第十一話 真か偽か
私が彼の前へ置いた宝を、デスは手に取った。
柔らかな印伝(鞣革に漆で模様を付けた細工)の小袋を開き、硬木の小箱を引き出す。デスの細くも大きく白い手の上で、箱は艶やかに黒い。
かちりと開けば、紅い天鵞絨張りに嵌め込まれた結晶が、光を受けて輝いた。
「『光の山』」
呟き、彼はすぐ、かちりと蓋を閉める。
「あれ、もういいんですか?」
「ちょっと。これは。心の準備してなかった」
デスは呼吸を整えるように黙った後、もう一度箱をそっと開け、中身を注視した。
石は一八六カラット(三七・二グラム)の古代インド式カット。ひたすらに澄んだ小石で、ガラスや氷の欠片にも似ている。無色の大きな水滴が固化したようでもある。
「透明で、綺麗ですよね。ただやっぱり、女王がお持ちの物の方が、宝物らしくキラキラしてるでしょう」
デスは石を見つめたまま、頷くとも首を振るともつかない仕草をした。
「それでも、こっちが本物なんだよね。公式には、ダイヤは一八五一年の万国博覧会で展示された後、観覧した世間一般の『思ったよりキラキラしてなくて期待外れ』って評判を返上するため、王配アルバート殿下の命令で再研磨された。以後は世界最大、最高のダイヤとして眩い輝きを誇り、女王の冠にセットされたり、外してブローチとして使われたりしてる。と、いうことになってるけど」
ふう、と息を吐き、デスはかちりと箱を閉ざした。
「君がこの石を振りかざして、『こっちが本物だ!』って世界中に発表するまでは、偽物が本物として通用するのか。やっぱり、いつか使うつもりで持ってるの」
彼の探りには、曖昧な笑みで応える。
「さぁ。さしあたって今は、実用を考えるより、思い出の品として気に入っています」
デスは小箱に袋を添え、そっと押して返した。
「もし気が向いたらこれ、そのうち、ビルにも見せてやってくれる? 彼は純粋なインド人じゃないけど、ルーツの半分はインドだ。だからこの石をあなたが持っているのを見ると、なんというか、ちょっと面白がって喜ぶかもしれない。別に、ビルが民族運動の闘士ってわけじゃないんだけどさ」
自虐のような表情も閃かせ、彼はそう言った。
「そうですか……権力者が取り合うにつれ伝説で包まれていった石ですが、見つかったのは確実に、インド亜大陸のどこかですよね。やがて東インド会社が、制圧したシク教徒の王国から取り上げ、五十一年に女王へ献上した。インドの人からしてみれば、インドのどこへ返すのが正しいかはともかく、英国にあるのが正しいとは、あまり思えないでしょうね」
「それが理由で君は、というか『笛吹きピーペ』は仕事したのかな……三十七年前の万国博で? うん、そこまではまあ、僕の考えたこととそうもズレない。でも、石をまだ持ってるとは思ってなかった。しかもまさか、ポケットへ無造作に突っ込んでるなんて」
「こんな生き方をしていると、財産は、有形・無形関わらず、身につけたものが全てになることもありがちで。だから好きなものほど身近に置いて、しょっちゅう見られれば嬉しいな、と思います」
言いながら、女王がブローチにしてしげしげと身につけるブリリアンカットの「公式品」を思い、なんとなく皮肉な気分になる。
「わかりました、いずれビルさんとさらに仲良くなれたら、彼にもお見せしますね」
私は箱を袋に入れ、ポケットに戻した。
「でも、これでないなら何が出てくると、あなたは予想してらしたんです?」
彼はチラッと私を見て、少し口籠った。
「んん……予想っていうか、期待、かな。あなたがパリで先週、ナポレオン規格の機関を見に行った、っていうのは、まさにその時、その機関へ記録された。僕はそれを見たからさ。機関の情報キーになる数式とか、持ってれば向こうの急所に一撃、みたいなパンチカード一式とか、そういうのかと」
「うーん、それは私への過大評価でしたね……あなたの仰るとおり、確かに私は、あちらの情報局を見学させてもらったんですが。解析機関については、どう扱えばどうなるものか、充分その場で分からなかったんです。時代遅れと言われても仕方ない為体ですね。次に出直す時はもう少し、新技術の価値を理解して臨みます」
「うん、やっぱりこれから価値のあるものっていったら、具体物にも増して情報関係だし……って。いや、やめて! 待って、僕、今、教唆犯的なことになってない?」
「ああいった機関にお詳しいらしいあなたと出会えたのは、天の配剤かも知れませんね。有意義な滞在をさせていただけそうです。やはりロンドンへ来て良かったようだ」
「なんか僕の指し手が間違った、みたいな気にさせるのやめて。あ、でもロンドンも、そろそろ時代の先端は切れなくなってるよ。見ての通り、電化もパリより遅れてるしね。この後のこと考えるなら、新世界を視野に入れた方がいい……」
