第2話 初恋の時間
「私お散歩好きなの! ここ見たこと無い景色でなんだか冒険してるみたい!」
「ふふっ、のどかでいいとこでしょ」
少年と少女はジルの家に向かって歩いていた。
ジルはとりあえずボロボロのアリスの服や体をなんとかしてあげるため、休日で両親のいる自分の家に向かうことを提案したのだ。
近くの町オレトの名前を出すと知らないと言われたので、アリスの家は遠そうだと判断したというのもある。
「うん! のどかで風が気持ちいいね! 外がお布団の中みたいな感じ!」
「あははっ、風の気持ちいい布団って何っ」
「あ! ジル、小鳥がいるよ! 一緒に空のお散歩したいね!」
「もー、前見て歩かなきゃダメだよ」
アリスのふわふわした発言の数々に可愛いと思ってしまいジルは胸が締め付けられる。
アリスは人との距離感が近く、やや落ち着いた性格のジルは話しやすくて心地よかった。
あっという間に心の距離が縮まる。
ジルの家は海岸部と町のちょうど中間地点、のどかな場所にある。
墓地から家まではあまり整備されていない道と、脇にポツポツと民家や畑、雑多な草木が続く。
「えと、家着いたら服とかいろいろ母さんに頼んでみる。あと、うちに火の魔道具あるから温かいお風呂入れるからね。お昼ご飯も一緒に食べよう」
お風呂という大量に水や薪を使う行為はフラーシア王国の一般市民にとってはたまの贅沢だったが、ジルは頭を床につけてでもアリスをお風呂に入れてあげるよう両親に頼むつもりだった。
こんなボロボロの女の子を放っておけない。
「えっ、そこまでしてくれるの? ありがとっ、ジルはいい人ね!」
ぱあっと明るい笑顔、単純な褒め言葉。
そんなものでジルは自分が喜んでしまったのを自覚した。
……こんなのだめだ。
アリスは気にしていない風だけど、今すごく困っている状況のはずだ。
今はボロボロのアリスを綺麗にしてあげて、ご両親の所に帰すことを考えないと。
ジルは自分で自分を叱り、自らのほっぺを両手でぺちんと叩く。
「? どうしたの? 眠いの?」
「あ、いや……」
「あっ私のおばあちゃんがね、眠たい時はコーヒーを飲むといいって言ってたよ! でも今飲めないもんね、家まで我慢するの無理そうだったら言って! そのあたりで昼寝しよっ、恥ずかしくないように私も一緒に寝てあげるっ」
「あははっ、家までそんなに時間かからないから大丈夫」
アリスのずれているが優しさを感じる言葉にジルはつられて笑顔になり、引き締めた気持ちがどこかに飛んでいきそうになった。
アリスはそのまま友達と楽しくお喋りをするように話を続ける。
だが、その内容は思わず耳を疑うものだった。
「私もね、起きたらなぜか海で漂ってたんだけど、なんだかすごく体重たくて眠たかったからそのまま漂いながら寝ちゃったの! そしたらいつの間にか海岸に着いててジルが声かけてくれたんだよ」
「え……」
楽しげな調子にまったく似合わない話の内容に思わず言葉に詰まる。
アリスはまるで、笑いを誘う軽い失敗談を話した後のようにジルの反応を待っていた。
「……えと……それ本当……?」
「? うん、そうだよ?」
アリスは不思議そうに答える。
その話を聞くといま何事もなかったかのように笑顔で話しているのはほとんど奇跡じゃないだろうか。
アリスは死んでしまっていてもまったくおかしくない状況だったように思える。
そう考えると途端にジルは悲しい気持ちになり涙ぐんでしまう。
「……なにそれ……そんなの、死んじゃっててもおかしくなかったじゃん……っ」
「え、本当にへっちゃらだから泣かないで、ね?」
アリスは慈母のような優しい表情で体をさすって慰めてくれた。
……本当に僕は駄目だな。
僕は今、1人でボロボロのアリスの頼りにならなきゃいけないのに……
「うん、ごめん……アリスはなんで、そんな海で漂うなんてことになってたの?」
「えと……それがね、思い出せないの」
「思い出せない?」
アリスは困ったような表情で言う。
「うん……最後に思い出せるのは、リルニア王国に住んでた頃のこと」
「リルニア王国……」
3年前の大暴走で滅んだ、当時魔界と国境を接していた小国だ。
ジルの脳内に、アリスが大暴走から生き延びて3年間森の奥深くや洞窟で暮らしていたが魔物に見つかり、逃げるために海に飛び込んでフラーシア王国まで流された、という仮説が浮かんだ。
しかし、元リルニア王国領から人が生きたまま流されるには距離が遠すぎる気もした。
「リルニアで私を拾ってくれたおばあちゃんと、その孫の女の子と暮らしてたの」
おばあちゃんとその孫の女の子と聞いて、ジルは魔物達から逃げ切れなかった祖母と妹の姿が浮かんだ。
「たくさん可愛がってくれたことも思い出せる……また会えたら、いっぱい撫でてもらうの」
「そっか……」
ジルは自分とアリスの境遇を重ね合わせた。
もう二度と会えない家族。
でも、僕にはまだ両親がいる。
アリスは家族に再開できなかったら本当に1人ぼっちだ。
ジルは、アリスをまた家族と会わせてあげたいと心から思った。
「……大丈夫っ。絶対また会えるよ。僕も手伝うから」
ジルはアリスを元気付けるように力強く、そして不安にさせないように笑顔で言った。
アリスは一瞬はっとしたような表情をしたあと、目を潤ませてジルに微笑を向ける。
「……ありがと……やだっ、私も涙でちゃうっ」
「……これでおあいこだねっ! あははっ」
「あっ、ジルもう一回泣かせてあげる! こちょこちょするからお腹見せてっ」
「あははっ、やだよ逃げるっ」
「あっ、逃さないもん!」
じゃれ合うような追いかけっこ。
宙に響く笑い声。
わずかな風が草木を揺らす。
暖かい昼の陽光が二人を照らしていた。
そのまま家に着くまで、ジルの心配が吹き飛ぶようなお喋りやじゃれ合いが続く。
アリスが笑顔になる度、言葉を発する度にアリスへの好意が増していく。
その少女と一緒にいるだけで溢れ出す幸福感。
ジルが初めて味わう、その感情の名は──