初デート………なのか?
親方との取引も終わり何気ない日が続いた。
クリシュナーの刀を買い取ったことでシャンプーの売上金は残り百万グレイス。
石鹸の仕入額を引くと残り八十万グレイスが手元に残っていた。
「なんだか、今回のシャンプーの収益は臨時のボーナスって感じですね」
「ボーナス?」
「すいません、ボーナスていうのは給料とは別にまとめて支払われる報奨金みたいなもんですかね」
やはり、この世界では給料体系も違っていた。
「今後の蓄えとして五十万グレイスを残してもまだ三十万グレイスは残りますよね。アミールさんは何か欲しいものとかないんですか?」
「欲しいものですか?………そうしたら冬の箱がほしいです」
冬の箱とは以前の世界でいう、冷蔵庫と同じものだ。
言われてみれば確かにこの店には冷蔵庫、もとい冬の箱はなかった。
「そうですね。冬の箱があれば便利ですよね」
「はい、冬の箱があればお肉やお魚も保存できますし」
「そしたら、冬の箱今から買いに行きましょうか。今日と明日はお店もお休みですし」
「本当ですか!ではすぐに支度しますね」
よほど嬉しかったのだろう、アミールはとびきりの笑顔を浮かべ冬の箱を買いに行く準備を始めた。
支度を整え冬の箱が売っている魔製具販売店に向かおうとすると、
「あ、そうだマタタビさんはどうしましょうか?」
「マタタビですか?多分まだ寝てるでしょうからそのまま寝かせておきましょう」
マタタビに手紙を残し魔製具販売店に向かう。
アミールと町の中央に行くのは教会に行った時以来だ。
そう考えるとデートにでも来た気分になり町の景色も晴れ晴れと見えた。
「今日はいい天気ですね」
「そうですか?少し曇ってますけど」
「マタタビもう起きてますかね」
「どうでしょうか、マタタビさん起きるのいつも遅いですから」
駄目だ、どうしても会話がぎこちなくなってしまう。
店では普通に話せるのに二人ででかけていると思うと緊張して言葉が詰まってしまう。
「ふ、冬の箱、売っているといいですね」
「そうですね。あるといいですね」
会話も途切れ途切れのままに、気が付けば魔製具販売店へとたどり着いた。
「いらっしゃい」
カウンターにはこの間のダンディな店主がいる。
「この間はどうも。今日は買い物をしに来ました」
「あぁ、この間のお客さんか。今日は何を買いに来たんだ?」
「えっと、冬の箱を買いに」
ダンディーな店主は一緒に来たアミールを見て、耳元で囁いた。
「お客さんも隅に置けないね。こんなカワイイお嫁さんがいるなんて」
「ち、違いますよ、この人は俺の」
うわついた話を遮るようにアミールが質問をする。
「すいません、店主さん。この中で氷が作れる冬の箱はありませんか?」
会話は聞こえていなかったと思うがアミールの顔に少し照れのようなものがうかがえる。
「氷が作れる冬の箱ね。それならこの二つだね」
提示されのは二つの冬の箱だった。
ひとつは高さが一メートル位のもので、一人から二人用といった所だろう。
価格は十万グレイスと妥当な金額、もう一つの方は高さが一メートル八十センチ位で大型で家族向けのような感じだ。
「どちらが、いいですかね〜」
笑顔で悩むアミールに声をかける。
「大きいに越したことはないんじゃないですか?」
「そうなんですけど、価格が」
大きい方の冬の箱を見ると値札にニ十万グレイスの文字が書かれている。
「ニ十万グレイスかー。やっぱり大きいと高いですね」
「えぇ、ここでニ十万グレイスを使ってしまったらハルさんとマタタビさんにボーナスあげれなくなってしまうので」
アミールは自分とマタタビに十万グレイスずつボーナスを出そうとしていたらしい。
「俺は別にボーナスなんて、なくても大丈夫ですよ」
「でも、私だけこんな高いものを買ってしまったら」
どうやら、アミールはマタタビのことも気にかけているようだ。
「では、こうしましょう。俺はボーナスはいらないのでマタタビにボーナスをあげて下さい」「え、でも」
自分とマタタビに気を使うアミールにダンディーな店主が声をかける。
「お嬢さん、こういう時は男を立ててやるもんだ。そこの彼氏さんも素直に受け入れてもらった方が嬉しいもんなんだよ」
この言葉に一瞬戸惑ったアミールだったが意を決し大きい方の冬の箱を選んだ。
「わかりました。ではハルさんのご厚意に甘えますね」
この時改めて値札を見ると、金額の横に《購入日に配送》の文字が目についた。
「店主さん。この購入日に配送て料金かかるんですかね?」
「そうだね、まあ距離によるかな」
「丘の上のリサイクルショップアミールというお店なんですが」
「リサイクルショップ?」
やはり、ここでもリサイクルショップは通じない。
リサイクルショップという言葉はまだまだ浸透していないようだ。
「丘の上の店か?ああ、ワットさんの店のことか」
(ワットさん?)
