第3話「黙ってられない者たち」
学校が終わり、家路に就く。
あんな家に帰りたくはないのだが、制服のまま徘徊すると厄介な事になりかねないので、着替えと移動手段である原付の回収のために一旦帰宅する。
親父は仕事、あの女も昼間はパート。
誰もいない家の鍵を開けて、階段を上がって自分の部屋のドアを開ける。
「……あ?」
幼い頃に買ってもらって以来、現在に至るまで使い続けている学習机の上に一枚の封筒が置かれていた。
中には現金三万円が入っていた。
「…………ッッッッ!!」
頭に血が上った俺は、短ランを乱雑に脱ぎ捨てて、封筒から取り出した三万円をくしゃくしゃに握り締めて、ポケットから取り出した財布にそれを突っ込んだ。
──金はやる、それでやり繰りしろ。
──なるべく我々に関わるな。
どうせこの金を置いたのは親父、そういう意図なのだろう。
事実、親父があの女と再婚してから家ではロクに飯を食べていないし、精々朝に齧るパンがある程度である。
スウェットとパーカーに着替えた俺は、階段を駆け下りて家を出た。
そして玄関のドアを乱雑に閉め、そのドアに力強く足蹴りを食らわせた。
「上等だよ。こんな家、卒業したらとっとと出ていってやっからよ……」
むしゃくしゃする。
確かに俺は出来の悪い息子かもしれないが、あのクソ親父は昔から世間体ばかりを気にして、俺の話なんて聞こうともしなかった。
しかも手前があれだけ愛していた母さんが、不慮の事故で死んだらすぐに忘れてあの女と再婚して、マジでふざけるなよクソ親父。
あの女だって家に来てから、俺とまともに会話をしようとさえしなかった。
──結局あの女にとって、俺は再婚相手が連れて来た厄介者でしかない。
鬱憤ばかりが溜まる中、俺は原付のエンジンを始動してそれを走らせた。
行く場所なんて、一つしかない。
国道沿いにあるパチンコ店。
本来、高校生がパチンコをやるのはご法度とされているが、大人たちが勝手に決めたルールを律儀に守るつもりはない。ここなら東高から離れた場所にあるため、遠慮なく遊戯に興じられるわけだ。
それから俺は店内を徘徊してプレイする台を選定し、当たりそうな台を選択して閉店間際まで打ちまくった。
この日は一万円を使って、二万五千円の勝ち。
実質的な利益は一万五千円だが、まあ勝ちは勝ちなので良しとしよう。
裏で換金した俺は、とりあえず寝るために自宅へと向かった。
途中、煙草を切らしていたのでコンビニで買おうと思い、道中のコンビニの脇に原付を停めた。
尿意を催したのでトイレに入り、手を洗って出た。
「……あら、中居君?」
「あ? 藤村?」
意外な奴に出会った。
夜十時は過ぎているにも関わらず、藤村が制服姿のままコンビニ店内に居た。
「クラス委員ともあろう真面目の代表格が、こんな時間に何やってんの?」
「……塾帰りよ、塾帰り」
「へえ、こんな時間まで?」
「そのあとカフェで自習していたのよ。私、進学するつもりだから」
藤村は何故か挙動不審な様子だったが、こんな時間に俺と会ったことが原因なのかもしれない。
成績優秀な彼女が塾に通い、その後夜遅くまでカフェで自習をしないと入学できない大学ということは、かなりレベルの高い所に進学するつもりなのだろう。
「そっちこそ、こんな時間に何をしていたのかしら?」
「俺は、まあ、遊んでいただけだ……」
「そう、なら早めに帰ることね」
それはお互い様だろと思いながら、煙草を買うつもりだったことを思い出した。
しかし藤村が居るなら、ここで煙草を買うのは厳しいだろう。
「あら、あなたバイクなんて乗るのね」
煙草を別なところで買わざるを得なくなり、仕方なくジュース一本を購入して、藤村と一緒にコンビニを出る。
