第三話 誰が駒鳥殺したの?
箱馬車の中で、未知の女性は「私が殺された」と呟いた。恐怖に喉が詰まったような掠れ声を聞き、メアリも私もギョッとなる。
――誰が駒鳥殺したの? 「私」と雀が言いました……。
過ぎった童謡を振り払う。
「失礼、今のはどういう……」
尋ねかけた時、隣の男が独り言をやめた。彼は女性へ、
「いいえ、あなたは生きていらっしゃるので。そこは今後も、必ずお間違えなきように。ですが、あなたの服を着せて代わりに置いてきたモノが、今頃あなたの『ご遺体』として、誰かに発見されている頃だとは思います」
と、途切れがちに言う。
「わからない。何がどうなっているんですか」
私は思わず手を上げ、遮った。
「ああ、ええと、そうだね。こちらは……失礼、お名前を伺っても……? ポリーさん、ですか……? うん。こちらはポリーさん」
「そうではなくて」
のんびり紹介している場合だろうか。
「さっきの言葉。あなた達がどこかから誰かのご遺体を持ってきて、こちらの、ポリーさん? ポリーさんの身代わりに仕立て上げ、あのバックス・ロウという通りへ置いてきたように聞こえました」
「うん。聞き取りと理解力は充分、合格」
妙に皮肉な口調で、男が呟く。私は無視し、
「何故、そんな工作を? ポリーさんが亡くなったことにしておいて、拐う気ですか? それとも遺産や保険金を騙し取る企みか」
と重ねた。
「違うよ。何だろう、その発想。すごく犯罪者のそれじゃない?」
「では、遺体を別人に偽装する、あるいは生きている人を死んだと偽装するのは、合法だと」
「あーもう、そう来る系? 法の許す範囲内でだけ、なんて拘ってたら間に合わなくて、誰かが本当に殺されてたよ」
殺されていた、という言葉で、ポリーさんが呻き声を立てた。彼女は震える両手で顔を覆う。
私達はハッとして話を止め、男は彼女に
「言葉があんまりでした、すみません」
と呟いた。
すると、メアリ・ジェインが提案した。
「ねぇ。アリスの冒険で、不思議の国の王様が言ってたけどさ。『始めから始め、終わりまで続け、終わったら止める』ってやつ。あれがやっぱり、一番分かりやすいんじゃない?」
「始めから……」
男は渋るように呟く。
「めんど……でも、それしかないか……逆に君達にも、協力してもらう以外ないのか」
彼はため息を吐き、ボソボソ話し出した。
「始まりは、まぁ。僕らがある種の殺人計画を知り、阻止しようと思った、ってところから。とりあえず、それで納得しておいて」
納得どころか、何故、どうやってと疑問は増えたが、彼は話し進める。
「狙われるのは、あの辺りの路上で眠ってる人だと予想した。酔っ払い、野宿生活者。その日の宿代がなくて、どこかの軒下とか階段に眠る人。とにかく」
「私は眠くて」
急にポリーさんが言葉を挟んだ。
「始めから、何にも悪いことはしてないんですよ。ただ、ちょっと休みたくて。親切な友達が……宿代にってお金貸してくれたんだけど。つい全部呑んでしまって。簡易宿泊所の管理人、その場で四ペンス払わないと泊めてくれなくてねぇ、顔見知りのくせに……。だけどねぇ、いっつも辛くてね、呑まないとどうにも眠れない。何もわからなくなるまで呑まないと……」
抜けない酩酊、それに疲労と心労で、言葉と声をぐらつかせ、彼女は言った。
「仕方ないから一晩中、歩いてたんだけど、くたびれてね」
「歩いて夜明かししてたのは、私達もだよ」
メアリが言う。ポリーさんは聞いているのかいないのか、ぼやける低い声で続けた。
「あの道、塀があるとこ。静かで、誰もいなかったんで、溝の側でちょっと、横んなったら。この方達が寄ってきて。ここで寝るな、あっちいけ、って追い払われるのかと思ったら……違って」
私は男を窺ったが、彼は黙っている。話が続く。
「こっちのこと起こして、服を取り替えて欲しい。命に関わるんだ、新しい服をあげるから、今着てるのをすぐおくれって言うんです。ポケットの中身とか、帽子も全部、そのまま欲しい、って。何だか馬車で着替えるといいって言われて、連れてかれて、見たら、中にはほんとに上等な服が一揃いあって。で……何だか知らないけど、命が助かるんだ、ってまた頼まれて」
「へぇ! それは驚きだねぇ」
メアリが相槌を打つ。
「何のことだか、訳がわからなかったけど。フラフラして、頭は働かないし。でも旦那がたは丁寧で。悪党なら、服が欲しけりゃ私を殴り倒して剥ぎ取るはずでしょ。でもこの人は、何だか、一生懸命頼んでて……」
私はふと、さっきの暗闇での「お願い」を思い出した。
