寝取られモノ
大学が夏休みに入ったのを機に、実家に帰ってきた俺は母親から自室の片付けを命じられ、しぶしぶ従った。電子ドラムを置きたいらしい。
エアコンがついてない、狭い和室。窓を全開にし、扇風機を強にするも局所的に俺の部屋だけを狙っているのではないかというこの暑さの中、持っていた高校の卒業アルバムを投げ出し、俺は倒れ込んだ。
呼吸の度に埃が転がり、ため息でそれを遠くへ飛ばす。
その時であった。床の上に見覚えのない封筒があることに気づいた。
のそのそと動き、手に取り開けると、それはケースに入ったDVDであった。
観てね。
DVDの表面の白地に書かれた、ハートマークが添えられたその文字を見て、昔の記憶が一気に蘇った。尤も、それは遠くでもなければそう長くもなく、苦い記憶。
『別れて欲しいの』
高校の時に付き合っていた彼女。卒業式の日にそう告げられた俺はその日、それ以降の記憶がないほどに落ち込んだ。
なぜ? どうして? 理由は? 俺は滑稽なほどに慌てふためき、彼女に訊ねた。
彼女は正反対に落ち着いた態度。そしてシンプルにこう答えたのだ。
『他に好きな人ができたの』
……と、まあよくある話なのかもしれない。しかし今、俺はこのDVDのハートマークを目にした瞬間、その後、彼女が『彼ってすごいの』とボソッと添えたことが心に引っ掛かり始めた。
彼って誰だ? すごいって、やっぱりアレか? テクか? 大きさか?
そして、その答えはここに在るのでは?
そんな直感が全身を走り、気づけば俺はDVDプレイヤーを操作していた。
このDVDがいつ送られて来たのかは知らない。恐らく、俺が大学の寮で暮らしている間に実家のポストにでも入れられていたのだろう。それを母親が俺の部屋の机の上に置いた。今度帰ってきた時にでも言えばいいだろうと、で、忘れた。ずさんな母親だ。
まあ、それはいい。母から「こんなの届いたよ」と連絡がきていたら「捨てといて」と答えていたかもしれない。傷が癒えた今だからこそ観れるのだ。だが、そもそもこれは彼女から送られてきたものなのか? 字は多分、彼女のものだ。いや、そもそもの話をするなら、内容はなんだ? 思い――
『あん、あっ、あん!』
俺はサッとリモコンを操作し、音量を落とした。
DVDの内容は俺と彼女の高校時代の思い出どころか
『ははっ! 彼氏くん観てるー?』
言わば寝取られビデオレター。いや、まさか現実にこんなことがあるとは、と俺はははっと笑ったが、自分が思っていたよりもしわがれた声であった。
しかし、考えてもみれば現実に起こり得るからこそ、AVや創作物にもあるのだ。あるあるのシチュエーション。そうあの時間停止モノも実は、いや、俺は何を考えているんだ。暑さで頭がおかしくなったか? それとも精神的ショックが大きすぎて、はははは……。
俺が頭を掻いている間にも彼女は男に突かれ、喘ぎ、ピースを決めている。
……もう十分だクソ女め。一時停止。馬鹿面で一生止まっていろ。
母親がこれを郵送してくれなくて良かった。さすがに日が経っていなければ心に大ダメージを負うところだった。ああ、大丈夫。大丈夫。俺は大丈夫。
俺は額の汗を拭い、ため息を吐いた。テレビのスイッチに手を伸ばす……と、ふと思った。
この男、どこかで……。
停止された世界で笑みを浮かべるこの男。そうだ、思い出した。あの笑みと同じだ。
この市の若き市長。彼だ。彼なのだ。
気づけば俺は市役所の前にいた。
俺を突き動かしたのは何か。この煮えたぎるような脳はなんだ。
断固許すまじ。市長の悪行を良しとしない一市民のそれか。それとも彼女を寝取られたことに対する怒りか。それとも夏のこの暑さのせいか。
何にせよ、俺は職員の制止を振り払い、市長室のドアを叩いた。
「ああ……それか……」
俺が封筒を見せると全てを察したようで市長は人払いしたあと、頭を抱えた。
彼女が俺と付き合っている間にこの男と寝たのなら、それは未成年との淫行。罪。スキャンダルだ。若い女とヤレて調子に乗っていたのだろうが今更気づき後悔しても遅い。