「そう長く活動できるかは分かりませんが、貴重なご意見、喜んで容れさせていただきます」
「待ってやっぱり何かおかしくない、このやりとり? でも僕も、新世界で暴れ倒すつもりの君を追って向こうへ行けたら、楽しいだろうな」
デスは話しながら、食欲を思い出したか、逆に食欲のなかったことを忘れたのか、トーストを次々食べ始めた。
そこへ、コーヒーの香りと共にビルがポットとカップを持って現れ、私にサーヴしてくれた。彼もデスの食事風景を目に止め、今度は小声で口に出して「よし」と言ったのが聞こえた。
熱いコーヒーに、こういう時はミルクたっぷり、砂糖なしが私の好みだ。カップを両手で包み、
「ビルさんも来られましたし、本日の予定を話しませんか。昨夜のあの、殺人鬼……らしいものに、これからどう対処するのか、ということを。せっかく展望ある将来を計画しかかったところで、あんな悪意について考えるのは嫌ですけれど。美味しい食事や楽しいお話で気分を上げられましたから、立ち向かう気力もだせそうです」
と言った。ビルはテーブルの側へ留まり、聞いてくれる姿勢になる。
デスがトーストの残りを口へ押し込み、割と急いで飲み下してから、
「そう言うからには、ピーペに考えがある感じ? 僕は、解析機関を動かしての情報集めは、毎日ルーティンでやるつもりだけど。先に言っとくと、本職の刑事みたいなことは全くできないからね。現場で調べ物したり人の話聞いたり、悪漢と格闘するのとかは無理。安全な場所で高みの見物っていうか、情報集めて考えを弄ぶだけの簡単なお仕事しかしないから」
と早口で喋った。私は思わず苦笑する。
「そんな宣言。仰るのは自由ですけれど、実現できるのは初めの内だけだと思いますね。私の理解では、あなたとビルさんはポリーさんという『獲物』――『お宝』と言った方がいいかも知れません、それを殺人鬼……ええと仮に殺人鬼と言いますが。あの場所にいた危険そうな存在から、横取りして来たんですよね」
そこは本職の警察でもできない、私も称賛する以外考えられない、人命救助の素晴らしい手柄だと思う。やり方は、まぁ相当、独特で突飛だが。
「けれど」
と私は続けた。
「『お宝』をかっさらった上、昨夜ポリーさんの身代わりに置いて来たのが、あなたのお造りになったという『偽体』だ、と信じるなら。あなたは殺人鬼の狙った獲物を、まんまと『偽物』へとすり替えたことになります。相手からすれば、かなりコケにされたと言えるのでは。こうなると多分、復讐の対象になりますよ。横取りがバレた時は『獲物』のポリーさんだけでなく、あなたも探され、狙われそうに思います」
「ぎっ」
デスは妙な悲鳴を噛み殺してから、
「そ、それは、バレたら、だよね。バレなければいい話じゃん」
と呟いた。
「本当に。バレなければいいですよね! でもポリーさんは人間ですから。人、というのは、ちょっとした石みたいにポケットへ隠して『知らぬ存ぜぬ』を通すわけにいかない、扱いが難しいお宝ですよ。あなたは見つける側ではお上手でしたが、隠したり隠れたりする側での自信の程は? Ready or not, here I come(準備はいかが、もう探しに行っちゃうよ)!」
私の少々意地悪な合いの手へ、ビルが「ちょっといいか」と控えめに声をかけた。
「ええ」
彼の方を向くと、ビルは、
「マダムの言われたように、御前へ危険が及ぶ可能性は当然、考えなきゃな。それに、ホワイトチャペルからつれて来た姐さんを、ポイと金庫に入れてもう安泰、とはいかねぇだろうこともその通りだ。ただ、あの殺人鬼は、特にポリーさんを意趣遺恨でもって狙ったんじゃぁないと思う」
と言った。
「あなた達が予め察知できた程度には計画殺人だけれど、獲物は彼女でなくても良かった、ということですか? その根拠は」
「そうだな。一つには、御前が解析機関で探り当てられた情報だ。と言ってもまさか『何日何時、誰をどこで殺す』ってな具合にはっきり記して、電信や記録がやりとりされたわけはない。昨日の件を御前が先読みされた詳細は、後でご本人からお聞きいただきたいんだが」
ビルはそこで一息入れ、緑の片目を私からデスへ向ける。
「もう一つ、もっと手っ取り早く、殺人鬼が特定の人間を狙ったのではない、と思える理由がある。『偽体』を見て貰えばすぐにわかると思うんだが、御前」
話を振られ、デスはやや構える。
「え、えっと。フェイク作りの実験室は、今日これから見せようと思ってた。早速、行く?」
「そうですね」
「俺も行こう」
私達は広い食堂を出た。
(つづく)