ー影の指令ー
帝都中央通信塔。
騎士団本部の最上階にあるその部屋は、
窓があるのに外の景色が見えなかった。
遮光板でも霧でもない。
視界を拒む錬金膜。
ここで交わされる命令は、
記録されず、
追跡されず、
そして——説明されない。
⸻
レインは静かに入室する。
既に数名の上級騎士と参謀が並んでいた。
中央には立体投影の地図。
赤い光点が一つ、ゆっくり点滅している。
副官が短く告げる。
「本作戦は特別統制命令下に入ります」
「発令元は?」
レインが問う。
参謀がわずかに視線を逸らした。
「……中央機構」
「具体部署は」
一拍。
「上位承認コードのみ開示」
つまり。
誰が命じたのかは、知らなくていいという意味だ。
⸻
投影が変わる。
地下構造図。
旧都市層。
封鎖済みのはずの区域。
赤い光点はその最深部にあった。
「目標は?」
「未確認物体」
参謀が続ける。
「名称仮称——中枢鍵」
その単語に、
レインの指がわずかに動く。
「機能は不明。ただし」
画面が切り替わる。
過去のレリクト発生記録。
適性者検出ログ。
人体錬金疑惑資料。
すべてに共通する一点。
同じ座標。
「帝国は長期的にこの地点を監視していました」
「なぜ今動く」
「……回収指令が“降りてきた”ためです」
降りてきた。
その言い方が、
まるで人間以外の何かから命じられたように聞こえた。
⸻
室内の空気がわずかに揺れる。
投影装置とは別の光。
黒に近い紫。
誰も触れていない通信盤が、
ひとりでに起動した。
低いノイズ。
そして。
声。
「——回収を最優先とする」
金属でも肉声でもない。
直接、頭の奥に響く。
参謀が一斉に直立する。
「上位命令受信」
レインだけが動かなかった。
声は続く。
「対象は破壊不可」
「接触者の選別を許可」
「適性反応を持つ個体は確保」
短い言葉。
感情ゼロ。
国家の意思というより、
機構の仕様書のような口調。
レインはゆっくり通信盤を見る。
そこには、紋章も署名もない。
ただ一つ。
歪んだ円環の印だけが浮かんでいた。
見覚えがある。
中央機構地下で見た刻印。
そして——七罪の紋章構造と、酷似している。
⸻
声が最後に言う。
「統制下で動け」
「逸脱は許可しない」
通信が切れる。
光が消えた。
部屋に残るのは、
重い沈黙だけ。
参謀が息を吐く。
「……以上が命令です」
レインが低く問う。
「今のは中央機構か」
誰も即答しない。
やがて副官が言う。
「我々は、命令系統を疑問視しません」
否定しなかった。
それが答えだった。
⸻
同時刻。
帝都外縁。
廃蒸気路。
アッシュは崩れた配管の上に座り、
銃の弾倉を確認していた。
遠くで爆ぜる音。
煙。
その向こうに、
同じ座標を示す簡易地図。
「……はぁ」
小さくため息。
「また面倒な匂いだな」
背後に影が落ちる。
黒衣の伝令。
「指令だ」
紙片を投げる。
そこに書かれているのは、
ただ一行。
『旧都市最深部。鍵を確保せよ。優先度:絶対』
アッシュが眉を上げる。
「帝国も動くだろ、これ」
伝令は無言。
つまり肯定。
「で、七罪側は?」
沈黙。
だが次の瞬間、
紙片の文字が勝手に滲んだ。
黒い液体のように形を変え、
新しい文が浮かぶ。
『遅れるな』
アッシュが苦笑する。
「……直通かよ」
紙を燃やす。
灰が風に散る。
「了解。取りに行くさ」
立ち上がる。
銃が低く唸る。
「どうせ全員、同じモン狙ってんだろ」
⸻
さらに別の場所。
王城の高塔。
エリスは一人、
机の上の古い地図を見つめていた。
そこにも同じ座標。
地下最深部。
指先で触れる。
母の形見のペンダントが、
かすかに温かい。
「……そこにあるのね」
誰に言うでもなく呟く。
宮廷はまだ動いていない。
騎士団は極秘行動。
だが彼女の元には、
別経路で情報が届いていた。
王女としてではなく。
個人として。
「もしそれが——」
言葉を飲み込む。
世界を維持する鍵か。
壊す引き金か。
まだ分からない。
だが。
三方向から、
同じ場所へ人が動き出している。
⸻
再び騎士団本部。
会議が終わり、
全員が退室していく。
最後に残ったレインは、
暗くなった通信盤を見つめていた。
あの声。
命令。
刻印。
国家の指令なのか。
それとも。
もっと深い、
別の“意思”なのか。
《ロジカ》が静かに震える。
まるで、
その命令の正体を
既に知っているかのように。
⸻
副官が扉の前で言う。
「出発は夜半です、隊長」
レインは振り返らない。
「ああ」
短く答える。
「回収する」
それが任務。
体制側の剣としての役目。
だが胸の奥では、
別の問いが消えない。
——誰の命令で?
⸻
夜。
帝都の灯りが一つずつ落ちていく。
地下へ続く古い昇降路。
そこへ向かって、
騎士団が動く。
アッシュが動く。
そして、
まだ姿を見せぬ何かも——動いている。
同じ標的へ。
水面下で。
静かに。
不可逆の流れの中で。




