表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒸機都市【歯車仕掛けの殺人鬼】  作者: ミュウト・2
4/210

第四話 貴族と従者とレディと泥棒

 窓を(ふさ)いだ四輪箱馬車は、暗い中、スピッタルフィールズ青果市場の近くに止まったようだ。

 馬車の中で、謎の男は驚くべきことを口にしていた。

「貴族と従者にレディが二人、あとの一人は大泥棒」

 今夜の異常な冒険の結果、乗り合わせている五人を、そう形容したのだ。

 

 彼は私を知っているのだろうか。私の素性と「仕事」のことを? しかし何故。どうやって?


 ところが、私が口を開くより早く、ポリーさんがワッと泣き出した。

「やっぱり私を捕まえに来たんだ」

「うぇっ?!」

 隣の男がギョッとなる。ポリーさんは泣き上戸(じょうご)のスイッチでも入ったのか、涙の合間に激しく訴えた。

「だけど、そんなのあんまりじゃないの。黙って出て行ったのは、しょうがないよ。家庭、守るのに失敗した女だからって……足元見られて。タダ同然で(やと)って、行儀だけは、良いとこの女中みたいに厳しく言うんだ。お酒、呑まなきゃ耐えられないほど、たっぷり(みじ)めな気持ちにしてくれといて、お酒は絶対ダメ。(ひど)いよ。とても居られない。仕事用にって(もら)った服は、私が貰ったもんですよ。あの……引き出しで見つけたお金。あれだって、貰って当たり前のお給金。ほんのちょっぴり。なのに泥棒だなんて。もっと取ってるヤツもいるのに! 私のは、どうにもしょうがなかったんですよぅ」

 思わぬ言葉の奔流で、引き金を引いた張本人の男は狼狽(うろた)えている。

「あれっぽっち持って出ても、向こうは何にも、困るような暮らしじゃないですよ。なのに。今になって追っかけてくるなんてぇ……」

 ポリーさんは泣き止めない。

 

 すると今度はメアリ・ジェインが目を怒らせ、ドスの効いた声を出した。

「ちょっと、お兄さん。お金持ちだか知らないけど、気の毒な小母(おば)さんに因縁つけるのが紳士のやること? 可哀想に、責められたと思って取り乱してるじゃない。それともさっきの『泥棒』ってのは、私に当てこすったわけ?」

「ひえっ」

 再び男は息を呑む。

 彼は、肉付きは悪いながらもなかなかの体格で、背も軽く六尺(六フィート。一八五センチメートル)ありそうだ。なのに、こういう場面には強くないらしい。メアリの啖呵(たんか)は加速する。

「そりゃね。あんたらから見れば、私みたいにきちんとお上の許可とって商売してる娼婦(プロ)だって、泥棒と一緒かもしれないさ。けどそんなの、後で困るほどの金、遣ったヤツが悪いんだろ。野暮(やぼ)なしみったれに限って騒ぐんだ。大体、この小母さんは娼婦でもない。ちゃんと見て話聞いてれば、あんたらには無理でも、私にはわかるんだから」

 ポリーさんが何度も(うなず)き、

「そうですよぅ。私は今だって、日銭仕事でも家事手伝いとか。素面(しらふ)のときは、頼まれ仕事、なんかかんかして生きてんです」

 と主張した。


 メアリは重ねて

「ええ、返事はないの、お兄さん。私らを泥棒呼ばわりするからには、きっちり証拠があるんだろうね? それともあんた、変装したお(まわ)り? 真面目な市民を疑って、迷惑かけるのがお仕事の?」

 と、多少、酔いの熱さえ取り戻した威勢で言った。ところが悪いことには、ここで男が急に冷静な早口で、

「いや警官を悪く言うのは違うだろ。警察組織の整備のおかげで犯罪検挙率は上がった。今までだったら闇から闇だった無法地帯の犯罪が、曲がりなりにも捜査され、全部じゃないにせよ明るみへ出され追及されるようになったんだ。(ちまた)の無責任な報道は事実と逆で、ロンドンの犯罪率は実質、右肩下がりに低下してるわけ」

 と呟いたのだった。

 メアリ・ジェインはドン! と馬車の床を踏み締める。

「なんだって? はっきり言って?」

 殊更(ことさら)ゆっくり尋ね、彼の方へ身を乗り出した。男は座席の背にへばりついて硬直する。


 このままもう少し見ていたい気も、かなりしてきていたが、

「あー。ごめんなさい」

 私は優しく割り込んだ。

「こちらの方が言っているのは、私のことだと思います」

「あっ、東洋人への差別だね!」

 メアリ・ジェインの心に燃え上がった怒りの炎は、なかなか消えないらしい。むしろあちこち、延焼(えんしょう)する勢いだ。

「えーと……私のために怒ってくれるのは、とっても嬉しいですが」

 

