」


 視線を上げた。書斎の窓から見える月が、不自然に暗く明滅していた。辺境で報告されていた異常——魔法が効きにくくなる現象。あれは、ここまで迫っているのか。


「魔力の枯渇が、始まっている」


 視線が、机上の欠片に落ちた。星鉄鋼の断面が蝋燭の光を受けて鈍く光っている。あの拳の熱が、まだ残っているかのように。


「あの男が鍵になるのか。それとも——」


 言葉は、闇に溶えた。



 同じ頃、王都の裏路地。


 湿った石壁の隙間から、黒い外套の男が滑り出た。松明の光を避け、影から影へ。手にした密書には、魔力至純派の紋章が押されている。


 男は路地の奥で待つ別の影に、密書を差し出した。


「命令だ」


 声は低く、感情がなかった。


「筋肉の英雄を——排除せよ」


 影が頷き、闇に消えた。


 裏路地に残ったのは、湿った石と、微かな殺意の気配だけだった。



 学院医務室の白い天井を、エリオットはぼんやりと見つめていた。体中に巻かれた包帯が、寝返りのたびに引きつれる。


 瞼の裏に、あの光景が焼きついている。黄金の光を纏った拳。砕けた自分の障壁。そして——意識が途切れる寸前に見た、あの笑顔。


「あの男に」


 乾いた唇が、かすれた声を紡いだ。


「……もう一度、会いたい」


 天井の灯りが、静かに揺れていた。

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