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蒸機都市【歯車仕掛けの殺人鬼】  作者: ミュウト・2
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第百四十八話 無辜のナイフと掩蔽のスカーフ

 夜明けまでは残りぎりぎり半時間ほど――とは言いながら、まだまだ真っ暗な早朝のハンベリー・ストリートで。アメリアさんの店を戸締(とじま)りして出てきた男性は、おそらく彼女の息子で、それほど遠くない近所に住んでいるというジョン・リチャードスンさんだろうと見当がついた。彼は店に異変がないことを確認した後は、慣れた足取りで二十九番地の建物内部へ入ってしまう。私も彼の後ろへ少し離れて付いて行き、真っ暗な廊下へと(すべ)り込んだ。

 前を行く足音と気配は、いかにも普通の淡々(たんたん)としたもので、こちらへ気付いた様子もなければ、異変を勘付(かんづ)いた素振(そぶ)りなども全くない。彼にとって、この真っ暗な廊下も「歩きなれた道」らしく、平気でスタスタ歩いてゆく。

(彼も、共用廊下と裏道の「近道」利用の常連(じょうれん)というわけですね。このまま、市場へ出勤する予定なんでしょうが……裏庭へ出ると、ぷよちゃんが)

 短い階段の(さく)と、隣の敷地との間の塀の隙間(すきま)には、アレについさっき切り裂かれたばかりの偽体(ぎたい)が倒れている。


(この後、「遺体」を見つけたら、誰に知らせるだろう。その場で叫ぶ可能性もあるけれど、辺りがまだ、明るくなっていないですから。人殺しの下手人(げしゅにん)が近くに隠れているかも、と用心して、その場から逃げ出す方がありそうだ。逃げ出して、起きていそうな近所の人を呼ぶ。とすると?)

 アメリアさん達を起こしに、表の間へと()け戻る予想が一つ。それとも、年老いた母親達の安全を考え、ハンベリー・ストリートまで駆け出しても彼女の店へは入らず、表通りで巡査を探す可能性もある。

(あるいはこの建物の住民を起こすべく、階段を登るかもしれませんね)

 上階では(すで)に誰かが起きて、動き出す音もしていた。ジョンさん同様、早朝から出勤する労働者がいるんだろう。夜明け前の比較的静かな時間帯で、しかも建物が隙間だらけに老朽化(ろうきゅうか)しているので、内部の音もかなり聞き取れる。

(廊下にいては、誰かが来たら私も見つかりますが、遠く離れては動向が分からない。「遺体」を発見し誰かを呼びに行くその隙で、アニーさんの持ち物を置きに行きたいところ)


 足音を忍ばせて廊下を中程(なかほど)まで進み、狭い階段が折り返して上へ向かう隣、暗い狭い隙間へと隠れた。ここならジョンさんが表へ引き返すにせよ階段を登って行くにせよ、あるいは上の住人が()りてきた場合でも、私が隠れていると気付かずに素通りするだろう。

 ジョンさんはもう、裏口の扉を開けて外へ出ており、私は息を(ひそ)めて次の動きを待った。数秒……十数秒……数十秒。

(……動きがありませんね)

 恐怖の叫びが上がるでもなく、裏口の扉が乱暴に開かれるでもなく、慌てた足音が響くでもない。

(気付かずに裏木戸から、裏通りへ出て行ってしまったんだろうか?)

 その可能性も(おお)いにあった。外はまだ、明るむには少し早い。階段と塀の隙間は狭い上、陰になっていてより暗い。あの場所が浮浪者の休息場所になっていると知っていて、「きっと誰かいるだろう」と予想しながらよくよく(のぞ)き込まないと、暗い中では人がいるかどうかも分からないのではある。


(さっさと歩いて階段を降り、振り返りもしないで出て行ったなら、「遺体」など全然、見つけないかも)

 ジョンさんのためには間違いなく、その方が良いだろう。彼がもう立ち去ってしまったのなら、私も隠れている必要がない。さっさと裏庭へ降りてぷよちゃんの偽装を済ませなければ。もう数十秒待ったが、あまりにも静かで何事もないため、様子を見ようと進み出た。

 裏口の扉をそっと開け、多少の隙間ができたところでそのすぐ向こうに、当のジョンさんがいると気付いた。慌てて手を止め、扉を静かに、じりじりと引き戻す。

(階段に腰掛けている! 危ないところだった。しかし何をしてるんです? 休憩ですか?)

 戸惑(とまど)いながら耳を澄ませると、ジョンさんが何かゴソゴソ動いているのが分かった。

(靴を()き直しているのかな……?)

 彼は座り込み、片足の靴を脱いで手に持ち、何やらやっている。中に石でも入って、出しているのだろうか、と思うが、それにしては長い。


「……チッ、こいつか。さっきから無駄に(いて)え目、見せやがって。どうだ、これで……」

 彼の、妙な独り言が聞こえた。

(かて)(かわ)だな! こいつめ! ……切れたかな……もうちょいか」

 ブツブツ言って、また手を動かしている。

(一体何を……どうやら靴のどこかが具合悪いようですかね? 履いていると足が痛いので、応急処置的に直そうとしているとか?)

 こちらからは見えないが(おそらく彼自身、この暗さでは手元もよく見えていないはずだが!)、ナイフでも出して、靴の中へズレ出し足に当たる革の(かど)か何か切り落とそうとしている様子だ。

(何もわざわざ今! こんな暗い中でやらなくても! しかも階段の横には、切り裂かれたぷよちゃんが、内臓を(あふ)れさせて倒れているっていうのに!)

