第6話「三角飛び蹴り」
それから予定通り、俺は月曜日の朝には退院することができた。
額には包帯を巻いた状態で、右の頬にはガーゼを貼り、幸い骨には異常がないので松葉杖は使わずに済んだが、根性焼きをされた手には包帯が巻かれていた。
時刻は午前十時。
既に始業時刻を過ぎているが、こんな状態で学校に行けるわけがない。
──お前は一体、何処まで迷惑をかければ気が済む気だ。
入院費用に関しては、親父がそれだけ言って金だけ置いていった。
ムカつく。今回に関しては完全に言いがかりで襲撃を受けただけなのに、アイツはやはり世間体を気にするだけで、自分の立場さえ守られるなら、俺が怪我しても死んでも関係ないのだろう。
出歩くような気力もないので、とりあえず家に戻る。
親父は仕事、あの女は恐らくパート、家には誰もいなかった。
「はあ……」
深いため息を吐いて、大の字になってベッドに寝転がった。
「……藤村?」
スマホを取り出すと、何件かメッセージが届いていることに気付いた。
『今日は学校サボり? ちなみに芦田君も来ていないけど、何かトラブルは起きていないでしょうね?』
「……具合悪いだけ。なんも起きてねーよっと」
藤村の勘の鋭さにぎょっとしたしたが、北高が動いているなら藤村に動かれても危険のほうが大きい。
芦田も学校をサボっているという情報は得られたが、この件には誰も巻き込む気はない。坂巻が動いた理由の一つには直人の件も絡んでいるみたいだが、謹慎中の直人にこれ以上のリスクを負わせるわけにはいかない。
また芦田が小此木にちょっかいをかける可能性もあるが、そうはさせない。
──俺一人でケジメをつける。
ただ流石にしんどい。
昼間に動いても仕方がないので、行動に移るのは夕方になってからだ。
『学校休み? 大丈夫?』
『大丈夫、問題ない』
心配のメッセージを送ってきていた小此木にも返信をして、深呼吸をして眠りにつく。
…………。
……。
次に目を覚ましたのは、だいたい十六時半頃であった。
もう七限も終わっている頃合いなので、かなりの長時間眠っていた。
「…………。」
無言で起き上がった俺は、黒字に白い文字がいくつかプリントされたスウェットと、同様の柄のパーカーに着替えた。
そして部屋にあった三十センチほどにカットした鉄パイプを持ち、それを腰に忍ばせた。
──必ず見つけ出して殺す。
奴らは徒党を組まれれば厄介だが、一人ずつなら勝機がある。
芦田も、坂巻も、全員潰してやる。
「……平川?」
突然、スマホがバイブレーション機能によって激しく震え、画面を確認してみると平川からの着信だった。
平川とは先週末の放課後、ワックを食べに行った時に連絡先を交換していた。
「……もしもし?」
『良かったわ、出てくれはった!!』
電話越しに聞こえる平川の声は、妙に慌てて落ち着きのない様子だった。
「なんだよ、なんかあったのか?」
『なんかあったどころの騒ぎやない、美咲が……芦田と変な連中数人に連れてかれたんや!!』
平川の叫びを聞いた瞬間、俺は全身に稲妻が走ったような衝撃を受ける。
一気に悪寒に苛まれ、そして沸々と怒りが沸き起こり、体が小刻みに震えた。
「あのクソ野郎……ッ!!」
『すまん。うち掃除当番で教室にいて、追いかけたけど間に合わんかったわ。せやけど尾行はできてるから、絶対美咲は取り返す』
言われてみれば通話からは平川の吐息が聞こえる。
芦田たちが何処へ向かっているのかわからないので、尾行してくれること自体はありがたいのだが、芦田には不良の巣窟で頭数がやたら多い北校の連中がバックにいる。
いくら平川が空手二段とは言え、危険すぎる。
「追うのはいいけど、深追いするな。奴らの溜まり場を特定したら、突入しないで俺に連絡を寄こせ。今から原チャでぶっ飛ばして行くからよ」