 私はなるべく陽気に、革のマスクで見えない口元の分、目元をニコニコさせる。

駄洒落(だじゃれ)歌みたいなものは、最後にオチがあるでしょう? それで『泥棒』なんて仰ったんですよ」

(ちが)っ」

 隣から聞こえかけたのを、

「ほら、何でしたっけ。『仕立て屋(テイラー)いかけ屋(ティンカー)兵隊(ソルジャー)船乗り(セイラー)』? ありましたよね。占い歌みたいな」

 と、素早く被せて誤魔化(ごまか)す。幸い、メアリは彼より私の方を信じてくれた。

「えっ。じゃあ、あれ冗談のつもり? 確かに、そんな歌だったら『金持ち(リッチマン)文無し(プアマン)乞食(ベッガーマン)泥棒(シーフ)』って続くけど……」

 彼女の言葉を聞き、ポリーさんも

「なんだ、そうなの。関係ない、歌だった……」

 とモゴついた後、静かになった。


 隣で男が悔し(まぎ)れか、

「へええ。仲良くするのが上手いね。お友達とは、前から知り合いなの」

 と呟く。私はつい、

「あなたは、敵を作るのがお上手そうですね」

 と余計な言葉で返してしまい、慌てて()いで

「彼女とは昨夜、知り合ったんです。他所者(よそもの)あの辺り(イーストエンド)で安全な夜を過ごすには、下手に宿へ泊まるより夜遊びするに限る、と教えていただきまして。実践にも付き添っていただいてました」

 と説明した。


 すると、男はふと声を潜め、

「君らが何をしてたかは、途中、ちょいちょい見てたから大体わかってる。それよりあの辺って、路上に寝てる人、日常的に多かったりする?」

 と尋ねる。

「えぇ? 見てた……いや、ええ。どうでしょう。道で寝ている人は結構、昨夜は見かけた気がします」

 私の返事を、メアリ・ジェインが

「毎晩、当たり前にいっぱいいるよ。貸し間借りてるんなら、少しは家賃溜めとけるけど。一晩のベッド代だけで雑魚寝(ざこね)させてる宿泊所は、その晩のお代が払えなかったら即、追い出されるんだ」

 と、あっさり補強した。聞きつけたポリーさんがブツブツ、

「ベッド代がなけりゃ、救貧院(きゅうひんいん)へ行くか……酷いとこだよ、救貧院は! それよか一晩中歩いて、時々ちょっと横になる方が……。だけど悪い奴に襲われるかもしれない。起きてなきゃ。本当には眠れない……門口で座ってるとこ見つかったら、すぐ追い払われる……ああ、今夜も、くたびれたねぇ」

 切れぎれに呟く。(うつむ)いて黙ったと思うと、次には(いびき)が聞こえてきた。


「すごくお疲れなんですね」

 私の言葉には、メアリが同情的に

「本当に」

 と答え、男に

「ポリーさんのこと、ちゃんと送ってあげるんだろうね? この人がいつも泊まってる簡易宿泊所の住所聞いて、その近くまで連れてったげればいいよ。どのみちホワイトチャペルだろうから、私、送るの引き受けようか」

 と尋ねた。ところが男は、

「そうはいかないんだなぁ」

 と言う。

「今までの話、ちゃんと聞いてたらわかると思うけど。彼女は死んだことになって助かったんだから、顔見知りがいるようなところへ、のこのこ戻ってもらうわけには行かない。そんなことしたら、あの小道で死んだのが本当は誰なのか、って騒ぎになるじゃないか」

「何それ……あっ、やっぱりあんたら、人(さら)い? 違った、そうだ。始末したい死体をポリーさんってことにして、あそこへ置いてきた、人殺しだ!」


 メアリがまたも素早く逆上しそうになり、私は再び「まあ、待って」と止めた。

「こちらの紳士は、どうもさっきから独特で刺激的な言い回しをなさるんですが。それに私達がいちいち反応していると、えー。そう、言葉通り、夜が明けてしまいます」

 馬車の外の闇もそろそろ、白んでくる頃かと思い描く。

 もう一つ気になることもある。

 馬車を止めて以来、御者台にいるはずの男の動向が、伝わってこない。ずっと御者席にいるのか、それとも他所へ行ってしまったのか?

 

 とにかく、まずは隣の男の正体だ。

 ポリーさんとすり替えた遺体(本当に遺体ならまだいいが)の出所(でどころ)、そんなことをする目的。昨夜、私達を見張っていたような物言い。何より、私の素性を本当に知っているなら大変だ。

 

「あなたはご自分達のことを『貴族と従者』と仰いましたが、それはまんざら嘘じゃない気がします」

 探るつもりでそう言うと、男は(あき)れたように手を広げた。上等の手袋で包まれた、ほっそりしているが大きな手だ。彼は、

「何、そんなとこから? え、僕、自己紹介しなかったっけ。ああ、君達がお互い、名前で呼び合わないように気を付けてたから、つい釣られて自分のも伏せちゃってたのか」

 と言って、

「僕はデス。デス・グレイヴ。外の連れは僕の従僕で、ウィリアム・アゴラ」

 と、あっさり名乗った。

 

 メアリがポカンとし、

(デス)墓穴(グレイヴ)? 変わった名前ね。お連れの苗字も、ちょっと変」

 と、驚いた声を出す。

「待ってください。嘘かもしれない」

「随分、聞こえよがしのひそひそ話だね。僕は君とは違う。嘘は()いてない。まぁ……これが名前の全部でもないけど」

「なるほど、偽名だ。いっぱいある中の、偽名の一つ」

「違うって! 便宜上、省略した一部分って意味。誓って本名だよ」

 

 その時、馬車の扉がノックされた。男はまた「ヒィッ!」と息を呑んだが、

御前(ごぜん)?」

 と低い声が聞こえ、落ち着きを取り戻す。彼が腕を伸ばして開けたドアの隙間から、従僕だという連れが軽く会釈し、中を見た。

 カンテラの光を受けた顔は、二十代後半といったところ。

「あれ。ねぇ。ちょっと」

 メアリ・ジェインが小声で言った。いや、ちょっとではなく、かなり。

 従僕は整った顔立ちだった。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