和之:変形ロボット
和之が家に帰り着いたとき、まだ日は沈んでいなかった。空には薄闇が差していたが、太陽も欠けることなく全身を現している。七時過ぎ頃か。夏至からそれほど日が経っていないからこその景色だ。毎日部活で遅く、こんな時期でも無ければ明るいうちに家に帰りつくのは難しい。冬場は部活も時間短縮されるらしいが、先輩の話を聞く限り日の落ちる速さには勝てないようだ。
確実に夜は足早になってきている。後何日、街灯の明かりを頼りにせず帰ってこられることか。
楠本家は兼業農家。家の周りは田圃で覆われている。和之が生まれる前は古い日本家屋だった家は、建て替えられて今ではよくある二階建て住宅になっていた。
家を取り囲む田圃には、植えて間もない稲の若苗が整然と屹立し、盛んに蝦蟇蛙の鳴き声を響かせている。蛙が静かになったら今度は蝉だ。夏場は一日中静かな時がない。冬の冷たい闇に張りつめた静寂よりはマシだが。
蛙の合唱に押されるように家に入ると、ただいまの元気なかけ声と共に弟がまとわりついてきた。弟の俊之は今年三歳。幼稚園に上がった妹、梨音の影響でか最近俄に言葉が増えてきて、これまた二人揃って騒がしい。年が離れているせいか慕ってくれるのはいいが、早く弱っている兄に手加減するという知能をつけてほしいと思う。
玄関のたたきに腰を下ろした兄に俊之は体全身でアタックすると、今度は全力で腕を引っ張り出した。
「にーちゃん! しょーぼーしゃほしい、しょーぼーしゃ。探して」
疲れてまともに受け答えする気力のない和之は、弟の訴えを流して自室へ続く階段へ足をかけた。無視された弟は必死に引き留めようと足にすがりつくが、いくら疲れていても運動部である。力勝負で負けるはずがない。
だっこちゃん人形よろしく、そのまま弟を足につけて階段を上がろうとした和之だったが、台所から現れた母に足を止めた。話かけて来ているのは分かるが、弟の叫び声が邪魔してよく聞こえない。
和之は足からはい上がって、腰にぶら下がっていた弟の顔を両手で挟んだ。俊之はつぶれたアヒルの顔で息絶え絶えになる。ようやく静かになったのを見て、改めて母が話しかけてきた。
「ねぇ和之、あんた消防車のおもちゃ持ってたでしょ。なんかテレビに出てたみたいで俊が欲しいっていうのよ。まだ持ってる?」
「多分あると思うけど」
「悪いんだけど探してやってくれない? 五月蠅くてしょうがないのよ」
一度言い出すと手に負えないのが子どもというもの。父も母も面倒な時はいつも和之に押しつけてくる。昔取った杵柄というか、きかん気の扱いには慣れていた。
「わかったよ」
和之は手の掛かる弟を脇に抱え直し、階段を上がった。
部屋に入って弟をベッドに放り出し押入を探す。下の段の奥に押し込んだ段ボールを開けると、おもちゃの数々が顔を覗かせた。ミニカーにプラスチックの刀、ボールに電池の切れたカードゲーム機まで無作為に折り重なっている。使わなくなったおもちゃをまとめて放りこんであった。どうにも捨てられないタチなのである。
ぱっと見た限りでは消防車は見あたらない。奥の方に埋もれているのか。
和之は壊さないよう気を付けながらおもちゃをかき分けた。程なく底に横たわる消防車を発見。取り上げようとした和之は、その横に見覚えのあるおもちゃを目にし手を伸ばした。トリコロールカラーの、数年前にはやった特撮モノの変形ロボットだ。実際に変形も出来、値段も高かった気がする。クリスマスプレゼントにもらったものだった。
右腕が壊れていて、それを無理矢理接着剤で止めているので変形はできない。
横で消防車が出てくるのを待っていた弟が、取り上げたロボットに目を留め手を伸ばしてきた。
「あー、ロボット!」
「これは駄目だ。お前が欲しいのは消防車だろ、ほら」
と、赤い消防車のおもちゃを渡す。しかし俊之は不満げだ。口をとがらせて和之の手にあるロボットを睨んでいる。
「う~、欲しいー」
「駄目だ」
消防車を抱えて手を伸ばす弟から、和之はロボットを遠ざけた。弟にはまだ届かないタンスの上に置く。思い出のあるものだった。なんでも破壊しかねない弟に渡す訳にはいかない。
和之は泣き叫ぶ弟を抱え上げて下に向かった。
「ほら、行くぞ。兄ちゃんは腹が減ってるんだ」
賑やかな夕食を終えて部屋に戻った和之は、チビどもの奇襲を避けるためカギを掛けた。タンスからロボットを取り上げベッドに横になる。
確か幼稚園の頃だった。ロボットをもらって喜んでいたのは。友達は誰も持っていなくて、正太の羨ましそうな目が一層得意にさせた。誰にも触らせず抱え込んでいたように思う。
そんなある日、そのロボットがなくなった。
近所の友だちと集まって遊んでいる間に、置いていた場所から姿を消していた。母が友達の家に電話をして聞いてくれたが、見つからなかった。宝物を無くして癇癪を起こす息子に、母は「他の子とも遊びたくて一人で出かけちゃたのかもね」と言った。その言葉に幼いながらも和之は凹んだ。みんなで遊ぶから帰ってきてと、素直だった和之は神様に祈ったものだ。
母は犯人を知っていたのだ。多分初めから。もしかしたら共犯だったのかもしれない。
今考えれば気づかなかったのが不思議なぐらい、犯人は明白だった。その直後、正太が余所余所しくなったからだ。毎日のように家に遊びに来ていたのがぴたりと姿を現さなくなった。幼稚園でも金魚の糞よろしく付きまとっていたのに、逆に避ける有様。
半年遅れに生まれた正太は、いつも自分の後を追っかけてくる手の掛かる弟のような存在だった。
数日後だったろうか。ロボットは見つかったが、その時は壊れた右腕が接着剤でがちがちに固められていた。
久々に遊びに来た正太は元気がなく、おやつにでた大好きなイチゴショートを和之に差し出し逃げるように帰っていった。あまりの挙動不審さに和之も気が付いたが、怒りは湧かなかった。ただ、そうかと納得しただけだ。
それから今日まで、ロボットは他のおもちゃに埋もれて眠っていた。
ロボットと一緒に掘り起こされたのは、記憶と、感情──。
(昔はもっと素直で可愛かったのにな…)
和之はベッドから起きてロボットをタンスの上に戻した。開け放していたカーテンを閉めに窓際に立つと、ガラス越しにぼんやりと隣の家の屋根が見えた。いぶし銀の瓦が月の光を反射しているのだ。正太の家は何度か改築をしているが、まだ昔ながらの日本家屋を保っている。既に家の明かりはすべて消えていた。養鶏を生業としているため寝静まるのは早い。
和之は可愛げのなくなった幼なじみの家から目をそらすようにして、カーテンを閉めた。