『けど、このままだと美咲が!!』
「うるせえ!! 向こうも頭数多いんだろ、合流するまで奴らと接触するな!!」
叫ぶことで、ようやく電話越しの平川が黙った。
準備しながら通話をしていたので、俺はもう靴を履いて玄関を飛び出した。
「場所わかったら教えてくれ。どうせ芦田と一緒にいるの北高の奴らだろ……全員まとめて潰してやっからよ」
『中居!!』
俺の苗字を叫ぶ声が聞こえたが、平川からの通話を切って原チャのエンジンをかけた。
場所はまだわからないが、恐らく芦田と一緒にいるのは北高の連中で間違いないだろうから、奴らの溜まり場だろう。
ということは北高から遠くない場所だと思われるので、とにかく北高方面に向けて走れば、いずれ平川から位置情報が送られてくるはずだ。
「三十万払わせる気にする方法って、コレかよ……クソが!!」
スマホホルダーにスマホをセットして、俺はとにかく原チャを北高方面に飛ばす。
制限速度の三十キロなどお構いなし、とにかく出せるだけスピードを出した。
「……あ? 藤村?」
今度は藤村から着信があった。
運転中なので出ようか迷ったが、通話ボタンを押して出ることにした。
「なんだ藤村!! 今取り込み中だから、くだらねえ用事なら後にしてくれ!!」
『その様子だと、あなた喧嘩しに行くつもりかしら?』
「あ?」
もしかして藤村の奴、俺が何処に向かっているのか察しているのか。
『どうやら図星のようね』
「……チッ」
『舌打ちしないでちょうだい。あなたに伝えなければならないことがあるわ』
「なんだよ、手短に頼むわ」
『私も美咲が連れ去られるのを見たわ。そしてあなたの下駄箱に美咲の身柄を返して欲しければ、三十万耳揃えて持ってこいって紙が入っていたわ』
「あのクソ野郎!!」
頭に血が上りすぎて、俺は思わず藤村と通話状態なのに怒りで叫んでしまった。
『今回の件、大事件になりそうね。警察に通報しようと思うわ』
「馬鹿かてめえ!! 警察待ってたら奴らは捕まっても、小此木の身が無事とは限らねえだろ!!」
確かに藤村の言う通り、芦田たちがやっていることは犯罪だ。
警察に頼っても捕まることは間違いないが、それより小此木の身の安全が最優先なので、場所もわからないのに悠長に警察を待っている余裕はない。
何より警察なんかに任せて、俺の気が済まない。
──この手でケリつけないと、収まりつかねえよ。
藤村からは反論されるかと思った。
『……そうね、あなたならそう言うと思ったわ』
だが以外にも藤村は物分かりのいい返事をしてきた。
『今回に限り黙認してあげるわ、絶対に美咲を助けて』
「……上等だよ、小此木助けてアイツら全員潰してやっから」
そう言って俺は藤村からの通話を切った。
それから少し走って、まもなく北高付近に差し掛かるというところで、今度は平川から着信があった。
『もしもし中居!! 場所わかったわ、内北町のバイパス沿いの廃業したボーリング場やわ!!』
「そこが奴らの溜まり場か……わかった、俺が着くまで軒先で待ってろ」
『わかった、あとどれくらいで到着する?』
「現在地からなら五分もかかんねーよ、待ってろ」
『わかった、待ってるわ!!』
平川からの通話を切り、スロットルを全開で開ける。
全開で走り続けること約四分、田畑が見えてきたあたりで一軒、異様な雰囲気を放つ大きな建物が見えてきた。
色褪せたボーリング場の看板で、舗装はされているが荒れ放題で、アスファルトに入ったヒビから雑草が生い茂る、しばらく使用された形跡がない廃墟。
正面玄関は封鎖されているだろうから、侵入経路があるとすれば従業員用の出入り口であろう。
