第四十一話 劇的な出会いを狙え
デスから、バッスルスタイルの派手なドレスも誂えるように、と提案された。私は
「バックス・ロウで夕方に見かけた、デスのお知り合いに紹介してくれるのですか?」
と尋ねる。
「あなたが『殺人実験』関係者だと疑っている相手は、遠目に見てわかる程度には『知り合い』なんですよね。となれば、貴族かそれなりの人士なんでしょう。その人のところへ探りを入れに向かうなら、私にもおめかしドレスが必要、ということですよね?」
前へちょうどコーヒーカップを置いてくれたビルが、視線を下げたまま、仮面に隠れない左側の顔でフッと笑った。デスは眉を顰め、
「うわ」
と呟いた後、テーブル上で白い両手を組んだ。
「ああもう。確かに今は、僕の方が会話の順序をすっ飛ばしたんだけどさ。君が聞き込みとか張り込みとか言うから、本当、どうしたもんかなって。帰ってくる間、一応、ずっと考えてた」
彼が話しかかる。
「バックス・ロウから君が、ベスナル・グリーン辺りまで裏路地を追いかけたっていう人影。お察しの通り、あの辺の住人じゃなく、こっち方面の人間だ。解析機関で抽出した電信文の『発信元』だと、僕が考えてる人物」
デスはただでさえ聴き取りづらい掠れ気味の声を、さらに低める。
「その人物の名前は?」
「全然躊躇しないで聞くね?! まあ良いや。どのみち教えるところだよ。ヘンリー・クライド子爵って言って、僕より二学年だか先輩の。学寮も近隣だったはず。でも仮に大学内で出会ってても、僕は学校でのこと、ほとんど覚えてないから。学寮自体、複数あって、同時期の学生が何百人もいる。彼の存在は、今回、機関で電信を見た時に改めて認識した」
彼は早口で言い切る。
奇妙な気がした。デスは確か十八歳だ。つまり飛び級して早めに卒業したようだが、それも最近のことだろう。彼ほど頭の良い人物が、数年前の出来事を「ほとんど覚えていない」とは信じがたい。
目をやれば、デスは病んだ風ながらも比類なき絶世の美貌を、さらに陰惨かつ恐ろしげに曇らせていた。非常に頑なに見える。学校の話をしたくないんだな、と私は感じ、ただ頷くだけにした。
彼は話を続ける。
「今朝の殺人事件――いや、犯人達にしてみれば『殺人実験』か。でもその現場へ、クライド子爵が自ら出て来てうろつくなんて。疑ってた矢先だから、びっくりした。偶然の野次馬とは思えない……けど、じゃあ関係者なのに、のこのこ現場の様子を見に来るかな、って。よっぽど『誰にも疑われるはずない』と自信満々なのか、あるいは、完全に無関係か。無関係だったら僕の解析が間違ってて、彼は電信文の送り主じゃないことになる。同時に彼は、紳士だ貴族だと言ったところで下町の暴力事件大好きで報道があり次第現場をうろつくのが趣味の、下世話な人物、ってことになるけど」
「それなら無関係だとしても、結局ろくでもない人、ということになりそうですが。早いところその方とお近付きになって、話を聞けばはっきりするのじゃないですか?」
「はー! 簡単に言うよなぁ! これだから、対人コミュニケーションにさしたる困難を感じない人はさあ。大体、君の方が、外国人だし女性だし、王侯貴族でもないんだし、どう考えてもハードル高いじゃないか。そこをあっさり逆手に取る技術たるや」
デスは呟きつつ、忌々しげに指を組んだり解いたりした。私に対して、というより、自分に対して苛立っているのだ、と思うことにする。
「デスは、あまり人付き合いがお好きでないんですね」
「うんすごく。ね、ねえ。僕は手配だけするから君だけ行ってくる?」
彼はチラッと黄色の瞳を上げ、長い睫毛越しに上目遣いで私を見た。
「それでこの先も、新聞をチェックしたり、機関で調べるのだけを僕が担当することにしてさ。あとは定期的にビルが、僕らの間で伝言を持って走ってくれるようにするとか」
自分にとってのみ都合の良いことを言う彼に、
「御前がエスコートなさらないと、結局、マダムも変な目で見られるんだぞ」
とビルが指摘する。デスは「うう」と言葉を途切れさせた。
「手配、と仰るのは、晩餐会とか、何か催しがあるということでしょうか。このお屋敷ではなく外で?」
私が具体を尋ねかけたところで、
「おっと。その話は少し待ってくれ。長くなりそうだ。御前とマダムは書斎へ移動されるか? コーヒーのお代わりをそっちへ持って行こう」
ビルが穏やかに割り込んで、そう勧める。
「名案ですね! ここも片付けなければいけませんよね」
私も気付き、同意した。
夕食の間、給仕にはビルと家政婦長のベティさんだけが出てきてくれていた。けれど、部屋の外では、ポリーさんも食器を受け取り、下げる手伝いをしているかもしれない。下手な話を耳に入れて、彼女の心を乱したくはなかった。