この名前を聞いたアミールがそっと教えてくれた。
「ワットというのは私の父の名前です」
「アミールさんのお父さんて、ワットさんという名前なんですか」
「はい、父の名前はワット・チェッカーといいます」
以前アミールの父親の話をしたがそういえば父親の名前は聞いていなかった。
「ワットさんの所なら一万グレイスて所だな」
「一万グレイスか〜」
微妙な運送料金を提示されどうしようか迷っていたがこの時いい案を思いついた。
「あの、店主さん」
「ん、なんだい?」
「ものは相談なんですが、よかったら取引しませんか?」
この時、思いついた案はこうだ。
リサイクルショップアミールに来た客に、ここの最新商品の情報を提示する。
商売敵と思われるかもしれないがこの店とうちの店とでは客層が違うためお互い良い関係が築けると踏んだのだ。
「店主さん、うちのお店でこのお店の最新商品の宣伝をするので今回の送料負けてくれませんか?」
「ほう、面白いこと考えるね」
「そうだ、申し遅れましたが俺は月神春と申します。できればハルと呼んて下さい」
「そうかい、分かったハルさんだね。そしたらそちらのお嬢さんは」
「私はアミールと申します。ワットの娘になります」
「へー、そいつは驚いた。ワットさんにこんな可愛らしい娘さんがいたなんて」
アミールがワットの娘だったことを知ると、
「よし、わかった。ワットさんの娘さんとあれば運送料はただでいい」
「本当ですか?」
「ああ、勿論。ワットさんには色々と世話になっているからね。だが、さっきの取引のことは忘れないでな」
「勿論ですとも。ただ出来たらうちのお店も宣伝してもらえると、助かるんですけど」
「ああ、それぐらい構わないさ。うちの店とワットさんの店じゃ客層が違うからね」
交渉の末、運送料金をただにしてもらい、さらにリサイクルショップアミールの宣伝もしてもらえるようにこぎつけた。
「本当にハルさんはちゃっかりしてますね」
何だかアミールが見せる笑顔に心が熱くなった。
そして、ニ十万グレイスを支払い店主にお礼を言って店を後にした。
「買っちゃいましたね」
嬉しそうにアミールが笑った。
「今日の夜までには届けてくれると言ってましたね」
「そうだ、ハルさん。前に皆でパーティーをする約束をしたの覚えてますか?」
確かに以前、シャンプーの商談成功を祝ってパーティーをする約束をしていた。
「はい。もちろん、覚えてますよ」
「今日、冬の箱を買ったじゃないですか。これならお肉やお魚も買い込んで料理の準備もできると思いまして」
「そうですよね。そうしたら、いつやりましょうか?」
日取りを決めるためアミールに相談する。
「そうですね〜。七日後ならお店も休みですし、ティアも予定空けられると思いますよ。時間は夕方の六時位で」
「七日後ですね分かりました。あっ、そうだアミールさんひとつお願いがあるんですけど」
「どうされました?」
「できたら、クリシュナーさんと娘さんもお呼びしたいんですけど、どうでしょうか?」
この間クリシュナーには成り行きとはいえ剣の稽古をしてもらった。
それに自発的にシャンプーの納品も手伝ってくれたのだ、そんなクリシュナーに何かしてあげられたらと思いアミールに提案してみる。
「もちろん構いませんよ。それに大勢で食べた方がきっと料理も美味しいでしょうし」
「ありがとうごさいます。そうしたらクリシュナーさんにはまた手紙で連絡すればいいですかね?」
「そうですね、騎士の方は忙しいでしょうし。そうだ、これから孤児院に行ってティアにもこのことを伝えてそこで手紙を書かせてもらいましょう」
孤児院に向かうことを決めたがここでアミールが何か思い出したようだ。
「あ、でもちょうどお昼ですからティアも子供達の食事作りで大変かも。少し時間を潰してからいきましょうか?」
「そうですね、そうしたらお昼ごはん食べていきませんか?」
「ハイ、是非喜んで!」
神の恵みだろうか、まさかアミールから時間を潰そうと言ってくるとは思わなかった。
(これって、本当にデートじゃん)
そう考えると、また緊張してしまう。
「あ、アミールさん。お昼は何を食べたいですか?」
