第8話「友達(ダチ)」
「中居くん!!」
「中居!!」
「う、おお…………っ」
しくじった。
まさかてめえで持ってきた鉄パイプを鹵獲されて、それで芦田から不意打ちを受けてしまうとは、おかげさまで脳震盪を起してしまったらしい俺は、坂巻とのタイマンで負ったダメージも相まって、もう立ち上がる力すら残っていなかった。
指先はギリギリ動くが、四肢に全く力が入らない。
体が痙攣する、気持ち悪い、頭が痛い、動けない。
「芦田!! あんた、どえらいことしてくれたな……!!」
辛うじて意識を保った俺は、平川が怒り心頭な様子で構えるのを見る。
「おーっと、動くんじゃねーよ? こいつ殺されてもいいの?」
だが芦田はニタニタと笑ったまま、俺の髪を掴んで強引に持ち上げ、首元に鋭くて冷たいものが触れるのを感じた。
ナイフを突きつけられているのか、卑怯な野郎だ。
「芦田……あんたそれでも男かいな」
平川もギリギリと歯を噛み締め、険しい表情で芦田を睨んだ。
「バカじゃね? 喧嘩なんて要は勝ちゃいいんだけじゃん」
「やめて!! 中居くんを離して!!」
小此木が最早悲鳴に近い声で、俺を解放するように芦田に要求する。
「小此木ちゃ~ん、騒ぐなよ? マジでコイツの首にブスっと刺しちゃうよ?」
「やだ!! やだよ!! 架純ぃぃぃ!!」
「くう……っ!!」
小此木はボロボロ泣きながら平川に泣きつくが、俺を人質にとられたことで身動きが取れないのか、平川は悔しそうに歯を噛み締める。
冗談じゃない。
俺のせいで、俺が足を引っ張るような形で、せっかく切り開いた突破口を塞いでたまるか。
「平川、俺に構うな……やれ」
俺の命はどうでもいい、だから掠れた声で平川に命じた。
「おい、立場を弁えろよ雑魚」
俺の声を聞いた芦田の行動ば早かった。
ひどく冷めた声でナイフを首に押し当て、灼熱を覚えると同時に何かが首筋から流れるのを感じる。
刃物の先端で、首の皮を薄く斬られてしまったようだ。
「中居くん!!」
「オレの要件は一つ。小此木ちゃん、今ここでオレの女になってキスしてよ」
「え……っ」
小此木の顔が絶望に染まった。
「そうしたら中居の命は助けてやるわ、悪い話じゃないっしょ?」
「あんた汚いで!!」
「騒ぐなよ。おまえもだ、平川。坂巻さんの仲間を倒して、オレのことも蹴飛ばしてくれたよね? オレにご奉仕するくらいの詫びがあっていいんじゃない?」
平川に卑劣な要求をする芦田の表情は、まさに獣としか形容できないほど醜悪に歪んでいた。
吐き気を催すほどのクソ野郎すぎて、今すぐ芦田をブン殴ってやりたい。
だが俺の体は腕一本上げることさえままならないほど、全然言うことを効いてくれない。
最悪の状況である。
「……わかった。うち、あんたの女になってもええ」
「へえ?」
平川が諦めた表情でそう提案すると、芦田の口角がニタァと上がった。
「架純?」
「ひ、平川……っ」
平川は拳を下ろし、覚悟を決めた眼差しで芦田を見つめていた。
あいつ本気か。本気で自分を犠牲に、俺と小此木を助けるつもりか。
「その代わり、美咲と中居は勘弁してや。芦田の望むこと、なんでもする」
「いいじゃん。まあ小此木ちゃんのほうがオレは好きだけど、平川も普通に可愛いし、小此木ちゃんよりおっぱい大きいもんな……いいよそれで」
不敵な笑みを浮かべ、平川の案を承諾する芦田。
クソッタレ、この野郎はただボコボコにするだけでは気が済まない。
「ただし相手するのはオレだけじゃねえ。坂巻さんや北高のみんな、全員に体で賠償してもらうから」
芦田のあまりにもゲスすぎる発言に恐怖を覚えたのか、平川の顔が青ざめた。
震える平川、横で俯いてすすり泣く小此木。
地獄絵図とはまさにこのことだが、それでも小此木という親友を守りたい気持ちが強いのか、平川は両手で自分の頬を叩き、覚悟を決めた顔で芦田を真っすぐ見つめた。
「……わかった、それで済むならそれでええ」
「よぉし、じゃあ中居は解放してやるか……ほら、おまえはもう用済みだから」
「ぐっ!?」
そう言って芦田は俺を乱雑に投げ捨て、再び床に寝転がることになった。
「大人しく従えよ? いくら空手の達人でも、この距離なら簡単に刺さるよ?」
「…………。」
芦田はゲスな笑みを浮かべ、ナイフを構えた状態で平川に近づく。
平川は黙って直立したまま、泣きそうな顔で芦田の顔を睨んでいた。
やはり平川だって女の子。当然だ、今から尊厳を踏み躙ろうとする芦田が怖いだろうし、悔しいだろうし、本望ではないはずだ。
あの目に浮かべた涙を見ていると、なんとかしなくてはと気張ってしまう。
「ぐ、この野郎……!!」
立ち上がろうと何度も藻掻いてみせるが、意思とは無関係に体が痙攣して力が全く入らなかった。
