第百十八話 誰も一人では生きられないから
次にあの「殺人鬼」と相対した時には、言語道断な「殺人実験」を「終わりにさせてやる」つもりで、私は計画を立てた。そのためにも、金曜夜から土曜の未明まではハンベリー・ストリート二十九番で自分が囮になり、間近で「殺人鬼」を見るつもりだった。
(土曜の夜が犯行予定ということもあり得るので、二晩続けることになるかもしれませんが)
もちろん、切り裂かれてしまっては話にならないから、念のための身代わり、偽体のぷよちゃんにも同行してもらう(私が抱えて行くということだが)。幸い、ぷよちゃんは培養槽から出しても数日は形を保ち、人らしく見えるはずだった。
とにかく囮は、「無防備に路上で眠っている人」に見えねばならない。つまり「殺人鬼」を見つけても、そいつの目の前へ飛び出すのではダメで、アレが来る場所へ先回りし「泥酔・熟睡・気絶・意識不明など無防備で無抵抗な状態」を装って待ち構えなければならない。
だからデスとビルに頼み、建物と裏庭へ入る経路、両方を見張ってもらい、アレが現れればどちらから来たか知らせてもらいたかった。
「なのに! そのための、合図の仕組みを考えて欲しい時に! 蒸気飛行機の話は、しばらく無しと言ったでしょうが!」
私の思いと外れた方向で、デスは「自分が怖いのを押して頑張る以上、ピーペも飛行機で飛ぶ協力はして欲しい」と、またもやとんでもない計画を蒸し返して来ていた。
「え、で、でもさ。できることは何でもやって、アレを止めるのが目的だよね。なら、飛行機も当然、手段として入ってくるじゃないか。僕の解析機関と全く同じで」
未練と恨みの眼差しを絡め、デスがしつこく食い下がる。
「同じではないですよ! 全然、当然でもない。解析機関を動かしてあれこれ調べたところで、その作業によってあなたが死ぬことはまずないでしょう。しかしあなたの野心的で冒険的な飛行機が墜ちれば、私は大怪我をするとか死ぬ可能性があります、というよりむしろ、大怪我をするか死ぬ可能性が高い」
「で、でもでも! 生きてるって本来、危険と隣り合わせなわけで。生きてるだけで命懸け」
「冒さなくても済ませられる危険は、極力避けるのが、生きることです!」
「ええ〜そんな。ピーペの癖に……」
「何も『そんな』じゃないです。アレに間近で対峙することは、私のお願いしている準備を整えれば、安全とまでは言えないにせよ、最小の危険で対処可能になると思っています」
聞いて、一秒程度は黙った彼だが、
「そ、う、かなぁ〜? 万能執事のビルはともかく。僕には、アレがどっちから来るかとか、夜中の貧民街で一人、隠れて見張るのなんて無理だと思うけど?!」
と反駁する。
「前回なさったことと同じですよ。夜中、私を付け回し、遠くから見張っていたと仰ったじゃないですか」
「それは相手があなたで、だったら僕の命は危険じゃないって確信も持てる。怪盗ピーペは人の命を取らないんだから。僕も、あなたのことならどんなことでも調べたいっていう情熱が……。なんてことは置いといても! 前はまだ、アレがあんなだって知らなくて、だからどんなのか見てやろうって思いもあったから。それで結果的にできたけど、もう一回同じことやれって言われたら、できる自信はない。あの時も、新兵器の実験だなんて予想は立てても、自分で半分以上、信じてなかったもの」
「うーん。あなたも怖がりの割には、好奇心に突き動かされると大胆に動く。でも基本は、怖がりでしたね」
「そう怖がりだから! アレがあんな恐ろしいって分かった上で、まだ近くで見張るなんて。怖すぎて無理」
情けないほど正直だ。これでは、挑発し反発させ、勢いで「やってやる!」と言わせることもできない。
「そんなら、そうです。『近くで見張らなければ』いいでしょう」
やや自棄な気持ちになった途端、新たに思い付いた。
「大事なのは、アレが来た時、こちらへすぐ知らせていただくことでした。アレにも、私にも、近付かなくて構いません。安全にうまいこと、離れた場所から探る手段を講じれば。機関を使いこなしていらっしゃるあなたなんですから、何とかならないはずがない。やり方はお任せします。あなたのやりやすいように」
「ええっ、まさかの丸投げ! いやでもそう、そうか。近付かなくても来るところだけ見張って、君に素早くこっそり知らせる方法があれば……あるかな?!」
デスはまだ「無茶だ」という顔で悲鳴をあげるが、私はもう「デスが考えれば結局、何とかなるのでは」との気持ちになっていた。
「そうと決まれば、私は私のやるべきことに集中しましょう。夜中、また向こうへ探りに行きますが、それまでは普段通り。まずこの外出着を着替えて、ビルさんの用意してくださる夕食へ参りましょうかね」
