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故郷捨テル  作者: 智葉亜紗芽
小学校編
6/19

これまでの担任が濃ゆすぎて影が薄くなった担任

 4年生の時の担任は、はっきり言ってこれまでの担任が濃ゆすぎて、私の中では影が薄い存在となってしまった。逆に考えれば、2年連続担任ガチャを外した私には、比較的マシな方の担任なのかもしれない。

 だがしかし、私にとっては「3年連測担任が男」であるという事実にウンザリしていた。この時の私は、ハンコ先生でのトラウマなど、度重なる男絡みのトラブルで極度の男性不信を起こしており、そんな私にとっては、女の先生の方が一番心を開きやすかったと言っても過言ではないのである。


 そんな自分にとって影の薄い先生だが、この一年間を通して先生に不満がなかったワケではない。寧ろ、教え子同士のトラブルの対応に関して不満がかなりあった。今回はこの先生の事を、集会の時にいつも放送室で教え子達様子を見ていたことから「放送室先生」と呼ぶことにする。同姓同名の教師が存在するからだ。ちなみに、放送委員会の顧問も放送室先生だ。


 放送室先生は音楽を教えるのが苦手で、音楽の授業は同じ学年を受け持ってる先生で、音楽の専門知識を持っている女の先生が教えていた。私のクラスが音楽の授業を受けている間、放送室先生は音楽の先生のクラスで体育を教えていた。

 だが、そんな放送室先生が一時期音楽を教えていた事がある。それは、音楽の先生が喉の病気で一か月ほど休む事になったからだ。この時期は運動会が終わり、11月にパルティホールこと、常陸太田市民交流センターで行われる音楽会を控えていた時期である。

 この音楽会で、世矢小学校では毎年4年生全員が合唱をすることになっていた。世矢小学校だけではなく、当時は常陸太田市内の小学4年生の合唱や、市内の中学校吹奏楽部の演奏、現在は統合によって廃校になってしまったが、太田第二高等学校合唱部の合唱などが催されるイベントなのである。

 放送室先生は学年主任としてのプライドがそうさせてしまったのか、合唱の練習は殆どスパルタといっても過言ではなく、いつもとは違った怒鳴り声がよく飛び交った。他のクラスとの合同練習の時も同様だ。少しでも音程やタイミングがズレると、すぐに最初からやり直しをさせられた。私は正直言って、この時期の放送室先生はとても怖く、音楽の先生が一日も早く回復し、またいつものように音楽を教えてほしいと何度も思った。


 音楽の先生が戻ってきたのは、音楽会まであと二週間を切った時だった。音楽の先生が戻って、放送室先生は安心したのか、もう合唱の練習でスパルタっぷりを発揮することはなくなった。音楽会も無事に終わり、放送室先生が音楽を教える事はなくなった。


 現在、放送室先生の消息はよくわかっていない。少なくとも弟が小学5年生までは、放送室先生は世矢小学校にいた。その後はハッキリしていない。茨城県内の小学校で校長先生になったという話も耳にしたが、それが放送室先生本人であるかは定かではない。当時の年齢も忘れてしまったほど、私にとっての放送室先生は、本当に影が薄かったのである。

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