尤も、どうしてやろうかとも考えず勢いに任せて乗り込んできたわけだが、まさか、相手も俺に一撃を食らわせたDVDによって自分もまたダメージを負うことになるとは想像もしていなかっただろう。
「これを……」
そう言って市長が机から取り出したのは封筒であった。
俺は一瞬、買収かと思ったが違うことはすぐにわかった。その封筒に書かれた文字に見覚えがあったのだ。
「彼女から送られてきたものだ」
市長はそう言うと堰を切ったように喋り出した。
映像を残すのは本当は嫌だった。勿論送るのも。でも、逆らえなかった。愛していたから。しかし、彼女とはそう長くは付き合わなかった。あっさり振られたのだ。
そしてその別れ際に彼女が口にした言葉は……。
俺と同じ。そういうわけか。
状況を理解すると同時に何やら奇妙な空間に迷い込んだ気がし、俺は急に薄寒くなった。が、それは市長室という、なかなか足を踏み入れることがない領域とクーラーが効いているからだろうと、そう思った。
「で、一人で観る勇気がなくて……ほら、内容はさ、わかるからね。彼女にフラれた傷が癒えた頃に観て、それでまあ、あれかなと思ったんだけど、き、君がいるなら心強い。何せ、事情が事情だからさ、他の人と一緒に観れないからね」
そう言うと市長はDVDプレイヤーを操作し始めた。
俺はまだ一緒に観るとは言っていないのだが「すぐだからね」「すぐ再生するからねっ」と俺に向けてきた笑顔で俺は従兄弟のお兄ちゃんか、はたまた同級生とエロいDVDを観るような感覚に陥り、ま、しょーがないか、と隣に座った。
その内容はもちろん想像がついていた。が、驚いた。多分、市長は俺以上に。
『し、しちょー、み、観てるー、あのこれ、おほぉ』
映っていたのは男に跨り腰を振る彼女と、そしてその男……都知事であった。
「……観ましたよ都知事。ええ、しっかりとね」
気づけば俺は市長と都知事室にいた。
歯を食いしばりながら公用車を走らせる市長に何も言えなかったせいではあるが、妙な流れだ。
市長の目がギラッと光る。市役所に貼られていたポスターと同じ鋭い眼光。先に見据えているのは皮張りの椅子に深く腰を沈める都知事かそれとも、これで都知事を脅し、更なる飛躍、栄光の未来か。
何にせよ俺は場違いだと思った。
「そうか……それで隣の彼は?」
「彼も、です」
「ああ、そういうわけか……では私も、だよ……」
「え?」「え?」
『おほぅ! と、と、都知事、み、観てるー? あ、あ、あ、みないで、あ』
俺と市長、都知事の三人は並んでそのDVDに刻まれていた映像を眺めた。
都知事が彼女と別れたあと送られてきたDVD。そこに映っていたのは鞭を振るう彼女と……総理大臣であった。
どうして総理大臣たるものがこんなものを残して、などは野暮な話だろう。
恋を、それも同じ女に恋した者同士だ。言わずともわかる。だから俺は総理を責めようとは思わなかった。総理が結婚している身であっても。ただ観たと、あなたはひとりではないとだけ伝えようとそう思った。都知事らの思惑は知らないが。
「そうか、観たのかね……」
だが俺たち三人を前に総理は慌てるどころかそう、ただ安堵したような顔をしたのだ。そして机から取り出したのは……
『そ、ソーリー! ノオー! お、お、オォォ! ソーリ大臣! み、観てるかね! おほぼうわぁ! み、観ないでくれまえ! こんな、私を、おっ、おっ、おっ』
ペニスバンドをつけ、大統領に腰を振る彼女。
俺は総理大臣たちとその映像を眺めながら、ああ「彼ってすごいの」ってそういうことかと妙に納得した。
そして「これでもうこの国を属国などとは誰にも呼ばせないぞ」と息巻いている彼らと共に総理のプライベートジェットに乗り込む中、行き先は知っているのにもかかわらず俺は一体どこへ向かうのだろうかと思案し、また、彼女は今どこにいるのだろうかと見上げた空港の空は星々によって飾られ、俺はそれが何かの予兆に思えてならなかった。
だが、止まらない。俺もまた彼らと同じく、興奮しているのだから。