ポリーさんは先程、ここの使用人然として私達を迎えに出てくれていた。その様子は、もうかなり屋敷に馴染んでいるように思えたし、充分落ち着いても見えた。けれど、なんといっても未明には彼女は、宿無しとして路上に眠ろうとしており、しかも訳の分からない『殺人鬼』に危うく殺されるところだったのだ。環境の違う知らない邸へ保護されても、まだまだ、安心して気を許すには程遠いはずだ。それに、
「私は下手を言うつもりもないんですが」
デスはいつでも、次に何を言うかがわからない。
そのデスだが、今度は、
「えっ、書斎……し、書斎はね。あっいや何でもない、いいよもちろん、どうぞ。そうだねそうしよう、さあ行こう」
と、何故か急に怪しく狼狽え、不自然なばね仕掛けのように席を立つ。「何かやってるな」という表情になったビルが、しかし口では平然と
「熱いコーヒーをポットで持って行こう。お代わり二杯目からはカモミールティをお出しする」
と答えた。
「ありがとうございます。もう夜も遅いですからね! でも私は、珈琲なら眠れるんですよ。お茶だと目が冴えてしまうのですが」
聞いたデスが振り返り、
「そ……? それは、変だな。もともとコーヒーは、アラビアの学者たちが眠らず勉強や瞑想するために飲んでた薬だって聞いた」
と言う。
「そうでしたか。日本でも元々、薬として明から来たお茶は、お坊さん、つまり知識階級で学者に当たる人達が持ち帰ったとか。何だか似ていますね。お茶は眠気除けの薬というより、病気治療用だったとは思いますが、元気が出て目が冴える効果もあります。珈琲もお茶も、薬として飲まれていたのが、珍重され多く作られるようになると段々、手に入り易くなって嗜好品にもなるのですね。面白い」
言ったものの、私は「百薬の長」の酒や、アルコールと混ぜて万能薬扱いされている阿片などもこの蒸気都市では実に手に入り易く、場所と場合によっては濫用されていることもあるのを思い出した。それは、面白いどころか大問題だろう。ただ、コーヒーやお茶に限っては、アルコールや麻薬、タバコと違い、普通に飲んでいる限り、健康被害や依存症を引き起こす性質は基本的には「ない」はずだ。
考えているとビルが、
「お茶は東洋から来たんだよな。しかしコーヒーは、最近西洋から輸入するまで、日本でも知られてなかったんだろ。マダムは東洋人だから、コーヒーに反応して覚醒する体質を獲得してねぇのかもしれねぇぞ」
と言う。聞けば、なんとなく納得できる気もする。
「体質の獲得ですか。興味深いですねぇ。噂の『進化論』の応用編かな?」
チャールズ・ダーウィンの「種の起源」を思ったところへ、デスが
「ああ、君も『人間の由来』、読んだ? 七十一年の出版。あれも聖書の教えに真っ向対立するから、未だにものすごく物議を醸してるけど。東洋では宗教に邪魔されない分、逆にすんなり入るのかな」
と、別な書名を挙げた。さらに
「読んでないなら貸すよ」
軽く付け加える。デスの蔵書は、書斎の壁一杯、棚満杯の背表紙の美観だけではなくて、内容も随分と頼もしいようだ。彼は隣を歩きながら、
「ええと、ピーペに貸すのは『フランケンシュタイン』、それからダーウィンと。あと社会学関係の最近のレポートで、それなりのがあれば。あ、今日の新聞は僕が読んでから、明日の朝回すけどそれで良い? そう、あとあれだスティーヴンソン……いや待って。あなたは、劇を見る前に筋が分かってるのって嫌な方?」
急に尋ねた。
「小説が原作の演劇を見る場合、ですか? ふむ。筋書きを知っていると観劇がつまらなくなる内容なら、先には知らないでいたいですが」
「ううん、流れが分かってても多分、面白い。小説と劇では、別な面白さになるはず。いや僕も、実は劇の方は観てなくて」
「もしやクライド子爵を待ち伏せるのが、その劇場で、ということになりますか」
「待ち伏せって……良からぬことみたいに言わないでよ。予め挨拶の書状も送るんだし。知らない同士が出会っても変じゃない社交場で、礼儀に則って紹介して、次にはお茶会にでも招いてもらってご自宅訪問。っていう手順のために、一番手っ取り早いんだよ。これでもね! はー! めんどくさ!」
デスは盛大なため息を吐いた。
「よし、到着だ。毎度ご足労ですまねぇな、マダム。それから、お茶にせよコーヒーにせよ、面白い本やお喋りでも。夜更かしを繰り返すのは良くねぇぜ」
件の充実した書斎で、扉を開けてくれながら、ビルが釘を刺す。
「ええ、今日は程々にします」
神妙に答える私の横を、デスが急に礼儀のない動きですり抜け、慌てて暖炉前へ向かった。
「いやこれは何でもなくて今片付けるところだから」
見れば、火囲いの前に細長い小皿達が、胡乱な一列縦隊を組んでいた。
(つづく)