そして俺が原付に跨ると、藤村が原付に目を送って喋りかけてきた。
「なんだよ、悪いか?」
「高校生がバイクとは、あまり感心は出来ないわね……まさか無免許?」
「人聞き悪ぃな、去年免許は取ったわ」
最も原チャは中坊の頃から無免許で乗っていたが、捕まるとダルいのは中学時代の同級生を見て理解はしているので、十六歳になった時点で免許は取った。
通学で乗っているわけではないので、流石にこの事を藤村からとやかく言われる筋合いはないだろう。
とはいえ藤村はしつこい奴なので、黙らせるために俺はあえて免許証を見せた。
「あら、本当ね……まあそれなら、事故と違反さえしなければ何も言えないわ」
「ああ……」
やる気なく返事をして、持っていても邪魔なジュースの蓋を開ける。
「そういえば今日、小此木さんと一緒にお昼を食べたそうじゃない」
「あ? 食ったけど、なに?」
「クラスで話題になっていたわ。あなた、一体なにをしたの?」
「なに、俺疑われてんの?」
「気を悪くしないでちょうだい。小此木さんの態度を見れば、別にあなたが悪い事をしたわけじゃないのは明白だから」
藤村は今朝のように訝しんでいるわけではなく、単純に昼の出来事に興味がある様子だった。
なら隠すより事実を伝えたほうが、変な憶測は生まれないだろう。
「……芦田っているだろ、チャラくてガラ悪い感じの」
「芦田君ね。彼もあなたほどじゃないにしろ、問題児っぽいから頭抱えるのよね」
随分な言われ様だが、その辺は事実だから仕方がない。
「アイツがしつこく小此木に言い寄っていたんだわ」
「へえ、それであなたが助けたの?」
「助けるつもりはなかったんだが、結果的にはそうなった」
「それであの子に気に入られたわけね……あなた変わってないわね」
「あ? どういう意味だ?」
「いえ、なんでもないわ。トラブルは起こしてないでしょうね?」
そう言いながら藤村は半目になって俺との距離を詰めてきた。
「起こしてねーし、つーかこの場合絡んでくる可能性あるの芦田のほうだろ」
「そうね。まあ、そういうことなら私も芦田君の動向を注視しておくわ……中居君も何かあっても挑発に乗らないでね?」
こうして俺に言葉をかけてくる藤村は、担任の高宮以上に先生っぽかった。
鬱陶しい事この上ないが、コイツなりに今回の件を心配しているのだろう。
「……別に、あんな奴どうでもいいしよ」
「それならいいわ。さて、そろそろ帰りましょうか?」
スマホで時刻を確認すると、もうすぐ二十二時半になろうとしていた。
「……ああ」
「中居君、明日学校でね。サボったらダメよ?」
「うるせーな。行けばいいんだろ、行けば……」
学校なんてダルいだけだが、少なくとも家にいるよりはマシだ。
面倒くさかったらいつもの場所でサボればいいだけ。
「それじゃあ、また明日」
そう言って藤村は踵を返し、夜道を一人で家路についた。
こんな遅い時間に女子高生が夜道を一人、大丈夫なのかと思ったが、俺に藤村を家まで送ってやる義理はないし、多分藤村は日頃からこういう生活を送っているのだろう。
気にするだけ野暮なので、俺は原付のエンジンをかけて家に帰った。
…………。
……。
「おはよう、中居くん!!」
翌朝、欠伸をしながら玄関に差し掛かると、小此木が元気のいい声で挨拶をしてきた。
「おう……オメー朝からテンション高ぇな」
「元気があれば何でもできる!! が、私のモットーだからね」
どこぞの偉大なプロレスラーかよ。
小此木の底なしの明るさは、見ているこっちも元気になるような気がしてくる。
「中居くんゴメンね、今日はお弁当ないの」
「いいよ別に、購買で買うから」
「来週はまたなんかあると思うから!!」
「そうか……」
小此木に言われて思い出したが、今日は金曜日だった。
