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阿恵:マスコット

 期末テスト一日目は雨だった。

 阿恵あえはギリギリで教室に駆け込んだ。クラスメートはもうテストの席に座り最後のあがきに精を出していた。一時間目は理科だ。

「お、ギリギリセーフ」

「遅いじゃねーか。テストが嫌で逃げ出したのかと思ったぜ」

「いつもよりゆっくり出来ると思ったら、つい寝坊しちゃって」

「おっ前、余裕だな~」

 すぐに先生が来てテストが始まる。

(あーあ、武蔵むさしの顔見に行こうと思ってたのに…。テストが終わったら会いに行こう)

 昨日も一昨日の土曜日も、部活がなかったので会えなかったのだ。


 一教科目が終わった後、直前のテスト勉強もせずに、阿恵は四階の一年の教室から地上プレハブの八組に行った。

しかし、武蔵はいなかった。疑問に思っているところに浅田あさだが阿恵に気づいて声を掛けてきた。

「阿恵君、どうしたの?」

杏子きょうこちゃんおはよう。武蔵、どっか行ってるの?」

「それがまだ来てないんだ。体調が悪いらしくって、病院に行ってから来るって。

 昨日大丈夫だとか言っててこれだもんなぁ。ごめんね、来たら知らせるよ」

「そんな、気にしないでよ。また見に来るから。ありがとう」

「テスト頑張ってね」

 阿恵は心配しながらも急いで教室にもどった。


 全てのテストが終了した後、急いで八組に行こうとするが、女子に話しかけられ十分ばかり足止めを食らってしまった。大急ぎで八組に駆けていく。

 八組ではまだ半数近くの生徒が席に座って、テストの話で花を咲かせていた。けれど、やはり武蔵の姿はそこにない。浅田の姿も見えなかった。

 息を切らせてやってきた阿恵を見て、女子の一人、橋本はしもとが声を掛けた。

「武蔵くんに会いに来たんでしょ」

「うん。──もしかして来てないの?」

「ううん、三時間目の途中に来たよ。でもやっぱり調子が悪いからって保健室に行っちゃった。まだ保健室にいると思うよ」

「ありがとう」

 礼を言って急いで保健室に向かう。


 阿恵は保健室を勢いよく開けた。

「失礼しますッ」

「うるさいぞ…。保健室なんだから静かにしろ」

 くつろぎに来ていた遠江とおとうみ先生が紅茶の入ったマグカップを片手に注意する。

「すいません。先生、武蔵は──」

「そこのベッドで寝てる…」

 遠江がカーテンで囲われた手前のベッドを目で示す。

 カーテンを開けると、武蔵がベッドの上に体を起こしていた。阿恵はすばやく武蔵の横に陣取り、仲間の手を取った。やはり顔色がよくない。

「武蔵、大丈夫? 朝来てなかったから心配したんだよ」

「…ああ、ごめん…」

 武蔵はどこか視線の定まらない、ぼんやりした表情で答えた。心ここにあらずだ。

「ったく、大げさな奴だな。何十年か振りに家族に会った拉致被害者かテメェは」

 武蔵の向こう側から辛辣な言葉が飛んで来る。顔を向けると、ベッドを挟んだ反対側に芽室めむろが一人で座っていた。

「あれ、芽室いたの?」

「──さっきからずっとな」

「芽室も武蔵のお見舞い?」

「違う。俺はただ雨宿りに来ただけだ。神崎こうさきがトイレに行っちまったから待ってるんだよ」

 不機嫌に言い放つ。芽室のその言葉を裏打ちするように、神崎が保健室に戻ってきた。カーテンを開けて、親友の横に座った自分より大柄な同級生に眉を顰める。

 神崎は武蔵の手を握って座る阿恵へ歩み寄ると、躊躇なく蹴った。蹴りといっても威力はなく、ただ足で押した程度だったが、不意を付かれた阿恵は見事に椅子から転がり落ちた。

「いたたたた…」

「慣れ慣れしいんだよ。気持ちの悪い」

「だからって蹴ることないじゃないか。酷いよ」

 神崎は倒れた椅子を起こすと、阿恵を無視して腰掛けた。

 椅子が倒れる音を聞きつけた保健の奈津子なつこ先生が、カーテンから顔を覗かせる。

「どうしたの? 大きな音がしたけど」

「なんでもー。あいつが椅子から落ちただけ」

「すいません」

 なぜか被害者の阿恵が謝る羽目になる。

「あら、武蔵くん目が覚めちゃったの。よく眠れた?」

「……」

 武蔵は奈津子先生を見上げただけで、何も言わなかった。

「冷たいお茶でも入れましょうか。すっきりするわよ。神崎君達もどう?」

「いただきます」

 芽室はジュースを希望したが、奈津子先生はそれを却下しカーテンを閉めた。

「武蔵。少しは気分良くなった?」

 神崎が武蔵を覗き込むようにして尋ねた。武蔵はじっと眼鏡の親友を見返したが、今度も何も言わなかった。代わりに小さく頷く。

 何か口に出そうとして止めたのが阿恵にも分かった。自分たちがいるから気兼ねなく話せないのかと思った時、芽室がおもむろに立ち上がった。

「帰るの?」

「いや…トイレ行って来る。お前は家近いんだからさっさと帰れよな」

 芽室に言われたからではないが、なんだか邪魔をしているような気がしたので、心残りだったが帰ることにした。


 気落ちした阿恵は、元気を出そうとポケットからお守りを取り出した。

オレンジ色のフェルトを重ねて縫い、中に綿を入れただけの簡単なクマのマスコットだ。五センチほどの大きさで、昔阿恵が落ち込んでいるときに妹がプレゼントしてくれたものだった。オレンジ色は阿恵の好きな色だった。

 もらった時にはついていなかった黄色い小さな鈴が、チリンと軽やかな音を立てた。

 心配そうにマスコットを差し出す妹の顔と、鉄面皮な武蔵の顔が浮かぶ。

 ──何のために強くなりたいんだ?

