第八話 フランケンシュタインの後裔
第八話 フランケンシュタインの後裔
デスの屋敷の三階は、蒸機の解析機関が埋め尽くす驚異の部屋だった。
しかし。
「御前。自分でやっとく、と承った気がしたが。中身はこれか?」
背後から従僕、ビルが言う。
整った顔の右側に巻いていた布は、外されている。代わりに、シンプルだが美しい、軽やかな細工のベネチアン・マスクで同じ部分を隠していた。顔に傷痕があるのかもしれない。
ビルの声は飽くまで穏やかだ。けれども、デスの現在の行動に関して「評価しかねる」と充分伝える調子が含まれていた。
「ちち、違っ、これはその! ぴ、ピーペがこれだけは見とかないと気になると思ったから!」
「ほぉーう……自分の選択の言い訳に、客人を使うのか?」
身分的には、ビルが服従する立場のはずだが。彼らのやりとりから、今はそんな感じがしない。
ビルはゆっくり数え上げる。
「イギリスに着いたばかりで。昨夜は一晩中、起きて歩いてらしたことを、他ならぬあんたも知ってる。どう考えても疲れてらっしゃるマダムを、客室に案内もしねぇで。さっさと気の利いた女手を頼みもやらねぇで。ガラクタ部屋へ案内して、ご自慢の機関を見てもらって、散々、話を聞いてもらって。その上で、全部、彼女のせいにする? そんな礼儀は、あまり聞いたことがねぇ」
ざらつく低い声は、風貌と同じく野性味があって魅力的だ。言葉遣いは粗野だが、発声は上品。話し方も穏やかで、普通だったら心和むと思えそうなものだ。
しかしながらその、ネズミをいたぶる猫など想像してしまった言葉運びの前に、デスは絶句した。
「まだ、何かあるか?」
沈痛な無言を確認し、ビルは頷く代わりに少し頭を傾ける仕草をしてから、私の方を向いた。
「申し訳ない、大変失礼した。御前は夢中になると、物事の順序をよく無茶苦茶になさる。あんたみたいな聡明なお人と出会ったら、滅多にないほど話が合って当然、夢中になられるだろう、ぐらいは俺が予測しておくべきだった。御前の失礼は、俺の段取りの不手際ゆえだ。マダムがきっと持っておられるだろう弱者への慈悲心に縋って、平にご容赦願いたい」
私は急いで首を振る。
「いえいえ! 本当に、私の好奇心のために案内してくださったのですから」
デスを庇うようなことまで言ってしまったが、それこそビルの狙い通りだ、という気がすぐにした。彼もどうして、予想以上に侮れない。
「ポリーさんはどうなさってますか」
話題を変えると、
「家政婦長に任せた。彼女の目の届くところで休んでもらってるから心配ない。マダム達みんな、よく休んだ後で、また話すといい」
ビルは簡潔に答える。そして、
「遅くなって悪かった、泊まっていただく部屋へ案内する」
と先に立ち、階下へ向かった。今度は、広く立派な表階段を使う。
「着替えやなんかはとりあえず、屋敷備え付けのもので我慢して貰いたい。風呂と飯は今がいいか、一眠りしてからの方がいいか?」
今がいいか、と訊けるぐらいなのだから、彼はそれも準備した上で呼びに来たわけだ。
「おもてなし恐縮です。ビルさんも夜通し、伯爵と一緒に活動していらっしゃったのでしょう。お疲れではないのですか」
私の言葉に、デスが後ろから「伯爵はやめて。デスでいいよ」と囁いてきた。ビルは振り返り、会釈する。
「お心遣い、こちらこそ恐れ入る。俺なら平気だ。昼間の暇な時間、居眠りして過ごすから。御前はいつも俺に対し、過分な待遇をしてくださってる」
ニヤリとして言われた言葉、そのままとは思い辛いにしても、ビルの伸びやかな態度は、重用されていることを裏付けていそうだ。
私は踏み込んで、
「だからあなたはデスさんと一緒に、誰かのご遺体を持ち運ぶような、えー、冒険。……のお手伝いもなさるということですか? 確か貴族議員の場合、従者にも不逮捕特権がありましたね」
と、訊いてみた。ビルは動じず、
「ああ、まだその話も済んでなかったのか? 御前は二十一になっておられない。だから議員の特権もねぇんだがな。それにしても、御前。結局、本当にご自分の喋りたいことだけ喋ったのか」
と言った。
「じゃ、まだ喋るしかねぇか。わかった。茶でも持ってくる」
彼は廊下の中程で立ち止まると、一室を開いた。
スイッチが捻られる。電気の照明ながら優しい黄色が点って、見事な書斎が照らし出された。
「今日、置いてきたのは、御前が作った偽の体だ。組織や代謝はほとんど生き物寸前まで行ったが、命の生成はお出来にならなかった。それが幸い、だ」
ビルは恐るべきことを付け加えてから、今度はデスに向き直り
「茶の一杯分だけだ。その間に事の説明も、彼女とあんたに必要な当座の取り決めも終わらせてくれ」
と宣告する。デスの、
「無茶振り!」
という返事は黙殺し、
