1話 西朝の都
西朝の都である西都、地名にして貫雀には西朝の港や田畑から齎された多くの工芸品や作物が集まる。
年貢として運ばれてきた諸税を下人と牛が大八車でゆっくりと運んでくる。大八車に乗せられているのは米ではなく、樽。龍華が考えるに、中身は塩漬けの肉だろう。
ここ最近流行っている農耕牛や農耕馬の肉。あるいは大陸より渡ってきた豚や羊の肉。海が近いから魚や貝なども考えれるが、塩漬けなのは確か。
樽の隙間から、塩の結晶が僅かながら漏れ出ているのが龍華にも見える。塩は取り過ぎれば毒だが、適切に取り扱えば薬とも変わる。だがその効能を把握している市井がいると龍華は思ったことはない。せいぜい塩漬けの時に利用するぐらい。
ともあれ活気があることは確かだ、南門から西市場までの大通りは人でごった返している。頻繁に行き来する様々な荷役の下人たちを避けながら、西市場を目指して龍華は籠を背負って歩いていた。
並々ならざる雰囲気を纏った女が、武装に籠という出で立ちで練り歩く様をすれ違う人々は意外かつ嫌悪感を込めた表情をする。龍華とて慣れたものだが、それでもいい気分にはどう頑張っても成れない。
ただの行商ならば武器はいらない。ただの傭兵ならば籠はいらない。
つまるところ龍華が一目で「華売り」と分かるため、市井の人々は驚き、そして嫌悪している。理由が明確に類推できるからこそ、龍華とていい気分ではないのだ。
もっとも、龍華には西市場で華を売るつもりはない。そもそも、居住している東朝──正確には東都、瑞帆から西都の市場まで足を運んだのは訳がある。
「なんで師匠はこっちに来てるのかしらね。今の市井の顔から見るに、草の根の活動なんてまだまだ時間がかかるのに」
龍華は諦観を込めて呟きながら、手紙でもらった場所へと急ぎ赴く。無駄足を踏んだことからその足は約束にせかされるように歩容が早まっていく。
師匠が消え、何処から手紙が届いた。手紙を読めば師匠はいま西朝にいると書いてあり、仕方はなしに重い腰を上げて西朝まで赴き、思い立ったついでに貫雀の市場で「華」の流通を確認しようと考えた。
までは、よかったが。
「何もなかったわね。牡丹すらない」
ハナビトからむしり取られたはずの「華」がない。ハナビトが倒されていないわけではないだろう、西朝の街道にハナビトの影はなかった。
だがその華が活用された形跡はない。露天商どころか、今出てきた貫雀でも大きい西市場ですら取り扱いがない。由々しき事態だ。
西朝では華の効能が知られていないと聞いていたが、これほどとは。己が赴いた先が華売りにとって地獄だと知り、既知の顔が見たくなるのも必然というもの。
「危険なことには変わりないとはいえ、華の効能を知らないわけないでしょうに」
龍華にとって、ハナビトは獲物であり商材。だが場合によっては龍華ですら獲物になることもある。危険を意識して全てを燃やすか、危険を覚悟で薬効を使うため華売りを侍らせるか。
東西朝で対応は違えど、一つの選択でここまで肩身が狭くなるかと龍華は隔世の感を感じる。そんな龍華に、西の市民たちは次々に言葉という毒を浴びせていく。
「華売りだ。女になんかできる仕事じゃないだろうに」
「ハナビトを狩るって本当かい?あんたなんか、どうせハナビトの餌だろうに」
「本当に勝てるわけないさ。ハナビトに抱かれて華を分けてもらってるんだろ」
西の民の陰口を拾う限り、本当に華の効能は知られていない上に、華売りを「花売り」と揶揄する声すら聞こえてくる。
悪辣なる言葉の数々に、師匠がここに住まう覚悟を龍華は痛感していた。龍華とて聞き捨てならない言葉を、あの老僧は耐えてきたのだろう。
だからこそ龍華は己が師匠を慕っている。信頼もできるし、こうして会いに来た。
「華売り、そしてハナビト。どちらの問題も西朝の長がどうにかすること、私は私の商いを続けるだけよ」
龍華の言葉通り、華売りはあくまで商売でしかない。
世にあふれるハナビト、そのある程度の数を減らすことには貢献できているのかもしれないが。そもそもどこから現れ、どのように消えるのかもわからないハナビトたちへの抜本的な解決策は見つかっていない。
東朝では華売りたちの献身によって農村部は守れているといってもいいが、ことこれを居丈高に喧伝するものも増えてきている。悪手だと、竜華は常々危惧していた。
商いに関しては、己の身を護るための金子をハナビトから奪っているだけだ。元は骸、人だったことに変わりはない。