昨日パチンコで一万五千円ほどの利益が出たので、今日の晩飯は少しくらい豪勢でも罰は当たらないだろう。
何を食べようか考えながら、小此木と肩を並べて廊下を歩く。
「じゃ、またね!!」
「ああ……」
教室に着くと小此木は手を振って俺から離れ、教室の中にいた自分の友達に挨拶をして、その輪に加わった。
「え、小此木さん中居君と登校してきた?」
「マジで? アイツら短期間のうちに仲良くなりすぎじゃね?」
「実は付き合ってたりするのかな」
「えー、ヤンキー中居とあの小此木さんが。そうなら俺ショックなんだけどー」
俺が小此木と一緒に来たことで、またクラスメイトがざわついている様子だ。
小此木は特に気にしている様子はないが、こう毎日クラスメイトから噂にされると流石に鬱陶しい。
机に頬杖をついて、イライラしながらSNSのタイムラインを流し見する。
「本人に聞いたのだけれど、別に付き合っているわけではないみたいよ」
「え、そうなの藤村さん?」
突然、藤村の声と藤村の名前が聞こえたので、気になって声のした方を見る。
先ほどから俺と小此木の噂話をしていた男女のグループの前に、藤村が凛とした面持ちで立っていた。
「ええ、しつこく告白してくる人がいたのを助けて、感謝の気持ちから小此木さんがあの行動を起こしているだけのようだわ」
「そうなんだね」
「えー、小此木さんに告白した奴誰だよー?」
「さあ、そこまでは聞いていないわ。私が知っているのは、あくまで小此木さんが中居君に感謝しているという情報だけね」
「へえ、そうなんだ」
「まあ中居と正面切って話ができるの藤村くらいだし……マジなんだろうな」
芦田の名前を出さないことで、芦田の名誉を傷つけることなく、事の顛末を簡潔にクラスメイトに説明する藤村。
頭の回転の良さに感心すると同時に、俺や小此木が言っても信じてくれないであろう事を、クラスメイトに納得させてくれた事に関して、普段鬱陶しい奴ではあるが素直に感謝の気持ちを覚えた。
後でお礼ぐらいは言っておこう。
藤村のおかげか、それ以降は噂話も鎮静化した。
午前の授業は殆ど寝て過ごすも、寝ようがない体育の授業の間にも俺と小此木の噂話は聞こえてこなかったため、このまま何事もなくクラスメイトの興味も薄れていくことだろう。
そう思っていたのだが、事件は昼休みに起きた。
「中居、ちょっと顔貸しぃや」
購買にメシを買いに行こうと立ち上がった瞬間、そう不機嫌そうに声をかけて来たのは、赤みがかった茶髪で後頭部に団子を作ったクラスメイトだった。
小此木と仲良さそうにしている奴だったと思うが、名前が思い出せない。
「誰だっけ、お前?」
「平川架純や、覚えとけや」
関西訛りで名乗る女子生徒は、よく見るとぱっちりした目で小顔で、スタイルも良くて結構可愛い子だった。
お洒落な小此木の友達だからか、メイクもしっかりしていて女子らしい印象だ。
「で、なに?」
「話があるんや、とにかくうちに付き合ってもらうで」
心当たりがあるとすれば、小此木絡みの話だろう。
面倒くさいが、解放してくれる気配もないし、クラスメイトからの注目も浴びている。
「……しゃーねえな、話あるならついて来い」
そう言って俺が歩き出すと、平川は無言で俺の後を追ってきた。
目立つ場所だと面倒くさそうな気がしたので、とりあえずいつものサボり場所に向かうことにした。
「ここでええやろ」
最後の踊り場に差し掛かった頃、平川がそう言ったので足を止めた。
「……で、話ってなに?」
手短に切り上げて昼飯を食いたかったので、俺から平川に話を振った。
「中居。あんた、昨日から美咲と随分仲いいみたいやな」
「それで、それがどうした?」
「あんたほんまに美咲には何もしてへんやろうな?」
