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蒸機都市【歯車仕掛けの殺人鬼】  作者: ミュウト・2
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第九話 猫ほど長くない休息

第九話 猫ほど長くない休息

 書斎にお茶を持って来てくれたビルは、長い猫の

「がーご!」

 という呼びかけを聞いて、見えている方の左目を床の猫へ向け、少し見開いた。彼の瞳の緑色は上等のエメラルド並みに鮮やかだ。

「何だ、サークル。ここにいたのか。わかったわかった。朝飯だな。一緒に来い。御前(ごぜん)とマダムのお邪魔をするな」

 ビルの言葉にサークルは「るるる」と大きく喉を鳴らし、彼の足元へいかにも邪魔になる感じで(まと)わりつく。犬とは違う。大人しく控えて待ったりしないのだ。

「また、書斎は入っちゃダメって言ったのに入ってるんだ。相変わらず触らせないし」

 デスからビルへの告げ口めいた文句を、サークルは黙殺した。しかしデスがほとんど上の空の様子で再び尻尾へ手を伸ばしかけた途端、肩越しに振り返り「がー……」と低い声を出す。

「ひえっ! どうこれ、見た? 主人を威嚇(いかく)する! 可愛くない!」

 

 ビルは造りの良い小ぶりなテーブルへ、簡単なお茶のセットを手際よく並べ、私達の前へたっぷり注いだ。

「お口に合うと良いんだが。ご遠慮なくどうぞ。飲み終わった頃、迎えに来る」

 私に勧め、デスへ向かっては

「帽子やスカーフ、上着なんかは、まとめて置いてくれ。すぐ片付ける」

 と言ったが、どうもその言葉は「帰ってからこんなに経つのに、何でまだ脱いでない? 一体、いつまで着てる気だ」を意味している気がした。デスもそう思ったのだろう、口を(つぐ)むと、もたつきながらも装備を外し始める。

 

 私の場合、部屋へ案内されるまで服はこのままでいるしかないが、お茶を前にマスクを外した。すると、ティカップからの優しい香りがよく分かるようになった。

加密列茶(カモミールティ)ですか」

 どうも紅茶らしくないなと思った薄い色はそれだ。紅茶の時のように牛乳入れ(ミルクピッチャー)が添えてあるのはイギリスらしい気がする。

「なるべく、眠りの邪魔にならないものにしたつもりだ。飲んだことはあるか?」

 ビルが尋ねる。

「ええ、好きです。紅茶だと目が冴える方なので、ありがたいです」

「それは良かった。気に入ったらお代わりも出せる。ただ、そっちは部屋へ持って行こう」

 つまりこのお茶一杯の間だけ、私達は書斎でお喋りができるけれど、彼が迎えに来たら空費時間(アディショナルタイム)追加や延長は無し、終了! という意味だ。

 

 最後に、ビルは長い猫へ

「行くぞ」

 と声をかける。足元に引っかかる近さで、猫はいそいそと彼に付いて行った。

「確かに猫ちゃんは、――いる方が嬉しいんですけど――いない方が、話には集中できますね」

 途切れていた思考が急速に寄り集まり、私はデスを見る。しかし、その不注意な(とはいえ避けようもなかった)行動で、再び思考は四散した。

「は……」

 暖色系の優しい光の中。

 頭周りから布を外した男主人公(ヒーロー)は、今までの生涯で私が目にしたどんな男より、どんな人間より。彼が人間だということすら軽々、疑わせてくれるほど、絶世の美貌だった。

 

 ただしそれは、甘さよりは険しさ。

 病的、退廃、地獄と死の気配。

 ゴシックホラー小説の中で悪霊に呪われ、発狂死していく貴婦人の美しさだ。

 

 彼の体格は美しいバランスで堂々としている。しかし肉は痩せ過ぎて姿勢は悪く、肌は高貴な白といっても危なげに青ざめている。切れ長の目の冷たい形を長く濃い睫毛が縁取り、珍しいほど明るい黄色の瞳が(かえ)って魔物の印象だ。渦巻く黒髪の下で憂鬱(ゆううつ)に寄せた眉、少し上の空の陰気な表情。

 すべてがグロテスクと薄皮一枚で接している。崖っぷちでバランスを取った、奇妙極まりない美だ。目にする人を不快にさせても不思議ではないあらゆるマイナス要素が、なぜか、彼の容貌の上でだけ、奇跡のような幽玄の美へ昇華している。

 

 従者のビルを見た時、私やメアリ・ジェインは彼を、大した美形だ、と思ったけれども。デスの美貌はそんな、美形だ、男前だ魅力的(チャーミング)だ、などという俗っぽい見方自体を攻撃的なまでに拒絶する。強いていえば芸術、なのか。自然の作為。

 

 言葉を失くして見つめる私に、

「何。顔になんか付いてた? 見苦しくても勘弁してよ、あんな夜の後だからさ……」

 彼は口籠(くちごも)り、所在なげな仕草で手にしたスカーフを揺り動かす。栴檀(センダン)を思わせるあの甘く高雅な香りが、再び私の鼻腔へ届いた。

 肌の、髪の、彼の。

 手入れに使った天上由来の香り物が、真逆のようにも関わらず、これほどに馴染(なじ)む。

 

