第5話「招かれざる客」
──祥くん、あそぼう?
──お前、女みたいな顔して、ナヨナヨもしてて、ムカつくんだよ!!
──俺、強くなりたい……強くなってアイツら見返したい。
──なんで綱井にあんなことをしたんだ、これは立派な事件だぞ!?
──今日から私があなたの母親です。
──頼む、高校には行ってくれ。私の面子にも関わる問題だ。
──俺はてめえらの都合で生きてるわけじゃねーんだよ!!
…………。
……。
またしても最悪な夢で目が覚めた。
最近、悪夢で目が覚めることが多い。ストレスが溜まっているのだろうか。
時計を確認すると、時刻は既に午前十時を回っていた。
「……はあ」
今日は土曜日、学校は休み。
休日というのは最悪なもので、この居心地の悪い家から抜け出す口実は、自分から作らないといけないものだ。
黄金の刺繍が入った黒い上下のジャージに着替えた俺は、階段を降りて家の中を確認する。
──誰もいない。
恐らく親父は接待ゴルフか何かで、あの女はパートだろう。
冷蔵庫の中を漁るとお茶以外、調理の必要があるものばかり。仕方なく台所周辺を漁るとカップ麺のわかめ醤油味があったので、ポットに入っていたお湯を注いで三分間待つことにした。
テレビをつけると、興味が湧かない番組ばかりだ。
その中でも一番マシそうなニュース番組に切り替えて、呆然と画面を見つめる。
三分経ったので蓋を開け、薬味を入れて麺を啜り始め、今日は何をしようか考え始める。
飯を食い終え、洗面台で髪のセットと髭剃りを終える。
「暇だな……」
停学中の直人を誘うのは、流石にアイツにリスクが大きいだろう。
先公がどのエリアに、どの時間帯で出没するか予想できないので、俺の暇を解消するために万が一見つかりでもしたり、俺のせいで直人を退学させてしまう結果になりかねない。
久しぶりに中学時代の連中にでも連絡を取ろうかと、何をしているのか近況確認のためにSNSを開いた。
「達也は彼女出来たのか。卓司はボクシングしてて、うわ陽平の奴いつの間に学校辞めて職人やってんだ? てか子供いるのか……マジか」
中学時代、直人も含めて一緒にバカをやっていた連中は、みんなそれぞれの道を歩んで真面目にやっているようだった。
中学時代、リーゼントだった達也はすっかり普通の陽キャという印象だ。
下ネタばかり言ってて、一日十二回シコったとか自慢していた卓司は、ボクサーとしてすっかり体も出来上がっている様子。
耳と鼻と口から煙草を生やしていた陽平も、今や子持ちの社会人。
──なんか、俺だけ何も変わっていないような。
直人も変わっていないかもしれないが、昔の友達の動向を見ていると、なんとも言えない憂鬱な気分になってきた。
──出かけよう。
そんな気分になって、俺はを家を飛び出した。
原チャのエンジンを掛けて、内田市内をとにかく南に走った。
それから今日一日、いつも通り無為に過ごした。
原チャで海岸線を適当に流して、適当に昼飯を外食チェーン店で済ませ、夏物の服が欲しかったのでボン・キホーテで買い物を済ませ、その後は閉店間際までパチンコに興じた。
今日の戦果は、一応勝利はしたものの利益としては三千円。正直燃料代と食事代を回収した程度なので、明日からはメシ代を節約しないと厳しくなるだろう。
そんなことを考えながらコンビニで買い物をして、近くの公園に立ち寄った。
一服しようと、煙草の箱を取り出そうとポケットに手を突っ込んだ。
「あれー、中居じゃん」
何者か男の声で苗字を呼ばれて、煙草を取り出そうとしていた手が止まる。
「こんなところで何やってんのー?」
「……てめえ、芦田か」
