第十三話 そろそろ悪意に向き合う時間
デスの「実験室」で栽培されていた「偽体」は、見た目はかなり人間ながら、始めから最後まで動物や人間の持つような意識がなく、性別もないという不思議なものだった。
しかしデスは、偽体が昨夜助けた生身の人物、ポリーさんの「身代わり」として通用するはずだ、と言う。
「路上で眠っている無抵抗な女性を選んで、アレは狙ったんだ。特定の誰かだと分かってたわけじゃない。あの場では、『獲物』が人間だとさえ誤魔化せれば、殺人鬼対応的にはもうそれで良かった」
「うーん。分かりましたが……すると、ポリーさんの着物や持ち物を全部譲ってもらった上で、偽体へ着けたことが疑問になります。そこまで凝る必要がありました? 服なら、古着屋で買い集めるとかして、適当に着せて置いてきても良かったのでは」
問い直すと、彼は
「ああもう。あの場で『殺人鬼だけ』誤魔化すなら、それでもいいけど。僕らには、っていうかこの社会、生きてる者には翌日以降が来るじゃないか。僕らが逃げ、アレが逃げる。その後、誰かが小道へ来る。で、発見する。死んでる女性っぽい見た目の偽体はもちろん『女性の遺体』ってことになる。そしたら『誰かが殺された』って話になるだろ。じゃあその『誰か』は誰なの? どうして、誰に、どうやって殺された? さぁ〜わかんないね! って流して、ご遺体を葬ってハイおしまい! とはならないよ。警察の調べが始まる。ニュースになる。だから、残すからには『誰でもない』名無し氏や名無し婦人ではまずいわけ。特定の、実在の人じゃないと」
と早口で言い返した。
「ですが」
またも矛盾に陥り、私は円筒状の栽培容器(?)を指差す。
「偽体をちょっと調べれば、それがポリーさんでないどころか、本物の女性ではないことも分かってしまうでしょう。服は上辺を誤魔化すだけで、体が実は人間でもないことは、こうやって裸の状態を見ればすぐに分かるんですから」
デスはもどかしげに白い手を自分の頭へやって、渦巻く黒髪の中へ長い指を突っ込み、イライラと掻き回した。
「そう。その通り。だから今、困ってるんだよ。でもそこをどうしても誤魔化し通さないことには、結局、殺人鬼っていうかアレの方に『実は人間を殺せてなかった、人っぽいぷよぷよを人だと思い込んで、殺したつもりになってただけ』って伝わっちゃう。そしたらそれこそ、君がさっき言ったみたいに『誰がそんなふざけたすり替えをしてくれたんだ?!』って怒り心頭で、仕掛けをした僕らへの復讐を誓いかねない。どうしても『ポリーさん=あの偽体』『あの偽体は実在した本物の人間』ってことにして、彼女が今朝早く、あそこで殺されたんだってことにしないと」
「何という……身勝手な。それだと彼女のこれまでの人生が、無残にぶった切られませんか。せっかく命が助かっても、死んだことになれば、家族や知り合いにも、もう会えないじゃないですか。気の毒な話です。あなた達は、彼女を助けたんだと思ったら」
「いや、助けたじゃない? あのまま、あの場所にいたら、命が失くなっての人生ぶった切られだったよ。まさか、その方がマシだと? 彼女はとりあえず元通りの場所へ戻って暮らすわけにいかない、すごく気の毒。そりゃそうだ。でもさ、死んだら元通りも何もないだろ」
私達の言い合いを、ビルが控えめな咳払いで遮った。
「マダム、御前。僭越ながら、聞いてくれ。マダムの言われる通り、人生が突然、思いがけない出来事でねじ曲げられるのは、全く歓迎しにくい。とはいえ、絶対起こらねぇことではないよな。マダムや御前、それに俺も、何なら猫のサークルだって。今までの人生が全部、自分の手に負える予想の範囲内で、思い通りだったってことはないだろう。生意気な物言いを許して欲しいんだが」
聞きながら、デスはビルが着けている仮面に一瞬目をやる。そしてすぐに目を伏せた。ビルは構わず、穏やかな調子で、
「ポリーさんには本当に気の毒だ。彼女は、生きておいて差し当たり別人になるか、あの場で正真正銘ご本人のまま死体になるか、どっちか決めなきゃならなかった。訳もわからず、ゆっくり考える暇もなく決めただろう。結果として、生きてる。じゃあ俺達は、彼女が今後も生きるのを前提に、今後のことをやるしかない。ポリーさんは『実は』生きてるが、そりゃ内緒だ。バックス・ロウで殺人鬼に襲われたのは『彼女だ』ってことにしとかねぇと。殺人鬼が捕まって、彼女と俺達がもう絶対に安全、となるまではな。このことは後でまた、ご本人ともよく話すのがいいと思う」
と言った。
私は少し反省しつつ、
「揚げ足取りをして、大人気なかったですね。あなた達が、あの妙な恐ろしい悪意から見事、ポリーさんの救助に成功したことは、本当に素晴らしいと思っています。尊敬も賞賛もしますよ」