平川が俺に向けてくる目は、疑心暗鬼と警戒心が混ざったものだった。
この様子からして、小此木との仲はかなり良いのだろう。
「何もしてねーよ、小此木から話聞いてねーのか?」
「聞いてるで。芦田に告白されたことも、あんたがそこに割って入ったことも」
「だったら俺別に疑われるようなところなくね?」
「うちは心配なんや。あんた評判悪いし、ドがつく不良やんか」
いくら友達を心配しているからって、ストレートにそういう事を言われたら流石にイライラしてくる。
感情の変化に合わせて、俺も平川を睨みつける。
「俺は確かにどうしようもねえ不良だけどよ、女を利用するほど腐ってねーよ」
「ほななんで美咲あんたに弁当作ってるん?」
「アレはアイツなりの感謝の仕方だとよ……俺もよくわかんねーけどよ」
「ふーん。まあ、そういうことなら別にええけど」
次の瞬間、鼻先に明確に感じられるほどの風圧を覚えた。
「美咲に嫌がるようなちょっかいかけたら、うちはあんたのことどつくで?」
そう凄む平川の右手は、五本の指を親指で締めるように握られ、鼻先から一センチのところで寸止めされていた。
いつ繰り出されたのかハッキリとわからないほど、素早い拳の繰り出し。
微かに見えたのは、腰に引かれた拳が螺旋を描きながら回転したかのように見えた瞬間、もう拳頭が俺の鼻先にあった。
この突き方、小学生の頃に少し齧っていたので、どういう技術か理解できた。
「空手か……なかなかえげつない突きだな」
「今のでわかったんや、褒めたる」
「小学生の頃、少しやってたんでね……けどお前、結構長いことやってるな?」
「せやで、うちこう見えても直接打撃制空手流派の二段やさかい」
不敵な笑みを浮かべる平川。
空手二段、通りで突きが異様に速くて鋭いわけか。
こんな速さで殴打できる奴は、過去に喧嘩したことがある不良の中では見たことがないので、平川は相当な空手の達人なのだろう。
マトモに喧嘩したら、俺は勝てないかもしれない。
「ちょっと架純!! 何やってるの!!」
階段の下から大声が響いて、平川は寸止めしていた拳を下ろした。
「美咲……っ!?」
「小此木?」
小此木が慌ただしく階段を駆け上がってくる。
「架純、中居くんは何もしてないから殴らないで!!」
「な、殴ってない!! 誤解やねん、寸止めや」
「落ち着け。平川の言ってることは本当だ、その証拠に俺無傷でしょ?」
俺が状況を説明すると、小此木も納得したようで深呼吸をして落ち着いた。
「ごめんって美咲、ちょっと中居に釘刺してただけや」
「もう、わかったけど……架純、なんでこんなことしたの?」
話すようになってまだ二日、クラス替えでクラスが一緒になってからもまだ日は浅いが、小此木の怒った顔を見るのはこれが初めてだ。
「だってコイツどえらい不良やんか。ちょっと信用できなくて、つい……」
「中居くんはそこまで悪い人じゃないよ!! とにかく中居くんに謝って!!」
「うう……中居、すまんかった」
美咲に怒られたことが余程効いたのか、平川はしょんぼりした様子で俺に謝罪の言葉を述べる。
「別に、手ぇ出されたわけじゃねーし……」
「それじゃあ、これで仲直りってことで──」
また昼休みが面倒事で潰れてしまったが、小此木のおかげで丸く収まりそうなので良しとしよう。
腹減った、時間も無いからさっさと食べよう。
そう思っていた矢先。
「──架純、中居くん、放課後ヒマ?」
小此木が突拍子もなく、俺たちの予定を聞いてきた。
「え、まあ暇やけど……」
「俺も何もないが……」
「じゃあ放課後ワック食べに行こう!!」
小此木が満面の笑みを浮かべて言い放ったこと。それがあまりにも予想の斜め上すぎて、俺と平川はぽかんと口を開けた。