「う〜ん、そうですね。パステがいいですね」
パステとは前の世界でいうパスタのことだ。小麦を使った料理などは呼び名が少し違うくらいで味、作り方などは同じだった。
「パステですね。分かりました、では行きましょう」
その場から少し離れた所に一軒の料理屋があった。
「ここにしましょうか?」
「はい、いいですよ」
店の扉を開け中に入ると店内にはウエイトレス姿の女性がいた。
店の雰囲気は以前の世界にあった喫茶店を思わせるような感じで、周りを見渡すと数人の客が料理を食べている。
ウエイトレスは左手にトレイを持ったまま、右手を伸ばして席へと誘導する。
「いらっしゃいませ。お二人様ですね、どうぞこちらの席へ」
空いている席に案内され席に着くとウエイトレスが注文を聞いてきた。
「今日は何になさいますか?」
食べるものが決まっていたためすぐに注文をする。
「じゃあ、パステを二つお願いします」
「かしこまりました。パステをお二つですね」
この世界のパステは前の世界のナポリタンとよく似ていて、すり潰したトマトに調味料を加え湯で上がったパステによく絡める。
そして厚く切ったベーコンを鉄板で焼き、最後に絡めたパステと焼いたベーコンを乗せて完成となる。
しばらくするとウエイトレスがトレイにパステを乗せ席へと運んできた。
「お待たしました。パステをお二つお持ちしました」
テーブルにパステの乗ったお皿を置くとウエイトレスはカウンターの奥へと戻っていった。
出てきたパステを前にアミールとの会話もはずむ。
「美味しそうですね」
「はい、お店でお食事するなんて、久しぶりなんでちょっと嬉しいです」
「アミールさんはあまり外食されないんてすか?」
「はい、ハルさんが来られる前はマタタビさんと二人で来たこともあったんですが」
マタタビと言って苦い顔するアミールの顔を見てなんとなく想像できた。
「マタタビさんと外食をした時、お店の方と喧嘩しちゃったんです。こんな不味いものにお金が払えるかにゃーて言って」
予想通りマタタビが料理にケチを付けそれから外食をしなくなったようだ。
「あいつらしいと、いうか何というか」
マタタビの味に対しての味覚はこの間のマヨネーズのことで理解していたが何もアミールとの外食で騒ぎを起こさなくてもと素直に思う。
「マタタビの話は置いといてせっかくですから食べましょうか」
「そうですね。はい、いただきます」
湯気が立ち昇るパステをフォークに巻き付け口に運ぶと、トマトの豊潤な香りとベーコンの香ばしい香りが想像以上に食欲をかき立てる。
一口食べたところでアミールがパステの感想を述べた。
「このパステ本当にとても美味しいです」
「ほんとだ、自分で作ってもこうはならないな」
パステの味を絶賛していると奥にいたウエイトレスが話しかけてきた。
「どうですか?うちのパステは」
「とても美味しいです」
アミールは満面の笑顔で答えた。
「本当に美味しいですね、何か秘密があるんですか?」
「まぁね、これは、妖精さんに教わったレシピだからね」
この時なぜだが頭の中にマタタビの姿が浮かんだ。
アミールを見るときっと同じことが頭に浮かんだのだろう。
そして、ウエイトレスにアミールか質問をする。
「あの、その妖精さんて青い毛並みのケットシーさんでしょうか?」
「ん、そうだけど。もしかしてあの妖精さんの知り合い?」
驚いたことにこの店のパステのレシピはマタタビが考えたもののようだ。
「オネエさん、このお店にマタタビ、ケットシーが来たんですか?」
「うん、随分前だけど、ふらっとお店に入ってきて食事をするなり不味いって騒ぎ出して、うちのコックと喧嘩しちゃったの」
マタタビの破天荒ぶりの話は続いた。
「それでね、うちのコックがそんなに不味いっていうならお前が作ってみせろって言ってね、それで作ったのがこのパステと言う訳」
こんな所でもマタタビがやらかしていたことを知ると何だか頭が痛くなってくる。
「は〜。あのバカ猫」
「マタタビさん、ここでも揉めてたんですね」
店に対して何だか申し訳なく思っていると、
