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蒸機都市【歯車仕掛けの殺人鬼】  作者: ミュウト・2
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第一話 そして惨劇の幕は上がる

 私が蒸機都市スチームパンク・シティロンドンを目指したのは、生きる隙間を探すためだ。ところが、パリから飛んだ気球は、シティの飛行船&気球港を目前に墜落しかけた。挙句、近年、治安の悪さで有名な辺り(イーストエンド)へ不時着した。

 それが夕方。今は日付も変わって午前三時前。

 

「良かったのは、怪我しなかったことでしょうね」

 暗い街で、私は連れ立って歩くメアリ・ジェインに言った。

「全くね!」

 相槌を打つ彼女は二十代半ば。魅力的なイギリス女性だ。身長が五・七フィートほど(一七五センチメートル)あり、並ぶと私より二インチ(五センチ)は背が高い。私も、日本人女性としては大柄なのだが。

乗員(クルー)二人も無事、街へ(まぎ)れてくれました。後で連絡を取ります」

「無事が一番だよ! 生きてりゃ何とでもなる!」

「降りてすぐ、地元の生き字引みたいな露天商の方が、素晴らしい案内人(ガイド)を紹介してくれたのも幸運です」

「え、私? 素晴らしいかな、やだ、嬉しい! こっちこそ。ピーペさんみたいな素敵なお姉様を紹介してもらっちゃって、ラッキーだよ! ウォート爺さんに今度、奢らないとね!」

 調子良く合わせてくれるメアリは、夜通し飲んで、とても陽気だ。

 彼女は、不時着したわけではない。宵に知り合い、友人歴は約八時間。

 着ている服は古いが、この街でそれは普通だ。それよりすらりと姿良いのが目立つ。結った髪も帽子の下でたっぷりして、(ほど)いたら見応えがありそうだ。

 

 二人で、丸石敷の狭い道を行く。行き先は無し。そぞろ歩いて夜明けまでをやり過ごそうとしている。

「でも、悪かったこともありますよ。荷物が失くなったこととか」

 それも墜落を遅らせるため、傾いたゴンドラから自分の足で、下方をくねり流れるテムズへ蹴り込んだのだが。もう拾いようがない。財産は身に付けているものが全てだ。

「荷物なんて、ピーペったら! 死んじゃってたかもしれないのに!」

「それもそうですね。命より大事な荷物はなかったな」

 明るい面を考える。

 欧州人が欧州を旅するなら身分証明書は要らないが、外国人は別だ。入国手続きを省略できたのは喜ばしい。そうは言っても、着替えも靴も道具も、やはり失くすには惜しかった。

「若いメアリさんと違い、私は人生終盤戦もいいとこです。最後に一勝負、安泰な老後のチャンスを掴もうと、思い切ってロンドンに来たんですが。いきなり不時着はツイてないな。だけど、あなたと出会えましたし。まだ、運がどう転ぶかはわからないですね」

 私の思考全部を知る(よし)もないメアリは、

「そりゃそうよ。『While there is life, there is hope(命あっての物種)』ってね!」

 と、大きく頷いた。

 

 彼女は「霧の都」の恐るべき大気汚染を素顔で呼吸し、平然と喋る。

 若さのパワーか酒のパワーか、地元民の慣れかもしれない。私の方は、革と取り替え式フィルターで構成された防毒面(マスク)がないと、咳き込んでしまって会話どころじゃない。

「今夜、ロンドン・ドックでも火事があったんだって」

 メアリは喋っている。

「もしかして、空から煙、見えた?」

「ロンドンの空は全体、雲と煙で。どれがどうだか区別はつかないですよ。ゴーグル無しで着陸し(おり)ようとしたら、目が溶けるんじゃないかな」

「あ、それで芝居小屋へ入るまで丸眼鏡してたの! ゴツいマスクはまだ外さないし。これだけ遅くなったら、空気もマシだよ。パブも閉まって、酔っ払いもみんな散って。こんなに静か。お面(マスク)外してみなよ! とっても涼しいから……そりゃもう八月が終わるんだから当然か」

 彼女は笑った後、

「だけどさっきの話は真面目にさ。人間、わざわざ殺されなくっても、事故や病気で簡単に死んじゃう。命拾いしたこと、神様に感謝しなよね!」

 と話を戻した。

「信心深いんですね」

「えー? 私達はみんなそうよ。ちゃんとしたイギリス人ならね。ピーペは、どんな神様に祈るの? キリスト教徒じゃないよね。あ、東洋にもクリスチャン、いるんだっけ。世界中に大英帝国の領土があるもんね。で? 日本人の神様は、インド人や中国人のとは別?」

 

 夜中過ぎまで劇場で飲み、パブが客を追い出すまではパブで飲んだ。

 私と違って、彼女はずっと酒類(アルコール)ばかり頼んでいたから、まだ酔いに乗ってはしゃぐ。「男性相手のプロ」と自己紹介した職業柄かもしれないが、元から陽気な性質(たち)かもしれない。

「ま、私は、ピーペが異教徒でも気にしない。あるでしょ、聖書の『善きサマリア人』の話。ロンドンは外国人だらけだし! 外国人は犯罪者だ、って騒ぐ奴もいるけどさ。そんなこと言い出したら、ほら。貴族院議員の、あれ……マールバラ公爵の、お偉いスペンサー卿! 彼に言わせりゃここら辺(ホワイトチャペル)の住民は全部! 乞食と売春婦と犯罪者なんだって!」