だからこそ華売りは謙虚かつ寡黙であるべきだと、師匠は口五月蠅く華売りたちに教えていた。その教えを龍華は耐えがたきを耐える時に口ずさんでいる。
(それに、華売り頼りの東朝と違って自助観点は西朝の方が進んでた。守屋はいい案だ、持ち帰ろう)
つい先日寄った村のことを思い出す。
円形の建物には凹凸がなく、窓も高い位置に設けられていた。さらに内部はいったん中庭を通らねば各家庭の居室に入ることすらできない。守ろうとすればかなりの時間耐えることができるだろう。ハナビトや山賊の種類問わず、時間を稼げれば助けの軍勢が来ることも期待できる。
華売りがいないからこそあのような「山塞」を築くほかないのだとしても、守屋のような自助観念は東朝にも必要な考えだ。自らの身は、自らで守らねば。
(……ただやおっぱり、それでも足りない。山賊ならいざ知らず、ハナビトは言葉を話さないし凹凸のない壁を伝って登れる)
龍華は知っている。ハナビトは山賊よりもかなり質が悪い敵だ。
通りすがる西朝の民の誰よりも、ハナビトたちの恐ろしさを知っている。その恐ろしさを知らず、狩る側の華売りを揶揄する程度の知識ならば西朝は早晩大きな被害をハナビトによって引き起こされてしまう。
だからこそ教えるために龍華はここに来た。師匠も同じ理由だし、そのために覚悟を以て西朝に来たはずだ。
活況の市場前の通りを外れ、碁盤状の道を右に曲がり左に折れ。しばらく土壁が続く道の先を眺めた龍華は、人生で初めて見る建物に遭遇した。
「すごいわね、禍々しいというか威圧的というか」
黒塗りの城塞、そう言って過言はない漆黒の建造物。
小高く土を盛った丘の上に、石垣で囲むようにして造られた三階建ての建物。物見櫓だけでなく、三階建ての建物の上にすら兵士が遠見をして警備している。
なるほど西朝の首都である貫雀を象徴する建物。師匠の手紙にはそのように書いてあったが、ここまで威圧感があると思っていなかった。
「覇朝堂。あんな豪勢なもの建てて、財政は大丈夫なのかしら」
王侯貴族の金銭感覚は分からない。だが東西朝時代になって数十年経ち、さらに東西動乱が始まってから5年。権力をどのように使うかはそれこそ龍華のあずかり知らぬところ、感覚として理解はできなくとも公に非難することはない。
「さてと、お師匠様の住居まではっと……」
もうそろそろ目当ての建物が見えてくるはず。これ以上市井の民に言葉を浴びせられても気分が悪くなるだけだと、龍華は歩みを進み始めた。
師匠の手紙に曰く、新しい寺で子供たちに勉学を教えているとか。
高齢の身で華売りの仕事も続けながら学を子供に教えるなど、龍華にとっては考えたくもない苦行だ。そも、龍華は子供を得意としていない。
(師匠はすごいなぁ、おばあさんになってあそこまで精力的に動ける自信ないや)
師匠の胆力に思いをはせつつ、道を急ぐ。覇朝堂の門前を右に折れ、二つ先の角を曲がれば見えてくる。そう手紙に書いてあるのを信じて前に進む。
その先、龍華の目に一人の浮浪者が目に入った。
膝を抱えて蹲っているその浮浪者に龍華は違和感を感じ、ゆっくりと籠を下ろす。
護槍の穂先を覆う鞘を抜き、護刀を足元へ。覚悟を決めてゆっくりと浮浪者に近づき、あと6歩で浮浪者に手が届くところで足を止めた。
まだ、浮浪者は顔を上げない。辺りから、かぐわしい蜜の香りが漂っていた。
「おい」
低い龍華の声に、浮浪者が顔を上げる。龍華を見つめるはずの浮浪者の目は、もう彼女を映すことはない。浮浪者の顔に、その眼窩に。綺麗な紫陽花の華が咲いていた。目があったはずの場所を中心に紫色の華が顔全体を覆っている。
龍華の緊張をよそに、浮浪者は嗤っていた。厭らしくがさつな声質でけたけたと笑いながら、ゆっくりと立ち上がる。
龍華が西朝で初めて見る、ハナビトだ。
「しっ!」
浮浪者、いやハナビトめがけて龍華は槍を繰り出した。短いながら穂先の両元に鉤刃がある龍華の槍を、ハナビトが紙一重のところで避けた。獲物を捉えられなかった穂先が土壁に突き刺さる。
「けっけっけ」
華に何もかもを乗っ取られた男の骸が嗤う。嘲笑と侮蔑を込めた嗤いと共に、ハナビトが龍華へ殴り掛かる。すでに肉が落ち切った二の腕だが、その拳は拳闘を生業とする者のそれに劣らず。
常人ならざる攻撃だがしかし、龍華も慣れたものだ。一瞬で土壁から引き抜いた護槍、その穂先を振るってハナビトの拳を弾き飛ばす。
