ー王女の断罪ー
王都の外縁で、警鐘が鳴り止まない。
瓦礫の隙間から、黒い影が這い出てくる。
歪んだ四肢。崩れた顔面。かつて人だった形を辛うじて残す敵性存在が、群れをなして市街へ雪崩れ込んでいた。
逃げ惑う市民。
散り散りに後退する騎士団。
統制はすでに崩れている。
レインは蒸気武器を構え、歯を食いしばった。
「……数が多すぎる」
引き金を引く。
蒸気圧が炸裂し、一体の胸部を抉る。だが倒れた隙間を埋めるように、次の《レリクト》が迫る。
右。左。背後。
間に合わない。
「くそ……!」
市民の悲鳴が耳に刺さる。
守り切れない。そう理解した瞬間、判断は早かった。
「一旦下がれ! ここは持たない!」
近くの避難誘導を押しやり、レインは後退する。
撤退は正しい。だが、その背に残るのは、まだ逃げ遅れた人々の姿だった。
そのとき。
乾いた銃声が一つ、空気を裂いた。
次の瞬間、最前列にいた《レリクト》の頭部が、音もなく吹き飛ぶ。
脳漿と黒い靄が散り、巨体が崩れ落ちた。
静寂。
二発目。
三発目。
迷いのない射撃が、次々と急所を貫く。
撃たれた《レリクト》は呻く間もなく沈黙し、足元に淡く光る結晶――喪失核〈ロス・コア〉を落としていく。
煙の向こう、影から一人の男が歩み出た。
アッシュだった。
長銃を肩に据え、視線だけで周囲を測る。
「下がってろ」
低い声。命令でも威圧でもなく、ただ当然の事実のように。
市民の一人が震えた声で問う。
「……誰だ?」
アッシュは次の標的に照準を合わせたまま答える。
「通りすがりの、守る側だ」
引き金。
銃声と同時に、《レリクト》の喉が弾ける。
迫っていた個体が崩れ落ち、群れの動きが一瞬止まる。
その隙を逃さず、アッシュは歩み込んだ。
撃つ。
踏み込む。
撃つ。
躊躇がない。
苦鳴も、手を伸ばす仕草も、かつての人間の残滓も、彼の照準を鈍らせない。
ただ効率よく、最短で、確実に命を刈り取る。
最後の一体が倒れ、静寂が戻る。
転がる結晶を、アッシュは屈みもせず拾い上げた。
当然のように。戦果を回収する兵士の動作で。
その様子を見ていた市民たちの目が、変わる。
恐怖ではなく――期待へ。
「……助かった」
「この人が、全部倒したのか……」
そこへ、遅れてエリスが駆け込んできた。
マントを翻し、荒れた呼吸のまま戦場を見渡す。
倒れた《レリクト》。破壊された街路。そして――
喪失核〈ロス・コア〉を手に立つアッシュ。
エリスの声が、わずかに揺れる。
「……それは」
アッシュは掌の結晶を軽く掲げる。
「力だろ?」
即答だった。
エリスの眉が寄る。
「元は、人よ」
短い沈黙。
アッシュは結晶を懐へしまいながら、淡々と言う。
「だから?」
言葉が詰まる。
「……」
「倒さなきゃ、もっと人が死ぬ」
それは理屈だった。
冷酷だが、反論しにくい現実だった。
周囲の市民が、次第にエリスではなくアッシュの方へ寄っていく。
「この人がいれば、俺たちは守られる!」
「騎士団より頼りになるじゃないか……」
誰かの一言を皮切りに、人々がアッシュの前に集まり始める。
感謝。安堵。すがる視線。
アッシュはそれを拒まない。
ただ静かに立ち、銃を下ろす。
その姿は、紛れもなく“英雄”だった。
少し離れた場所で、レインがその光景を見ていた。
胸の奥が、重く沈む。
「……俺の、代わりだ」
思わず漏れた声は、自分にしか聞こえない。
蒸気武器を握る手が震える。
さっき自分は退いた。
だがあいつは前に出た。
正しいのは――どっちだ。
人の輪が散り、やがてアッシュは一人になる。
瓦礫の影で、彼はそっと銃身に触れた。
金属装甲の継ぎ目の奥で、生体組織がかすかに脈打つ。
鼓動に呼応するように、長銃が微かに蠢く。
アッシュは低く呟いた。
「……これでいい」
鼓動が強くなる。
「俺が、全部背負えばいい」
夕暮れの斜光の中、彼の影が地面に伸びる。
その影は、一瞬だけ――二つに重なって見えた。
遠くで、エリスが市民に囲まれていた。
「王女様は、結局何もしてくれないじゃないか」
「綺麗事ばっかりだ……!」
責める声。疑う視線。
エリスは何か言おうとして、言葉を失う。
守るべき民に、否定される沈黙。
その瞬間、彼女の中で何かが決定的に傾いた。
帝国の正しさ。騎士団の役目。王女としての立場。
すべてが、同時に揺らぎ始める。
王都の空に、再び遠い警鐘が鳴った。
均衡は、もう戻らない。
そしてこの日――
エリスは初めて、自分が「帝国の外側」に立つ未来を、はっきりと想像してしまった。