盛り気味の茶髪で首にはジャラジャラのネックレスを装着し、黒のジャケットを羽織った芦田が、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。
俺は身構え、座っていたブランコから立ち上がった。
「そう身構えんなよ、仲良くしね? オレたちクラスメイトでしょ?」
そうは言わても、コイツのことがいまいち信用できない。
芦田がいつ向かってきても対応できるよう、芦田の動きを観察する。
「偶然さっきコンビニで見かけてさ、それで声かけたんだよねー」
「てめえ、何の用だ?」
「最近小此木ちゃんと仲いいんでしょ」
「……だったらなんだ?」
芦田にガンを飛ばすが、奴はニヤニヤと笑いながら俺に近寄ってくる。
「羨ましいわ。オレもさ、小此木ちゃんのこと好きだったからさ」
近寄ってきた芦田は、俺の横を通り過ぎてブランコに腰を下ろした。
どういうつもりか全くわからないが、喧嘩をするなら座っている人間より立っている人間のほうが有利ではある。にもかかわらず、芦田は自分の意思で不利なポジションを取った。
少なくとも手を出そうという意思はないと思い、警戒を一段階緩めた。
「けどもう諦めたわ。なんか小此木ちゃんの楽しそうな顔見てたら、オレのやり方が間違っていたんかなーって、今更だけど反省しちゃってね」
ブランコに座った芦田が、しょんぼりとした様子で語る。
「本当は謝りたいんだけど、喋る機会もねぇし……関わらない方がいいかなって」
「お前……」
「だから一回、小此木ちゃんと仲がいい中居と話してみたかったんだよね」
芦田がしんみりとした表情で俺を見た。
「──が、ぁッッッ!?」
その瞬間だった。
突如として後頭部を襲う、重たい衝撃。
脳全体に浸透するような衝撃を受け、激しい耳鳴りが起きると同時に吐き気と眩暈、そして頭全体に激しい痛みを覚え、気付いた時には平衡感覚を失って地面に倒れ伏してしまった。
頭がグラグラして激痛に襲われる中、なんとか首を動かして後ろを見た。
──誰だコイツ。
茶髪の刈り上げツーブロックで、サングラスをかけたチンピラのような容姿の男がニヤニヤしながら俺を見下ろしていた。
右手には丁度いいサイズにカットされた角材が握られており、その角材には俺のものと思われる血液が付着している。
ようやく理解できた。
サングラスの男から不意打ちを食らったことを。
「な、なんだァ……てめェ……!!」
クソが。
脳震盪でも起こしているのか、体に力が入らない。
「ぎゃっはははは!! いやーバカだねぇ中居、オレの話真に受けちゃった?」
「芦田、てめえ……!!」
「オラッ!!」
「ごふ……ッ!? げほっ、げほっ!!」
芦田に怒りを覚え、立ち上がろうとした瞬間だった。
サングラスの男からサッカーボールキックを脇腹を食らい、革製の硬い靴が減り込んだことにより、俺は呼吸困難に陥ってしまう。
「俺は北高三年の坂巻圭吾って者だ。オメーの友達に北高の生徒達が世話になったらしいな」
「北高だと、コラ……」
直人が停学を食らった理由は、確か北高の連中と揉めたことが原因だったはず。
だが何故、北高の三年が芦田なんかと一緒に居るんだ。
「芦田は中坊の頃の後輩でな、北高に手ぇ出された挙句、後輩にまでちょっかいをかけられちゃあ、こっちもお前ら放っておけないんだわ」
坂巻の横に並んだ芦田の肩に、坂巻が右腕を回して肩を組んだ。
「とりあえず、まず芦田の恋路を邪魔したことに詫びいれてもらおうか?」
倒れる俺を見下ろすように、坂巻が腰を下ろして所謂ヤンキー座りをする。
そして懐からライターと煙草を取り出し、それに火をつけた。
「あれは芦田が強引に迫ってただけだ……詫び入れる筋合いなんかねえよ」
「そうか……ふううう!!」
「げほっ!! げほっ!!