「でも、気にしないでいいよ。その後その料理の腕に惚れたうちのコックが妖精さんに色々と教わってたからね。今度妖精さんも一緒に連れて来てよ。あ、ごめんなさい今日はデートみたいだから別の日にでもいいからさ」
そう言い残しウエイトレスは店の厨房へと入っていった。
デートという言葉を聞いたアミールの顔は新鮮なトマトのように真っ赤になっていた。
「こ、今度はマタタビも一緒にまた来ましょうね」
「は、はい。そうですね」
二人とも動揺を隠しきれなかったが話を濁しパステを食べ終わると、お金を払いそのまま店を出た。
「ありがとうございました。またお越しください」
ウエイトレスの元気な声が閉まりかかる扉の奥から響いてくる。
「それにしても、マタタビには困ったもんですね」
「はい、本当に」
こうして、お昼を食べ終わると目的地の孤児院へと向かった。
孤児院に着くとアミールは入口ではなく裏庭の方へと歩いていった。
「あれ?アミールさん。裏庭の方へ行くんですか」
「はい、きっとこの時間ティアは裏庭にいると思います」
入口を素通りし裏庭へ回るとそこに洗濯物を干しているティアがいた。
「姉さん!」
洗濯カゴに手を伸ばすティアにアミールが声をかけた。
「アミールじゃない、どうしたの?」
「今、買い物をしてきて、その帰りにここに寄ったの」
ティアは洗濯物を干すのを止めアミールのもとへと近づいてきた。
「へ〜、それで何買ったの?ハル君もいるというこはもしかして嫁入り道具」
「もう、姉さんまで変なこと言わないでよ。ハルさんと一緒に冬の箱を買いに行ってたの」
アミールは顔を赤らめティアに文句を言うが、ティアが戯けてアミールをからかう。
「アミールは本当に素直じゃないんだから」
「もう、せっかく姉さんにパーティーの日取りを教えに来たのに」
こんな話をアミール達がしていると孤児院の中から神父が現れた。
「どうした、騒々しい」
「あ、神父様。こんにちは」
挨拶をしたアミールと共に深々と頭をさげる。
「おお、アミール、それとハル殿だったかな?何かあったのか」
神父の問にアミールが答える。
「はい、姉さんに今度パーティーをする日取りを伝えに来ました」
「そうか、パーティーか。しかしアミールが元気そうで何よりだ」
笑顔の神父をよそにティアは物陰に隠れようとしていた。
「こら、ティア洗濯物がまだ終わっておらんだろう。それに今日の食事当番をサボりおって」
怒る神父の言葉にティアは素晴らしいほどの変わり身を見せる。
「神父様、申し訳ごさいませんでした。つい今し方までお腹を痛めていたもので。こんな罪深き私をお許し下さい」
その光景はまるで演劇でも見ているかのようだった。
このふざけぶりに神父も呆れたのかそれからティアには何も言わなかった。
「では、アミールよこれから私も用事があるのでな。体調には気を付けるのだぞ」
そう言うと孤児院の中へ戻って行った。
「姉さん何やってるの!」
「ふ〜、何とかなった」
「なんともなってないわよ」
ティアの変わりようは相変わらずのようだ。それはさておき、本題に入る。
「ティアさん、パーティーをする日なんですけど七日後の夕方六時を予定してるんですけど、どうでしょうか?」
「七日後の夕方六時ね、わかった。予定空けとく」
「あ、姉さん。あと手紙を書きたいんだけど紙とペンを貸してもらえないかな」
「それならその奥の部屋に紙とペンがあるからそれを使って」
「ありがとう。では、手紙は私が書きますからハルさんはそこで待っていてください」
アミールはティアに言われ、掃き出し窓からそのまま廊下に上がると奥の部屋へと入って行った。
そしてその場に残ったティアから突拍子もないことを言われる。
「ねぇ、ハル君はアミールのことどう思ってるの?」
「な、何ですか?いきなり」
「だってさ〜、今日も二人でお買いしに行ってるし普段だってとっても仲良しじゃん」
どうやらアミールとの仲を疑っているらしい。
「別に何もないですよ。そりゃあアミールさんは可愛し、美人ですけど、俺とは歳の差があると思うんで」
「ふーん、それでハル君は今いくつなの?」
こういう話の中て年齢を聞かれるのは何だか恥ずかしい気がする。
「に、二十六ですけど」
