ー避けられたはずの衝突ー
王都の夜は、もはや静寂を失っていた。
遠くで鐘が鳴る。 それは祈りの鐘ではなく、警戒の鐘だった。
石畳を踏みしめ、レインは燃え残る市場通りを見渡す。焦げた布の匂い、崩れた屋台、逃げ遅れた荷車。昼には人で溢れていた場所が、今はまるで戦場の残骸のように沈黙している。
「……ここまでやる必要があったのか」
呟いた声に答える者はいない。
その時。
「動くな」
低く鋭い声が背後から響いた。
振り返るまでもない。金属の擦れる音、統率された足音。包囲の気配。
騎士団だ。
振り向くと、十数名の騎士が通りを塞いでいた。槍の穂先が一斉にレインへ向けられる。中央には指揮官らしき男。迷いのない目だった。
「対象確認。実験体レイン。抵抗する場合、制圧する」
「……制圧、ね」
レインは小さく息を吐く。
「守るための剣だったはずだろ。いつから民を追う側になった?」
「王都の秩序を乱す存在はすべて排除対象だ」
即答だった。
話にならない。
騎士たちは一歩踏み込む。包囲が狭まる。
レインは剣を抜いた。
刃が夜気を裂く。
「……最後に聞く。退く気は?」
「ない」
「そうか」
次の瞬間、騎士たちが一斉に動いた。
槍が突き出される。レインは横へ跳び、最初の一撃をかわし、そのまま足元を払う。鎧の重さに体勢を崩した騎士を盾にして次の突きを弾き返す。
金属音が連続する。
斬撃。防御。反撃。
だがレインは致命傷を避けていた。鎧の継ぎ目を狙い、武器だけを弾き飛ばし、足を止める。倒すことはできる。だが、殺すつもりはない。
その躊躇が、包囲を長引かせた。
「囲め!」
指揮官の声。
背後から新たな騎士が飛び込む。槍が肩を掠め、レインは歯を食いしばった。浅い。だが数が多い。
このままでは――
「やめて!!」
高い声が夜を裂いた。
全員の動きが一瞬止まる。
通りの奥から駆け込んできたのはエリスだった。息を切らし、必死に両手を広げてレインと騎士団の間に立つ。
「もうやめて! こんなの、戦う理由なんてない!」
「エリス、退け」
レインが低く言う。
「退かない!」
彼女は振り返らずに叫んだ。
「騎士団の人たちも! この人は敵じゃない! 王都を壊したりしてない! ただ――」
「民間人は下がれ」
指揮官が冷たく遮る。
「作戦行動中だ。巻き込まれても保証はしない」
「それでも!」
エリスの声が震える。
「剣を向け合う必要なんてない! 話せば――」
その時だった。
屋根の上から、乾いた拍手が響いた。
「……いやぁ、実に感動的だ」
全員が反射的に上を向く。
月明かりの縁に、一人の影が立っていた。
黒い外套。風に揺れる髪。冷たい、どこか愉快そうな視線。
アッシュ。
「せっかく盛り上がってるところ悪いけどさ」
彼は軽く肩をすくめる。
「そこ、俺も混ざっていい?」
「……っ」
レインの表情が変わる。
騎士団も即座に警戒態勢を取り直した。
「新規対象確認!」
「識別不能。だが危険度高――」
言い終わる前に、アッシュが屋根から飛び降りた。
着地と同時に地面がひび割れる。
次の瞬間、彼の姿が消えた。
閃光のような速度。
最前列の騎士の槍が宙を舞い、次の騎士が吹き飛ぶ。鎧が石壁に叩きつけられ、鈍い音が通りに響いた。
「なっ――」
「遅い遅い」
アッシュは笑う。
「王都の騎士団ってこの程度? 拍子抜けだな」
「貴様――!」
騎士たちが一斉に向き直る。
その隙を見て、レインがエリスの腕を引いた。
「下がれ!」
「でも――」
「ここはもう、止まらない」
低い声だった。
すでに戦場の均衡は崩れている。
騎士団はアッシュへ集中し、アッシュは楽しげにそれをいなす。だが彼の視線は、時折レインへ向けられていた。
観察するように。
値踏みするように。
そして――どこか似たものを見るように。
「……なるほど」
アッシュが小さく呟く。
「やっぱり、あんたか」
「何の話だ」
「さぁね」
笑みだけが返る。
次の瞬間、アッシュが一直線にレインへ突っ込んだ。
速い。
反射的に剣を構える。
衝突。
刃と刃がぶつかり、火花が散る。
重い。
信じられない力だった。
押し返され、レインの足が石畳を削る。
「……いいね」
アッシュが低く囁く。
「ちゃんと強いじゃん」
「お前……何者だ」
「それ、今は重要?」
彼は笑いながら力を込める。
レインは歯を食いしばり、逆に踏み込んだ。刃を滑らせ、間合いを外し、横薙ぎに反撃する。
アッシュが身を捻って避ける。
今度は彼の蹴り。
腹部に衝撃が入り、レインは数歩後退した。
背後で騎士団が再び動き出す。
「両対象を同時制圧!」
槍が迫る。
レインは舌打ちし、回避。アッシュは笑いながら騎士を踏み台にして跳躍する。
完全な三つ巴だった。
誰も誰の味方でもない。
剣戟と怒号が夜を引き裂く。
「やめて!!」
再びエリスの叫び。
だが今度は誰も止まらない。
均衡は、完全に崩れていた。
その混乱の最中。
レインは一瞬だけ、アッシュの顔を真正面から見た。
月光が照らす。
同じ輪郭。 似た目の色。 知らないはずなのに、胸の奥がざわつく。
(……なんでだ)
理解できない違和感。
だが考える余裕はない。
次の瞬間、アッシュの拳が迫り、レインはそれを剣で受け流した。
火花が散る。
夜はまだ終わらない。
避けられたはずの衝突は、 もう、誰にも止められなかった。




