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冗長的な春

ゴミ箱の中にはタンポポが咲いている。綿で底が満たされたごみ袋を見て、そろそろこの時期か、と私はシーツを取り出した。綿毛となったタンポポをシーツの中に詰め込んで、ふかふかにさせる。フラワーガーデン限定品「タンポポ布団」を作ることになったのは、この店が開店して間もないころだった。明治初期、いまだ国民の金銭があまりなかった激動の時代で、微かに動く歴史があった

そのころの東京は、まだ埃っぽく、舗装の整わない道を馬車が走り抜けるたびに、土煙がそこらじゅうに舞い上がっていた。西洋の服を着た巡査が街角に立ち、まだ片言の日本語で市井の人々に道を訊かれると困った顔をしていたらしい。


そんな時代に、私の祖母が小さな寝具店を開いたのが、この「フラワーガーデン布団店」だった。開店祝いに花を持ってきてくれる余裕が近所にもなく、代わりに子どもたちが道端で摘んだタンポポの花を布団の上にそっと置いていったのだと、祖母はよく語っていた。


それから何度目の春が巡っただろう。私は今、祖母の跡を継いでこの小さな布団店を守っている。


タンポポの綿毛で満たした布団は、軽くて柔らかくて、寝返りを打つたびに微かに甘い青臭さが立ち上る。冬を越すための羽毛布団は高くて買えない人々のために、祖母は考えついたのだろう。春先になると、子どもたちが紙袋を持って店に来て、「集めてきたよ!」と綿毛を渡してくれる。私はその綿毛を、そっとシーツに詰め込みながら、時代が変わっても続く春の匂いを感じていた。


外ではまだ、どこかで汽笛が聞こえる。文明開化と呼ばれた時代は遠く過ぎ去り、コンクリートと排気ガスの街に変わっても、春になると道端には必ずタンポポが咲き、子どもたちは黄色い花を摘んで笑っている。


私はタンポポの布団を一枚、店先に吊るす。風が吹くと、ふわりと白い綿毛が舞い上がった。


「おばあちゃん、また春が来たよ」


私の口からこぼれたその言葉は、ガラス戸越しに差し込む春の日差しに溶けていった。

温厚に溶解する世界に包まれていると、視界の端で、人影がひらりと視界に映り込んだ。油断してた私は「いらっしゃいませ」と唱えて心を落ち着かせてからレジに見向かった。お客さんは既に駄菓子を置いていて暇そうに煙管をふかしている。罪悪感を解消するのに必死だったからか、私はプロも顔負けの手捌きで玉をパチパチと打って会計を済ませられた。満足げに「ありがとうございました」と言ってその場にある椅子に腰かけた。自己ベスト更新したんじゃないかな。などともう一度窓から差し込む光にうつつを抜かしていると、まだ帰ってなかったらしいお客さんがこちらに語り掛けて来た


「ずいぶん手際がいいね」


声は、春の終わりに吹く風のように軽やかで、それでいてどこか澱んだ湿り気を含んでいた。顔を上げると、客は小さな駄菓子の袋を指先で弄びながら、煙管を口元から離してこちらを見ていた。


「布団屋に駄菓子なんて置くんだな」


その言葉に私は、はっとして笑った。駄菓子は母の代のころから棚の片隅に置かれ続けている。子どもたちがタンポポの綿毛を持ってきてくれたお礼に、一つずつあげるために仕入れたものだったのだ。


「そうですね、子どもたちが来るから」


「ほう」


客は煙管をくるりと回し、赤く光る灰をコンクリートの地面に落とした。その仕草が妙に古めかしく見えて、私は思わず視線を奪われる。


「昔、ここでタンポポの布団を作ってもらったことがある」


そう言って笑った客の口元は、柔らかい笑みと深い皺で覆われていた。いつからいたのだろうか。昔からそこに立っていたかのように自然だった。


「暖かかったよ。あれで冬を越せたんだ」


その言葉に、胸の奥で何かが温かく膨らんだ気がした。私は何も返せずに「そうですか」とだけ言った。


店内に漂うタンポポの匂いが、柔らかい風と一緒に揺れる。光がレースのカーテン越しに差し込み、埃をきらきらと舞わせていた。客は煙管を口元に戻し、一度だけ煙を吐くと、何も言わずに店を出ていった。


残された煙の匂いが微かに鼻を掠める中で、私は一歩外に出て、店先のタンポポ布団に目をやった。春の風がふわりと吹いて、白い綿毛がまたひとつ、空に舞い上がった。


その綿毛がどこへ行くのか、私は知らない。ただ、遠くへ行ってくれることを願いながら、その小さな布団の角を整えて店内に戻った。

:

店に戻ると、タンポポ星人が私の帰りを待っていた。

「来てましたか」

「…」タンポポ星人は口がないから話せない。その代わりか、相槌のように小さく発光する。

タンポポ星人は自らの体を点滅させながらふよふよと宙で動いて店のバックヤードに吸い込まれていった。もしかして案内してるのかな

私は店の戸を閉め、タンポポ星人の後を追ってバックヤードへ向かった。古びた戸棚と、祖母の頃から使い続けている綿詰め用の大きな布袋が並ぶ小さな部屋。その奥で、タンポポ星人は淡く黄色く光りながら浮かんでいた。


「何か、あるの?」


返事はない。ただ、タンポポ星人はぽわりと明滅しながら、古い木箱の上へふわりと移動する。視線を向けると、そこには私が子どもの頃から見覚えのある、小さな手回し式の綿毛ふるい機が置かれていた。


「これを、使えってこと?」


タンポポ星人はまた小さく点滅した。肯定か否定かはわからないけれど、その光には不思議と急かすような焦りが感じられた。


私は木箱を開け、中から布団用の生成りの布を取り出した。春の終わりになり、そろそろタンポポの綿毛も集まらなくなる時期だ。今日集めた最後の綿毛を、このふるい機にかけろということなのかもしれない。


ふと、タンポポ星人が私の肩のあたりまで降りてきて、そっと漂った。淡い光が私の頬を照らすと、タンポポの匂いが鼻を掠める。


「わかった、やってみるね」


私は集めておいたタンポポの綿毛をふるい機に入れ、ゆっくりとハンドルを回した。軋む音とともに、中で綿毛が回転し、小さな埃や種が外れていく。ふるいの底からは、さらさらとした純白の綿毛だけが零れ落ち、空気に乗ってふわりと舞い上がった。


タンポポ星人はその綿毛の流れの中に入り込み、ひときわ強く光ったかと思うと、その姿を綿毛の中に溶かしていった。光はしばらく漂い、やがて綿毛と一緒に布袋の中へと落ちていった。


「…え?」


私は思わず声を出した。タンポポ星人は、その体を綿毛に溶かしてしまったのだろうか。それとも、この綿毛の中で生きているのだろうか。


そっと袋の口を縛り、布団用の生成りの布を取り出して広げた。そこに、今日仕上がったばかりのタンポポの純綿毛を優しく入れ込んでいく。触れると、かすかに温かい気がした。


「ありがとう」


そう言って布を閉じ、私は新しい「タンポポ布団」を縫い上げ始めた。針を進めるたび、白い綿毛がふわりと小さく光るように見える。


タンポポの香りに包まれながら、私はその布団を縫い終えるころにはもう、春の夜風がひんやりと店内に流れ込んでくるのを感じていた。

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