第百二十四話 秘密の着付けの下準備
万が一の時の「身代わり」として「連れて行く」偽体のぷよちゃんを、四階の実験室から二階、私が使わせて貰っている部屋まで運び下ろす。
重さはあっても、ぷよちゃんの体格は私よりも少し小さめだ。ものの運び方は腕力よりもバランスとコツだ。持ち上がれば後は、よく気を付ければなんとかなる。
「えっ、重くない? 危ないよ! やっぱり手伝おう、あっ、階段が!」
隣でデスがずっとあれこれ言って纏わりついていなければ、もっと運びやすかった気もする。ともあれ、部屋まで運び入れることができた。
「部屋の扉を開けていただいたのだけは、助かりましたけど」
そう言うと、逆の方へ勘違いしたようで
「だから! 僕が手を貸せばここまでも、もっとずっと楽だっただろ。手伝おうって言ったのに、年甲斐もなく強情張ってさ」
とブツブツ言う。
「気のせいでしょうか。年長者へ向かって放つには、何やら失礼なフレーズが聞こえたようです」
「えっ! いや、何でもない! 気ノセイデス」
狼狽る彼は置いておき、私は自分のベッドへ降ろした偽体を振り返る。
「さて、では。後の身支度は、ポリーさんと私でやりますね。あなたはお部屋へお戻りください」
デスは全く意外そうにして、こちらを向いた。
「えっ、どうして? 男は着替え室に入るべからずってこと? ぷよ、いや偽体は別に本当には性別もなくて、むしろ人間の形に見えるだけの不思議な海藻の変化物なんだけど?」
「それは分かっていますが? しかし、今から服を着付けて『女性』だと認識されるようにするんですよ。殿方には外していただきたいところです」
「ええ。分かんないな、その理屈。前に遺体置き場では、アレにやられた偽体を『ポリーさん』に見せかけるため、一緒に確認もしたじゃないか。今度、緊急事態へ向かう準備をするのにも、やっぱり男も女もないよ。徹頭徹尾、人間の意識なんてない偽体が、裸を見られるの恥ずかしい! なんて思うことはあり得ないんだしさ」
確かに前は、警察が遺体の検死場所としていた救貧院の遺体安置所で、デスと一緒に切り裂かれたぷよちゃんを見、ビルと手分けしてそれがポリーさんらしい姿になるよう処置もした。
そもそも偽体の作り手たるデスは、培養槽の中でぷよちゃんが、素材の状態から裸の肉体に見える形へ変化するのを、もう何度も観察してきているわけではある。
「別に私も、ぷよちゃんの心情を慮って、言っているわけではありませんよ」
人間の精神はもちろん、動物的な意味での感覚や意識さえないらしい偽体に、「心情」という表現が当てはまるのかも分からない話だが、一応私はそう説明する。
「それでも、相手を『人間』として扱うところからきちんとしないと、『人間』らしい囮には仕上がらないと思いますね」
「どういうことさ。神秘主義者のおまじないか、東洋の精神論?」
「そうではなくて。私達の態度が出来上がってこないでしょう」
私はベッドへ降ろしたぷよちゃんの、ほぼ人そっくりながらも、このままではやはりまだ「人間らしからぬ」感じを受ける寝顔(?)と、デスを見比べる。
「人間でも動物でも、道具や玩具、家財でも構いませんが。『大切なもの』として丁寧に扱われたものと『こんなもの』と粗末にされていたものとでは、初めてそれを見る人でも、どちらがどちらか、かなり正確に判断できるだろうとは思いませんか。もしもお寺の仏像、ではピンと来ないか。恐れ多い例えになってしまいますが教会のイエス様だとかマリア様だとかの像が、もしも見世物小屋の人形みたいに扱われていたら『見物する』気にはなっても、その前へ跪いて祈りを捧げ罪を告白し、救いを求める気持ちにはなりにくいと思いますが。いかがです」
尋ねれば、相手は
「なるほど、言いたいことは分かって来た。素材だけから考えれば大理石や木の像ではあっても、像をキリストやマリアの象徴だと考えて、彼ら神の仲介者達本人への祈りを向ける。それゆえ、物質としては彫刻や人形とも変わらないはずのものでも、神の仲介者本人同様の尊く畏れ多い信仰対象となり得るわけだからね」
と答えた。
「ええ。その場合に像が、聖なる信仰の対象として感じられるか、それともただの飾りや売り物の彫刻に思えるかは、像が周囲からどう扱かわれているかで判断しているのじゃないでしょうか?」
「まあそうだね。たとえ知らない異教の神様の像でも、前に蝋燭の灯や花や何かしら意味ありげに捧げてあったら信仰されてるんだな、と思うし。横倒しで積み上げられて値札でも貼られてたら、売り物の土産物だな、と思うよ」
「しかしその売り物の一体でも、ふと崇めたい気持ちになって買って帰って祭壇へ飾り、丁寧に磨いては日夜、蝋燭やお花を上げたとするとどうです。自分にとっては大変ありがたい、お守りの尊像になってくるのでは?」
ここに至ってデスは少し眉を顰め、
