ー不可逆ー
鐘の音が、王都に低く残っていた。
弔いの鐘。
昨日から止まらない。
焼け跡はまだ温かく、南区画には焦げた匂いが染みついている。
復旧作業の掛け声もどこか小さく、人々は必要以上に声を出さない。
まるで、この街全体が何かを確かめるように黙っていた。
もう元には戻らない、と。
⸻
レインは騎士団詰所の奥、無人の装備室にいた。
蒸気武器を分解し、無意味に布で拭く。
汚れはもう落ちているのに、手だけが止まらない。
昨日の判断。
南区画の蒸気解放。
頭では、今でも正しかったと分かっている。
あれをしなければ中心街は突破され、被害は桁違いだった。
それでも。
布越しに触れる金属の冷たさの奥で、別の感覚が残っている。
切り捨てた、という感触。
装備室の扉が開いた。
振り返ると、団の上官が立っていた。
「レイン。総司令部から通達だ」
短い紙が差し出される。
そこに書かれていたのは、処罰でも叱責でもなかった。
南区画防衛の功績を評価。臨時戦術権限の継続付与。
レインは紙を見つめたまま固まる。
「……評価、ですか」
「結果として王都は守られた。上はそう判断した」
上官の声は事務的だった。
「今後も同様の状況では、現場判断での強制措置を許可する、だそうだ」
同様の状況。
つまり―
また必要なら、同じことをやれという意味だ。
レインはゆっくり紙を折る。
胸の奥で、何かが静かに沈む。
もう、昨日以前の自分には戻れない。
守るためなら切り捨てる側。
騎士団は、そういう役目を自分に求めている。
「……了解しました」
その返事は、自分でも驚くほど平坦だった。
⸻
王城の一室。
エリスは、窓の外の王都を見下ろしていた。
復旧の煙。
弔旗。
市民の列。
扉の外では、重臣たちの声が続いている。
「王女殿下、南区画の件ですが」
「騎士団の対応は適切でした。あれ以上の被害を防いだのです」
「今は国内の統制を優先すべきです。市民に余計な動揺を与える発言は――」
エリスは振り返る。
「余計な、ですか」
静かな声に、部屋が一瞬止まる。
「亡くなった人々のことを、公に悼むのは“余計”?」
誰もすぐに答えない。
やがて、年長の大臣が言う。
「……殿下のお気持ちは理解しております。しかし国家としては」
「国家としては?」
「犠牲は、必要だった。そう整理せねばなりません」
その言葉は丁寧だったが、冷たく完成していた。
犠牲は必要。
つまり。
次も必要なら出す、という前提。
エリスはしばらく彼らを見つめ、そして静かに言った。
「では、私はその整理には加われません」
ざわめき。
「殿下……?」
「私は、あの人たちを“必要だった数”として数える立場には立てない」
はっきりと。
逃げ場を残さず。
「騎士団の判断を全面的に肯定する声明にも、署名しません」
空気が凍る。
それが何を意味するか、ここにいる全員が分かっていた。
国家方針への、事実上の不同意。
王女としては、越えてはいけない線。
だがエリスは、もう迷っていなかった。
「……私は、このままでは帝国を支えられない」
小さく息を吐く。
「少なくとも、“同じ側”には立てません」
言ってしまった瞬間、胸の奥が妙に静かになる。
悲壮感はなかった。
ただ、確定しただけ。
もう戻れない。
⸻
夕刻。
王都の外縁、崩れた高架橋の上にアッシュはいた。
銃を分解し、手慣れた動きで整備する。
遠くに見える王都は、昨日より小さく見えた。
守られた街。
だが中身は変わった。
南区画の一件は、彼にもすぐ伝わっていた。
「……やっとか」
誰に言うでもなく呟く。
守るために切る。
その現実を、レインも背負った。
あとは、その重さに耐えられるかどうか。
ポケットから、小さな結晶を取り出す。
喪失核〈ロス・コア〉。
淡く脈打つ光が、夕焼けに滲む。
「俺が背負えばいい」
前にも口にした言葉を、もう一度だけ確かめる。
だが今回は、少しだけ違う響きだった。
自分一人では済まない。
もう三人とも、別々の場所で同じ線を越えた。
同じ景色には立てない。
風が吹く。
そのとき。
アッシュの視線が、ふと遠くの森の奥で止まった。
――嫌な気配。
戦場で何度も感じてきた、“生き物ではない何か”の圧。
レリクトとは違う。
もっと深く、重く、歪んだ気配。
地平線の向こう、森の影のさらに奥。
ほんの一瞬。
巨大な影が、蠢いた気がした。
次の瞬間には、もう見えない。
だが確かに、そこにあった。
アッシュは無言で銃を組み上げる。
「……上に報告、するわけないか」
七つの大罪。
帝国の裏。
そして、この異様な新しい気配。
世界はまだ、底を見せていない。
⸻
夜。
王都のそれぞれの場所で。
レインは、任務報告書に署名する。
エリスは、提出を拒否した声明書を机に残す。
アッシュは、森の方向をもう一度だけ振り返る。
三人とも、同じことを理解していた。
もう戻れない。
もう同じ立場ではいられない。
それでも進むしかない。
静かに、確定した。
⸻
数日後。
帝国中央、騎士団本部の最深部。
一般団員が決して入れない、封鎖区画。
分厚い扉の内側で、黒衣の調律官が報告書を差し出す。
「南区画事案により、王都の均衡は予定より早く崩壊段階へ移行」
机の向こうの人物は、顔を上げない。
「王女の離反兆候も確認されました」
短い沈黙。
やがて低い声。
「……構わん。むしろ好都合だ」
紙がめくられる。
そこには、王都地下構造の図面。
そして、いくつもの封印区画。
その一つに、赤い印。
「第Ⅲ封鎖層、解放準備を開始しろ」
調律官がわずかに目を細める。
「あれを、ですか」
「ああ」
初めて、机の人物が顔を上げる。
「騎士団には、“次の敵”が必要だ」
地下のさらに奥。
鎖に繋がれた巨大な影が、暗闇の中でゆっくりと息をした。
それはレリクトでも、人でもない。
まだ誰も知らない、新たな敵性存在。
低い鼓動が、石壁を震わせる。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
「交差する因果編」は、三人が出会う物語ではなく、
同じ世界に立ちながら、同じ場所に立てなくなるまでの物語でした。
レインは守るために切り捨てる側へ。
エリスは正しさのために国家から離れる側へ。
アッシュは最初から地獄を引き受ける側として。
誰かが間違えたから崩れたのではなく、
それぞれが正しく選んだ結果、均衡が崩れた。
その“不可逆”の確定が、この巻の終着点です。
王都の治安崩壊、騎士団の変質、王女の離反兆候、
そして地下に眠る新たな敵性存在。
すべては偶然ではなく、
静かに準備されていた「次の段階」への移行です。
次巻からは舞台をより深く、帝国の中枢へ。
騎士団とは何か。
調律官は何を管理しているのか。
七つの大罪は、どこまで世界に関与しているのか。
そして――人間はどこまで武器になれるのか。
三人の距離はさらに広がり、
それでも因果は、より強く交差していきます。
この先も見届けていただけたら嬉しいです。




