第百八十四話 地獄より出で地獄へ至る
アニーさん(の身代わりの偽体)が切り裂かれた「殺人」も、「実験」であり「新兵器」たる自動機械の性能テストなのだとしたら。アレを回収する手段は、当然「実験者達」により確保済みだったはずだ。デスの指摘はそういうことだったが、
「人を人とも思わない、にしても度を超しています」
遺体をゴミのように捨て置く一方、機械の回収は周到に考えていたとの想定だけで、私には新たな怒りが湧いてくる。デスはこちらをチラリと見て、
「今までアレとか、『実験者達』の考えが許容範囲だったことなんて、全く無いと思うけどな」
と、言われても神経を逆撫でされるばかりのことを呟いた後、
「とにかく僕の言いたいのはさ。アレが井戸なり下水なりを使ったなら、それは単に穴が掘られてる程度じゃなく『地下道』みたいになってると思うよ、って話だ。これも覚えてるかどうか分からないけど、バックス・ロウの事件を示唆してた電文に『地獄より』ってあったろ。あの文章、前までは地下鉄のことかと思ってた。でも、私設の地下道的なものを示すにも使えそうな隠喩だよね。っていう推理はそれでよくても、実際どうやって確かめるかは別問題だけどさ」
さっき以上に、驚きの中身を口にした。
「しかし、私設の地下道? そんなものだとしますと、わざわざこのために『秘密の抜け穴』を作ってまで殺人をしていることになりますか? もしそれが当たっているとしたら、明らかに正気の沙汰じゃない。大体、地面を掘って通路を作るのは、ちょっこらちょいと気軽に実現なんてできません」
私がいうと、側でビルが、賛同を表して頷いた。
「マダムの仰る通り、土管を通すにせよ鉄道を通すにせよ、土を掘り返してまた埋める分、普通の道普請より費用も労力も必要だ。ほとんど、地面に金を撒いて歩くようなもんだからな」
そう言いながらも、
「だがしかし、殺人用の自動人形を作ろうって時点で、実行者達はまともな考えなんかどっかへやっちまった後なんだろう」
と付け足す。
するとデスが、大きく白く形も美しいのに何故か不吉な骸骨を思わせる手を上げて、
「奴らの精神鑑定は、捕まえた後の話にしようよ」
と遮った。
彼は、
「『実験者』はただの狂人じゃない。資金力があって、人を動員する力も持ってる奴だ。そうは言っても、地面を一から掘り返すところまではしてないかもしれないよ」
と続ける。
「話が矛盾しませんか。地面を掘らずに通路が作れるのですか?」
「新たに掘って作らなくても、目的向きに多少手を入れて整備し直せば利用できるような、廃下水とか地下水路とか、そんなのがあるんじゃないかな。あの辺は中世、かなり栄えた織物産業の町だった。後代、ロンドンが広がるに従い、市街から仕事を求めて来た人達や移民、低所得者がどんどん流れ込んだ場所だよね。ある意味ではそんな人達が、なんとか住む場所を作ろうと手当たり次第、無秩序に、それぞれ勝手に利用した土地なんじゃないか。そんな彼らが、自分都合で作った井戸や下水を、全部地図にして残したかとなると。穴を掘っては埋めた土地が、人手から人手へ渡る時、土地の利用情報まで完全なまま受け継がれたかな。多分、怪しい。だから、今も現役で使われてて当局にも点検され把握されてる『以外の』地下の施設は、あったとしても『見えてない』かも。文字通りの意味でも地下にあるから見えないけど、『認識されてない』って意味でもね」
私は少し感心して彼を見た。
「なるほどね。お聞きしていると、本当に実用的な『秘密の抜け道』が案外、他から気付かれず用意できるのかもしれないと思えてきましたよ」
デスの洞察を称賛したつもりが、彼は急に目を大きくし、不安そうになって、
「だ、だからって、『君が』似た何かを作ろう、なんて考えるのは無しだからね? この事件中だろうと事件後だろうと」
と焦った早口になった。
「いや、まあ、ええ。大都市の地下には、色々と埋まっているものですよね。生活を便利にする重要なものが。とても良いお話でした」
「なんかすごく二重の意味に聞こえる! これから先の君の『仕事』に役立てるため、アイデアを提供したわけじゃないからね! 悪用禁止!」
デスは必死になっているが、聞いてしまったものは返せないので、私はにっこり笑顔だけ返しておいた。
見るからに並の人間よりも大きく、仮説通りならば重い自動機械であるはずの「殺人鬼」が、どうやって人目に付かず、ハンベリー・ストリート二十九番の狭い裏庭へ出入りしたか。その問題は、デスの仮説により段々と、現実的な推測が成り立ってくる。
「既存の下水管か、枯れ井戸を利用した『秘密の地下通路』ね。大都会ならではのルートと言えるでしょうか。現場まで『運び込んだ』というより、『送り込んだ』のか。もしかすると途中までは人が、台車にでも載せて運んだかもしれませんけれど。この、『地下通路』の仮説は、早急に何らかの方法で確認したいところです。とにかく『地獄より』のふざけた秘密通信の仄かし通り、アレが地面の下から現れ、僅かの距離だけを自律的に移動し、対象へ襲いかかった……そのように考えてみます」
