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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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拳鳴る闘技場

 石と鉄で組まれた闘技場が、地鳴りのような歓声に包まれていた。


 数千の観客席を埋め尽くす人々の熱気が、秋の陽射しと混じり合い、闘技場の空気を蒸し上げている。汗と砂埃、それに屋台から漂う焼き肉の匂い。グランドール魔法学院の武闘大会は、学院行事でありながら王都の市民にも開放される年に一度の祭典だった。


 ただ——空を見上げれば、祝祭の陰りが見えた。昼だというのに左の月がうっすらと浮かんでいる。以前よりさらに光を失い、輪郭すら曖昧になった蒼白い円盤。闘技場を覆う防護結界が一瞬だけ明滅し、維持術師が慌てて術式を補修していた。気づいた者は少ない。祭りの喧騒が、空の異変を塗り潰している。


 選手控えの通路から、鉄心は闘技場を見上げた。


「でけえなぁ……」


 素直な感想が口をついて出る。前世の体育館とは比べ物にならない。円形の闘技場は直径五十メートルはあり、すり鉢状の観客席がそれを取り囲んでいる。最上段には金の装飾が施された貴賓席が設けられ、そこにはすでに学院の重鎮たちが着席していた。


「次の試合、Bブロック第三試合。剛田鉄心——対——ベルント・ファイゼン!」


 アナウンスの魔法増幅が闘技場に響き渡った瞬間、笑い声が波のように広がった。


「魔力ゼロの男だろ? 見世物枠か?」


「賭けにもならねえよ。一秒で終わる」


 貴族席から投げつけられる嘲笑。鉄心の耳にはっきりと届いていたが、気にした様子もなく、腕を大きく回して肩をほぐした。


「よし、体はあったまってるな」


 星鉄鋼の拳甲が、陽光を受けて鈍く輝く。ガルドが魂を込めて鍛え上げた、鉄心だけの武器。表面に刻まれた細かな紋様が、鍛冶の槌目とも古代文字とも見える独特の意匠を帯びている。


 闘技場に足を踏み入れると、砂が靴底で軋んだ。対面には、赤いローブを纏った青年が杖を構えて立っている。中級魔法使いベルント。自信に満ちた笑みを浮かべていた。


「悪いが、手加減はしない。一瞬で終わらせてやる」


「おう! よろしくな!」


 鉄心の屈託のない笑顔に、ベルントが一瞬面食らう。だが次の瞬間、審判の合図が落ちた。


「——『紅蓮弾』!」


 ベルントの杖先から、拳大の火球が三発、立て続けに放たれた。続けて詠唱を重ね、風の刃が鉄心の退路を断つように弧を描く。火と風の連携攻撃。中級魔法使いとしては見事な戦術だった。


 鉄心は——笑った。


 右の拳甲で一発目を弾く。二発目、三発目も叩き落とす。金属と炎がぶつかるたび甲高い音が闘技場に鳴り響き、火の粉が鉄心の頬をかすめた。


「は——?」


 ベルントの目が見開かれる間もなく、鉄心は風刃の中を突っ切っていた。鋼のように鍛え上げられた筋肉に浅い切り傷が走る。だが足は止まらない。


 砂を爆ぜさせる踏み込み。一歩で間合いが消えた。


 ベルントが防御魔法を展開しようと杖を振り上げた時には、もう遅い。


 鉄心の右肩が、ベルントの胸元に叩き込まれた。百十キロの体当たり。


 ドォンッ!


 重い衝突音とともにベルントの体が宙を舞い、五メートル後方に吹き飛ばされた。闘技場の結界に激突し、ずるずると地面に崩れ落ちる。


「——場外! 勝者、剛田鉄心!」


 静寂が降りた。


 数千人の観客が、一人残らず口を閉ざしていた。鉄心は首を傾げて観客席を見上げる。


「あれ、なんか静かだな」



  ◇



 観客席の一角で、カイルは握りしめた拳を膝の上に置いたまま、動けなくなっていた。


「すげえ……」


 声が勝手に漏れた。隣のクラスメイトたちも同様に硬直している。


「おい、今のマジか?」


「火球を……拳で弾いた?」


「風刃の中を走ったぞ、あの人」


 ざわめきが少しずつ戻り始める。だが先ほどまでの嘲笑とは質が違った。困惑と、認めたくない驚嘆が入り混じっている。


 カイルの視線が、ふと平民席の端に移った。そこには見覚えのある子供たちがいた。ノーマジック区画の子供たち——マルコを中心に、十人ほどが身を寄せ合うように座っている。小さな手で作った横断幕には、下手くそな文字でこう書かれていた。


『がんばれ てっしん兄ちゃん!』


 マルコの目が、闘技場の鉄心をまっすぐに見つめている。その瞳には、嘲笑も困惑もなかった。ただ純粋な期待と、信頼だけが宿っていた。



  ◇



 Bブロック第七試合。鉄心の予選第二戦。


 対戦相手のディルクは、第一試合の結果を見て戦略を変えてきた。


「近づかせなければいい。それだけのことだ」


 試合開始と同時に、ディルクは三重の魔法障壁を展開した。青白い光の壁が、同心円状にディルクを取り囲む。防御魔法の名手と呼ばれる男の、渾身の布陣。


 鉄心は腕を組んで、光の壁を見つめた。


「ほう。頑丈そうだな」


「来いよ、筋肉馬鹿。この障壁は上級魔法でも破れない。お前の拳なんぞ——」


 バキィッ!


