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故郷捨テル  作者: 智葉亜紗芽
小学校編
3/19

おばあちゃん先生

今回より小学生の頃の話となります。

 1992年4月、私は世矢小学校に入学した。ここでの思い出話は一学年ごとに一つにまとめるのは難しく、また学年を跨いだ話も存在するため、まずは各学年ごとの担任の先生の話をしていこうと思う。


 最初に紹介する先生は、1年生の時の担任の先生である。この先生は非常に温厚な女の先生なのだが、定年を控えたおばあちゃん先生だった。私はこの先生に叱られたことがあまりないに等しかったが、この時に察した我が家が他の家と感覚がズレている事をよく話していた。しかし、その事をおばあちゃん先生が親に話してしまったため、帰宅後さらにひどい仕打ちを受けてしまったのだが。


 そんなおばあちゃん先生とのエピソードは、クラスメイトや家族のエピソードが強烈すぎてあまり思い出せないのだが、写生会の時にかみね公園に行った時のことだろう。その時、私はキリンの絵を描いた。その際、おばあちゃん先生から「動物ばかり描いてないで、人も描きなさい」と言うものだから、その時の私はムキになってキリンを見る人たちを描いたのである。そして、その一言部分に「キリンだけじゃなく、人もしっかり描いたわ!ボケ!」と投げやりかつ、ケンカ腰言わんばかりの小学校一年生なりの絵の特徴を述べた。そして、それがなぜか金賞を受賞し、市の展覧会に飾られた時期があったのである。もちろん、投げやりかつケンカ腰と言わんばかりの一言もついた状態で。


 また、おばあちゃん先生には致命的な欠点があり、横文字の聞き取りや発音がうまくできなかったのである。当時母は「セイコーマート」というコンビニにパートとして勤めていたのだが、母の職場を聞かれたときも、何度も聞き返されたことがあった。そもそも、当時の茨城県民にとって「セイコーマート」は珍しい存在だったのかもしれない。

 余談ではあるが、初めてコミケに行った時、北海道出身の人の前で「茨城にもセイコーマートがある」という趣旨の話をしたら、その人にびっくりされた事があるくらいだ。


 話をおばあちゃん先生の時に戻す。おばあちゃん先生の時のクラスは、クラスメイトがよってたかって私を嫌悪するので、先生がよくてもクラスメイトがぶっちゃけ不満だったことは言うまでもない。特に「棚部」というイキリ野郎には中学校3年まで不快な思いをされてきた。

 2年生に進級した際、クラスのメンバー自体はそのままで、先生だけがおばあちゃん先生から別の先生に変わった。


 おばあちゃん先生は、「6年5組」…現在でいう「支援学級」の担任になった。支援学級の担任になったおばあちゃん先生とは会う機会が少なくなったが、担任だった頃とは変わらない優しい先生であった。そして、その支援学級で教員人生を終えたのである。それ以来、おばあちゃん先生とはそれっきりである。現在もご存命なのかはわからない。せめて下の名前の漢字が思い出せられれば、少しは調べやすくなるのだろうが…

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