 しかし彼にしてみれば、数フィートも離れない場所に「惨殺死体」そっくりのものがあるなんて、夢にも思うはずはない。これから歩いて市場まで行くわけだが、靴が痛くては不快だし、着いたらすぐ仕事に掛からねばならないだろう。で、あれば、まだ時間に余裕がある夜明け前の今。誰の邪魔も入らずゆっくり腰掛けられるこの裏口の段へ腰掛け、手探りでも靴の不具合をどうにかしてから、快適に歩いて行きたいはずだ。


(うううん。彼の身になれば、今ここで靴の痛い部分をナイフで切っていても、全然おかしくはないです。むしろ合理的な行動だ)

 しかしその後こそ、ぷよちゃんに気付いて、騒ぎが始まるかもしれない。などとヤキモキしている私を他所(よそ)に、ジョンさんは気の済むまで靴の革に取り組んでいた。やがて、靴を履き直したようで、立ち上がる。

「よっし」

 との呟きを最後に、彼は段を降りて行く。振り返ることもなく、周りを見回しもせず、スタスタと狭く暗い裏庭を抜ける。裏口の扉の隙間を押し開けて見ている私にも最後まで気付かずに、あっさり裏木戸を通って、立ち去ってしまった。

(本当に、全く何も気付きませんでしたね! 運の良い人だな!)

 驚き呆れながら、私は裏口を開けて外へ滑り出た。


 階段を降りて「隠れ場所」へ入ると、ぷよちゃんの残骸はそのままそこにあった。

 ジョンさんが何にも気付かず、あまりにも平穏な日常の態度で立ち去ったため、もしや惨劇の痕跡(こんせき)自体が消えているのではないか、とも一瞬ぐらいは思ったのだが。

(悪夢だが、夜明けの目覚めで、消え去ってくれる悪夢ではないのですよね)

 逆に、夜明けと共に始まる悪夢、目覚めて見る悪夢の、ここが始まりの場所になる。

(それを止めるために準備して来たはずが)

 悔しさと(いきどお)りがまた()きそうになる。しかし、気持ちを他へ()らしてはいられない。

(やることをやる、そして後の様子を見る。今はそれしかできないのだから、それに集中です)


 まずは、アニーさんの身に付けていた布の袋を持つ。自分に「血」が付くと困るので、乱されたスカートと二枚のペチコートとの間辺りへ、押し込む程度に(とど)める。

(やり口は、前より(ひど)いか。スカートを(まく)り上げて腹を裂き……「内臓」を引き()り出し、片方の肩へ掛けてある)

 偽体は、人体ではないので、厳密に同じ「内臓」を備えてはいない。それでもデス(いわ)く「それらしい」器官を、各所に備えているはずだ。

生殖器(せいしょくき)はないとのことだったが、(ちょう)のようなものはあるのか。少なくともこの、ええ……この部分は、そう見えます)

 まだ暗いお陰で、こんなにも近い場所から傷や暴虐(ぼうぎゃく)の痕跡を克明(こくめい)に見なくて済んだのは、幸いだったと思う。


生臭(なまぐさ)い、血のような臭いもしている。ジョンさんは気付かなかったらしいが。「とても死体らしく」見えます。切り裂かれた後の方が、人間に見えると思うと奇妙な感じですけれど)

 (やしき)から運び出して以来、抱えて移動させる時もいつも、ほのかに温かかった偽体は、打って変わって冷えていた。その冷たさが「死体らしさ」に寄与するのか。

 アニーさんから受け取ってきたスカーフを、頭に(かぶ)らせようとして考え直す。

(首がほとんど()げて落ちそうなほども、深く喉を切られている。頭がぐらぐらだ。もうちょっと触ると、取れてしまうのでは)

 切られた首から、どんな「器官」が見えているのかというのも心配になった。

(ぷよちゃんは水槽で培養されていて、温かく生きているようにも見えますけれど、呼吸は一切(いっさい)していなかった。少なくとも鼻や口から、いやそのように「見える」部分からということですが、そこから息をしていたことはありません。切られた喉に、人間らしい器官が覗いていないと気付かれては大変だ)


 腹部はまだ、血みどろのペチコートやスカート、それに引っ張り出された「腸」のようなもので目眩(めくらま)しになるという気がした。しかし、深々と切り裂かれた首の傷口を熟視(じゅくし)されたら、「人でない」のがバレるかもしれない。

(壁へ(もた)れさせるように置いたものだから、体液というか、「血」が、吹き出した後で外へ下へと流れてしまった。もう喉の傷にはあまり、溜まっていない。目眩しの誤魔化(ごまか)しが効きません)

 今更(いまさら)、偽体を横たえても無駄だろう。私は首を切った(にわとり)(ぶた)など、「食べ物」としての動物の構造を思い出し、なるべくはっきり思い浮かべようとした。食材としての「遺骸」ならば、内臓組織や「切り口」を思い出しても、ショックに襲われるほどではない。

(傷口が()き出しになっているとして。首には太い管が集約しているのですよね。空気や血液、神経を通す(くだ)、そして骨。だから首を裂かれた場合、人間や動物なら傷口から管や(すじ)、骨まではっきり見えても不思議はない状態になるはず。ですが、ぷよちゃんに私達とそっくりの器官が全て、都合良く(そろ)っていると信じるには、()けが過ぎます)

 私は、ぐらぐらになっているぷよちゃんの頭を慎重に動かし、深い傷を負った首の周りへ、スカーフをきつく巻き付けた。


(つづく)

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