 鉄心の右拳が一枚目の障壁を貫いた。光の壁に亀裂が走り、砕けた破片が蒼い粒子となって闘技場に降り注ぐ。


「——なッ!?」


 ディルクの顔から血の気が引く。だが鉄心は止まらない。


 二枚目。左拳を叩き込む——が、拳が障壁の表面で弾かれた。一枚目より格段に密度が高い。鉄心の体が半歩どころではなく、三歩後退する。拳甲を通じて腕に痺れが走った。


「……おお?」


 鉄心が自分の拳を見下ろした。指先の感覚が鈍い。弾かれた衝撃が肘から肩まで抜けている。前世の記憶がよぎった——コンクリートブロックを素手で殴った時の、あの嫌な痺れ。


「ふん。二枚目からは魔力の圧縮率が違う。力任せで何度殴ろうが同じことだ。大人しく——」


 鉄心はもう一度左拳を振り上げ——途中で止めた。同じことをやっても同じ結果になる。それくらいは分かる。体育教師の経験が言っている。壁に正面からぶつかるな。


 三歩の距離を使って、走った。ただし障壁に向かってではない。障壁の周囲を、円を描くように全力で駆ける。砂が巻き上がり、ディルクの視界を塞いだ。


「な——何を」


 障壁の内側でディルクが首を巡らせる。鉄心の速度は魔法使いの動体視力では追いきれない。風圧だけが障壁の表面をなぶり、青白い光が揺らいだ。


 ——そこだ。


 鉄心は砂に足を沈め、急停止した。全身のバネを一点に集中させ、弾かれた勢いのまま体を回転させた。遠心力を乗せた右の裏拳が、障壁の揺らいだ一点に叩きつけられる。


 ガシャァンッ!


 二枚目が粉砕された。力だけではなく、速度と角度で抉じ開けた一撃。その瞬間——星鉄鋼の拳甲に刻まれた紋様が、これまでにない強さで輝いた。蒼白い光が紋様の溝を走るだけでなく、拳甲全体を薄く包み込むように広がり、数秒にわたって消えなかった。古い文字のような模様が、残像として空中に浮かぶ。


 鉄心自身は気づいていない。だが貴賓席で、ある人物の目が見開かれた。


 三枚目——最後の障壁。


 鉄心は大きく息を吸い、腰を落とした。拳甲の光はすでに消えている。腕の痺れがまだ残っていた。右拳を開閉し、感覚を確かめる。


「……よし。最後の一枚だ」


 今度は拳ではなかった。全身を砲弾のように障壁にぶつけた。百十キロの体重と、爆発的な脚力が生み出す突進。空気が裂ける音がした。


 ドゴォォンッ!


 障壁が砕ける音と、ディルクの体が吹き飛ぶ音が重なった。三重の防御魔法ごと、ディルクは闘技場の石壁まで押し込まれた。壁に背中を打ちつけ、かろうじて意識を保っている。


「ま、まだ——」


「大丈夫か? ちょっとやりすぎたかもな」


 鉄心が駆け寄りながら、右腕を振った。まだ痺れが抜けない。ディルクは何か言おうとして、そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。


「——場外及び戦闘不能! 勝者、剛田鉄心!」


 今度の反応は、第一試合とは違っていた。


 沈黙はなかった。闘技場が真っ二つに割れたのだ。


 平民席から一斉に歓声が上がる。マルコたちが立ち上がり、声を張り上げている。


「てっしん兄ちゃーん!」


「すっげー!」


 だが貴族席からは怒号が飛んだ。


「ありえん! あの拳甲に魔法が仕込んであるんだろう!」


「あんなものは武闘ではない! ただの暴力だ!」


 賛否の怒号が交差し、闘技場は祝祭ではなく論争の坩堝と化していた。


 鉄心は照れくさそうに後頭部を掻いて、子供たちに向かって大きく手を振った。痺れの残る右腕で。



  ◇



 予選全試合が終了し、通過者の名前が闘技場の中央に魔法で投影された。


 光の文字が一つずつ浮かび上がるたび、歓声や溜息が漏れる。だが投影の光が一瞬ちらついた。文字が掠れ、再び浮かび上がる。維持術師が額の汗を拭いながら術式を安定させた。結界も投影も、以前より魔力の消耗が激しい——そんな噂が術師たちの間で囁かれていた。


 そして——


『Bブロック通過:剛田鉄心』


 その名が刻まれた瞬間、闘技場がざわめいた。平民席からは歓声が、貴族席からは困惑の呟きが。


 最上段の貴賓席。金の装飾に囲まれた最奥の席で、ヴァルター・グリムハルトは微動だにしなかった。白髪の大魔導士は、光の文字を無表情に見下ろしている。


「……あの拳甲の光」


 その声は静かだった。隣に控える側近にすら聞こえないほどの。


 ヴァルターの視線は、結果の文字ではなく、闘技場に立つ鉄心の拳甲に注がれていた。二枚目の障壁を砕いた瞬間の、あの光。古代紋様が空中に残像を残した、あの一瞬。


 知っている。あの光を——知っている。


 無意識に、右手が自分の左腕に触れていた。長衣の下、誰にも見せたことのない——若き日に鍛えた名残がまだわずかに残る腕。指先が布越しに筋の痕跡をなぞり、はっとして手を引いた。


「……くだらん」


 だが、いつもならば即座に浮かぶ「認めん」の一言が、今日は出てこなかった。代わりに浮かんだのは、問いだった。


 あの紋様は、なぜ応えた。魔力を持たぬ男の拳に——なぜ。


 ヴァルターは立ち上がり、側近に背を向けた。答えの出ない問いを断ち切るように、白い長衣の裾が翻る。


 貴賓席を出る間際、ふと窓の外に目をやった。昼の空に浮かぶ左の月が、闘技場の歓声など知らぬげに——静かに翳っていた。

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