「変な趣味で、着替えるとこ覗くとか、うまいこと騙しといて殺す気かもって、思わないわけじゃなかったけど。怖いんだか、どうだか……はっきりしなかったんですよ。頭がフラフラで。真っ暗な中、ただ変な夢見てるみたいな気もして。大体、私はその時一人っきりで。断る方が怖いかも知れない、断ったら悪党の本性出すかもって、そっちのが心配なような気もして」
「なるほどねぇ、そうだよね」
メアリの返事に、彼女は少し安心した顔をして、続けた。
「もう、迷ってる暇で着替える方が早い。なんか知らないけど、お礼に小銭でももらっといて、急いで宿へ戻ればいいんだ、って思えてきて。それで、馬車ん中で着替えたんです。全部取り替えて、ドア開けて、元の服や帽子、まとめて渡しました。そしたら、座って待ってて欲しい、って言われて。お二人は、馬車の上だかから、何か下ろしてたみたいな……。ぼうっとしてたら、何だかもう、音はしなくなった。その時、ふっと、『厚かましく小銭までお願いするの、やめとく方が利口じゃないか?』って思ったんです。今のうちなら無事ですし。上等の服は着込んだし。無事に勝るもんなしだなって、なんかそんな気がして。扉、開けられるか試したら、スッと開いたんで。帰ろうと、そうっと外へ出たら……」
「僕らがあなたの格好に仕上げた死体を運んでた。そう思ったんですよね」
男が言った。ポリーさんはショックを改めて思い出したのか、絶句する。
代わって男が続けた。
「でもこのマダムはしっかりしてた。その場で叫んだりせず、後をつけて来たんだ。そして、僕らが角を曲がり、彼女を起こしたバックス・ロウへ戻るのを見届けた」
ポリーさんは言い訳の気配で
「だって、何してるんだか、はっきりしなかったんですよ……気になって。悪漢が悪いことしてるんなら、そうってはっきり言えるよう、逃げる前に見とく方が良さそうだ、って……。こんなとこに住んでる貧乏人の話、お巡りさんはまともに聞いてくれないんですよ。酔っ払いの見間違いとか、嘘つきの作り話とか疑われて、助けてくれない。それか、私も悪党の仲間じゃないかって疑われるぐらいで」
と並べる。訴えの切れ目から、男が話を引き取った。
「まあそうやって、怖々覗かれてるのも知らず、知っててもそれどころじゃなく、僕らは彼女そっくりにしたモノを彼女が寝てたところへ置いた。その時には、警戒してたようなことが今にも起こる寸前だった。急いで角へ引き返した時、僕の連れが隠れてるマダムに気付いて、失礼ながらちょっと掴まえ、黙っててもらった。ギリギリだった。アレが来た」
「恐ろしい……!」
ポリーさんはまた、顔を覆う。
「ご本人に見せるつもりはなかったんだけど。結果的には、悪魔の化身みたいなのが、ご自分の服を着た身代わりへ無言で襲いかかったんで、僕達の行動によってご自分が『助けられたらしい』ってことに納得してくれた。それでひとまず僕らの保護を受け入れてくれることになって、僕の連れが、彼女をもう一度静かに馬車へエスコートした。僕は動かず、壁のとこに張り付いて、アレがその後どうするか、他所へ行かないかと見張ってたんだけど……今度は君達が」
男は不当に恨みがましい声音で、私へ向かって言った。
あの時。
私達が喋りながら角を曲がってきたもので、彼は慌てて振り返り、必死の思いで(私を)掴まえたらしい。メアリ・ジェインが口を出し、
「ああ! だから、私の後ろから、急にもう一人が出てきたんだね」
と頷く。ポリーさんを馬車へ案内した男が戻ってきたので、前後からの挟み撃ち的な状況になったわけだ。
私も一応頷いたが、疑問が解けたとは全然、言えない。
「それで」
と、つい遮る。
「どうして私達までここにいるのか、ということについては、少し分かってきたようですが。あなたはどなたで、外の男性はどういったお連れで、ポリーさんをこれからどうするつもりなのか、聞かせてもらうのは難しいですか」
男はまた皮肉な雰囲気を漂わせ、帽子の陰から私をチラッと見た。
「へぇ。随分、冷静だね。アレが何かとかは、あんまり興味ない感じ? 僕らが誰かの死体に良からぬ細工したかもって疑惑も、気にならなくなってきた?」
「そっちは後でいいです」
気にはなるし、言い方は気に障る。だが先に、これからどうするか考える材料が欲しい。
馬車は止まっていた。
スピッタルフィールズ市場とバックス・ロウが近いことは、さっきメアリから聞いた。御者席へ行った男は少なくとも、「市場の側で止める」と言った約束を守っているようだ。
単純な人攫いやギャングではないらしい。尚更わからない。
彼らは何者なんだ?
すると男が急に、ふざけたみたいな節をつけ、童謡めいたものを呟いた。
「馬車に乗ったる五人の人物。いかなる者達、ご存知か? 貴族と従者。レディが二人。残る一人は大泥棒」
まさか。彼は私の素性を知っている?
私は唖然として彼を見つめた。
(つづく)