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阿恵:反乱

 テスト中なので、阿恵あえは家の自分の部屋で勉強をしていた。

考えるとはなしに武蔵むさしのことを考えていた阿恵は、手を止めて、机の横の棚の上に置いていた大きなテディベアを取り上げた。椅子に座ったままぬいぐるみを抱え込む。武蔵を抱きしめたら、こんな感じだろうか?

 このテディベアは二代目だ。初代のテディベアは燃えてしまった。

 あれは今年の冬のことだった。左義長の書初めたちとともに燃え上がったテディベア。阿恵は泣き叫びながら炎の中に手をさしのべた。父に後ろから捕まえられなければ、そのまま炎の中に飛び込んでいただろう。

 悲しかったのは、大事なものを失ったことじゃない。

 皆が口を揃えていった──『たかが縫いぐるみ』だと。

「たかが縫いぐるみに馬鹿じゃない」

「縫いぐるみぐらいで泣くな、お前は男だろう」

「また新しいの買ってあげるから」

 ──あんな想いは、もう二度としたくない。

 阿恵は腕のなかのテディベアをぎゅっと抱きしめた。

 ──何のために強くなりたいんだ?

 強くなりたかったのは、忘れるためだ。何を忘れても、失っても、平気でいられる強さが欲しかった。

 ドアがノックされ、妹の鈴風すずかが顔をのぞかせた。

「お兄ちゃん。晩ご飯出来たって」

「ありがとう」

 阿恵はテディベアを元の位置に戻して、椅子から立ち上がった。


 テストが終わり、早速その日に部活がはじまった。

 正門近く。外周を走って戻ってきたバスケ部一年たちは、外にスケッチに出てきた美術部の神崎こうさき代田しろたに出会った。

 神崎は標準体型よりすこしふっくらした印象だが、代田は170㎝近い長身の細身なので凸凹コンビに見える。

 芽室めむろがクラスメートに声を掛けた。

「よう、外でスケッチか?」

「ええ、並木道を描こうかと」

 代田が丁寧に答える。

「どうせなら俺の華々しい活躍振りを描いてくれよ」

「華々しい基礎トレーニングってどんなのさ」

 神崎の突っ込みに芽室は少し考えてから言った。

「──背筋とか!」

「地味ッ。まぁ活躍はともかくとして、後で見物にでも行かせてもらうよ」

「熱中症で倒れないよう気をつけろよ」

「武蔵もまた後でね」

 武蔵は落ち着いた笑顔で親友に手を振った。

 一昨日から比べると別人のようだ。元気になった武蔵にほっと安堵する阿恵だったが、それもつかの間、事件は起きた。


 手を止め、じっとスケッチブックを見ている神崎に代田が声を掛けた。

「描けたんですか?」

「だいたいはね」

 しかし神崎はスケッチブックではなく、その間に挟んであった数枚の紙を眺めている。

「何見てるんです?」

「不幸の手紙」

「え?」

 しらっとした顔で不吉なことを言う友人に、代田は顔を歪める。

「ほら。これなんか結構いいセンスしてるよね」

 A4サイズの紙を代田に渡す。神崎がいいセンスだと評したそれは、黒枠の中に神崎の顔写真がモノクロで印刷されたものだった。遺影のつもりなのだ。

「惜しむらくは、もうちょっとにこやかな写真の方が真実味あったってとこかな」

「な、なんですかこれ?!」

「だから不幸の手紙だって。わざわざパソコン使ってご苦労なことだよね」

 神崎は苦笑を浮かべ、頬杖をついて自分の遺影を眺めた。

「一体誰からなんです? タチが悪いですよ」

「知らない。差出人名は書いてなかったからね」

「そりゃあ、普通はないでしょうけど…心当たりはないんですか?」

「それが、ありすぎてわからないんだよねぇ」

「──…」

 危機感なく答える神崎に、代田は返す言葉が見つからなかった。

「まぁただの紙切れだし気にすることもないかと思って。なかなか愉快だしね。次が来なくなったらつまらないから、他言無用だよ」

 代田は心配を通り越して、呆れた顔で気丈夫な友人を見た。


「なんだと?! もう一度言って見ろ!」

 太陽が燦々と照りつけるグラウンドに、バスケ部二年、瀬戸せとの声が響いた。一年が一周1キロほどある学校の外周を三周ばかり走り終えて、グラウンドの隅で基礎トレーニングをしていたときのことだ。

