第十二話 眠れる身代わり
デスの「実験室」は四階だった。本来は使用人達の寝室として作られていたのだろう手狭な部屋を、家具も取り払って何室か繋いだものだ。機関の部屋と同じく、細長くて広い。
鉄製らしい大きな円筒状のものが立ち並び、天井や壁には多数の配管が走っている。
「一階からここまで通じてる蒸気昇降機があるから、道具や素材の運搬はまだ楽なんだ」
そう言ってデスは、壁の一つにある竃の扉的なドアを示す。
「人間用の昇降機があれば、階段を上り下りしなくて良くなるんだけど」
彼の希望を、
「ここへ来るのは基本的に御前だけだから、階段で充分だ」
ビルはあっさり却下した。
「まあしかし確かに、上がってくるのも少々、骨ですよ」
私は、今後あまり四階へは出入りしないだろうな、と思いながら言う。
最上階の部屋なので、天井が屋根の傾斜を反映している。窓近くは頭を擦りそうに低かった。狭い方へはあまり踏み込まない前提らしく、配管はそちらへ集められている。
デスが口を開く。
「四階はこの実験室と、あと空き部屋。って言っても『空いて』はないか。作ったけど使ってないものとか、道具とか入れてる。そっちは、見たかったらいつでも見ていいよ。実験室とか機関の部屋ほどには、危なくないから」
気前よく言われた言葉に、しかしビルは首を振った。
「いや、下手に触って重いものが倒れたりしたら危ねぇ。マダムが見たい時は、俺に声をかけてくれ。手伝おう。部屋を開けるついでにあれらも、コツコツ捨てるとかして、片付けないとな」
「え、待って、捨てるのはダメだって。また使うかもしれないから」
「そう言って、どんどん置く場所がなくなってるんだ。屋敷を伸ばしたり膨らませるわけにはいかねぇ以上、不用品は適度に処分させてもらいたい」
二人のやり取りはよくある片付け問答にも聞こえたけれど、
「ちょっと面白そうですね。処分する前に見せていただこうかな」
私は、デスの「作ったもの」のストックというのに興味を惹かれた。やはり今後、少しは四階へ出入りするかもしれない。
部屋に並ぶ円筒は、同じ形のものが複数あった。蒸気機関用の窯を思い出させる。街路で見かけたことのある、工事用機械の燃焼窯と似ていた。そういった窯同様に内側が空っぽだとすれば、金属の厚みを除いても大人が立って入れるぐらいの容量だろう。
筒はデスの身長を超し、低い天井にくっつく高さだ。それらは嵩張るため、細長く広げられた部屋も手狭に詰まって見えた。
「これは、窯でしょうか?」
質問しながら、やはりどうも違うようだ、と思える。この部屋では火を焚いている様子がない。温度は廊下や階下と変わらない。
「ええとね。うん、これを見てもらおうかな」
黒い円筒の一つへ寄って、デスが招いた。
「手持ちの中では、今、一番完成してるやつ」
筒の金属壁には、覗き窓のように帽子サイズの穴が開けてあった。円いガラスが嵌っている。ガラスはかなり分厚いようだし、内側は暗くて、よく見えない。
と、思ったらデスが筒の側面で操作した。パチッとスイッチが入る音と同時に、窓は少し明るくなる。どれどれ、と覗き込んで一拍。
「なっ! うわ、人が!」
見えたものの形が分かった途端、私は驚いて身を引いた。
「うん? これが『偽体』だよ。昨日、ポリーさんの代わりに路上へ置いたものと同じ。あ、もちろん同一個体って意味じゃないよ。でも、これも同じく偽物の体。組成はまあ、どれも大体同じかな。原材料が同じだし。ただ毎回、生成時の細かいコンディションが影響するみたいで、それぞれ多少の違いはある」
デスの淡々とした声に、恐る恐るもう一度、覗き窓へ寄る。
やはり、白い体が浮かんでいた。少し眺めて、筒は結局、中になんらかの液体が満たされた水槽か、と考える。デスが隣で、
「君は最初、僕らが生きてる人の身代わりにするため、ご遺体を病院かお墓から盗んできたのか、って疑っただろ。それもまぁ妥当な想像かもだけど、実はそうじゃなくて。ここでこうやって、僕が作った品物だったんだ。納得してもらえた?」
と訊いた。
「百聞は一見に如かず、ですね……ですが、驚きました」
ホルマリンに漬けた生物の遺骸の標本みたいだ。気味の悪い眺めだ。……と、始めは思ったが。じっと見ているとその、なんとも人っぽいがどうも人でもない何かは、結構平和な顔に見えてきた。
「見ていると何故か、植物っぽい印象を受けます」
「うん。外見はかなりしっかり人だし、すぐこうやって大人サイズになるんだけど、最初から最後まで意識は一切ないみたい。少なくとも僕らが分かる形では反応がなくて。原材料の主なところは海藻なんだ。それでかも」
「海藻……」
段々、ついていけなくなる。
「この品物、えー……『偽体』には、脳はあるんですか?」