と答える。それから、
「ただその後、色々伺って……。デスのやりようは、予めよく考えられているのかと思いきや、あちこちが行き当たりばったりに思えて。そこに引っかかりました」
と付け加えた。ビルは深い同意の声音で
「それは、その通りだな」
と応じる。
「え」
とのデスの声は無視し、
「御前はご自分の『できること』を、あまり後先考えず実行したがる。そんな時は、お止めしてもまぁ無駄だ。俺や他の人間に隠れて、勝手になさるだけだからな。お一人で暴走なさるのを放置するよりは、協力して実行する方がまだ安全だ。それに、御前のお考えを実行したらどうなるのか、俺のような者では測り切れないところもある。本当にお止めするのがいいのか、やらせて差し上げるのがいいのか、判断は容易じゃない。そんなわけで、こうして一通りやった後、ようやく、あれこれ慌て出す余裕が出てくる」
と言った。
私は納得し、
「では、これから」
と息を吸い
「少なくともあの殺人鬼が捕まるまでは、小道へ置いてきた偽体を『本物のポリーさん』だと、警察や世間に誤魔化し通さねばなりませんね」
と明言した。デスが「ああう」と不明瞭な呻きをあげる。そちらを向いて「どうするつもりか考え付きましたか」と尋ねたい気持ちはあったけれど、無用の意地悪だと思い、やめた。
「警察は多分、監察医というのですか、担当のお医者を呼んで、検死をするんでしょうね?」
と訊けば、デスが頷く。
「そう、だけどそっちは、僕が上から手を回すよ。あの偽体は本物の人間だ、ってことにしてもらわないといけないから」
「分かりました。遺体が偽物と発表されては、そこで全てご破算ですもんね。ええと。普通の殺人……いや、事故や事件で亡くなられた方のご遺体の場合。どういう風にして亡くなったか、というのは警察が現場を調べ、さらに検死解剖でお医者が出した見解と合わせて、推測していくのですかね。ご遺体の身元については、持ち物や人相などから、知っている人がいないかと問い合わせたり、情報を募る感じなんでしょうか」
今度はビルが、
「そうだろう。あの辺りで警官が住民に『昨夜何か気付かなかったか』と聞き込みをするはずだ。それと、近隣には同じような情報募集の公示をすると思う。遺体の身元を確認できそうな人間が現れたら、面通し、でいいのか知らないが、遺体の顔や姿を実際に見せて確認させるだろう」
と教えてくれる。
「市民にご遺体を直接、見せるってことですか?」
デスが口を開き、
「まぁ、誰にでもは見せないと思うよ。特に偽体は、本当は人の遺体じゃないから。下手に見せたら別の変な噂を撒くようなもんだよ。警察はそんな状況、避けたいだろうし。偽体について僕が情報を出せば今後、僕の意見に従って動いてくれたりするかもって。思ってる」
と、ものすごく大きな希望混じりの予想を述べた。
私は、
「あー。警察がそう簡単に仲良くしてくれれば、もう最高に助かるんですけどね!」
と言ってしまうが、続ける。
「私達はポリーさんから、親しい知り合いを教えてもらいましょう。そして警察より早くそのお知り合いと連絡を取り、警察からの呼びかけがあった時、間違いなくその人達に、ご遺体確認へ出向いていただく。あの偽体はポリーさんだ、としっかり偽証してもらうんです」
「ひえ。怖……躊躇なき悪人の思考」
デスの反応は失礼だと思う。
「あのねぇ。別にポリーさんのお知り合いを脅迫して、偽証を迫るわけではありません。頼む人をよく見極めて、彼女の安全のためにと説得すれば、充分、協力していただけると思います」
「金銭的なお礼とかの潤滑剤もなしで?」
「お金で買ったら、他からもっとお金を積まれた場合、そっちへ行ってしまいます。自分の意思で自主的に協力してもらうのが一番です」
デスは微妙に笑みかと見えるものを唇に浮かべた。
「へぇ、そう。『笛吹き』のやり方ってわけだね。それは是非ともお手並み拝見」
揶揄なのか判断が付かなかったため、これには反応しないでおく。代わりに
「警察へよろしく言っていただくのは、デスにお願いできるんでしょうか? これからポリーさんと話した後、警察へ情報を聞きに行きたいんですが、どのくらいの時間で連絡調整が可能でしょう。できれば、すり替えた偽体があの殺人鬼に何をされたのか、被害の状況もこの目で確認したいのです」
と頼んだ。デスはビクッとこちらへ向き直った。
「え、本気で?! 警察へ行くの、君が?!」
「何です? 何も悪いことはしていませんから、行っても大丈夫でしょう」
デスは一瞬黙り、やたらと雄弁な目つきをしたが、口では別のことを言った。
「それに、やられた偽体を見るって……それも本気? 多分、すっごく死体然とした、悲しくて恐ろしい状態のものを見ることになるよ」
(つづく)