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良いおじさん

大阪市内に入ったのは夕方だった。街はかつての賑わいを失い、看板の灯りもほとんど消えていた。


紬が楽しみにしていたお好み焼き屋は、どこもシャッターが下りていて、ガラスが割れ、店内は荒れ果てていた。ゾンビだけでなく、生き残った人間たちも物資を求めて店を荒らしていたようだった。


「…全部、閉まってるね」


紬がぽつりと呟いた。蓮は黙って周囲を見渡す。通りにはゾンビの姿がちらほら見えるが、夜の闇に紛れて動きは鈍い。


「ゾンビは人工的な光を避ける。光があるとあまり近寄ってこないって、前に誰かが言ってたな」


「じゃあ、夜は光がある場所のほうが安全ってこと?」


「そういうことだ」


車をゆっくり走らせていると、遠くにぽつんと灯りのついた家が見えた。周囲の建物が暗い中、その家だけが暖かい光を放っていた。


「…あそこ、電気ついてる」


紬が指差す。蓮は頷き、車をその家の近くに停め、車内で眠ることにした。




翌朝。紬が目を覚まして窓の外を見ると、昨日の家のベランダに人影があった。


60歳くらいの男性が、朝日を浴びながら気持ちよさそうに背伸びをしていた。白髪混じりの髪に、ゆったりとした部屋着。まるでこの世界が崩壊していないかのような、穏やかな朝の風景だった。


紬がそっと手を振ると、男性は気づいて軽く笑い、手で「こっちに来い」とジェスチャーした。


「蓮、あの人…家に入れてくれるみたい」


蓮は運転席に座ったまま頷き、エンジンを切った。


「行ってみよう。何か話が聞けるかもしれない」


二人は車を降り、慎重に玄関へ向かった。扉が開くと、男性がにこやかに立っていた。


「おはよう。よく来たね」


まるでゾンビの世界を忘れさせるかのような、温かい声だった。



古びた一軒家の居間。壁には色褪せた家族写真が飾られていた。蓮と紬はテーブルを囲み、湯気の立つコーヒーを手にしていた。


おじさんは、蓮の話を聞いて腹を抱えて笑った。


「はっはっは!お好み焼きのために大阪まで来たってか!この時代にそんな理由で旅する奴、初めて見たわ!」


紬もつられて笑い、蓮は少し照れくさそうに肩をすくめた。


「食べたかったんです。想像したら、もうその口になってました」


「ええ話やな。ええ話や…」と、おじさんは笑いながらも、ふと目を伏せた。


「…娘もな、お好み焼き好きやった。俺は料理は妻任せやったけど、毎週土曜は俺がお好み焼き焼いて、妻と娘に作ってた。これでも、キャベツ刻むの上手いんやで」


居間に静けさが戻る。おじさんは、少しだけ声を落とした。


「…娘が帰ってくるかもしれんと思って、電気つけてるんや。目印になるやろ。暗いと、家がわからんかもしれんから」


紬がそっと尋ねた。


「娘さん、今は…?」


「わからん。避難所に行ったか、誰かに助けられたか…でも、信じてる。帰ってくるって」


蓮は黙って頷いた。


おじさんは立ち上がり、奥の部屋から毛布とカイロ、そして女性物の服の束を持ってきた。


「これ、娘のや。たぶん同じくらいの背丈やから、使えるかと思うんやけど。紬ちゃんに。これから冬は冷える。毛布も持っていき」


蓮はリュックから缶詰と乾パンを差し出した。


「これ、少しですが。保存もききます」


「ありがたい。最近は物資も減ってきてな…助かるわ」


おじさんは笑顔を見せたが、その目の奥には深い疲れと、何かを隠すような影があった。


「…妻はな、泥棒に殺された。家に侵入してきた奴に。俺が外に出てる間に…」


紬が息を呑んだ。蓮は目を伏せた。


「食べ物だけ持っていって、妻は放っておいてくれたら良いのにな。わざわざ、なんでやろな」


その言葉のあと、おじさんは何も言わず、静かに窓の外を見つめた。





おじさんの家を出ると、空はすっかり夕暮れに染まっていた。西の空が赤く燃え、瓦礫の影が長く伸びている。


「ありがとう、おじさん。服も毛布も、助かります」と紬が頭を下げる。


「気をつけてな。夜は冷えるし、変なのも出る。…娘が帰ってきたら、またお好み焼き焼くんや」と、おじさんは笑った。


キャンピングカーに戻ると、紬は助手席に飛び乗り、貰った毛布を抱きしめた。


「良い人だったね。でもまた一人になっちゃった。淋しいだろうな…。ねえ、今度また会いに来ようか」


蓮はエンジンをかけながら、しばらく黙っていた。車がゆっくりと家を離れ、廃墟の街を抜けていく。


「…あの家、仕掛けがあった」


「え?」


「侵入者を排除するための罠だ。床板の沈み方、複数の壁の穴、精密に作られてる。普段は作動しないようになってるみたいだけど…。

あれは、誰かを迎えるための家じゃない。誰かを拒絶するための家だ」


紬は毛布を抱いたまま、言葉を失った。


「…妻を殺されたって言ってたよね。安全対策に…」


「いや、たぶん復讐してる。ゾンビは人工的な光を避けるって言っただろう?人間は逆だ。電気のある家なんて、狙われるに決まってる。

あの家に人を呼び寄せて、悪人を排除してるんだ。俺たちが無事だったのは、善良だと判断されたからだ」


紬は窓の外を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「でも…娘を待ってるって言ってた。服も残してたし…」


蓮は静かに言った。


「それも本当だと思う。でも、どっちが“本当の顔”かはわからない。

復讐が悪いとも思わないよ。ただ、あのおじさんは、ずっとあそこにいるんだろうな」


夕日から夜になった。また今日も、灯りが一つ。


毛布を頭まですっぽり被り、紬の表情は見えなかった。


紬も愛する家族を殺されたが、生きることばかり考えてきて、復讐という選択肢を初めて考えた。

しかも蓮は、それを悪くないと言っている。


どう生きるかは自由だ。


「…私は、どこかに行けるのかな」


「好きにしたらいい。どこかに行きたいなら、手伝うよ」


蓮の、何もかもを見透かしているような返事に、恥ずかしいのと怖いのと、いろんな感情が入り混じる。

とりあえずここは寝るふりだ。


「グーグー」


その姿を見て、蓮は爆笑した。


「なに!寝てるんですけど!」

もうっ!とぷりぷりしながらまた寝てるふりをする紬に、蓮はまた笑った。


寝てるふりから、本当に寝てしまった紬の横顔を見る。

紬には、どこかに行くなら手伝うと言ったが、自分はそんな偉そうに言える人間じゃない。


一人だと嫌なことばかり考えてしまうから、紬がいて良かった。


深夜になり、周囲の街灯も家も真っ暗なままだ。キャンピングカーのエンジンを切り、電気を消す。あっという間に、暗闇に溶け込けこんでいった。

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