プロローグ 道
僕前に道はない
僕の後ろに道はできる
昔学校で教わった詩の一節が不意に頭を掠めた。
なんと言うことはない、知らない道を歩いていたから思い浮かんだだけのことだ。
夕食を外で取ることになっていたのだが、家族との待ち合わせの場所、というか食事をする予定の店が初めて行く場所なので、少々手間取っていた。いい加減な兄の説明など信用せずに予め地図で確認しておけばよかったと、彼は少し後悔していた。
「駅の西にある踏切前の坂道を、大通り向かって上がっていく坂道の途中にあるらしい」
などと推量形で話す時点で怪しかった。間違いなく言われた通りの坂道だ。大通りの辿り着くまでにあるはずだが、今彼が立っている場所は既にその大通りであった。
店を見落としたのか道自体誤っているのか、理由はどうあれ目的の店は見つからなかった。彼は人が出入りする、車道を越えたところにあるスーパーを眺め、小さくため息をついた。今来た道を振り返る。
下り坂で、坂を下った先にある踏切前に、車が並んでいる以外は人気はなかった。
坂道に、斜陽に映し出された自分の影が長く、不要なほど長くのびている。太陽はあと半時を待たずに沈むであろう。
状況は、あまりよくなかった。
けれどすぐ引き返す気にはなれず、彼は取り敢えず道を越えた先のスーパーで場所を訊くことにした。引き返したところで、一からやり直しなら意味がない。
そう考えてスーパーに目を向けた時、視界に見知った後ろ姿を認めた。
その人物はスーパーの前の歩道を歩いていた。学校指定のYシャツに学生ズボンの出で立ちで、一人手持ち無沙汰に歩いている。学校帰りにどこかに寄るのだろう。授業を終えて引き続き部活と、長い拘束時間から解放されてまだ間もなかった。
彼自身もまた、部活を終えて直接目的地に向かっているクチで、服装も同級生と同じ学生服である。
距離はそれほど離れていなかったが、向いている方向が違うため、相手はこちらに気づいていない様子だった。
いつも一緒の友人がいないことに違和感を覚えていると、その同級生が不意に立ち止まった。思わず、建物の影に身を寄せる。
けれど同級生は後ろまでは振り返らず、すぐ横に設けられた、スーパー前の臨時の掲示板に目を向けた。暫くその掲示板を見つめていた同級生は、苦々しげな様子で顔を背けると、足早にその場を立ち去った。
彼が建物の影から出て掲示板を見ると、そこには子供が描いたらしい拙い母親の似顔絵が、綺麗に並べて展示してあった。上の方に造花のカーネーションで飾られた『おかあさんありがとう』の文字が見える。母の日を明後日に控え、スーパーが企画したものだろう。
掲示板から歩道に目を戻すと、同級生の姿はもうどこにも見えなくなっていた。
彼はさっき通ってきた道をもう一度振り返った。
(僕の後ろに道は出来る――か)
けれど、その道は決して後戻りすることの出来ない道だ。振り返って、ただ眺めることしか出来ない道。
一体どれだけの人間がそのことの本当の意味に気づいているのだろうか――?
逃げるように立ち去った同級生の姿を思い出しながら、彼はふとそんなことを考えた。
その数分後、彼は無事目的の店を見つけることに成功したが、兄たちが現れたのはそれからさらに一五分後、約束の時間を三〇分は過ぎた頃だった。