「どうだろ、ないんじゃないかな? 見ての通り、生殖器とかもないだろ。かなり人間っぽいけど、よく見れば違う。臍っぽく見えるものがあったり、爪や髪みたいなのは人と遜色ない感じでもさ」
デスは少し黙ってから、
「実は、分解したことがないんだよね。なんか、可哀想で。普通に栽培してても一カ月ぐらいしか持たないし、最後は自然に、もろもろに溶けて終わっちゃうんだよ。草とかが枯れるみたいな感じ」
と打ち明けた。
「うーん」
解剖して調べていない、というのは、科学者とは思い辛い態度だ。しかしこの『平和に眠る人』的な姿を見ていると、取り出して解剖してみたい気は、私も全くしてこない。
「あの。そのうち、枯れないものができて、ある日、パッチリ起きるとかしませんか」
「いやぁ、起きないと思うなぁ。自分で人間みたいなものを作ろうとしといて、こんなこと言うのもなんだけど……今となっては、これはこのまま、平和な眠る海藻でいて欲しい。人間はあんまり、碌なもんじゃないだろ」
「ううーん」
あなたがそれを言いますか、と言わないように唸りつつ、
「容器から出しても、枯れたり崩れたりしないんですね?」
と質問を重ねる。
「うん、ここまで成長したら、出しても数日保つ。呼吸はしてないけど、温度は高くて体温って感じ。タンクの中身は水じゃなく、お湯なんだ。パイプとか繋いでるの、そのためで。羊水的な、海の水に近い組成の液体でね」
「えーと。そもそもこれは、何のために作ったんです? 用途というか」
「え、何のためってことはなく。作るの自体が目的、みたいな……寝る前、話した通りだけど。フランケンシュタイン博士に憧れて……」
「ああそうでした! その本――本ですよね? お持ちでしょうか。貸してくださいますか、早めに読みます」
ここでビルがそっと、
「御前の書斎にある。後でマダムの部屋へ届けよう」
と言ってくれた。
私は彼へお礼を言い、またデスを見る。
「この……あなたが偽体の生成に成功……したことを、知っている人は多いんでしょうか?」
「僕とビルと、今、君が知った。エイチソン達はここへ、別に用がないから来ないし。掃除も、中は僕らがしてるから。実験室の鍵を持ってるのも、僕とビルだけ」
執事のビルがスペアキーを持っているのは不思議でもない。そして彼が、デスに内緒で部屋へ入って弄ったり、他の誰かを勝手に入らせるなどということは、今までの二人を見ていると「ないだろう」と思う。
考えていると、ビルが、
「それで、マダム。見てもらったら、納得がいったと思うが。偽体はポリーさんに限らず、俺やあんた、誰とも似てるわけじゃないとは思わないか」
と話しかけてきた。
「そうなんですよね……パッと見には人間で、男にも女にも見えますが。少し観察すれば――特にこうして、裸の状態で見てしまうと、男でも女でもないとわかります。本当の人間の体ではない、というのも、多少調べればすぐ分かってしまうんじゃないでしょうか」
容器の円筒には覗き窓がさらにいくつかあるので、『偽体』を横や後ろからも見ることができる。全体的に細い体は、肉体らしい凹凸がある。しかし、人ならば生活史に応じて形ができてくるはずの、筋肉の発達は見られない。人間と思うには、ちょっとおかしいプロポーションだ。
私の感想を受け、ビルは頷いた。
「ああ。だからあの殺人鬼……御前の予想通り『偽体』を襲った存在は、ポリーさんを殺したいと特に決めて付け狙ってたんじゃないはずだ。すり換えられた物を見れば、顔も姿も本人とは違う。狙った相手じゃないことがすぐ分かるんだからな」
「ふむ。でも、あの小道はすごく暗かったですよ。それに、アレが現れた瞬間は人通りがなかったにしても、いつ人が来てもおかしくない街中の路上です。落ち着いて顔を明るく照らしてじっくり確かめ、さて犯行、とはいかないでしょう。現に、私とデスもギリギリでその場に『いた』ようなものですし。誰がいつ来て邪魔されるかわからない場所ですから、ポリーさんの服を着ている人がいれば、もうポリーさんだと思い込んですぐ襲う、ということはあり得るのでは?」
私の意見にデスが
「でもさ。馬車の中で彼女は、『いつも使ってる簡易宿泊所に泊まれなかったから、歩いて夜明かししてた』って言ったよね。それで『疲れてつい、あの場所へ横になった』って。つまり昨夜、じゃない今朝は、偶然あそこにいたってことだ」
と反論する。続けて、
「アレは、あの辺に独りでいる『なるべく抵抗のできなさそうな人間』なら、『誰でも良かった』んだよ。それの具体が、路上で眠ってる女性だった。誰でも良かったからこそ、誰にも似てない偽体でも、『ポリーさんの身代わり』として立てられた。いや、姿勢としては寝かしたんだけど」
と言った。
(つづく)