直後、衝撃。連続で繰り出されたハナビトの一撃で数間も吹き飛ばされた龍華はしかし、まるで猫のように空中で身を翻して着地。その間も視線だけはハナビトから逸らさぬように、意識を向けて。
着地の衝撃で土煙がもうと上がる。相当な衝撃だったが、龍華は意にも介さずすぐに立ち上がった。数間も飛ぶ威力で殴られたはずなのに、龍華は無傷。服だけが解れ、殴られた胸元が裂けているぐらい。
「ハナビトだ!逃げろ!」
龍華の大声に事態を把握した民草が我先にと逃げ惑う。だが何人か、些か逃げる方向を間違えた。ハナビトの前を横切るように逃げ始めた男に釣られたか、ハナビトが一瞬で跳躍。反応できなかったその男を組み伏せた。
「や、やめ!」
ハナビトが男の首筋に噛みつく。肉をごっそり乱杭歯でそぎ落として、ハナビトが美味そうに男の首の肉を嚥下した。悲鳴を上げる男を無視して、龍華は己の籠へと駆け始めた。
(だめだ、彼はもう助からない)
血が噴出してぐったりと地に伏す男を見て、近くに転がっていた籠から赤い華を取り出す。そして龍華はためらいなく、その赤い花をかみ砕いた。
曼珠沙華。彼岸花とも呼ばれるその華はかつて秋口に田畑の畔によく咲き誇っていた。彼岸ごろに咲くその華を忌み嫌うものも多かったが、今では畔どころか地に華を咲かすことすら、ない。
龍華が曼殊沙華を嚥下した直後、赤い光が龍華を纏う。赤き光を見ることはできないだろうハナビトが、気配を察して喰らっていた男から再び龍華に意識を向けた。
その間にも赤い光が肌に浸透し、龍華自身の力となって顕現する。華の力が全身に充足したことを感じ取った龍華は、先程の刺突より数段速い突きをハナビトに繰り出した。
「喰らいなさい!わが刺突!」
龍華はまるで龍のごとく疾駆し、一直線にハナビトに槍を突き立てる。避けるに能わず、反応すらできず。嫌な音と共に浮浪者だったハナビトの首を突き落とした。
龍華はそこで勢いを殺さず、下で喰らわれていた男にも十字の刃を突き立てる。──それを、喰われていた男は両腕を犠牲にして受け止めた。
いつのまにか喰われた首筋の肉が、蔦のようなもので覆われている。ハナビトに喰われたものもまた、ハナビトとなる。喰われて死んだ男はすでに、ハナビトとして第二の死を待つほかない。
「ぎししぃ!」
瞳を蔦が突き破り、すぐに男の目から華が咲く。紫陽花の青紫が茶色い男の目を覆っていき、新たなハナビトは槍の穂先を折り捕ろうと力を込めた。
だが、龍華はその程度で負ける相手ではない。
「ふっ!」
龍華が力を籠める。意思に応じて体が赤く光り、成人した男の骨すら押し砕いてゆっくりと、ハナビトの喉に刃を突き通す。
「が、し、し、ぃ、あ」
まだ心臓が動いているのだろう、勢いよく血が噴出する。ハナビトの歯がポロポロと抜け落ちて蔦が生え、目を苗床にして咲いた紫陽花にも血が飛び散る。龍華の装束もまた血に染まるが、気にすることなく龍華は刃を首に押し通し続けた。
新たなハナビトは抵抗しようと力を込めて、しかしそれすら叶わず。やがて穂先が叩き固められた土道の感触を捉えた時、組み伏せたハナビトが脱力するのを龍華は感じた。
槍をハナビト──否、先まで真っ当な人間だった男から抜き、血払い。石突を地面に突きたて手を合わせる。周囲の忌避の視線を気にすることなく、黙して祈る龍華。
彼らもまた人、最低限の礼儀は必要だと龍華は師匠に教わった。数瞬の間目を閉じ、手を合わせて。龍華は華売りとしての仕事を始める。
まずは刎ね飛ばした浮浪者のハナビトの首。幽玄に咲き誇った紫の花弁は華にあらず、だが華と同じ効能を持ち合わせる。
龍華は豪勢に咲き誇っている紫陽花を短刀で切り取った。立派なものだ、龍華の予想では数週間は骸で育っていたはず。
続いて襲われた男からも紫陽花も丁寧に切り取る。取り終わった両者の眼窩には、虚ろなる穴が空を見上げているだけだ。一瞬で眼を栄養として吸い取る力を、華は持ち合わせている。
「華売り……なんてことを」
「ハナビトがこんなところにも、怖や怖や〜……」
「守り武たちは何をやっているんだ。あの浮浪者、数週間は蹲っていたぞ」
「ほんと、ハナビトも華売りも消えちまえばいいのに」
騒動を余興として集まってきた人々の心なき言葉に、初めて龍華は殺気のこもった視線を投げかけた。彼女の大立ち回りを見ていたのだろう、ほぼすべての人だかりは殺気に負けて何処となく散り、一人残ったのは白鬚をたたえた偉丈夫の男性のみ。
「久しいの、龍華」
老人はにっこりと屈託のない笑みを龍華に投げかけ、龍華はその笑顔に曖昧に笑みを返した。