第十七話 手札を開く
警視庁の部屋で、私はアバーライン警部補に向かい、
「バックス・ロウの遺体が人間ではないことは、もうお分かりなんでしょう」
と尋ねた。
朝に検死を済ませたのなら、デス達が未明にポリーさんとすり替えた偽体の、「人っぽい見た目」に反して人間らしからぬ特徴も、明らかになっていることだろう。服こそ本物のポリーさんのものだが、偽体には性別がなく、筋肉の発達もない。脳や骨もあるか分からない。あのぷよっとした存在は、海藻が原料だそうだ。デスが屋敷の実験室で、パイプにより蒸気機関と繋いだ特別な水槽を用いて栽培(と言うのが適切かわからないが)したものだ。
アバーライン警部補は表情を引き締め、私を見た。
「なぜ……そのように仰るのですか?」
どうして知っているのか、と訊けば肯定になる。彼の尋ね方は慎重だ。私は
「私達の間で探り合う必要はないと、お伝えしたいのです。これから、お互いに協力できればと考えています。エルグレイヴ卿もそうお思いのはず。私は部外者の外国人ながら、ことは重大で急を要します。シンプルに説明するには私の素朴な理解が役立つと思い、差し出た口を挟ませていただいた次第です」
と言った。警部補としてはおそらく、外国人の女を男同士の会話に同席させるだけでも寛容なつもりだっただろうが、こちらはそこで終わりにできない。有難がって部屋の隅に控え、無言で微笑んでいるのでは来た意味がない。
人間ではない「遺体」は、発見者を誤魔化せたとしても、検死の医師のことは驚かせただろう。それが残されていた「殺人現場」となれば、調べに当たっている捜査官も戸惑っているに違いない。アバーライン警部補に、まず偽体のことを説明し、私達の協力が有用で不可欠だと判断してもらう。また、デスがどう喋るか決めかねている間、私の方で話の主導権を握っておきたい。
私は、
「あの『ご遺体』のようなものは、実は、御前様が化学実験で作られた人体もどきです。昨夜、御前様はホワイトチャペルで殺人計画があると予期されて、被害者が襲われる前に、本物の人間をあの偽物の人体とすり替えたのです」
と端的に説明した。
「人体もどきが着ていた服は、襲われる直前の被害者から御前様達が譲り受け、身代わりに着付けたものです。殺人計画の予期については、これから御前様がお話しなさると思います」
話す間に、警部補の態度は少し改まった。
「大変、興味深いお話です! それが本当なら、御前様は殺人事件を未然に阻止されたということで、警察としても感謝にたえません。しかし、悲劇を事前に、どうやって予見されたのか。また、犯人についての情報も、お教え願えますか?」
警部補は私からデスへと視線を移した。私もデスを注視する。視線を落としてぼんやりして見えたデスは、眠りから覚めたようにビクッとなった。
「えっ、何?! 僕? 僕が話すの?!」
「御前様」
ビルが、若干脅すような低い声で窘める。
「いっ、いや、なんで?! 話の持って行き方でいきなり巧妙に追い込まれた系? ピーペ! 僕が話さなきゃいけないシーンとか一切無しでお願いします、って言ったじゃない」
外聞もなく上擦った声を出し、デスは騒いだ。
「そんなこと、仰っていなかったと思いますが?」
「手前の記憶が正しいと致しますならば、御前様は仰っておられませんでした」
私の言葉にビルが加勢し、デスはウッと黙り込む。それから、アバーライン警部補の方を見ずに
「なるほど警察の前で聞き出せば僕がはぐらかせないと思ってこんな拷問まがいのことをするんだね」
と一息に呟いた。私は呆れてしまい、
「何を馬鹿な。元々、どうやって殺人計画を知ったかを、警察の方へお話しに来られたんでしょう」
と取りなして、「私も是非、詳しく拝聴したいです」と付け足した。
デスは恨みがましい視線で私を見つめた後、ボソボソ話し出す。
「警視庁や国防省にも解析機関が稼働している。アバーラインさんもよく知っておられると思うが。機関は、扱い方次第では、電信を通した特定の情報を検索して抽出し、判読することが可能になる」
話す態度は貴紳のマナー的に見て落第点だろうが、言葉遣いはまた、それらしいものに戻っていた。私はつい、話の内容に釣り込まれ、
「それは、郵便をこっそり抜き出して読むようなものですか?」
と口を挟んでしまう。警部補もデスも別段、非難めいた目を向けなかったが後ろめたい顔もせず、二人とも頷いた。
「手書きの文書よりは、速く大量に検索できる」
デスは悪びれる気配もない。警部補の方は、
「警視庁では近年、労働争議を暴動化させる計画がないか調べたり、アイルランド独立派の過激分子が爆弾テロを仕掛けた際、機関を活用した実績があります。もちろん、機関だけを用いて捜査するのではありませんが、情報を検索する技術は大いに役立っています」
