ー取り返しのつかない結果ー
夜明け前の王都は、妙に静かだった。
静けさは、嵐の前触れに似ている。
レインは城壁上の監視路を走りながら、その不気味さを振り払えなかった。
「南区画で反応再増大! 数、予測の三倍以上!」
伝令の声が裏返る。
三倍。
その数字に、背筋が冷えた。
「避難は?」
「まだ半数以上が区画内です! 騎士団が防衛線を張っていますが――」
遠くで、鈍い衝撃音。
石造りの建物が崩れる低い振動が、足裏に伝わってきた。
間に合わない。
レインは地図を広げる。
南区画は古い街路で、通りが狭い。群れに入り込まれれば、騎士団でも押し返せない。
だが一つだけ、手があった。
区画中央の蒸気導管制御塔。
あそこを強制解放すれば、過剰蒸気を一気に噴出させられる。高温高圧の蒸気は、《レリクト》の群れを焼き払い、足止めできる。
ただし――
「……被害範囲は」
小声で自分に確認する。
半径三百。
逃げ遅れがいれば、無事では済まない。
別の騎士が叫ぶ。
「このままじゃ防衛線が破られます! 中心街に入られたら、被害はこんなものじゃ……!」
中心街には、まだ何万人もいる。
選べ。
ここで止めるか。
中枢まで通して、もっと多くを危険に晒すか。
喉が渇く。
レインは、強く目を閉じた。
(守るための力だろ)
昨日の、アッシュの声が蘇る。
倒さなきゃ、もっと人が死ぬ。
レインは目を開ける。
「……制御塔を解放する」
周囲が一瞬、凍りつく。
「しかし、あそこにはまだ避難が――」
「分かってる!」
思わず声が荒れる。
すぐに息を整え、低く言い直した。
「このまま突破されたら、王都が終わる。ここで止めるしかない」
沈黙。
やがて、副官が歯を食いしばって敬礼した。
「……了解。蒸気導管、強制解放準備!」
決断は、下された。
⸻
制御塔のバルブが回される。
重い金属音。
圧力計の針が限界域へ振り切れる。
南区画の中央。
押し寄せる《レリクト》の群れが、騎士団の盾列を崩しかけていた。
「持たない! 後退――」
その瞬間。
地面の格子孔という格子孔から、白い奔流が噴き上がった。
轟音。
視界が真っ白に染まる。
超高温の蒸気が街路を埋め尽くし、最前列の《レリクト》が焼け崩れる。
皮膚が裂け、骨が露出し、黒い靄が蒸発する。
効果は、絶大だった。
群れが止まる。
後続も足を止め、混乱が広がる。
「……やった……」
誰かが呟く。
だが次の瞬間、蒸気の向こうから――
悲鳴。
人の、悲鳴だった。
「まだ中に人がいる! 子供が……!」
「助けてくれ!!」
白煙の中で、影が倒れる。
避難しきれていなかった市民。
導管近くの詰所に残っていた兵。
高温蒸気は敵味方を選ばない。
「止めろ……止めろおお!!」
現場の騎士が叫ぶが、もう止まらない。
一度解放した圧は、規定量を吐き出すまで閉じられない仕組みだ。
城壁上で、その報告を聞いた瞬間。
レインの手から、通信管が滑り落ちた。
耳鳴り。
何か言われている。
だが言葉として入ってこない。
ただ断片だけが刺さる。
「南区画……被害多数……」
「騎士団、第二小隊……壊滅……」
「民間人も……相当数……」
足が、動かない。
自分が決めた。
自分が、命じた。
蒸気が晴れ始めた頃には、《レリクト》の群れは確かに沈黙していた。
だが同時に、街路には焼け焦げた遺体が幾重にも横たわっていた。
敵も。
兵も。
市民も。
区別がつかないほど、同じように。