裏手に行くと、案の定そこで平川がしゃがんだ状態で待っていた。
「中居!!」
「待たせたな、ここか?」
「入ってくの見たで。てか中居、あんたその怪我は……?」
「説明は後だ。アイツらぶっ殺してくるから、オメーここで待ってろ」
連中の標的はあくまで俺、この問題に平川は関係ない。
突きを見た感じ、平川は空手の達人なのだろうが、巻き込むわけにはいかない。
そう思ったから平川に待機を命じた。
「あんた、なに言うとるねん。怪我人に任せられるわけないやろ」
「うるせーよオメーには関係ねえだろ、危ねえから引っ込んでろ」
「中居こそ黙ってうちに背中預けろ。あんたに心配されるほど弱くないねん」
平川は熱のこもった面持ちで、正拳を作って俺にそう言ってきた。
「空手の試合じゃねーんだよ」
「わかっとる。せやけど人間ぶっ叩く練習を五歳の頃からしてるんや、足手まといになる気はない。それに美咲の親友として、ここで黙ってられへん」
平川の目を見て、肝の据わったいい顔だと思った。
確かに平川が稽古を続けてきた空手は、かつて牛を殺したことで有名な空手家が創設した直接打撃制の実戦流派だ。
試合では顔面を狙わないことに一抹の不安はあるが、対人戦という意味において長年そのために鍛錬を重ねてきた事は大きい。
何人いるのか不明だし、戦力は一人でも多い方がいいか。
「……好きにしろよ」
「ふふ、腕が鳴るわ」
ここにきて笑みを溢す平川の姿を見て、平川を信じることにした。
この状況で笑いが出るということは、恐らく戦闘狂なのだろう。
「よし、行くぞ」
そして俺はドアノブを捻り、平川と二人で廃ボーリング場に潜入した。
警戒しつつ通路を歩き、やがていくつものレーンがある遊技場に到達したところで、数多くの人影を見つけた。
「美咲……っ!!」
平川が声を漏らす。
灰色のブレザーを着崩した坂巻と、土曜の夜に俺を襲撃した時と同じ格好の芦田。
坂巻と同じ制服を着用した不良どもが六人いて、坂巻たちが取り囲む中心には、小此木が両手を縛られた状態で座っていた。
人数は坂巻と芦田を含め、八人。
「結構な人数やな……」
「不意打ちかけて取り巻きから潰すしかねえな……イケるか、お前?」
「そういう中居こそ、怪我しとるけど戦えるん?」
「問題ねえよ、気合い入ってっからよ……」
懐から鉄パイプを取り出す。
「武器使うのは関心できへんな」
「五体満足じゃねーし、相手は八人だからよ……これでやっと五分だ」
「ほな行こうか」
「とりあえず坂巻と芦田以外、一人三人だ……行くぜ!!」
決意を固めた俺と平川は、物陰から連中をめがけて一気に飛び出した。
「な、なんだ!?」
「うわ、中居だ!!」
俺たちの気配に気づいた連中が騒ぎ始めたが、もう遅い。
既に取り巻きの間合いに入り込んでいた俺は、一人の頭に思いっきり鉄パイプを振り下ろしてやった。
「オラァ!!」
「ァ……」
鈍い音が響き渡ると、直撃を受けた北高の一人は声にならない声を出して、完全に失神したようでうつ伏せに倒れた。
「ちぇすとぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
平川の飛び蹴りも一人にクリーンヒットしたようで、平川の強烈な蹴りを受けた相手は一撃で失神した様子である。
「中居くん!! 架純!!」
小此木が泣きそうな顔で、俺たちの名前を叫んだ。
「中居の野郎、武器持ってやがる!!」
「なんだあの女、絶対なんかやってる動きだぞ!?」
「構うもんか、やっちまえ!!」
四人が一斉にこちらに向かってきたので、俺は鉄パイプを振り回しながら北高連中に向かっていった。
「ぐっ!?」
鉄パイプで頭を狙ったつもりだったが、相手はギリギリで反応したのか、狙いが外れて鉄パイプは相手の肩に直撃した。
