ー選択の重さー
朝の光は差しているのに、街は明るくなかった。
広場の中央に、白い線が引かれている。
仮設の錬成陣。
昨日よりも増え、昨日よりも整っていた。
救助のための配置じゃない。
処理のための配置だ。
エリスは、その外周に立っていた。
鎧は軽装。
王族の白に、薄く埃が付いている。
気にする余裕はなかった。
担架が運び込まれる。
泣き声。
抑えた指示。
記録係の乾いた読み上げ。
「感染疑い、三区画より搬入。判定待ち」
人としてではなく、番号として呼ばれる。
胸の奥が、わずかに軋む。
「王女殿下」
背後からの声。
振り返らなくても分かる。
レオンハルト=グレイヴ。
「封鎖区域の再確認が終わりました。
外周は完全に管理下にあります」
「……討伐隊は?」
「出していません」
即答だった。
理由も、エリスには分かっている。
討伐より封鎖。
排除より管理。
帝国軍の今の“正しさ”。
「徘徊個体は、放置ですか」
「回収班が後ほど」
回収。
その言葉が、妙に重く残る。
倒すでも、救うでもない。
回収。
物みたいに。
広場の端で、小さな騒ぎが起きた。
若い兵士が、一人の少年を止めている。
十歳くらい。
泥だらけの服で、必死に中へ入ろうとしていた。
「母さんが中にいるんだ! さっき運ばれて――」
「許可証がないと入れない」
「会うだけでいいんだ、お願いだよ!」
兵士の表情が揺れる。
だが、槍は下がらない。
規則が先にある。
エリスは一歩踏み出しかけて、止まった。
王女として命じれば、通せる。
それくらい出来る。
でも――
一人を通せば、他はどうなる。
同じ願いの人間は、いくらでもいる。
線は、どこで引く。
胸元のペンダントに触れる。
冷たい金属の感触。
祈れば、《レガリア・レイピア》は応える。
線を引く力も、守る力もある。
でもこれは、戦場じゃない。
規則と現実の境界だ。
「……団長」
「はい」
「もし私が、あの子を通せと言ったら」
レオンハルトは少しだけ間を置いた。
「通します」
「その結果、他の者も殺到したら?」
「制止します」
「制止しきれなかったら」
「封鎖を強化します」
つまり――
結局、どこかで誰かを押し返す。
形が変わるだけで、選択は消えない。
少年の声が、少しずつ弱くなっていく。
兵士も困り果てている。
エリスは目を閉じた。
守りたい。
その気持ちは本物だ。
でも、守るという言葉の中に、
最初から“切り捨て”が含まれている現実を、
もう知ってしまっている。
静かに息を吸う。
そして、目を開けた。
「……記録官を」
「は」
「中に運ばれた者の名前を確認して、
家族には状況を説明するよう伝えてください」
レオンハルトがわずかに眉を動かす。
「面会許可ではなく、ですか」
「はい」
少年を直接通すことはしない。
だが、放置もしない。
完全な救いじゃない。
でも、完全な拒絶でもない。
それが、今の自分に出来る線だった。
「了解しました」
団長が短く指示を飛ばす。
記録官が走り、兵士が少年に声をかける。
少年はまだ泣いている。
だが、さっきよりは混乱していない。
それを見届けてから、エリスは小さく息を吐いた。
正しかったのかは分からない。
ただ――
何も選ばないよりは、重い。
その重さだけが、手に残る。
空を見上げる。
遠くの屋根の上に、誰かの気配がした気がした。
確認する頃には、もう何もいない。
レインかもしれない。
別の誰かかもしれない。
まだ、交わらない。
だが確実に、この街には
帝国の正しさと、
名も知らない敵と、
そして自分の迷いが、
同時に存在している。
ペンダントを握る。
祈りは、まだ形にならない。
それでも分かる。
これから先、
剣を抜く時は来る。
その時――
誰のために抜くのか。
何を守り、何を切り捨てるのか。
その選択の重さからは、
もう逃げられない。