「じゃあまず、芋虫みたいに動けねえ中居の前でハメちゃおうかな」
「……っ!!」
芦田が平川の手を掴もうとする。
絶望に染まる平川の顔、泣き止む気配のない小此木。
──ぶっ殺す。
そう思って両腕に力を入れようとしても、全く力が入らない。
もうダメなのか。
このまま小此木を、平川を救うことができず、芦田に蹂躙されてしまうのか。
俺は、この程度でへばってしまうほど弱い男だったのか。
「随分と醜悪な現場ね……吐き気を催すわ」
もうダメだと、歯を食いしばって目を瞑った瞬間だった。
広い廃ボーリング場の中に、透き通るような声が響き渡る。
「な、おまえは……っ!!」
「ごきげんよう、芦田君」
俺の目に映ったもの、それは藤村詩歩が腕を組んで佇む姿だった。
「詩歩!?」
「え、詩歩ちゃん……?」
小此木と平川も、藤村の登場に反応する。
「心配だから来てみれば……やっぱりピンチになっていたようね」
「へ、へへ。あんた鬼の委員長か? 女が一人、ノコノコ現れて何の用?」
「芦田君、あなたもう終わりよ? この事は全て警察に通報済みだから」
長い黒髪を掻き分け、靡かせる。
自身に満ちた笑みを溢し、明日に対して脅しをかけたのだった。
「クソが!! 藤村殺す!!」
藤村の挑発にブチギレた芦田が、俺たち三人に背を向け、目を血走らせて藤村に立ち向かっていく。
ナイフを大きく振り回しながら走る芦田と、藤村の距離が縮まっていく。
「あかん!!」
それを見た平川が反応し、芦田の後を追って駆け出した。
だが一歩遅かったのか、それとも身長差からくる足の長さか、芦田のほうが足が速いようだ。
平川は追い付けず、刃物を持った芦田は、もう藤村の目の前だった。
「詩歩!!」
平川が叫ぶ、だが芦田には届かない。
「身の程知らずね……いいわ、相手してあげる」
すると予想外なことに、なんと藤村は自ら走って芦田との間合いを詰めた。
「詩歩ちゃん!!」
「あの馬鹿。藤村、逃げろ……!!」
無理だ。
確かに藤村は運動神経が良いようで、文武両道で体育の成績も良いという優等生だが、身体能力の高さと戦闘に強いかどうかは別問題。
藤村は素人の女子高生、ましてや芦田はナイフを持っているし、芦田はマトモな精神状態とは到底思えない。
武術の達人だって、素手で狂人状態の人間を止めるのは難しい。
しかし俺たちの叫びとは裏腹に、もうお互いに間合いの距離だった。
「死ね、ふじむらあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
芦田の凶刃が、無情にも叫び声と共に振り下ろされる。
「……えっ!?」
ところがその瞬間、芦田の後を追って走っていた平川が立ち止まった。
それと同時、なんと藤村は斬撃をギリギリで躱して芦田の懐を取っていたのだ。
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
そして断末魔をあげたのは、まさかの芦田のほうだった。
「詩歩……?」
「詩歩ちゃん?」
「ふ、藤村……あいつ」
バチバチと音を立て、絶叫し続ける芦田。
藤村の右手に握られていたのは、スタンガンだった。
「あ、ああ……」
芦田が力なくナイフを落とし、ピクピクとしながらも辛うじて踏みとどまる。
「終わりよ」
長い髪を靡かせながら素早く動いた藤村は、芦田の右手を左手で取ると、そのまま右の拳で芦田の鳩尾を打つ。しかも流れるように取った左腕を肩に担ぎ、臀部で押して芦田の長身を持ち上げた。
そして明らかに藤村より体重があり、背が高く、ガタイのいい芦田を背負い投げたのだった。
「ぎょえ!?」
受け身もロクに取れなかった芦田は、情けない声を出して気絶したようだ。
藤村が芦田を見下ろす中、芦田はもうピクリとも動かなかった。
「やれやれ、抵抗しなければ殺されるところだったわ……」
「詩歩、あんた今の……」
「祖父が古流柔術の先生で、私も嗜み程度にやっていただけよ」
「いや今の嗜み程度ちゃうやろ!! 下手したらうちより強いんやないか……?」
平川が身振り手振りを用いて藤村にツッコミを入れていた。
マジかよ、平川どころか藤村も俺や直人より強い疑惑があるのか。
藤村のおかげで窮地を脱することが出来た反面、今まで喧嘩自慢で鳴らしてきたつもりだったが、積み重ねてきた自信は今の一瞬で崩れ去った。
「ところで早く逃げないと、詩歩おまわり呼んだんやろ?」
「ああ、警察は嘘よ」
「え、嘘!?」
「勿論、中居君の意思を尊重したわ。ただ冷静さを欠いた人間を思い通りに動かすために、咄嗟についた嘘よ」
俺も一瞬、藤村が本当に警察を呼んだのかと疑ってしまったが、芦田を焦らせるための藤村の作戦だった。