「それはまた。どんぶり勘定な偏見ですねえ」

「ほんと、雑過ぎ! 確かに人殺しは、毎日みたいに号外が売られてさ。ああいうのは血みどろな方が売れるからね。最近ここらであった婦女暴行とか、女の人が滅多刺しにされて死んでたのとか。地元ギャングの仕業らしいって。でも、そんな悪党と関わらず、まっとうに生活してる人の方が多いんだから」

 気炎を吐いた後、メアリは、

「ま、私の場合は、スペンサー卿に非難された通りの『売春婦(プロフェッショナル)』だけどねー」

 と、笑って腕を組んでくる。「私も、別分野ですが一応プロで」とは言わないでおいた。メアリが、

「私はまさに、看板上げて、殿方に恋と夢を売ってあげるお仕事。でも、この辺の貧しくて困ってる女なら『誰でも』お金で買えるはず、っていうのは『買いに』来る奴の勘違いと、都合のいい決めつけだよ。どれだけお金になんなくても、コレ以外の仕事ばっか選ぶ人も多い。私だってお客は選ぶもん。嫌な奴だったらお断り。いっつもコレだけが仕事、っていうのでもないしね」

 と言う。

 

「今夜みたいに、東洋人の旅行家がうっかり間違ったとこへ降りちゃったら、一晩安全に過ごせるよう案内人(ガイド)だってするんだから。あー、今日は本当、いい気分! ねえ。荷物失くしても保険金とか、貰えるんでしょう。たんまり入ったら、忘れずまた遊びに来てよ」

「ええ、そうします」

「絶対ね? そうだ、ピーペと私の目印、これね!」

 彼女は暗い街灯の下へ寄って、手の中のものを見せた。

「あなたが持ってきた、ウォート爺さんの歯車。ペンダントみたいに首へ巻いとくね。わあ。こんなガス灯の下でも、すっごくピカピカ光るじゃない? 爺さん、むかーしバベッジ卿の解析機関を作ったとか。すごい計算機なんだってね、知ってる? 爺さんってばいっつも、その自慢話。まー、腕はほんとに良かったらしいよ。今じゃ、路上で金属のひねくったの並べて、座ってるだけだけどね。よし、結べた。似合う?」

「綺麗ですね。新しい銅だから光るのかと思ったら。それ以上の、変わった宝石に見えます」

「着けてるモデル(わたし)が美人だからよ。なーんて! ねえ、もしもピーペが無神論者でも、危ない無政府主義者(アナーキスト)でも! 私はあなたのこと嫌いじゃないよ、だからまた会おう。約束だよ!」

 酔いで多少、大きくなった声が、暗い道に響く。

 

 一八八八年八月三十日、金曜日。

 少し前に三時の鐘を打ったセント・メアリ・ホワイトチャペルは、夜闇と霧に沈んでいる。

 鐘は、蒸気動力で鳴らす自動チャイムだろうか。それとも誰かが起きて鳴らしたのか。

 街は(しずま)って見えるけれど、皆が眠っているわけではない。徹夜の工事や、早くも出勤する人影。宿無しがフラフラ歩いて行くのも見た。私達もこうして、幽霊じみた影となり、歩いている。


 表のホワイトチャペル・ロード沿いに出た。中流階級向けのしっかりした家が並ぶ。

「こっち。駅は向こう。始発が動いたら乗ると良いんじゃない。リージェンツ・パークの南って言った? 知り合いのいるとこ。歩いて行くには遠いかも」

「地下鉄は、煙がひどいそうですね。目的地まで耐えられるか……しかし随分と駅も増えたんですねえ」

「うん、あれは四年ぐらい前に建って。線路がぐるっとつながったのも同じ頃。インナーサークル(ライン)、ロンドンの中心を囲んで、輪っか状に走ってるよ」

 メアリは教えた後、

警官(おまわり)が巡回してる。裏を歩こう。うるさく言われるの嫌じゃない」

 と、また細道に入った。私としても、警官はお近づきになりたい職業人ではないため、案内に従う。

 

 片側は連棟式集合住宅(テラスハウス)の列、逆側は倉庫の壁が続く。

 ほぼ闇だ。ガス灯は遠く、うっすら青い。

 いや、もう一つ何か……

 向こうの方、地べた近くで、非常に暗い妙な明かりが動いている……


 よく見る間も無く、黒い影が目の前へ飛び出した。掴まれ、横手の壁へ押し付けられる。そして、

「黙って、頼むから黙って動かないでそのままで!」

 耳へ直接入れる近さで囁かれた。

 

 声と言葉は、びっくりするぐらい震えて哀願調だった。意外さに思わず動きを止める。

 相手は私へ覆い被さったまま壁にへばりつき、石化したように固まる。息を殺し、動かず、闇に紛れ。

 まるで何かから隠れてやり過ごすための振る舞い。

 

 何かから……一体、何から?

 

 視界は完全に遮られたわけではなかった。視線を横へ走らせる。

 

 何かが。

 かなり離れた道半ば、倉庫の壁際の地面で動く。黄色い極小の光をチラチラさせ、(うずくま)り。

 路上にも、何かある。地面へ向かい、未明の闇より濃い影が動く。

 

 独特の音が、小さく届いた。

 微かな音。柔らかな破壊を思わせる。

 それから。

 

 シュウッという、細く絞った蒸気音。

 カチカチカチ。キリキリキリ。

 ゼンマイと歯車が鳴るのを聞いたと思った。


(つづく)

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