と当たり障りなさそうに言った。実際には現在進行形で、治安維持のため本来なら守られるべき通信の秘密までも、侵しているのだろう……とは思ったが、今は敢えて取り沙汰しないことにする。
デスは応じて
「僕の場合は、機関自体アマチュアの小規模な手作りだからね。検索もそれに応じたお遊びレベルだ。それでも趣味での運用、個人的に興味のある学問分野について最新情報を集める程度の利用には役に立つ」
と言った。そのまま言葉通り受け止めていいかは疑問だ。しかし、真実全てを言わないにしても、まるっきりの嘘でもないだろう。デスは黄色い瞳をちょっと上げ、私を見て、
「僕が興味を持って集めていた情報は、まず、機関に関するもの。自分の機関を改良していきたいのだから当然だね。それから、人工的に人間を作れないか、という研究について。人体もどきも一定の成果とは言えるだろうから、理解してもらえると思う」
アバーライン警部補は「左様ですね」と相槌を打ちながらも、探る顔付きになってきた。
デスは釈明の必要を感じたのか、
「人体もどきを生成する研究は、医療の分野に貢献できないかと思って始めた。例えば人体の構造が、言ってみれば原料からの部品作りや組み立て状況まで今以上によく理解できるなら、それによって構造上の弱いところを補強する手段も見つかり得るのでは、と。結果として病気で亡くなる人を減らしたり、怪我の治療などに役立てることを考えていた。決して、神の領域に手を出すような冒涜的な意図ではない。けれど、無理解な相手に言いふらせるような研究でもないのも、ご理解いただけるだろうね?」
と付け足していく。ビルが全く邪魔にならない静かな口調で、
「御前様はご両親をはじめ、ご病気で早くに亡くなられたお身内の方のことを思い、長年、命についての探究に熱心でいらっしゃいます」
と添えた。警部補が今度は大きく頷きながら、
「左様でしたか。私も父を早くに亡くし、母が女手一つで苦労しながら、子ども四人を育ててくれました。私は末っ子でしたから、母の苦労を長年、側で見てきました。私の最初の妻も、結婚後すぐに結核で亡くなりました。病死する人が減るならば、私達の人生から悲しみや苦労も減ることでしょう。御前様のお志は貴重なものだと思います」
と真心の篭った口調で述べる。
「あなたに僕の探究に関する秘密を守っていただけることは、初めから信じていた。ええと、それで」
デスは若干、上の空めいた様子になりながらもしゃあしゃあと言ってのけた。そして、本題を探すように宙空を眺める。
私は、
「機関を用い、殺人計画をどうやって察知したのか、ですね」
と問い直した。デスはますます上の空な表情になって、しかし口調ははっきりと
「そうだった。そんなわけで。機械関係の先端技術や人工的な生物に関し、僕がいつも新しい情報を求めて機関を運用していたことは、ご想像いただけると思う。そして、今から思えば、今年の始めにはその計画は始まっていたんだが……つまり初めに入手したのは一月頃。誰かがどこかで新しい実験を始める、という情報だった」
「誰が、何を?」
アバーライン警部補が素早く質問を挟む。デスはしかし首を振った。
「誰が、ということについては、まだ伏せさせていただきたい。今になっても、僕の解読で本当に合っているのか、まぐれ当たりにすぎないのか、自分で分かっていないんだ。そんな状態で誰かへ疑いをかけたくはない。それに、あやふやな僕の情報でも、それを元にあなたが動くと、相手は勘付いてこちらを探し出すかもしれない。『脛に傷持つ』といったようなもので。僕達に不明瞭なだけで、相手は少しの情報でも、自分のことならそうと気付くはず」
ぼんやりした表情に見えながらも、彼の言っている中身は用心深いものだ。デスは続ける。
「それでも。日常的に電信でやりとりするような人物、かつ、今から教えるほのめかしの内容を実現できるような立場の人物となると。警部補さんにも、ある程度、絞れてしまうかもしれない。僕はあなたの想像まで止めることはできないから。そこでまず、騒ぎ立てるのは待って欲しいとお願いしていいだろうか?」
アバーライン警部補は頷いた。
「よくわかります。こちらとしても、疑惑や証拠が固まらないのに相手へ先に知らせて、隠滅のきっかけを与える真似は避けたいです。間違った捜査や逮捕で時間を無駄にし、警察の信用を落とすこともです」
「それなら、僕の入手した――入手した断片からひねくり回して考え当てた、と言う方が正確だけど――情報を教えるよ。昨夜、ホワイトチャペルに現れた殺人鬼は、ある人物が手掛けた『新兵器』的なものの実験だと思える節がある」
彼の低い声がじわりと染みていった。
(つづく)