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魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す  作者: ぽんぽこライフ


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拳と雷の共鳴

 血の味が、口の中に広がっていた。


 鉄心は拳甲を構えたまま、甲殻魔獣の赤い眼を見据えた。星鉄鋼の蒼い光が拳を包んでいる——が、以前とは様子が違った。脈動するだけだった光が、今は拳甲の紋様に沿って流れるように動いている。砕けた地面を青白く照らすその輝きは、明らかに強さを増していた。空気が焦げた匂いを帯びていた。魔獣の体表から滲む瘴気と、壊れた校舎の粉塵が混じり合った、戦場の匂い。


 ——デカいな。


 体育館の屋根より高い。六本の脚は大木ほどもあり、全身を覆う甲殻は黒曜石のように鈍く光っている。魔法が弾かれる装甲。この世界の常識では、倒す手段が存在しない相手。


 だが、鉄心の口角は上がっていた。


「行くぜ——ッ!」


 踏み込みの衝撃が大気を裂いた。地面に放射状の亀裂が走り、鉄心の巨体が弾丸のように射出される。百九十五センチ、百十キロの質量が音速に迫る速度で、魔獣の正面に突っ込んだ。


 右ストレート。


 星鉄鋼の拳甲が甲殻に激突した瞬間——衝撃波が球状に広がった。校舎の窓ガラスが一斉に砕け散り、ガラスの雨が月光を反射してきらめく。


 ミシ、と音がした。甲殻にひびが走っている。


 だが——それだけだった。


「ッ!」


 視界の端で、影が動いた。魔獣の尾が横薙ぎに振り抜かれる。反応が間に合わない。鉄心の体が宙を舞い、校舎の壁に叩きつけられた。


 轟音。壁が陥没し、瓦礫が崩れ落ちる。


「鉄心!」


 リリアーナの悲鳴が遠くで聞こえた。


 粉塵の中、鉄心はゆっくりと立ち上がった。背中に突き刺さった石片を無造作に引き抜き、口の端の血を拳の甲で拭う。


「効いたぜ」


 笑っていた。


「——ってことは、俺のパンチも効いてるってことだ」



  ◇



 二撃目は、狙いを変えた。


 鉄心は魔獣の正面から飛び込まず、斜めに駆けた。六本の脚の動きを見る。前世で体育教師をしていた十二年間、何千人もの生徒の体の動きを観察してきた。足の踏み込み、重心の移動、視線の向き。人でも獣でも、攻撃の前には必ず「予告動作」がある。


 尾が来る——左から。


 鉄心は地面すれすれまで身を沈めた。巨大な尾が頭上を薙ぎ払い、風圧で髪が逆立つ。毛先を数本持っていかれた。


「おっと」


 体勢を低くしたまま、魔獣の腹の下に滑り込む。見上げた甲殻の表面に、不規則な線が走っていた。


 ——継ぎ目だ。


 甲殻と甲殻の境界。そこだけ、わずかに色が薄い。


「見つけた」


 下から突き上げるアッパーカット。拳甲が継ぎ目に食い込み、甲殻が軋む。二撃、三撃。同じ箇所に、正確に叩き込む。ひびが広がっていく。腕の筋繊維が悲鳴を上げるが、構わない。