言えば、食卓へついたままのデスも、空の食器を下げないで留まり私達の話へ加わっているビルも、同意の視線を返す。
「例の裏庭なら、アレが『殺人実験』を企てるのにお誂え向きの『獲物』――というのはこれまでの推測を踏まえると『無抵抗状態になっている人』ですが、そんな人を見つけるのは難しくありません」
「だろうな。マダムは下調べで確信を得て、『実験』を阻止するべくあの場所へと毎晩、出かけたんだからな」
ビルが相槌を打つ。
「ええ。そして一週間出向いた結果、とにかくお一人の命だけは助けられたので、諸々の問題をさておいても、『完全な無駄骨折り』とならなかったのは幸いでした。ところであの庭へは、通りから裏の路地へと通り抜けられる。そのことを知っている近隣の人が、勝手に入って通ります。また、私達が初めて裏庭を訪ねた時のように、あんな場所にも関わらず人目をしばらく避けて性的な行為をしようと入ってくる、不埒あるいは無用心な人間もいなくはない」
メアリ・ジェインの案内で、私達が初めて件の裏庭へ行った時は、連れの女性に暴行を加えようと目論んでいた酔っ払いと出会した。
「ベッドを借りるお金もない恋人同士が、お互いの合意で仲良く連れ立って来るのか、捕まえた相手を暴行しようと無理に連れ込んで来るかは、大き過ぎる違いではありますが。どちらにせよ、裏庭の使用方法として正規のものとは言えませんし、住民にとっては迷惑行為でしょう。けれど、そういう侵入者が、あの裏庭へ入り込む事はしょっちゅうある」
聞いていたデスは嫌そうにみじろぎする。
「だからって、ペニー・ニュースが仄かしてるみたいな、『貧民街の売春婦達には馴染みの仕事場所』なんてことは無いんでしょ」
「ええ。『馴染みの』というなら、私の見た限り、あの場所はその日の宿にあぶれた生活困窮者がこっそり入り、隅へ隠れて一晩過ごそうとするのが『馴染みの風景』でした。勝手にこっそり入り込んで寝ている人を、見つけた巡回警官や住民が追い出す。それが『いつも』でしたね」
「どのみち悲惨だ」
デスが呟き、私は「どのみち悲惨です」と肯定する。
「暦の上では夏が終わったばかりですが、この街の夜はもう、秋本番かと思うほど冷えますね。いずれすぐ、冷たい霧が出て、雨や嵐の悪天候も多くなってくるのでしょう。日暮れが早くなり霧や闇に隠れやすくなるとしても、そうまでして他人の裏庭で、野宿したい気候ではなくなります。けれど、戸外の片隅にしか寝る場所のない人たちは、いなくならない」
ビルが口を開き、
「そういう宿無しが毎晩のように、確実にいるだろう場所を狙って、アレが差し向けられたわけだな」
と短く挟む。聞いたデスは、
「あーもう。もはや悲惨っていうか、何、ここ。何ていう地獄? 寝る場所がないだけじゃ足りなくて、意味の分からない存在に切り裂かれて殺される危険まで付いてくるって。そんなことが起こってる場所へ来るなら、もうどこの天空を通ったとしても、『地獄より』の通信文に合致するよ」
憤慨や悲嘆を通り越し、うんざりした調子で吐き捨てた。
「ふむ。この地獄の名は、大英帝国の輝かしき首都にして世界中からの富と技術を集め、繁栄の最先端を走り続ける、偉大なる蒸機都市ロンドン……かと思いますがね。問題は、先端的な科学の恩恵や莫大な富がどこの大勢から集められ、どこの数少ないどなたかが使っているか、という辺りにありそうですか?」
「その点は僕も日々、自分自身の存在からして有罪って感じてることだしさ。とりあえず良心の呵責を忘れるほど厚顔無恥じゃない……ぐらいで今は勘弁してくれる? それでなくても今日は、やられ過ぎててすっかりぺちゃんこなんだ。逆に今日ぐらい、僕を少しは可哀想がってくれて良いと思うよ、本当」
デスは愚痴愚痴っぽく溢す。ビルが間に入った。
「マダムの仰りは、その通りだと俺も思うぜ。しかし今、急ぎなのは、今度の事件も成立しちまって『犯人』のアレが逃げおおせた以上、次の犯罪も既に予定されたようなものかも知れねえってことじゃあねえか? 俺の考え過ぎだろうか」
聞いたデスは、自身の有能な執事を半ば振り向いた。
「考え過ぎじゃないよ。僕らは今朝、アレが出て捕まえられなかった時点で次の事件の心配をし始めてるし、しかもそれがただの杞憂じゃないってことも分かってる」
答えてから彼は急に「はあああーあーあー!」と、なんとも恨みがましく、聞いていて鬱陶しささえ感じるため息を、大きく深く吐き出した。
「何です?」
「何です、じゃないんだけど? 今朝、アレが捕まっていれば、次の水曜日の予定もお流れになったかも知れないのに! 覚えてる? いや忘れてた?」
デスは陰鬱な顔を上げ、鮮やかに黄色い瞳でじっとりと私を見た。
「僕と君がライシアム劇場へ、クライドと劇を観に行く羽目になってるの」
私は瞬きし、「ああ」と呟いた。
「勿論、覚えていましたよ!」
と答えたものの、何の心算もしていなかったのが事実だった。
(つづく)