「飲み終わったら、話が終わってなくてもベッドへ行ってもらう」
言い置いてビルは部屋を出て行った。
デスは上の空で私に大きな安楽椅子を勧め、掛けさせた。
「はい、ご覧のように。僕は横暴な執事に支配されて、日夜、虐げられてます。同情して」
彼は嘆息し、向かいのチェスタフィールドソファにへたり込む。
「あなたに相応しいツッコミ……いえ。細やかに行き届いた配慮の数々ですね。話し方は少し、独特ですが。ビルさんはすごい人らしい」
考えながら、私は
「デス。あなたは機関を扱うだけでなく、生き物を作ろうともしていた、ということですか? まるで現代の錬金術師じゃないですか」
と言った。彼はまだ帽子を取ろうともしない頭を、背もたれへ押し付ける。
「錬金術は笑える。せめて『フランケンシュタイン博士の後裔』とでも言ってよ。私淑してるんだ、創作上の人物だけど。博士の怪物には共感っていうか、身につまされるものがあってさ」
と、よくわからないことを言う。彼は私へ目を向け、
「あれ、知らない? メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』。読んでないなら貸すよ」
と背を起こしかけた。
その時、デスの座った後ろから、赤っぽい毛色の大きな猫が歩み出した。
「おや! 猫ちゃん!」
「えっ、入ってた? 書斎はダメって言ったのに!」
絨毯の上を歩いて来た猫は、こちらへ黄緑の目を向ける。話も緊張感も、途切れてしまった。
「こんにちは、いえ、おはよう、ですね。お邪魔してます」
私は猫に言い、椅子を降りて床へしゃがんだ。猫は人懐っこいらしく、すぐ近付いてくる。
「本当だ、入ってるよ……入っちゃダメってとこに必ず入るんだ。機関は嫌いらしいから、ちょっとは救いだけど。ほら、サークル! サークル猫」
デスが立ち上がり、捕まえようと手を伸ばすも、猫は平然と躱して私の周りを回る。顔を近付け匂いを嗅いでから、親しげに振る舞うと決めたようで、こちらを見上げ「に゛や゛」と短く鳴いた。
「わぁ。可愛いですね。サークルっていうんですか」
頭を差し出され、早速、手袋を外して撫でる。サークルはさらに体を寄せ「るるる」と喉を鳴らした。デスは鼻を鳴らす。
「えっ。全然、可愛くないと思うけど。声も潰れてるし。毛も、汚れたレンガか赤錆みたいだし。でもあなたは、もしかしなくても猫好きだね」
デスのいうように、一般的な形容としての「可愛い」は違うかもしれない。結構年配な雄猫だ。頭も体も大きい。だが、猫好きにとって、猫は遍く「可愛い」のだ。
喜んで撫でていると、猫は喉を鳴らしつつ、再び、しゃがむ私の周りを回り出した。が……
「ま? ってください、長……?」
目を疑う。彼(猫)の頭から背中、と撫でた、その同じ右手の側へ、彼(猫)の頭が再び「後ろから」出て来る。
「えっ? 長い、長い!」
私の周囲をぐるっと周り、なおも彼(猫)は歩いているが、尻尾の付け根がまだ右手の下を通過しない。もしや同じ見た目の猫、二匹、とか? しかし、振り返ると、細長く伸びた胴が私を一周していた。
猫は環状になって「るるる」と言いながら歩いている。
「ああ……それでサークル。ちょっと伸びすぎでは? でも別に具合は悪くなさそうですね。バランスを取るのも上手だ」
私は冷静になり、撫でるのを再開した。
「いや適応早すぎか? 猫ならなんでもいいの?!」
デスが小声で叫んだが、見る限り、サークル猫は「長い」以外、普通だ。普通に可愛い、つまり最上級に、非常に可愛い。
長い猫(前脚)はやがて立ち止まり、後脚がさらに少し歩いて、一般的な猫のサイズ比に戻った。伸びている時よりも、ずんぐりむっくりだ。ということは、質量は保存されている。
「可愛い猫です」
もう一度言うと、「その通り」という顔で、サークルは自分の頭をこちらの手に当てた。
「可愛くないって。ちっとも懐かないし。僕が助けたのに」
デスは猫の、長くしなやかな尻尾へ手を伸ばし、シュッと避けられた。
「尻尾を触るからでは?」
「いや何か、助けた時から僕には懐かなくって、ビルばっかり。まぁ……ちょっと伸縮性の維持に留意し過ぎて、復元以上やり過ぎたかなってとこは、無きにしも非ずだけど。本人は伸びられるの気に入ってるくせに、僕のこと許さないんだ。今だって君に、自分から長いの見せびらかしてただろ。おい、こら、サークル!」
サークル猫はデスを無視し、書斎の他の場所に用事がある顔で(多分本当は用事などない)、さっさと歩いて行く。と、ビルがお茶のお盆を持って静かに入って来た。
猫は立ち去るのをやめ、進行方向をビルに変える。
「がーご。がーごがーご、がーご」
大きく開けた口から興奮気味の濁った鳴き声が出て、尻尾も嬉しそうに高く立てられた。
(つづく)