 怒鳴った瀬戸は相当頭に来ているらしく、言葉の最後が一オクターブほど上がっていた。「──いやです」

 それに真っ向から反抗の言葉を返したのは武蔵だった。瀬戸の怒声とは対照的に、いやに平坦な口調で言い切る。

 なぜこんな険悪な状態に陥っているかと言えば、二年に一年が口答えしたという、ごく些細な出来事に端を発している。基礎トレーニングの最中、瀬戸が武蔵の頭にわざと肘を当て、それを武蔵が非難したのだ。

 瀬戸の顔から、井上いのうえに殴られた跡がようやく消えた頃だった。

 左右田中学バスケ部では、昔から不条理な上下関係が慢性化していて、後輩いびりは珍しいどころか日常、当たり前の景色だった。ここ二ヶ月半の間に続々と一年の新入部員が辞めていった理由もそこにある。この部でやって行くには、相当の我慢強さか余程の諦観が必要なのだ。

 勿論今回の主役である武蔵も『いびり』にあったのは初めてではない。普段はこれといった反応も示さず、ただ黙々と練習を続けているのが常だった。それがどういう訳か今回に限り先輩に食ってかかったのだ。食ってかかると言っても、それほど感情的ではなかったけれど。

 頭に肘鉄を食らう形となった武蔵は、

「先輩、肘が当たったんですけど」

 と、ゆっくりと瀬戸に言った。決して激した口調ではない。

 それを聞いた瀬戸は一瞬意外な顔をしたが、すぐにニヤニヤと馬鹿にした笑いを浮かべて、頭一つ低い小さな武蔵を見下ろした。

「ああ、いたのかよ。小さすぎて分からなかったぜ」

 自分を嘲る言葉にも、武蔵は眉一つ動かさなかった。

「謝るぐらいしたらどうですか。わざとしたんでしょう」

 いつもと何ら変ら変わらない無表情から発せられたその言葉に、瀬戸は激怒して、外周5周のランニングを武蔵に命じた。しかしその命令にも武蔵が逆らったため、現在取り返しが付かないほど険悪なムードになっているのである。

 運悪く、瀬戸をなだめてくれそうな常識人の松田まつだ梅原うめはらは、基礎トレーニングを終えて、コート内でのシュート練習に入っていて事態に気づいていなかった。

「先輩の命令に逆らうのか?」

 平然とノーと返した武蔵に、瀬戸がもう一度訊く。後輩に対抗しようと平静を装っているが、押さえきれない怒りに声も顔の筋肉も震えていた。

 小柄な少年は先輩の焦りなど無視して堂々と答える。

「先輩の言うことでも納得のいかないことはしたくありません」

「なにィ?!」

 二人の言い争いはすでに周りにも波及していた。

コートでの練習に入っていた二三年生を除き、その場にいた一二年全員が一触即発の膠着状態に身を強ばらせている。

 一年はことが起こった瞬間から体温が下がる一方だったが、始めのうち面白がって見ていた、まだ基礎トレーニングをしていた二年たちの顔からも笑いが消え失せていた。武蔵が強固な態度をとるなど全く予想していなかった部員達は、皆半信半疑のパニック状態に陥り、馬鹿な一年が早く首を縦に振ることを祈りながら木偶のように呆然と突っ立っていた。

