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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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36/67

お前、強いな

 氷片が舞う闘技場に、鉄心の声だけが残響する。


「お前の魔法、すっげえ綺麗だった」


 その言葉が、リリアーナの胸を貫く。


 ——なに、を。


 膝が震える。碧い瞳に映るのは、血にまみれた巨躯。額から頬へ、顎から首筋へ。赤い筋が幾本も走り、それでもなお、あの男は笑っている。


 馬鹿みたいに。真っ直ぐに。


 だが今のリリアーナに、立ち止まっている余裕などない。


 残った魔力は、もう一撃分。


 両手を前に突き出す。指先に集まる冷気が、空気中の水分を瞬時に凝結させる。


「……まだ、ですわ」


 声が掠れる。喉の奥が、ひりつく。


「わたくしは——まだ負けてませんわ!」


 氷の槍。純白の魔力を凝縮した、一条の光。


 それはリリアーナ・フォン・アルカディアの全てだった。名門に生まれ、天才と呼ばれ、誰よりも高みに立つことを義務づけられた少女の——最後の意地。


 鉄心の心臓を、真っ直ぐに狙う。


 ——避けて。


 心の奥で、そう叫ぶ自分がいる。


 ——でも、避けないで。


 矛盾した祈りが交錯した刹那。


 氷の槍が、空気を裂く。


 鉄心は——動かない。


 避けない。


 右肩に、氷の穂先が突き立つ。肉を裂き、筋繊維に食い込む鈍い衝撃。鉄心の口から短い呻きが漏れる。


 だが、足は止まらない。


 一歩。石畳を踏みしめる音が、静まり返った闘技場に響く。


 二歩目で——膝が折れかける。氷竜のブレスで全身に蓄積した凍傷が、限界を訴えている。指先の感覚はとうに消えている。肩から流れる血が、凍った腕の上で赤黒い氷になる。


 視界が白く霞む。


 ——ああ、これ。


 前世の最期と、同じだ。


 体育祭の準備中、落ちてきた鉄骨から生徒を庇った瞬間。視界が白くなって、音が遠くなって、それでも身体だけは動いた。あの時と——同じ感覚。


 違うのは、今は死なないこと。今は、まだ立てること。


 三歩目を——踏み出す。膝が軋む。だが、立つ。


 リリアーナの眼前。


 拳を、握らない。


 構えも、取らない。


 ただ、満面の笑みで。


「お前、強いな!」


 声が弾ける。痛みなど存在しないかのように。


「今まで戦った中で——一番すげえよ!」


 リリアーナの世界が、止まった。



  ◇



 観客席が凍りついている。誰一人、言葉を発せない。


 セレナは両手を組んだまま、息を詰めて見守る。隣のガルドが腕を組み、髭の奥で口元を引き結ぶ。


 闘技場の中央で、二人が対峙している。


 ——認めてくれた。


 リリアーナの唇が白くなるほど、強く噛みしめられる。奥歯が軋む。それでも溢れてくる感情を、歯を食いしばって押し留める。


 誰もが「天才」と呼んだ。「首席」と称えた。でもそれは、リリアーナ個人ではなく、アルカディア家の看板を褒めていただけだ。華奢な身体に宿る魔力の量を測り、数字を賞賛しただけ。


 この男は——違う。


 リリアーナが費やした夜を。歯を食いしばって練り上げた氷竜を。限界まで魔力を絞り出した最後の槍を。


 「すげえ」と。


 体格でも、血統でも、魔力量でもなく。ただ純粋に——「強い」と。


 唇が、震える。


「……負け、ました——」


 声が途切れる。喉の奥が詰まって、言葉が出てこない。


「負けましたわ」


 言い直す。でも、もう取り繕えない。視界の端が滲みかけるのを、天を仰ぐことで堪える。


 リリアーナは右手を上げ、降参の意思を示す。


 一瞬の沈黙。


 そして——闘技場が、爆発した。


 怒号にも似た歓声が石造りの壁を震わせる。観客が立ち上がり、拳を突き上げ、名前を叫ぶ。鉄心の名を。リリアーナの名を。


 審判が勝者を告げる声は、歓声に呑まれてほとんど届かない。


 鉄心は肩に刺さった氷の槍を掴み、一息に引き抜く。血飛沫が散る。顔色一つ変えず、にかっと笑う。


「いい試合だった。ありがとな、リリアーナ」


「……礼を言うのは、こちらの方ですわ」


 目を逸らす。これ以上この男の顔を見ていたら、ここで崩れてしまう。


 背を向けて、歩き出す。足が重い。魔力の枯渇で身体が鉛のように沈む。


 退場口の手前で、人影が待っている。


「素晴らしい試合でした」


 セレナの声は、いつもの疲れた調子ではなかった。穏やかで、確かな敬意がこもっている。


「——リリアーナさん。あなたの氷竜は、私の戦闘魔法の授業の範疇を超えています。いつの間にあそこまで……」


 リリアーナは足を止める。視線を上げられない。上げたら、溢れる。


「……ええ、悔しいですけれど」


 微笑む。口元だけで。


「あの人には、勝てませんでしたわ」


 セレナが何か言いかけたのを遮るように、リリアーナは歩き出す。控室への通路は薄暗く、冷えた石壁の匂いが充満している。松明の炎が、壁に揺れる影を落とす。歓声が、遠ざかっていく。



