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『ARCANE:武装世界 -NULLIFY-』  作者: 天照 珠李
交差する因果編III
37/68

ー不可逆ー


鐘の音が、王都に低く残っていた。


弔いの鐘。

昨日から止まらない。


焼け跡はまだ温かく、南区画には焦げた匂いが染みついている。

復旧作業の掛け声もどこか小さく、人々は必要以上に声を出さない。


まるで、この街全体が何かを確かめるように黙っていた。


もう元には戻らない、と。



レインは騎士団詰所の奥、無人の装備室にいた。


蒸気武器を分解し、無意味に布で拭く。

汚れはもう落ちているのに、手だけが止まらない。


昨日の判断。

南区画の蒸気解放。


頭では、今でも正しかったと分かっている。

あれをしなければ中心街は突破され、被害は桁違いだった。


それでも。


布越しに触れる金属の冷たさの奥で、別の感覚が残っている。


切り捨てた、という感触。


装備室の扉が開いた。


振り返ると、団の上官が立っていた。


「レイン。総司令部から通達だ」


短い紙が差し出される。


そこに書かれていたのは、処罰でも叱責でもなかった。


南区画防衛の功績を評価。臨時戦術権限の継続付与。


レインは紙を見つめたまま固まる。


「……評価、ですか」


「結果として王都は守られた。上はそう判断した」


上官の声は事務的だった。


「今後も同様の状況では、現場判断での強制措置を許可する、だそうだ」


同様の状況。


つまり―


また必要なら、同じことをやれという意味だ。


レインはゆっくり紙を折る。


胸の奥で、何かが静かに沈む。


もう、昨日以前の自分には戻れない。


守るためなら切り捨てる側。

騎士団は、そういう役目を自分に求めている。


「……了解しました」


その返事は、自分でも驚くほど平坦だった。



王城の一室。


エリスは、窓の外の王都を見下ろしていた。


復旧の煙。

弔旗。

市民の列。


扉の外では、重臣たちの声が続いている。


「王女殿下、南区画の件ですが」


「騎士団の対応は適切でした。あれ以上の被害を防いだのです」


「今は国内の統制を優先すべきです。市民に余計な動揺を与える発言は――」


エリスは振り返る。


「余計な、ですか」


静かな声に、部屋が一瞬止まる。


「亡くなった人々のことを、公に悼むのは“余計”?」


誰もすぐに答えない。


やがて、年長の大臣が言う。


「……殿下のお気持ちは理解しております。しかし国家としては」


「国家としては?」


「犠牲は、必要だった。そう整理せねばなりません」


その言葉は丁寧だったが、冷たく完成していた。


犠牲は必要。


つまり。


次も必要なら出す、という前提。


エリスはしばらく彼らを見つめ、そして静かに言った。


「では、私はその整理には加われません」


ざわめき。


「殿下……?」


「私は、あの人たちを“必要だった数”として数える立場には立てない」


はっきりと。


逃げ場を残さず。


「騎士団の判断を全面的に肯定する声明にも、署名しません」


空気が凍る。


それが何を意味するか、ここにいる全員が分かっていた。


国家方針への、事実上の不同意。


王女としては、越えてはいけない線。


だがエリスは、もう迷っていなかった。


「……私は、このままでは帝国を支えられない」


小さく息を吐く。


「少なくとも、“同じ側”には立てません」


言ってしまった瞬間、胸の奥が妙に静かになる。


悲壮感はなかった。


ただ、確定しただけ。


もう戻れない。



夕刻。


王都の外縁、崩れた高架橋の上にアッシュはいた。


銃を分解し、手慣れた動きで整備する。

遠くに見える王都は、昨日より小さく見えた。


守られた街。

だが中身は変わった。


南区画の一件は、彼にもすぐ伝わっていた。


「……やっとか」


誰に言うでもなく呟く。


守るために切る。

その現実を、レインも背負った。


あとは、その重さに耐えられるかどうか。


ポケットから、小さな結晶を取り出す。


喪失核〈ロス・コア〉。


淡く脈打つ光が、夕焼けに滲む。


「俺が背負えばいい」


前にも口にした言葉を、もう一度だけ確かめる。


だが今回は、少しだけ違う響きだった。


自分一人では済まない。


もう三人とも、別々の場所で同じ線を越えた。


同じ景色には立てない。


風が吹く。


そのとき。


アッシュの視線が、ふと遠くの森の奥で止まった。


――嫌な気配。


戦場で何度も感じてきた、“生き物ではない何か”の圧。


レリクトとは違う。

もっと深く、重く、歪んだ気配。


地平線の向こう、森の影のさらに奥。


ほんの一瞬。


巨大な影が、蠢いた気がした。


次の瞬間には、もう見えない。


だが確かに、そこにあった。


アッシュは無言で銃を組み上げる。


「……上に報告、するわけないか」


七つの大罪。

帝国の裏。

そして、この異様な新しい気配。


世界はまだ、底を見せていない。



夜。


王都のそれぞれの場所で。


レインは、任務報告書に署名する。

エリスは、提出を拒否した声明書を机に残す。

アッシュは、森の方向をもう一度だけ振り返る。


三人とも、同じことを理解していた。


もう戻れない。

もう同じ立場ではいられない。

それでも進むしかない。


静かに、確定した。



数日後。


帝国中央、騎士団本部の最深部。


一般団員が決して入れない、封鎖区画。


分厚い扉の内側で、黒衣の調律官が報告書を差し出す。


「南区画事案により、王都の均衡は予定より早く崩壊段階へ移行」


机の向こうの人物は、顔を上げない。


「王女の離反兆候も確認されました」


短い沈黙。


やがて低い声。


「……構わん。むしろ好都合だ」


紙がめくられる。


そこには、王都地下構造の図面。

そして、いくつもの封印区画。


その一つに、赤い印。


「第Ⅲ封鎖層、解放準備を開始しろ」


調律官がわずかに目を細める。


「あれを、ですか」


「ああ」


初めて、机の人物が顔を上げる。


「騎士団には、“次の敵”が必要だ」


地下のさらに奥。


鎖に繋がれた巨大な影が、暗闇の中でゆっくりと息をした。


それはレリクトでも、人でもない。


まだ誰も知らない、新たな敵性存在。


低い鼓動が、石壁を震わせる。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


「交差する因果編」は、三人が出会う物語ではなく、

同じ世界に立ちながら、同じ場所に立てなくなるまでの物語でした。


レインは守るために切り捨てる側へ。

エリスは正しさのために国家から離れる側へ。

アッシュは最初から地獄を引き受ける側として。


誰かが間違えたから崩れたのではなく、

それぞれが正しく選んだ結果、均衡が崩れた。


その“不可逆”の確定が、この巻の終着点です。


王都の治安崩壊、騎士団の変質、王女の離反兆候、

そして地下に眠る新たな敵性存在。


すべては偶然ではなく、

静かに準備されていた「次の段階」への移行です。


次巻からは舞台をより深く、帝国の中枢へ。


騎士団とは何か。

調律官は何を管理しているのか。

七つの大罪は、どこまで世界に関与しているのか。

そして――人間はどこまで武器になれるのか。


三人の距離はさらに広がり、

それでも因果は、より強く交差していきます。


この先も見届けていただけたら嬉しいです。


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