「屁理屈抜かすなッ。後輩は先輩の指導におとなしく従ってりゃいーんだよ! わかったかクソちび」

「────」

「分かったらさっさと外周5周走ってこい。少しでもサボったり20分以内に戻って来れなかったらペナルティだからな」

 瀬戸は武蔵が何も言い返さなかったおかげで少しばかりインターバルを取ったためか、幾分落ち着いて再度武蔵に命令を下した。

 だが、武蔵は動かなかった。それどころか黙って瀬戸を睨み付けている。

「行けってんだよ!」

 生意気な後輩に苛立ちを募らせた瀬戸が、とうとう実力行使に出た。肩を強く押された武蔵がよろめいて二三歩後退する。

 仲間が突き飛ばされたのを見て、阿恵は思わず「あッ」と声を漏らし駆け寄ろうとしたが、その前に武蔵はよろついた体勢を立て直した。そしていやに落ち着いた目で先輩をにらみ返す。

「いやだ」

 ここで、冒頭の瀬戸の「なんだと?! もう一度言ってみろ!」につながるのだ。

 言葉通り、もう一度いやだと言った生意気な後輩を、瀬戸は苦々し気に睨みつけた。

「てめぇ…」

「あんたのは指導でもなんでもないだろ。自分が逆らえなかったからって、後輩に意趣返ししてるだけじゃないか。意気地なしのくせに偉そうな顔するなよ」

 憤怒のあまりうなり声しか出ない瀬戸に向かって、武蔵はずばずば禁句を連発する。言葉遣いももう敬語ではなかった。

「んだとこのチビィ!」

 とうとう完全に頭に来た瀬戸は、武蔵の襟首を掴みあげて右拳を振り上げた。その刹那、グラウンドを囲むフェンスの外から鋭い声がかかる。

「武蔵!」

 一瞬後、武蔵は殴られた勢いで地面に倒れ込んだ。咄嗟に左腕でガードしたようで顔への直撃は免れていたが、瀬戸は倒れた後輩の腹へ容赦なく蹴りを入れた。腹を押さえてうめき声を上げる武蔵。

 バスケ部員たちが慌てて駆け寄ろうとしたとき、またも予想だにしない事態が起こった。お気に入りを傷つけられて切れた阿恵が、奇声を上げて瀬戸に突進したのだ。

「う、うわぁぁああああ!」

 阿恵は瀬戸にタックルを食らわして地面に押さえ込んだ。馬乗りになり拳を振り上げる。

「止めろ阿恵!」

 瀬戸に報復攻撃を掛けようとしていた阿恵は、突き刺すような制止の声に我に返った。拳を止めて振り返ると、武蔵が腹を抱えながらも自力で立ち上がっているではないか。阿恵は瀬戸から離れ、急いで武蔵に駆け寄った。

「無理しちゃだめだよっ」

 他の部員達も、それぞれ後輩や同級生へ駆け寄る。そこに滅多に部活に顔を出さない遠江とおとうみ教諭が、どういう気まぐれでかタイミング良く現れた。

「──なんだぁ…またか? 騒ぎが好きな奴らだなぁ」

 現状を把握しても反応は軽い。困ったように頭をかき混ぜながら、被害者を見つけて歩み寄る。

「これは保健室だな…。阿恵、お前はこいつの鞄取って来い」

 阿恵は遠江に大事な友達を預けると、急いでグラウンドを走り出た。

 その時、フェンスの側に神崎こうさきの姿を見かけた。先ほど、武蔵が殴られる直前に声をかけたのは神崎だった。友人を心配して待っているのかと思ったが、阿恵と目が合うと、苛立たしげな顔を浮かべ、一緒にいた代田と共に校門の方へ行ってしまった。


 武蔵の鞄を持って保健室に付いてみると、どうしたことかそこには誰の姿も見えなかった。戸惑っている所に、ベッドの一つを囲っていたカーテンが開いた。養護教諭の奈津子なつこ先生が顔を出す。