「えぇ? ちょっと待ってよ。だからって、ぷよ、いや偽体を人間みたいに世話したところで、これは起きないし意識も持たない。むしろ今日から三日後には、すっかり萎びて、モロモロになって分解するよ」
と断りを入れる。
「そこのところは、疑っていませんとも。あなたがお作りになって、何度も繰り返し栽培……と言うのでいいか分からないですが、何度も発生から消滅まで確認されているわけですものね。私の言いたいのも、人間扱いしてぷよちゃんが本物の人間になるよう願いを込める、なんていう話ではありませんよ」
私も首を振って否定した。
「大体、世話や祈りでぷよちゃんがもっと生き物らしくなるかも知れないと考えたら、切り裂かれる身代わりにするため連れて行くのは、気分的にとても難しくなりますよ。今でさえ、いくら否定していただいても、ぷよちゃんがもしかしたら将来的に意識を持つ存在にまでなるかもしれない、という想像をしてしまいそうで困っているぐらいです」
私の言葉に、デスは首を傾げる。
「なら、余計にさ。服を着せる時に人間扱いするのは、その想像をしないでいたいなら、むしろ逆効果だと思うけど。さっきの、彫像がお守りの御本尊になる話と同じだよ。人間っぽく扱えば扱うほど、君の中での愛着がどんどん出来ちゃって、ますます路上に放り出せない気持ちになるんじゃない」
尤もな言葉で、私もまた頷く。
「それはそうでしょう、その通り。ですがねえ。だからって逆にぷよちゃんを『物体』と冷酷に割り切って粗雑に扱うんなら、あの『殺人鬼』や『実験者』達が、本当の生きた人間を『標的』とか『実験体』とでも見做しているだろうことと、私達の行動が似て来るのではないですか? 私はそれが最も嫌なのです」
「ぐう、そうなるか。ううー、それは僕も嫌だ」
デスもこれには同意の気持ちになったのか、さっきとは別な意味合いらしく眉を寄せ直した。
私はさらに付け足す。
「しかし、あなたに見て欲しくないのには、もっと端的な理由もありますよ。『私の』心情も思いやっていただきたいところでしてね!」
「君の? なんで?」
「女性の着付けには、秘密が色々あるんです。まさかご存知ないなんて、言い張られたりはしませんよね? しかし全く! ここまで言わせるとは、ビルさんの仰った『御前様はロンドン社交界随一の朴念仁だ』という評が、当たっていることになりそうですが。そうなってはあなた自身が、ご自分を残念に思われるでしょうに」
「待ってよその言い草! 君こそデリカシー無くない? そんな、僕が残念だとか今更わざわざ言わなくても。ご存じないのは君じゃないか、どうせ僕は残念だよ」
デスはいらないところに引っ掛かり、鬱陶しいぐらいいじけてむくれた態度になった。ところがすぐ、
「でも、そう、この際。構わない。残念で全然いい」
と、変な力の入れ方で言って、全く表情の変わった顔を上げる。
「それってあなたの、つまり怪盗ピーペの着付けの秘密とかが、分かるってことじゃないか。そういえばこれから、あなた自身も着替えるんだよね。きっと何か、すごい仕込みをするってことだ。それ、見学したい。見せて」
なんと臆面もなく言い出した。彼の、陰気ながらも恐ろしいほどの美貌で、切れ長の鋭い目が奇怪にギラついている。
「当然ながらお断りしますが?! あんまりおかしなことばかり仰ると、今後は『変態伯爵』とお呼びしますよ!」
呆れるあまり、私もほとんど言葉が過ぎるぐらいのことを言ってしまった。
「大体、ポリーさんにもここで、私の用意した古着へ着替えていただくのですから。紳士的にお行儀良く出て行かないなら放り出します……と言えばそれすら『体験したい、やってみて』と答えそうな顔ですね! えいもう、最終手段だ。ビルさんを呼びます」
呼び鈴の紐へ目をやると、ようやくデスも怯んだ。
「ちょっと! それは卑怯すぎる! 僕、出てくしかなくなるじゃん!」
「お分かりいただけて、やれやれです。着替えたらこちらから、またお目にかかりに行きます」
「ずるいずるい。ポリーさんとぷよ、いや偽体だけ贔屓して。こんな日なんだから、一つぐらい僕にも、良い事があってもいいじゃないか」
意味のわからないぐずり方をしながらも、デスはなんとか、部屋から出て行った。
入れ替わりのようにドアへノックがあった。「どうぞ」と言えばポリーさんが入ってくる。緊張した面持ちながらも、デスよりずっと落ち着いているようだ。そして完全に素面だった。
「来たよ、ピーペさん。いよいよだね。自分がどうなろうと、私は最後まできちんと手伝うつもりだ。どういう段取りか、よく教えてくれるよね?」
彼女ははっきりとそう尋ねる。私のベッドの上の「眠れる人」、というよりはもう少し人間離れして、ある意味では気味悪く感じるかもしれないぷよっとした偽体を見ても、動じなかった。
(つづく)