  ◇



 控室の扉を閉める。


 鍵をかけた瞬間、膝から崩れ落ちる。


 冷たい石の床に両手をつく。指先が凍傷で赤く腫れている。自分の氷魔法で——皮肉な話だ。


 声を殺して泣く。


 悔しさじゃない。


 負けたことが悔しくないわけがない。首席の誇りは、確かに傷ついている。でもそれを遥かに超える何かが、胸の奥を満たしている。あたたかくて、苦しくて、名前のつけられない感情。


 ——初めてだった。


 体格の差を笑わない人。魔力量の数字で人を測らない人。ただ全力でぶつかって、全力で認めてくれる人。


 華奢な身体がコンプレックスだった。貴族の令嬢として当然の体型なのに、どこかで自分の魔法が「身体の弱さを補うための手段」でしかないと感じてきた。強くありたい——でも、この細い腕で何ができる。


 あの男は、そんなことは一切見ていなかった。


 涙が止まる頃、リリアーナは自分の右拳を見つめる。小さな、白い拳。爪の先が微かに欠けている。昨夜の——秘密の腕立て伏せの名残。以前なら十回で潰れた腕が、昨夜は三十回を超えた。


「もっと……」


 声が零れる。


「もっと、強くなりたい」


 魔法だけじゃなく。この身体でも。あの男の隣に立てるくらいに。


 拳を、握りしめる。今度は——痛みすら心地よかった。



  ◇



 闘技場の反対側。控室の壁にもたれた鉄心は、肩の傷に包帯を巻いている。医療班の治癒魔法を「大したことないっす」と断った結果、自分で処置する羽目になった。包帯の巻き方だけは、体育教師時代に嫌というほど練習した。


 汗が引いて、肌寒さが戻ってくる。石壁から伝わる冷気が、傷口にじんわり沁みる。


 包帯を結びながら、リリアーナの最後の氷の槍を思い出す。


 ——あれは、本物だった。


 前世で教え子たちの試合を何百と見てきた。投げやりな一撃と、全てを懸けた一撃の違いくらいは、教師を十年やっていれば嫌でもわかるようになる。リリアーナのあの槍は——技術でも魔力でもなく、意地そのものだった。


 ふと、手が止まる。


 教師時代、インターハイの決勝で負けた教え子がいた。試合後、体育館の裏で泣いていた。あの時、自分はなんと声をかけたか——思い出せない。気の利いたことを言えた記憶がない。ただ隣に座って、一緒に黙っていただけだ。


 あの子は今、どうしているだろう。


 もう自分がいない世界で。


 ——考えても仕方ないか。


 鉄心は軽く頭を振る。だが、胸の奥に沈んだ重さは、すぐには消えなかった。


 扉が、軽く叩かれる。


「開いてるぞー」


 気楽に応じると、扉が音もなく開く。


 入ってきたのは——見覚えのない男。


 すらりとした長身。整った顔立ちに、感情の読めない蒼い瞳。金の髪が肩にかかり、纏う空気が根本から異質だった。闘技場の喧騒を完全に遮断したかのような静寂が、男の周囲だけに漂っている。


 鉄心の鼻先を、オゾンに似た刺激臭が掠める。


 ——雷の、匂い。


 肌が粟立つ。背筋に走る感覚は恐怖ではない。もっと原始的な——獣が天敵を前にした時の、本能的な警戒。


「剛田鉄心」


 男が名を呼ぶ。声は低く、抑揚がない。


「次の相手だ。エリオット・ヴァン・クレスト」


 鉄心は包帯を巻く手を止め、相手を見上げる。蒼い瞳の奥で、微かな光が明滅している。静電気ではない。もっと根源的な——神経の芯を直接揺さぶるような圧。


「俺の雷は、氷とは違う」


 エリオットの声に、感情はない。ただ事実を述べるように、淡々と。


「避けられないし、耐えられない」


 沈黙が落ちる。控室の空気が、ぴりぴりと帯電していく。


 鉄心の肩の傷口が——痺れた。包帯の上から、ぴりっと。


 神経に、直接。


 鉄心の目が、細くなる。


 この男は、触れてもいないのに——身体の内側に干渉してくる。今までの魔法使いとは、根本的に何かが違う。


 さっきまでの感傷が、嘘のように引いていく。代わりに背筋を這い上がるのは、身体の芯が熱くなるような——闘争本能。


「じゃあ耐えてみせるよ」


 鉄心は、笑った。


「楽しみだな」


 エリオットの蒼い瞳が、一瞬だけ揺れる。何かを測るような——あるいは、理解できないものを見つめるような。


 何も言わず、男は背を向けた。扉が閉まる。


 残された控室の空気に、オゾンの残り香だけが漂う。


「……おお」


 鉄心は痺れの残る肩を押さえ、天井を仰ぐ。


 口元の笑みは消えない。だが瞳の奥に、これまでにない鋭い光が宿る。


 拳甲に手を置く。星鉄鋼の表面は冷たく沈黙している。リリアーナとの戦いで纏った蒼い光は、もう消えていた。


 次の相手は、笑っていられないかもしれない。


 ——いや。


 鉄心は拳を握り直す。


 笑って戦う。それが、剛田鉄心だ。

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