 私の驚きがいつまでも続くせいか、彼は少し苛立ったように手の布類を椅子へ投げた。

「やっぱりもう良いや。ここまで見せたんなら髪、(ほど)いても一緒だよね。編んでると痛いんだ」

 口走ったと思うと、頭へ手をやる。すると、これ以上は予想もしなかった眺めが現出した。肩へ、背へと黒髪が大量に流れ落ち、デスの半身は長い髪に覆われた。

「いや、これも、長……! それに圧縮率がすごい! どうやって帽子に隠してたんです? やはり何かの新工夫が?」

 上擦(うわず)った質問をデスは

「どうって、力尽くしかないじゃん。馬鹿みたいに詰め込んだんだよ。ビルがギッチギチに編んでさ。痛いって言ってるのに」

 といなし、ひたすら髪を解いて息を()く。


 私は戸惑いの方が強くなってきた。

「そんな長髪を維持することが許されて、解析機関をフロアー一杯に組み立てて持っておられて、人間の体に似たものまで作り上げたと仰る。いくら特権階級の若君(わかぎみ)でも、ただ貴族だというだけではできないことのようです」

 言えば、デスはチラッと私を流し見て、唇を歪めた。そんな表情すら、心臓を刺して美しい。しかし私はもう、ため息や感心より「何だこいつ」的な反感を抱き始めてすらいた。あまりに美しいものを前にすると、やるせなくて逆に立腹するのか?

「今までの情報だって濃すぎるのに」

 気弱そうな普通の若者、凡百の容姿でした、で、どうして終わらないのか。


 デスはこちらの理不尽な感情に気付くはずもなく、

「それは、できることの方を数えるからさ」

 と、皮肉な口調で答えた。

「逆に言えば僕は、今、君が言ってくれた以外のことは何にもできない。生きてるのだって精一杯だ、あ、経済的な意味では『楽々』だとしてもさ。エルグレイヴ伯爵家は女系で、男の後継ぎがものすごく生まれ(にく)くて死にやすい。そんなら女性当主を立てれば良いのに、そうはせず、やっとのこと発生した見ての通りの出来損ないを、死なせないために何でも許した。結果が(これ)だよ、本当、それだけ」

 彼は長い髪を無造作に背側へ(ほう)って、座り直した。背の高い椅子にかけても髪は床に届くほどあり、渦やウェーブで電気ランプの光が(つや)やかに遊ぶ。彼にだけ持ち運び可能な黒い宇宙。

 (さら)された規格外の美貌を前に、全く落ち着かない。見慣れれば、また話しやすくなるのだろうか。


 私が微妙に視線を()らす分、デスはやや身を乗り出し、さっきより積極的にこちらを覗き込んだ。

「早く話さないと時間切れ(タイムアップ)になっちゃう。ええと。偽体(フェイク)を作った実験室も機関(エンジン)のついでで、見せられたら良かったんだけど。まあ、あれは寝る前には見ない方が精神安定上いいいかもだし、起きてからにするか。何かもう、寝てる場合じゃない気がしてきてるけど、寝ないとビルが許さないからさ」

「私としては眠れると有り難いです。もう徹夜できる年齢じゃないですね。思考力がすっかり何処(どこ)かへ行って、頭がフワフワします」

 ここぞとばかり、眠気と歳のせいにする。

「想像外のものを色々と見せていただいて、有意義な夜でした……もう朝か」

「うん、それでさ。どうしても寝る前にこれだけはって質問、ある? お互い一つずつ質問して、答えてからお開きにしない」

「これだけ……疑問はまだ、沢山ありますが。そうですね」

 

 私はどこともない中空から、暗い路地を記憶の視線で覗く。

 (おぞ)ましい闇が(こご)る。密やかな破壊音。蒸気の吐息。

「バックス・ロウでご一緒に見た『アレ』は何だったのか。まさか、アレもあなたが作った、とは言わないでしょうね?」

 あの、どうにも人間離れした気配。それで可能性をつい考えた。けれどデスは、震え上がるように首を振った。

「とんでもない。アレが何だかは、まだ僕もわからない」

「……なるほど。未知とはいえあのような悪意は、この屋敷やあなた達には見なかったので、信じます。あなたからはっきり否定が聞けて、少しほっとしました」

「ただ、多分、今回で終わりじゃない。今回がむしろ、始まりだと思う」

「……そう聞いても、あまり意外ではないです。が、嫌な話だ」

 特に、もう体力限界の今、聴くには。そう思いながら、柔らかな口当たりのお茶を飲み干す。

 

「それで、そちらのご質問は?」

 水を向けると、デスはソワソワした。

「え、あの。さ、先に! 答えはさ、『(YES)』でお願いしたいんだけど。そうじゃないなら尋ねたくない」

「何ですそれは。公平じゃないですね」

「だって! 君がパリから飛んだ、って分かった時、本当はそっちだけ追いたかったんだ。でもアレのせいで(あきら)めた。そしたら、何でかそっちから飛び込んで来てくれたんだから」

 早口で何やら勝手な見解を述べたと思ったら、

「あなたは、間違いなくピーペだよね? それでこの屋敷からっていうか僕の前から、僕が起きた時、消えてたりしないよね。YESじゃなきゃ僕は寝に行かない」

 と硬い声で言った。


 ――大叔母様、帰っちゃ()だ。私がねんねしても、帰らないで。ずっといて!

 

 祖父の姉が遊びに来ると、その優しいおばさまが大好きで、着物の膝に抱いてもらっては、毎回そうねだっていた。幼い自分が、何故か唐突に目の前へ出てくる錯覚。


 ビルが「部屋へ案内する」と入ってきた時、私はまだ笑っていた。


(つづく)

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