 武蔵にそう聞かれた時、阿恵は答えることが出来なかった。自分が強さを求める理由を。けれど、今なら答えることができる。

 妹の優しさの籠もったマスコットは、今ではその答えを忘れないための証にもなっていた。

 阿恵は自分の気持ちを確認してマスコットをポケットにしまった。顔を上げて昇降口に足を向ける。

 その先に、教頭と武蔵の兄、闘雄たけおの話している姿があった。

(あれって、確か武蔵の兄さんの…)

「──折角才能があるんだから勿体ないわよ。闘雄くんからも言ってみてちょうだい」

「はぁ。じゃあ言うだけは言ってみますよ」

 教頭と別れて保健室の方に歩いてくる。

「やれやれ…才能ねぇ」

 ぼやきながらは闘雄は昇降口の前を通り過ぎていった。


 翌朝、雨は止んでいたが、阿恵は武蔵の様子が気になって、一年八組を見に寄った。武蔵はクラスメートと話をしていたが元気がなさそうだった。

 その日のテスト終了後、阿恵は急いで八組へ向かった。武蔵は机に座って友人と話をしていた。

「武蔵、途中まで一緒に帰ろう」

 突然現れた仲間を困った顔で見上げる武蔵。

「──神崎と帰るから…」

「じゃあ、神崎も一緒にさ」

 阿恵は笑ってそう言った。

 ――――。

「お断りだね」

 数分後に現れた神崎は、阿恵の提案を無情に却下した。

「どうしてぇ?」

「お前が頭ん中で培養してる天然酵母が、僕にまで伝染したら大変だからさ。行こう武蔵。付いて来るなよ」

「ごめん」

 阿恵に謝ると、武蔵は神崎と並んで帰って行った。

 どうも神崎には嫌われているらしい。武蔵にまとわりついているのが気に入らないのだろうか。

 落ち込む阿恵の背中を、一部始終を見ていた浅田がポンポンと叩いた。

 武蔵の代わりではないが、浅田と一緒に途中まで帰ることになった。

「ほらほらそんなに落ち込まない。あたしの幸運のお守り貸してあげるから、元気出して、ね」

 可愛いカエルのマスコットを差し出す。

「ありがとう。でも今テスト中だし、それは杏子ちゃんが持ってた方がいいよ。幸運のお守りなら俺も持ってるからさ」

 ポケットから鈴の音と共にクマのマスコットを取り出す。

「あ、それ、前に妹さんが作ってくれたって言ってたのだね。──でも、鈴なんか付いてたっけ?」

「これは武蔵が付けてくれたんだ。あんまり俺が何度も落とすから、なくさないようにって」

「あはは、武蔵らしいね」

「──うん」

 阿恵は小さな黄色い鈴を、宝石をさわるようにそっと触った。

 そういえば、最初にマスコットを落として返してもらった時には、浅田も一緒だった。


 それはゴールデンウイークの直前のことで、風紀委員の阿恵は朝練を途中で抜けて、校門で浅田たちとあいさつ運動をしていた。

 校門前のツツジが満開に咲いていて、そこに武蔵がやってきたのだ。

「阿恵、これ体育倉庫に落ちてたんだけど、お前のじゃないか?」

 そう言って武蔵はオレンジ色のクマが付いた鍵を阿恵に見せた。

「ああ! ごめん、俺のだよ。着替えてた時に落としたのかな…」

 阿恵は受け取ったマスコットを見ながら呟いた。

 朝練後は部室には行かず、皆、体育倉庫や用具室で着替えていた。

「ありがとう。よく俺のだってわかったね」

 今ではカバンにもひよこのマスコットをつけているような阿恵だが、その頃はまだ可愛いもの好きを我慢していて、クマのマスコットのついた鍵が阿恵のものだとは、小学校が同じでもなければ思いつかないはずだった。

 あまり仲の良くない井上いのうえが教えたとも思えない。

「ちょうどお前が着替えてたところに落ちてたから」

「そっか…」

 しごく真っ当な答えが返って来た。しかしオレンジのクマのマスコットを男子が着けていると普通考えるものだろうか? 体育倉庫での着替えは女子もしている。

 そこに、二人のやりとりを見ていた浅田が話しかけてきた。

「可愛いクマだね。手作りだよね」

「うん。妹が作ってくれたんだ」

「へえ、いいなぁ」

 浅田は男子たちのように馬鹿にする訳ではなく、素直に羨ましがってくれているようだった。クマが羨ましいのか、マスコットをくれる妹が羨ましいのかはわからないが。浅田は一人っ子だったはずだ。

「羨ましいなら自分で作ればいいじゃないか」

 そう言ったのは武蔵だ。浅田が途端に頬を膨らせる。

「もう! 私が不器用なの知ってて言ってるでしょ。そういうところ、神崎くんに似てきてるよ」

「はは。そうかな?」

 武蔵は穏やかに笑った。いつも鉄面皮な武蔵の、入学式以来初めて見たその表情に、阿恵は虚を突かれた。

 入学式の時にみた笑顔に阿恵は胸を掴まれたのだが、あの時に隣にいたのは確か神崎だったはずだ。あの笑顔は神崎に対してだけのものと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 改めて自分の武蔵の心の位置に思いいたり、阿恵は少し落ち込んだのだった。

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