それでも人間の体の何倍も頑丈な鉄パイプで、肩を思いっきり殴打された痛みは計り知れないもので、相手は肩を抑えてうめき声をあげ、動きが止まった。
「死ねや中居!!」
振り終わりのタイミングで、後ろから殴りかかってくる奴に気付く。
「遅ぇんだよ、オラ!!」
「ごふっ!?」
咄嗟に反応して横蹴りを浴びせ、それが相手の鳩尾に深々と刺さる。
それにより動きが止まった相手に対し、今度は鉄パイプを振り上げる。
「てめえが死んどけ!!」
そして再び鈍い音が響き渡り、頭に鉄パイプの直撃を浴びた相手は、皮膚が裂けて額から血を流しながら、気を失って力なく倒れていく。
即座に振り返ると先ほど肩を殴打した奴が向かってきていた。
──大した根性だ、北高の連中は。
だが片腕は使える状態ではないらしく、振り上げた右手もテレフォンパンチすぎて予備動作が大きい。
「遅ぇ!!」
相手のパンチを躱すと同時、鉄パイプを横に薙ぐように振ると、相手のこめかみにゴンという鈍い音を立てて直撃。
すると相手は完全に力を失い、スローモーションのようにうつ伏せに倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
正直、人数も人数だから素手喧嘩だったら厳しかった。
だが不意打ちと鉄パイプ、そしてベストな立ち回りのおかげで三人を倒せた。
「シュッ!!」
「ごあっ!?」
振り返ると、ちょうど平川が上段廻し蹴りを相手の側頭部に直撃させていた。
制服のスカートがひらりと捲れ上がり、一瞬パンツが見えると思って期待してしまったのだが、奴はスカートの下に短パンを履いていた。
非常に残念だ。
「ふぅ~~」
しかし平川も三人全員を倒し、こちらにまで聞こえる程の吐息を立てて呼吸を整えている様子だった。
大の男三人を素手で全員軽々と倒してしまうとは、空手二段は伊達じゃない。
「なんなのお前ら……マジできめえんだけど!!」
すると芦田が咆哮し、なんと奴はナイフを抜きやがった。
そしてナイフを片手に、明確な殺意が籠った目付きで一直線に突っ込んでくる。
流石にこれはまずい。腕の一本、くれてやるつもりでなければ止められない。
「はっ!!」
すると平川が突然、爆発的な踏み込みで芦田との間合いを詰めていった。
「おい、平川!!」
向かっていくのはいいが、ナイフを持った相手に猪突猛進すぎる。
無謀だと思って声をかけたが、平川は止まることなく、芦田と平川はもう止められないほど近づいていた。
芦田が不敵な笑みを浮かべ、ナイフを持つ手を振り上げた。
「平川!! 顔裂かれても文句言うなよ!!」
叫びながら芦田がナイフを振り下ろす。
「……え?」
しかし芦田のナイフは空を切り、奴は間の抜けた声をあげた。
俺には見えていた。芦田がナイフを振り下ろす時、平川は突然止まって、その場で爆発的な跳躍力をもって横に飛び、その方向に建物を支える大きな柱があった。
そして平川は、なんと飛んだ先の柱を蹴り、空中で蹴りの構えを取る。
「ちぇすとぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!」
「がぁっ!?」
芦田は平川の存在に気付くことなく、平川の飛び足刀蹴りをマトモに頭部に受けてしまい、完全に白目を向いて床に倒れ伏してしまった。
踏み込んで、跳躍して壁を蹴り、その反動を用いて飛び蹴り。
空手を齧っていた時期があったから、あの高等テクニックが何かはわかる。
「三角飛び蹴り……マジかよ」
「見よう見真似やけどね。それに多分、全員すぐ起き上がってくると思う」
平川架純。女子高生とは思えないほど、空手の腕前は本物だと思った。