ー外部からの報告ー
王都の朝は、静かすぎた。
統制後の街は整然としている。
露店は許可制、巡回は定刻、鐘は秒単位で鳴る。
誰も騒がず、誰も逆らわない。
秩序は保たれている。
だがそれは、守られているというより――押さえ込まれている静けさだった。
騎士団本部の通信室に、赤封の伝令が届いたのは、その静寂を裂くようなタイミングだった。
「境界外観測所より緊急報告。優先度、第一種機密」
室内の空気が変わる。
書類はそのまま中央機構経由で上層へ回されるはずだった。
だが今日は違った。
「現場判断で先に確認する。記録係、封を切れ」
厚い封蝋が割れる音がやけに大きく響いた。
読み上げが始まる。
「北東境界線、第三観測帯。
過去三週間で敵性存在の発生数、通常比三倍」
ざわめきが起きる。
「続けろ」
「発生位置に規則性あり。
自然発生では説明不能。
複数個体が、同一時間帯に、意図的配置と推定」
レインは壁際で黙って聞いていた。
規則的配置。
その言葉だけで嫌な予感がする。
「さらに――」
読み手が一瞬詰まる。
「観測所は追加で“干渉源の存在”を示唆。
記録番号は……」
紙をめくる音。
「……ここから先は黒塗りです」
室内が静まり返る。
書類の中央、数行分が乱暴に塗り潰されている。
ただ、その上に小さく機構印が押されていた。
中央機構・閲覧制限
「下位閲覧権限では確認不可、とのことです」
誰かが小さく舌打ちした。
「現場は壊滅しているのか?」
「いえ。観測所自体はまだ機能。
ただし周辺住民は避難完了、街区は封鎖」
「討伐要請は?」
「……出ていません」
その一言に、何人かが顔を上げた。
普通なら即討伐だ。
敵性存在が増加し、配置が異常ならなおさら。
なのに。
「中央からの返信は?」
「一通のみ」
短い紙が別に添えられていた。
読み上げられる。
「――状況を継続観測。
討伐行動は許可しない。
追加記録を優先せよ」
沈黙。
「……記録を、優先?」
誰かが呟く。
「敵性存在だぞ。増えてるんだぞ?」
「命令だ」
上官は短く言った。
だがその声にも、わずかな違和感が混じっていた。
レインは視線を落とす。
討伐しない。
封鎖もしない。
ただ観測し、記録を集めろ。
まるで――
最初から予想していた現象を、
予定通り確認しているだけのような命令。
「他の境界は?」
別の報告が重なる。
「南西境界、第五監視線でも同様の増加。
こちらも配置に偏りあり。
報告書には同じく黒塗り」
「同時期か?」
「はい。ほぼ同時」
通信室の壁に貼られた王国地図に、赤い印が二つ打たれる。
北東。
南西。
離れすぎている。
自然発生なら、こんな風には広がらない。
誰も口には出さないが、皆同じことを考えていた。
――誰かが、動かしている。
「現場からの最後の追記があります」
読み手が最後の一枚を持ち上げた。
紙は泥で汚れ、端が焼けている。
「観測員個人記録。正式文書外」
少し迷ってから、読み上げた。
「――街の住民は、最初は逃げていた。
だが数日後、逃げなくなった。
互いに武器を奪い合い、
“資格のある者だけが持て”と言い始めた」
室内の空気が凍る。
「武器を持てない者は、
持てる者の後ろに並び、
命令を待つようになった。
まるで――」
そこで文章は途切れている。
焦げた部分の下に、かろうじて残った一行。
「……裁定されているみたいだった」
紙を持つ手が下ろされる。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
レインの胸の奥に、重い感覚が落ちる。
裁定。
その単語が、妙に引っかかった。
敵性存在が現れただけじゃない。
街そのものが変質している。
人の振る舞いまで。
「この記録は中央に?」
「すでに送付済みです」
「返信は」
「……なし」
短い沈黙。
やがて上官が命じる。
「この件は機密扱い。
通信室外への口外を禁ずる。
追加報告が来次第、即時共有」
「了解」
全員が散っていく。
レインも部屋を出ようとして、ふと足を止めた。
壁の地図を見る。
赤印が二つ。
そして、気づく。
二つの中間地点。
そこに、薄く鉛筆で書かれた小さな記号がある。
正式な印ではない。
誰かが個人的に書いたような印。
近づいてよく見る。
小さな文字。
「……七……?」
完全には読めない。
だがその横に、すぐ消された跡がある。
誰かが書き、すぐ消した。
レインは何も言わず、通信室を出た。
廊下はいつも通り整然としている。
窓の外には、統制された王都の街並み。
平和に見える。
けれど。
(増えてるのに、討伐しない)
(知ってたみたいな命令だった)
胸の奥に残る違和感。
帝国は敵性存在と戦っている。
そう思っていた。
でも、もし。
戦っているんじゃなく――
観測しているだけだとしたら。
レインは歩きながら、小さく息を吐いた。
王都の鐘が鳴る。
正確な時刻を告げる音。
狂いのない、完璧な統制の音。
その音が、今日は妙に遠く聞こえた。