いつも通り八時には呼ぶ、との話だったので、着替えて晩餐、の予定で良さそうだ。食事を済ませ夜中まで仮眠を取った後は、ホワイトチャペルで買った古着のコートや帽子を身につけ、再びハンベリー・ストリートを偵察しよう。頭で計画を確認していると、デスが
「まだ行くの? どんだけ元気なんだ。あ、でもまた出かけちゃうんだったら、あの、ポリーさんはどうしよう」
と、躊躇いがちに尋ねてきた。私も彼を振り向き、少し思案する。
「夜中までに目を覚まされるようなら……いや。明日までは、眠って心身を回復していただく方が先だと思いますから、ベティさんの看病とビルさんの判断にお任せするのが良さそうです。素面の状態に戻られてから、この先のことも含め、ゆっくり話し合う必要があるかと」
「うん……やっぱり、そうなるよね」
デスは浮かない顔をしていたが、これに関してはさっきと違い、「無理無理」と逃げるつもりはないようだった。
ポリーさんがどんな状態であっても、「あとは出てって勝手にやってください」と放り出せる状況ではないため、この先もしばらく私達が関わるのは必然だ。私は聞きかじりの知識を全部出し、
「確か依存症は、ご本人が『このままでは良くない、治したい』と認識された後、治療にも効果的に取り組めるものだったと思います。彼女はここ数年、人生どん詰まりな状況にいた上、先週アレによって不意に『殺された』ことになってしまって、もう何もかもどうにもならないと絶望的になっているかと。まずその辺りを彼女自身でどう受け止めるか、その上でまだ生きていくことを受け入れて、『やっぱり治したい』とまで思い直してもらえるか、ですかねえ」
と考えを述べてみた。デスはいよいよ情けない表情になり、
「聞くからにハードル高すぎって感じなんだけど! 君は、そうは思わない?」
と訊いた。
「いいえ、非常にハードな話だと思いますよ、私も。しかし認識と受容に関しては、周りが代わりに決めたり頑張ったりできるものでも無いんじゃないかと。軽い風邪みたいに数日で治るってものでもないでしょうし。私達は、なるべく寄り添って、手伝えることをとにかくやるしかないと思いますよ。彼女が良い方へ向かいたいと決めた場合、その応援団になるというか。具体的にはポリーさんと一緒に生活する距離感を、常に探りつつ、できるだけの関わりを持って対話を続けることになりますかね。しかも相当、長期的な見通しが必要かも」
自分で言いながらも「大変な話だな」と思っていたが、デスは案の定再び、
「それも僕にはすっごくハードル高いんだけど! 君は全然、そう思わない?!」
と尋ねてくる。
「ええそれは。どちらかといえば、非常に強く思いますけれどね。ただそれでも、誰かの助けになろうとすることは、彼女よりむしろあなたにとって、意外といい影響がある可能性も無きにしも非ずではないかと思わなくもない感じも無くもない感じではあり」
「何その持って回った言い方?!」
「まあ私も、依存症を治すことの専門家ではないのでねえ。しかしあなたが解析機関や他の方法で情報を集めてご覧になれば、もっと見通しも明るくなるかもしれない、とは考えていますが」
今度はデスも「そうかな」という、少し肯定的な顔付きになって黙った。
「では一旦、失礼しますよ。部屋で着替えてきます」
立ち上がると、デスは「うん」と頷いてから「あ」と顔を上げ、
「ケイリー卿の銀盤のレプリカ、どこ行ったっけ? 僕、返してもらったっけ」
と呟いた。
「おや。忘れていました。何故かポケットに」
私は上着を探る。しかしデスが「なんで?! コイン型の品物は、自動的にポケットへインする習慣?!」と騒ぐ間に、もう一つの品を見つけた。
「そうでした。お土産を買ってきたんですよ」
葉っぱ船のような「未来の飛行機」を刻んだミニチュアメダルは返し、ウォート爺さんから買った、ゼンマイ仕掛けの魚竜も差し出す。
「え、何、怖いものじゃないだろうね?」
無用の疑いを口にして身を引いているデスへ渡した。
「大昔、海にいた生き物だとか? イルカのような魚のような。雑誌の記事を見て思い付き、作った玩具だそうです。ネジを巻きますとね、こう」
彼の手の中へ置き、小さなネジを巻き上げる。ジーとゼンマイの解ける音がし、円い目と長い嘴の可笑しな魚は、ビビビビビ! と尾鰭をバタつかせた。
「ヒッ!」
一度は大袈裟な悲鳴を上げたデスだったが、直後に顔付きは変わった。魔を呼ぶほど冴えた満月の、雲を割り現れるにも似て。
『εὕρηκα(見つけた)』
彼が言ったわけでもない言葉が、不吉な美貌の後ろで輝き渡って読み取れた。
何もわからないまま、胸には(しまった)との思いが去来する。それが間違いでないことは、次の言葉を聞いた途端、分かった。
「そうか。ゼンマイ。これで飛べる」
(つづく)