「二十六歳か。ハル君て見た目以上に歳上なんだね」
「悪いですか」
「違うよ、これは褒めているの。それにその歳ならアミールの歳なんて気にする必要なんてないよ」
「それはどういうことですか?」
「だって、あの子」
ティアとの会話の途中、背後からとてつもないオーラのようなものを感じた。
おそるおそる、ティアが振り返ると、
「姉さん?今ハルさんに何言っていたの」
マタタビを叱りつけた時とはまるで違う気迫を感じる。
そして、あの時同様、目が笑っていない。
「え?そうね、ハル君は何が好きなのかな〜って」
「姉さん、ちょっと」
ティアはアミールに襟元を後ろから引っ張られ、奥にある部屋へと引きずられて行った。
しばらくすると意気消沈するティアと少しムスッとしたアミールが部屋から出てきた。
「あ、アミールさん、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
アミールは怒りをごまかすような笑顔で答える。
「じゃあ、姉さん手紙宜しくね。それと七日後忘れずに来てね」
「わ、わかった」
あのティアも怒ったアミールの前では形無しのようだ。
手紙は後でティアが出してくれるとのことで、部屋で話した時にクリシュナーを呼ぶための手紙だと伝えておいたらしい。
辺りの日も暮れ始め孤児院の時計台を見ると夕方の五時を過ぎていた。
「そろそろ戻らないといけませんね」
冬の箱が届く前に帰らなくてはマタタビが対応したらまた厄介なことになるかもしれない。
「じゃ、姉さんまたね」
「では、ティアさんまた七日後に」
「うん、じゃあね」
別れを告げ店へと帰る。
店につく頃には夕方の六時を超えていた。
店の扉を開け中に入ると、
「おそいニャ!オイラを置いてどこほっつき歩いていたニャ」
「悪かったよ、今日はアミールさんと冬の箱を買いに行ってたんだよ」
「ニャに?冬の箱にゃと」
「はい、それでもうすぐ届くはずなんですけど」
マタタビに説明しようとしていると店の前に馬車が停まる音が聞こえた。
トントンと、扉をノックする音が聞こえる。
「あ、アミールさん。来たみたいですね」
扉を開けると魔製具販売店の店主がいた。
「品物をお届けにあがったよ」
馬車から店主と二人がかりで冬の箱を降ろすと店の中へと運んだ。
台所横のスペースに設置してすんなりとことを終えた。
「じゃあ、これで品物は届けたからね。そうそう忘れてた」
魔製具販売店の店主は数枚の紙を手渡して来た。
「これは、約束の新商品の広告だ。機能もかいてあるから宜しく頼むよ」
「はい、わかりました。それと今日はありがとうございました」
「これからも、ヒイキに頼むよ」
魔製具販売店の店主は店を出ると馬にまたがり馬車と共に帰って行った。
冬の箱の到着にアミールは満面の笑顔を見せている。
意外なことに冬の箱に対して喜んでいるのはアミールだけではなかった。
「お〜これが冬の箱かニャ」
マタタビは冬の箱を開けると、
「本当ニャ、中は冷たいニャ」
「マタタビさん、上の方はもっと冷たいですよ」
アミールに言われマタタビが上の扉を開く。
ヒンヤリとした冷気が溢れ出す。
「お〜、とっても冷たいニャ。これで赤い月の季節もしのげるニャ」
「赤い月の季節?」
マタタビの口から聞いたことのない言葉が発せられた。
「そういえば、ハルさんはご存知なかったですよね」
アミールからこの世界の意外なことを聞かされた。
この世界の月はなんと色が変わるという。
色は五色あって、春を告げる黄色、夏を知らせる赤、秋を連れてくる緑、そして冬の訪れを知らせる青、季節の変わり目に月の色が変化するという。
「でも、色は五色あると言いましたよね?」
「はい、ですが五つ目の色というのは黒。つまり月が消えるのです」
以前の世界では新月があったため驚かなかったが、この世界では基本的に月が消えることはないという。
そして月の満ち欠けはなく、ずっと満月のままであるとのことだった。
「月が消えるとどうなるんですか?」
「トゥナー《調律者》が現れるんです」
「バケモノみたいなやつですか?」
以前マタタビとの会話でトゥナー《調律者》のことは耳していた。