煙草を吸い、大量の煙を俺の顔に吹き付けてきた。
「残念だ」
さらに坂巻がそう言った瞬間、手の甲に鋭い灼熱の痛みが走った。
「うっ、ああああぁぁぁぁああああああああ!!」
「お~お~、こんがり焼けてるのぉ……」
坂巻は俺の手の甲に、火がついた状態の煙草の先端を押し付けてきた。
根性焼きを食らった俺はあまりの熱さに、激痛に、思わず絶叫しながら手を抑えてのたうち回った。
「はぁ、はぁ、はぁ……野郎ォ、絶対殺す」
「生意気な目しとるな……おい芦田、コイツ全然反省してないからコレ使え」
そう言いながら、坂巻は芦田に角材を手渡した。
それを受け取った芦田が狂気的な笑みを浮かべる。
「あのクソ生意気な中居を甚振れるなんて……最高じゃん!!」
「ぐっ!? がっ、ああ!! あああああぁぁああ!!」
狂ったように何度も何度も、徹底的に、執拗に、まるで本気で殺しにかかっているかの如く勢いで、芦田から角材で滅多打ちにされる。
こんな連中、マトモに喧嘩すれば負ける相手ではないはずなのに、坂巻から受けた不意打ちのダメージが大きく、回復する前に追撃を食らい続け、ロクな抵抗ができないまま俺は一方的に殴打され続けた。
蹲って両手で後頭部を抑え、頭部へのダメージは最小限に抑えようとするものの、胴体には振り下ろされる角材が直撃している。
そのうち出血量も多くなり、俺の意識は朦朧としてきた。
「その辺でやめとけ、殺したら面倒だからよ」
「うっす……」
坂巻が芦田を制止したことで、ようやく角材による殴打の嵐が止む。
「ご、ふっ!?」
今度は坂巻から、脇腹に強烈を蹴りを入れられた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「意識はあるな? よぉ中居、詫びに三十万持ってこいや」
「だ、誰が……がはっ!? げほっ!! ごぼっ!! おえ……」
さらにもう一発、強烈なのを食らった俺は何度も咳き込んだ。
内臓にもダメージがあるのか、吐き気で嘔吐しそうにもなった。
「まあいいや。嫌でも三十万、払いたくなる方法思いついたからよ……」
「んだとコラ……」
「中居ク~ン、坂巻さんには素直に従ったほうがいいよ? でないとお前、一生外出れなくなっちまうからさ」
芦田がしゃがみ、俺の髪を掴んで引っ張りながら顔を近づけた。
ニタニタと笑っていて、気持ち悪い。
「ペッ!!」
芦田の頬に向かって、勢いよく唾を吐きかけてやった。
「──てめえ殺してやる!! オラ!! コラ!! 死ね!! コラァッ!!」
完全にキレた芦田は髪を掴んだまま顔面を殴り、髪から手を離し倒れると同時に何度も何度も、怒声をあげながら俺を蹴りまくった。
そのうちただでさえ朦朧としていた意識を、遂に手放してしまった。
視界が真っ黒になり、それから先のことは覚えていない──。
…………。
……。
気付くと、知らない天井がぼんやりと目に映った。
「……あ、中居さん。わかります?」
白衣に身を包んだ若い感じの看護師が、何やら処置をしていたらしく、白い天井といい周囲の部屋のレイアウトといい、ここが病院であることはすぐに理解した。
「……俺は、どうなったんすか?」
「あなたは公園で血だらけで倒れていて、救急車で運ばれてきたんです。いま先生を呼んできますね」
それから看護師が呼んできた先生から、現在の俺の怪我の程度、事の経緯を詳細に聞くことができた。
怪我自体は命に別状はなく、骨も無事。
頭部から出血があるので明らかに脳に衝撃を受けたことが伺えるため、検査のため今日は入院が必要とのこと。月曜には退院してもいいらしいが、しばらく安静の上、経過観察のために通院しなければいけないらしい。
また明らかに俺の外傷は第三者による何者かによるもので、かつ金銭も抜き取られ衣服も全て剥ぎ取られていたらしく、民間の病院なので通告義務はないものの、事件性があるので警察への通報も提案された。
だが俺は警察への通報を断った。
「別に、いいっすよ……」
「え、でも金品は奪われてますし、衣服も剥ぎ取られている状態でしたし、普通に事件だと思うんですが……」
「先生、警察には解決できないっすよ。俺の怒りはそれで収まりませんから」
警察に通報したって、この怒りは収まることはない。
看護師や先生が退室し、一人になった病室で拳を最大の力で握り締める。
「坂巻、芦田……殺してやる、必ずぶっ殺してやる」
完全なる私怨でここまでナメた真似をされたことで、怒りが収まらない。
奴らに絶対、復讐をする。
病室で一人、そう固く決意したのだった。