武術家というか、兵法家というか、とにかく策士だと思った。
──なんか、安心したら一気に眠くなってきた。
「中居くん!? しっかりして、ねえ!!」
「あ、中居!! あれやばない!?」
「え、中居君? ちょっと、しっかり気を持ちなさい!!」
朦朧とする意識の中、最後に見たのは小此木の泣きじゃくる顔と、慌てた様子の平川と藤村が駆け寄ってくる姿だった。
…………。
……。
真っ暗だった俺の視界に、光が差し込んでくる。
「ん、んん……」
瞼が重たかったが、意思とは無関係に目が覚めた。
「あ、中居目覚ました」
「な゛か゛い゛く゛ん゛!!」
平川の声が聞こえてきたと思いきや、いきなり何かが俺に飛び込んできた。
多少の勢いがあったので重みを感じたが、それは温かく、柔らかくて、甘い香りが漂ってきて、髪が桃色だった。
そこでようやく、小此木が泣き喚きながら抱き着いてきたことに気付く。
「小此木? え、ここは……?」
「病院よ。あなた、また入院かってお医者様が嘆いていたわ」
「藤村? オメーまで……」
個室の病室には小此木がいて、藤村と平川もベッドの近くに椅子を置いて座っていた。
「しかも、ここ美咲のお母さんの職場って、ほんま世間は狭いな」
「へ? そうなのか……」
坂巻とのタイマンでズタボロになりながらも辛勝し、芦田の不意打ちから平川と小此木を庇い、動けなくなって窮地に陥っていた。だが藤村が予想外に強くて芦田を瞬殺したところまでは覚えている。
その後、この三人が病院まで運んでくれたのだろうか。
「中居くん、ごめんなさい……ひぐっ、私の、私のせいで……こんなことに巻き込んで、中居くんに大怪我させてしまって……ぐすっ、ごめんなさい」
小此木は俺にしがみついたまま、離れてくれない。
困った挙句、俺が取った行動は小此木の背中に手を回し、抱きしめること。
「……別に、オメーのせいじゃねーよ」
坂巻が動いた一因は直人との揉め事かもしれないが、結局今回の件は芦田が一人で暴走し始め、周囲を巻き込んで大事になっただけの話。
諸悪の根源は芦田であり、小此木のせいでは断じてない。
「でも、こんなボロボロになって……ひぐ、ぐす、なんでこんなになってまで私のことを助けようと……」
「……友達を助けるのに、理由はいらねーだろ」
「ううぅ、中居くん……!!」
さらに強くしがみついてくる小此木に応えるように、俺も小此木をさらに強く抱き寄せた。
出会ってから日は浅いが、小此木はもう友達の一人だと思っている。
あの日、ワックで本気な目付きで色々俺に言ってきた事、藤村や平川とこうして協力できた状況を作ってくれたこと、それは全て小此木が作った状況だ。
この二人がいなければ、恐らく北高の連中と芦田に負けていた。
勝てたのは二人のおかげで、二人が協力してくれたのは小此木の存在。
──だから俺は、小此木を友達だと認めた。
「なんや中居、いっちょ前に赤くなって」
「うるせーよ……まあ、オメーらにも感謝してっからよ」
「あら意外、あなたが私に礼を言うだなんて」
「どういう風の吹き回しや」
二人とも驚きのあまりか、きょとんとした顔を浮かべた。
「悔しいが、俺一人で勝てる奴らじゃなかった……マジで助かったと思ってる」
「なんやねん気持ち悪い!! うちは美咲を助けようとしただけやし!!」
平川は俺から顔を逸らして大声で言い訳をしていたが、顔が真っ赤なので照れ隠しなのはバレバレだった。
親友の危機に、どうでもいいはずの俺まで救おうとして、自分の体を差し出そうとさえしていた平川。今回の事で、こいつには頭が上がらない。
「これに懲りたら、今度からはもう少し真面目になって、もっと積極的に人を頼ることね」
藤村も説教くさいことを言っていたが、その表情は穏やかで優しさを感じるものだった。
ただ突っかかってくる鬱陶しいだけの奴だと思っていたが、コイツはコイツなりに人のことを心配していて、そのために身を挺して動ける奴だと思った。
──まあ、もう少し藤村のことをマトモに相手してやってもいいか。
そう思えるほど、今回のことで藤村には感謝している。
「オメーら……恩に着るぜ」
内田東高校の奴らは、中学から一緒の直人以外はつまらない奴ばかりだと思っていた。
だけどよく笑って泣く小此木と話すようになって、小此木を中心に義侠心に溢れた平川とも関わりが出来て、今までいがみ合っていた藤村のことも少しどんな奴が知ることができた。
彼女たちは全員、同じ学年で、同じクラス。
──だからなのか、少しだけこれから先が楽しみだと思い始めていた。
彼女たちとつるんでいたら、今まで退屈だった学校も楽しくなるんじゃないか。
そんな気分になりつつ、小此木が落ち着くまで抱きしめ続けた。