 魔獣が暴れ、前脚を振り下ろす。鉄心は転がるように回避し、再び距離を取った。


「継ぎ目の隙間に……!」


 リリアーナの声が飛んだ。彼女もまた、鉄心が作った亀裂を見ていた。


「魔法を流し込めれば、内側から——」


「おう! やってくれ!」


 鉄心は振り返らずに叫んだ。リリアーナが何を考えているか、説明がなくても分かった。二週間前、合同課題で背中を預け合った時と同じだ。


 再び突進。魔獣の脚の間を縫い、継ぎ目に拳を叩き込む。今度は右ではなく左。角度を変えて、亀裂を広げる。


 甲殻が割れた。指が入るほどの隙間が開く。


「今ですわ!」


 リリアーナの詠唱が完了していた。指先に収束した雷撃が一条の閃光となり、鉄心が作った亀裂に吸い込まれるように流れ込む。


 外殻からは弾かれる魔法も、内側からなら——効く。


 魔獣が絶叫した。雷鳴のような咆哮が夜空を引き裂き、六本の脚が痙攣する。


 二人の視線が交差した。言葉はなかった。だが鉄心は、リリアーナの碧い瞳の中に、確かな信頼を見た。



  ◇



 しかし、魔獣は倒れなかった。


 内部に雷撃を受けた怒りで我を忘れたように暴れ回る。巨体が校舎の柱に激突し、石造りの壁が崩壊した。天井が落ち、粉塵が爆発的に広がる。


「きゃあっ!」


 悲鳴が聞こえた。避難途中の生徒たちが、崩れた梁の下に閉じ込められている。


 鉄心の足が止まった。


 魔獣を倒すか。生徒を助けるか。


 ——迷いは、一瞬で消えた。


 前世の最期が蘇る。トラックが突っ込んできた交差点。生徒を突き飛ばして、自分が代わりに。考える前に体が動いていた。あの時と、同じだ。


「リリアーナ、三十秒だけ持ちこたえてくれ!」


「——は? ちょっと、あなた何を……!」


「頼む!」


 鉄心は魔獣に背を向けた。全力で瓦礫に駆け寄り、巨大な石の梁に両手をかける。


 重い。推定三トン。だが——。


「うぉおおおおっ!」


 全身の筋繊維が膨張した。血管が浮き上がり、こめかみの血管が脈打つ。腰を落とし、脚で地面を押し、背筋で引き上げる。デッドリフトの要領。梁が持ち上がる。


「今だ、出ろ!」


 閉じ込められていた三人の生徒が、泣きながら這い出してきた。


 その背後で、魔獣がリリアーナに迫っていた。


「防御結界、最大出力……!」


 リリアーナは両手を翳し、半透明の結界を展開した。魔獣の前脚が結界を叩く。衝撃で地面がえぐれ、リリアーナの靴が地面を滑る。歯を食いしばり、細い腕が震える。


 十秒。結界に亀裂が走る。


 二十秒。魔力の残量が底を見せ始める。視界の端が暗くなる。


 二十五秒。結界が——割れかける。


「……間に、合って……」


 膝が折れそうになった。


 その瞬間、背後から熱い風が吹いた。


「待たせたな!」


 鉄心が、戻ってきた。



  ◇



 全身が軋んでいた。腕は鉛のように重く、脚の筋肉は痙攣寸前。だが体育教師は知っている。人間の体は、限界の先にもう一段階ある。


 火事場の馬鹿力。


 いや——それ以上のものが、今の鉄心の中で渦巻いていた。


「リリアーナ、もう一発いけるか!」


 振り返らずに叫ぶ。


「……正気ですの? 魔力はほとんど……」


「ありったけでいい! 俺が道を作る!」


 全身の筋肉を極限まで収縮させた。足の指先から、ふくらはぎ、大腿四頭筋、大殿筋、脊柱起立筋、広背筋、三角筋。全ての筋繊維が一つの動作のために連動する。


 跳んだ。


 足場が粉砕された。地面が液状に波打ち、衝撃が同心円状に広がって周囲の瓦礫を吹き散らす。鉄心の体が砲弾のように打ち上がり、魔獣の頭上を超える。月を背にした巨大なシルエット。空中で体を回転させる。遠心力が加わり、重力が味方につく。


 回し蹴り。


 ——その瞬間、起きた。


 拳甲だけではなかった。鉄心の全身に、光が走った。だが今までとは違う。脈動するだけだった蒼白い輝きが、筋繊維の収縮に呼応して金色の線となり、皮膚の下を血管のように駆け巡る。星鉄鋼の拳甲の紋様が共鳴し、蒼と金が混ざり合って白熱した。


 練筋——三千年前に失われた、肉体が魔力を介さず力を練り上げる技法。その光が、断片ではなく初めて全身を貫いた。


 蹴りが、魔獣の頭部に着弾する。


 同時に——。


「これで……最後ですわ!」


 リリアーナが膝をついたまま、震える両手を突き出した。残る魔力の全てを絞り出した雷撃が、鉄心の蹴りが砕いた亀裂に殺到する。


 練筋の衝撃と、雷撃の貫通。外と内から同時に。


 音は、遅れてきた。


 ドゴォオオオオオンッ!!


 甲殻が内側から爆ぜた。対魔法装甲と呼ばれた漆黒の殻が、内部の雷撃に耐えきれず亀裂から崩壊していく。衝撃波が夜空に柱となって立ち昇り、雲を押し開いた。


 魔獣の巨体が、崩れ落ちた。地響きが学院全体を揺らし、粉塵が霧のように立ち込める。


 鉄心は着地と同時に膝をついた。


 全身が悲鳴を上げている。腕は上がらず、脚は震え、呼吸のたびに肋骨が軋む。


 だが——。


 顔を上げた鉄心は、笑っていた。


 前世の体育祭。リレーのアンカー。ゴールテープを切った瞬間の、あの感覚。やり遂げた者だけが浮かべられる、晴れやかな笑顔。


「……やった、のか?」


 リリアーナが膝をつきながら呟いた。結界を張り続けた両手が小刻みに震えている。碧い瞳に映る鉄心の姿は、粉塵と月光にまみれて輪郭が滲んでいた。


「おう」


 鉄心は親指を立てた。それ以上の言葉は出なかった。


「……ばか」


 リリアーナの声が、かすかに震えた。



  ◇



 静寂が、降りた。


 歓声は——すぐには来なかった。


 避難していた生徒たちが窓から顔を出し、中庭を埋め尽くした魔獣の残骸を見ている。だが誰も声を出さない。半壊した校舎、抉れた地面、月光に浮かぶ二人の姿。それは勝利というより、災害の跡に似ていた。


 最初に動いたのは、瓦礫から助け出された生徒の一人だった。震える足で鉄心に歩み寄り、声にならない声で頭を下げる。続いてもう一人、もう一人。泣いている者もいた。


 歓声が起きたのは、ずっと後だった。それも爆発的な喝采ではなく、安堵のため息が伝播するように、静かに、じわりと広がっていった。


 その喧騒の中——ヴァルターだけが、動けなかった。


 結界装置の前に立ち尽くしている。結界は修復した。学院は守られた。だが、彼の視線は魔獣の残骸にも、生徒たちにも向いていなかった。


 鉄心の体に走った、あの光。


 蒼から金へ。脈動から流動へ。断片的だったものが全身を貫いた、あの瞬間。


 ——練筋の光。


 老いた指が、わずかに震えていた。


「三千年ぶりに、この目で見ることになろうとは」


 声は、誰にも聞こえなかった。


 ヴァルターは踵を返しかけ——そして、止まった。


 懐から、古びた革袋を取り出す。中には拳甲の欠片が入っている。若い頃、まだ魔力が低かった自分が、身体を鍛えることで何かを掴もうとしていた頃の遺物。いつもなら引き出しに戻すだけだ。今夜は違った。


 欠片を握りしめたまま、ヴァルターは自室ではなく——禁書庫へ向かった。


 三千年前の文献が、あそこに眠っている。練筋について記された、最後の記録が。


 認めたわけではない。断じて認めたわけではない。


 だが——知らねばならぬことがある。


 大陸最強の大魔導士は、誰にも見られぬよう、夜の回廊を足早に歩いた。

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