「トゥナー《調律者》のことご存知だったんですね?」
「あ、はい、以前にマタタビに教えてもらって」
この世界に来た日初めてマタタビと会った時のことを思い出していた。
「この世界にきて、そう、寝る前にアミールさんに怒られた時です」
「あ、覚えてます。あの時は確かハルさんとマタタビさんが何やら騒いでいた気が?」
「そうです、あの時アミールさんが怒るとトゥナー《調律者》よりも恐いとマタタビが」
話の流れに身を任せ過ぎた失言にアミールの顔色が変わる。
「ハルさん、マタタビさんはなんておっしゃったんですか?」
別に自分が言った訳ではないが気不味さはいなめない。
この失言に危険を察知したのだろう、マタタビは二階へと上がろうとしていた。
「マタタビさん、ちょっと」
呼び止められたマタタビは足をかけた階段から足を下ろしその場に立ち止まり振り向いた。
「ど、どうしたニャ、アミール。オ、オイラそんなこと言った覚えないニャ」
マタタビは、なんとかごまかそうとしているが動揺が隠しきれていない。
「マタタビさん、ハルさんになんて言ったんです?」
「なんて言ったっけかニャ?昔のことで覚えてないニャ。あっオイラこれからやらなきゃいけないことがあるのニャ」
そう言うとマタタビは二階にスタスタと逃げていった。
「もうー、マタタビさん!」
今日は何だか怒るアミールをよく見る日だと思った。
「ハルさん、私って恐いですか?」
「いえ、恐くなんかないですよ。ただ、たまに凄い気迫を感じることはありますけど」
冗談まじりで戯けて見せる。
「もう、ハルさんまで」
ほっぺたを膨らませ少しむくれるアミールの姿を見て可愛なと思ってしまう能天気な自分がそこにはいた。
話がそれてしまったがトゥナー《調律者》についてアミールから詳しく聞いた。
「アミールさん、話を戻しますけどトゥナー《調律者》て、一体なんなんですか?」
「トゥナー《調律者》とはこの世界に現われる、残虐非道の悪鬼たちのことをいいます」
真剣な眼差しで語り出すアミールの言葉をしっかりと耳に残す。
トゥナー《調律者》とは黒の月、この世界では月が消えた時どこからとも無く、トゥナー《調律者》が現れ非道の限りをつくすという。
その種類はさまざまで、異形な生物など多岐にわたるとのことだ。
その中でも強大な力を持つデーモンと死神と呼ばれる骨の剣士は別格だとアミールは語る。
「そんなのが出てきたらどうするんですか?」
「無論、戦います」
「え?アミールさんもですか?」
「はい、私は前にもお話しした通り生まれつき魔気が多いことと、この世界の祝福のおかげで四大精霊である、サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームたちを操ることができます」
驚いたことにアミールは火、水、風、土の四大元素の魔法を使うことができると言う。
「凄いじゃないですか。アミールさんはエレメンタルマスターじゃないですか」
「ハルさんは魔法に関する言葉を本当によくご存知なのですね」
アミールの魔法の力が凄いことはわかったがトゥナー《調律者》が本当に現れた時、自分に何ができるのか一抹の不安が頭をよぎった。
「でも、そんなのが本当に出てきたら俺はどうすればいいんだろうか」
不安を抱えた言葉にアミールが勇ましい言葉を発する。
「ハルさんは私が守ります。ですから安心してください」
この言葉に有り難さを感じるも、自分の不甲斐なさに怒りを覚えた。
「アミールさん、ひとつワガママをいっていいですか?」
自分が守りたい相手から守りますと言われ、無力なままで時がすぎていくのはどうしても嫌だった。
もし万が一自分が無力だったためにアミールやマタタビに何かあったら死んでも自分を許せない。
そして何よりもアミールに悲しい想いをさせることにだけは絶対にしたくない、そう思った。
「俺、クリシュナーさんの訓練、真剣にやろうと思います。それで、もしかしたらお店に迷惑かけてしまうかもしれませんが、後悔したくないのでお願いします」
「わかりました。でも無理はしないでくださいね」
そう言ってアミールは優しく微笑みかけた。