「鞄持ってきてくれたの? ご苦労様」

 阿恵は鞄を入り口近くの診察台の上に置いて、急いでベッドへ向かった。寝込んでいるのかと心配したが、武蔵はベッドの端に腰掛けて座っていた。

「心配いらないわよ。脇腹に痣が出来てたけど湿布張っておいたから」

「よかったぁ…」

 力が抜けた阿恵は、武蔵の横に腰を下ろした。

「ホント驚いたよ、突然先輩に逆らうから。あんな因縁付けるみたいな言い方、武蔵らしくないよ」

「そうだな」

 苦笑を浮かべて言う。武蔵は予想したよりしっかりした声で答えたが、視線は窓の外に向かっていた。窓の外には、友達とスケッチをする神崎の後ろ姿が見えた。

 学校の外から移動してきたらしい。保健室が見えるところにいるのは、武蔵が心配だからだろうか。

「さっき怒ったのって、もしかして神崎がらみ?」

 阿恵は武蔵が瀬戸に反論する前、瀬戸たちがフェンス外にいた神崎の悪口を言っていたのを耳にしていた。思い出すのも不愉快なので、内容はよく覚えていないが、「死にぞこない」という言葉を耳にした記憶はあった。

 黙って仲間に顔を向けた武蔵は、短く「別に」とだけ答えた。

 武蔵はなかなか心を開いてはくれない。誰だってヒトに言えないことはあるものだけれど、武蔵は穏やかに周りを拒絶しているように思えた。

 部活も3ヶ月目、残った仲間内で結束感が生まれてもよい頃だ。芽室めむろにはよく馬鹿にされるが、楠本くすもとが言うにはあれも友情の一種なのだそうだ。とてもそれだけとは思えないが。

 ただ、武蔵はいつも部外者のようだった。

「──ねぇ武蔵、もし──」

 言いかけたところで、遠江が武蔵の兄の闘雄たけおを伴って保健室に現れた。闘雄は弟を連れて家に帰り、役目を終えた阿恵は部活に戻るよう遠江に追い払われた。

 後ろ髪引かれる思いで渋々部活に戻ってみると、楠本と芽室が二人でグラウンドの整備をしていた。阿恵の姿を見てトンボ片手に楠本が言う。

「武蔵の具合どうだった?」

「大したことないって。でもお兄さんが迎えに来て、さっき一緒に帰ったよ」

「そっか」

「部活はどうしたの?」

「今日はもうお開きだってよ。お前も手伝えよな」

 芽室が不機嫌に言う。阿恵が出て行った後、遠江先生が戻って来て、部長の山鹿と加害者の瀬戸を伴ってグラウンドを出ていったらしい。保健室で武蔵の姿しか見なかったところを見ると、別の部屋で話をしていたのだろう。

「どうしたんだろうな、武蔵の奴」

 楠本が不思議そうに、誰にともなく尋ねた。幼馴染がさらりと答える。

「辞める気なんじゃねーの、部活」

「なんで!」

「だって井上の事件から大体十日経つじゃん」

「そう言う問題じゃないだろう」

 阿恵の詰問にも芽室は他人事のように言い、その様子に楠本も非難の声を上げた。

「じゃなくてもよ、彼奴元々好きでバスケ部に入ったって感じじゃねーし、面白くもない部にいるよりは、神崎のいる美術部にでも鞍替えしようって腹なんじゃねーの?」

「武蔵はそんな奴じゃないよ。勝手なこと言うなよ」

 阿恵は芽室に食って掛かった。

「んだよ。じゃあお前彼奴からバスケが好きだって聞いたことあんのかよ」

「それは…ないけど」

「ほら見ろ、てめぇの言ってることだって勝手な思いこみと一緒なんだよ。仲間かばって善人ぶってりゃ気分がいいだろうけどな」

「正太、言い過ぎだぞ」

「はいはい、悪いのはこのお口でちゅ~」

 巫山戯てそう言うと、コート整備を終えた芽室は道具を片づけにグラウンド脇の体育倉庫に去って行った。

「あいつの言うことは気にするなよ。なんだか知らないけど、武蔵が絡むと機嫌が悪くなるんだ」

「…うん」

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